第397話 異世界に来て