第399話 心をガニ股にしなければ
宴会に参加した経験は少ないけど、一旦締めるタイミングくらいはわかる。空気が緩み始めて、なんとなく散漫とした状況が少し続いたら頃合いだ。
自分でも不思議なんだけど……飲み会は決して好きじゃないのに、一区切りつけて解散した直後の空気は妙に好きだ。
一先ず終了ってなった時の解放感と、店から出て火照った身体を冷やしてくれる夜風の肌感。それらを感じるこの時間だけは凄く心地良い。
これから二次会へ向かう人達の背中を見送って、そのまま夜の街を歩くのも嫌いじゃない。もしかしたら『あいつ付き合い悪いな』とか言われてるかもしれないけど、仮にそうでも全く嫌じゃない。騒がしかった空気が一旦収まって、自分の中に流れる時間が少しずつ元に戻っていく感覚は、何処か懐かしさを覚えるような心持ちになる。きっと学校や塾の帰り道と同じ感覚なんじゃないかな。
だから――――
「レベル至上主義滅びろーーーーーーー! そんなの私がこれからブッ潰してやります! ついでに冒険者ギルドもね、ブッ壊してやりますよ!」
「いいぞぉアヤメルちゃん! やったれやったれぇ!」
「俺達みんなアヤメルちゃんの味方だからなあ! 冒険者ギルドなんて内側から破壊しちまえば良いんだよお!」
「ブレイクスルーってヤツだな! わかるぜ! 俺もそれで新しい扉開いたんだ!」
……はよ終われや! いつまで飲んでんだコイツ等は! もう深夜だろ!
時計なんてないから正確な時間はわからない。既に一度体内時計がムチャクチャになったから自分の感覚も信用はし辛いけど、夕食直後から恐らくもう5時間以上は経っている。なのに全然終わらねぇなこの宴。一体いつまで続くんだ……?
イリスとの約束は明け方。時間的にはまだ全然余裕がある。ただ……5時間もあれば幾らチビチビ飲んでても多少は蓄積してくる。
オネットさんとの会話が一段落した後もひっきりなしに誰かしらが隣に来て飲め飲め言ってきたからなあ……元々アルコール代謝能力低めの俺にはそれだけでも結構な酔い加減だ。
流石にこれ以上酔う訳にはいかない。深酒で眠りこけて行けませんでした、じゃ幾ら温厚なイリスだってブチ切れだろう。下手したら絶交もあり得る。確実にティシエラにも伝わるし、ティシエラからの心証も悪くなるだろう。
と言っても、酔いを瞬時に覚ます方法なんて存在しない。そんな都合の良いアイテムや魔法があれば良かったんだけど、生憎聞いた事もない。勿論、生前の知識の中にも効果的な酔い覚ましなんて一切ない。そもそも酔う機会が滅多になかったから調べた事さえなかった。
ただ、飲酒後にこれやっちゃダメってのは幾つか知ってる。その中でも特に危険なのが入浴だ。血行が良くなって酔いが更に回るし、血管が広がり過ぎて血圧が一気に下がり過ぎる。血流の偏りで脳や心臓に血液が足りなくなる恐れもある。良い事は何もない。
ここにいる連中がこれから温泉に入ろうとか言い出したら、それを止めるのは俺の役目だ。強引に浴場に向かおうとするならラリアットしてでも止めてやる。
皆の様子は――――
「ぅお~いヤメ~。そろそろね~お開きにしにゃいとぉ~お宿の皆しゃんに迷惑かかりまひてよぉ~」
えぇぇ……フレンデリアってこんな酔い方すんのか。なんか意外。目もトローンってしててちょっと可愛い。
「ヤダヤダヤダヤダ! だってシキちゃんが全然顔赤くなってねーもん! シキちゃんベロンベロンに酔わせてお持ち帰りする作戦が成功しねーじゃん!」
ヤメは……まあいつも酔うとあんな感じだ。元々奔放な性格だけど、いよいよ言動に何の制限もなくなる。考えている事が筒抜けだから割と無害だ。
「らめれすヤメさん。そんな大声出しちゃらめれす。そんな悪い子はですね、もう真っ二つにしちゃいますよ真っ二つ。ぐしゅって」
オネットさんまで泥酔してる! うわ珍し! あと怖っ! なんか擬音が生々しい……
「ふーーーーっ……」
マキシムさんは元々寡黙だけど、酔うと更に喋らなくなる。だから不機嫌と思われる事が多かったらしい。でも実際にはイイ気分なんだそうだ。
「ダゴンダンド殿。我が輩は常日頃感服致しております。その御年で毎日ギルドに足を運び、若者を見守りながら御自身も研鑽を積み続けるその精神はまこと御立派。ま、ま、一杯」
「おおお……嬉しい事を言ってくれるのう。お前だけだ、拙者を讃えてくれるのは。嬉しいのう嬉しいのう」
……これも意外なんだけど、シデッスは酔うと何故か年配者を敬い出す。別に媚びを売ってる感じでもなくて本心っぽい。普段あんなでも根は真面目なんだろうな。あんなでも。
「はぁ……この街ってなんで幼女がいねぇんだろうなぁ。終わってんなぁ」
「ですよね……不思議ですよね。妖精みたいに透明感と神秘性を兼ね備えていてあどけなさを残した幼女がいないのっておかしくないですかね。誰かの陰謀でしょうか」
グラコロとメンヘルは共通の趣味で話が盛り上がっている。勿論平常運行だ。
ディノーとアクシーは……
「嗚呼……脱げないのは辛い……全てをさらけ出しておっ広げて顔だけを隠すあの背徳感がないと物足りない……何もかもが虚しい……」
「どうして俺は何の力にもなれないんだ。城下町ギルドをこんなにも愛しているのに。全てを捧げているつもりなのに。まだ足りないのか……くぅっ」
完全に泣き上戸だな。どっちも相当酔っているのか陰気な感情ダダ漏れで号泣してる。どうせ酔うなら陽気に酔ってよ。
まあでも、泣けばストレスが発散できるって言うし、ああ見えて癒やしになってるのかもしれないな。レベル60台の二人には可能な限り万全でいて欲しいし、これはこれで良しとしよう。
酔い方も十人十色。しかも普段とは違う酔い方をしてるギルド員が結構多い。元冒険者も多いし、旅行っつってもそんなに新鮮じゃないのかなって思っていたけど、意外と非日常を感じてくれているのかもしれない。
……シキさんはどうなんだろ。
「……」
相変わらず、酔ってるのか酔ってないのかさえわからないポーカーフェイス。あのシキさんが酒如きで自分を見失う訳ないか。
結局あの時の事は聞けないまま時間だけが過ぎてしまった。うん、今日はもうやめとこう。これ以上精神を消耗させる訳にはいかない。張本人からも養生するよう言われてる事だし。
「お坊ちゃま。お坊ちゃま」
お坊ちゃまぁ?
……ああ、スタッフの人か。確かメオンさんだっけ。いつまで経っても終わらないから業を煮やして直接言いに来たのかな。
「すみません夜遅くまで。すぐにお開きにしますんで」
「いえいえその心配は。当宿は本日貸し切りでございますので心行くまで乱痴気騒ぎをして頂いて」
「でも、早く撤収しないと皆さん眠れないんじゃ……」
「私、人生で初めて労働で心づけを頂いた興奮で今宵はとても眠れそうには。皆様からご満足頂ける最高のサービスで報いる所存ですので」
そんなにチップをありがたがってくれるとは。日本にはない文化だから正直ピンと来てなかったけど、ここまで言われると悪い気はしないよな。
「ただ、御用意させて頂いた酒類が底を付きまして。これから買い足して来ますので、少しお待ち頂ければと」
「いやいやそれは幾らなんでも! もう何処もやってないでしょ!」
「探します。街中、いや地の果てまでも。全てはお坊ちゃまの為に!」
いや怖ぇって……鼻息荒すぎて顔面の圧がねぶた並になってんじゃん。幾らなんでもそんな真似はさせられない。
「まだ明日もあるんで、これ以上は控えさせます。そのエネルギーはどうか明日にとっておいて下さい」
「そうですか……承知致しました。既に全部屋の寝床は整えていますので、どうかごゆっくり」
「ありがとうございます」
「僭越ながら、破廉恥な事をなさりたい場合はお申し付け下さい。暗がりの部屋とちょっとした器具を御用意させて頂きます」
「する訳ねーだろ! 急にどうした!」
「ひゃああ!? 私はまた余計な事を!? 告発……否認……圧力……降参……クビ!!」
圧力の出る幕ねーよ。100%そっちの失言だろ。
「ウチのギルドはこう見えて風紀が乱れたりはしてないんで、そういうのは大丈夫です」
「そ、そうでしたか。私の故郷だと男女混合のギルドでは毎日が乱交パーティーとの言い伝えが」
どんな伝承だよ。気持ち悪い故郷だな。
「実は兄も城下町でギルドに所属しておりまして。女性もおられるギルドだと手紙に書いていたので、性の狂宴を毎日のように堪能しているのだろうなと思っていたのですが」
「そんなギルドないない」
「マジでございましたか……兄もすっかり都会に染まったものだと心の中で嘲笑っていたのですが」
兄を尊敬してるのか軽蔑してるのかどっちなんだ。まあ共存する感情ではあるんだろうけど。
「何はともあれ、どうぞ時間を忘れてお楽しみ下さいませ。では」
「はい……」
メオンさん、相変わらず極端な人だな。兄も似た性格なんだろうか。名前聞いときゃ良かったかな。
ま、今はそれより宴会だ。幸い温泉に向かおうとする奴もいないし、そろそろギルマス権限でお開きに――――
「……あれ」
人がいない。いやポツポツはいるけど急に人口密度が極端に低くなったような……
「俺ことディノーは! サキュッチさんが好きでありまーす!!!」
「うわビックリした!」
急になんだ大声出して……ディノーか? 声裏返ってわかり難いけどディノーだよな。ディノー以外にあり得ないもんな内容的に。
「サキュッチさーん!! 好きじゃあああ!!!」
「いいぞディノー! もっと心の股を開くのだ! 私達はいつだって心をガニ股にしなければ! しなければ運命は切り拓けない!!」
……今度はアクシーか。何だよ心をガニ股にするって。酔ってるにしたっておかしいよ。
「はぁ……はぁ……トモ!」
「え、何?」
「トモ……俺はお前と出会えて本当に良かった。生きてるって感じなんだ。冒険者ギルドにいる時より生きてるな俺生きてるなって感じるんだよお前のお陰だ。俺やるからな! もっと活躍してこのギルドを元気にする! 俺はやる! サキュッチさんをやるからな!」
おいやめろそこを混ぜるな意味が変わってくるだろ。
「行くぞアクシー! やるぞ!」
「おお! 相棒! やろう!」
……肩組みながら出ていった。大丈夫か? このまま暗がりの部屋に行ったりしないよな?
にしても完全に泥酔してたな。あんなディノー初めて見た。よっぽどストレス溜まってたんだろな……
「トモ先輩お休みなさーい」
「ん、ちょっと待ってアヤメル。もう宴会って終わった?」
「さっきヤメ先輩が早よ寝ろーって言ってましたよー。私も明日視察に来る冒険者を迎えなきゃなんでもう寝まーす」
「あ、ああ。お休み……」
アヤメルが宴会場を出て行くと、残っていた野郎共は全員一斉に出ていって俺だけが取り残された。
どうやらメオンさんと話してる最中にお開きになったらしい。もうヤメもフレンデリアもいない。つーか俺以外は誰も……
「隊長」
「うわビックリした!」
心臓に悪いなもう……何回ビックリさせられるんだよ。慰安旅行のイの字もねーな。
「そのままにしておいて良いって言われてるけど、簡単に片付けるから手伝って」
「あ、うん。その方が良いよな」
どうやらシキさんは素面みたいだ。散乱している酒瓶を次々と拾い集めて一箇所に纏めている。こういうトコは本当ちゃんとしてるよな。
「お祖父さんの育て方が良かったのかな」
「……急に何?」
「いや何となく」
つい口に出してしまった。俺も少し酔ってるな。
酒瓶を集めつつテーブルのズレを直し、散乱したゴミも拾う。と言ってもそこまで汚れている訳じゃない。ものの数分で片付きそうだ。
「シキさん。後は俺がやっとくからもう部屋に戻って――――」
「……」
……またビックリした。いつの間にこんな近くに。流石の隠密スキルだけど今は感心してる場合じゃない。
シキさんの顔が近くにあると緊張の度合いが半端ない。一体なんで……
「私を追い出して一人になってどうするの?」
「へ?」
「宿から抜け出してイリスチュアに会いに行く気?」
……。
!?
「聞いて……た?」
「聞いてたけど」
「ヤメと買い物に行ってたんじゃ……」
「露店の売り物眺めてたら目と鼻の先にいた」
マジか。全然気付かなかった。でも確かにイリスやアヤメルと話している最中にいちいち周囲にまで目を向けたりはしないからな……
「最初は聞き流してたけど、なんかピロートークとか言い出したから」
あぁ……そりゃ慰安旅行の初日にそんな単語出て来たら『は?』ってなるよな。誰だってそーなる。おれもそーなる。
「で、行くの? 混浴しに。今から。イリスチュアと」
なんか倒置法にしたっておかしくないですかね。あとずっと視線が痛い。すげー睨んでくるじゃん……
「行くのかって聞いてるんだけど。耳ある?」
「痛い痛い痛い!」
「あるじゃん」
メッチャ耳引っ張られた!
あれ? シキさんこれ……もしかして酔ってる? 全然顔に出てないけど。
「ねえ。聞いてるんだけど」
「あー……いや……どうだろう」
「行くんでしょ? 一緒に入ろうって言われて鼻の下こーんなに伸ばしてたし」
「痛たたたた!」
メッチャ鼻の下つねられた! こんな所触られたの生まれて初めてなんだけど! この人ホント躊躇ないな!
「馬鹿じゃないの? 普通あんな冗談真に受ける? 何考えてんの?」
「いや違うんだって。いつもからかわれてて癪だったから仕返しに……」
「仕返し?」
「真に受けたフリして逆にからかおうとしたんだけど、なんか……了承されたっつーか」
「……」
俺の返答が気に入らなかったのか、シキさんの顔にピキピキと血管が浮かび上がっていた。
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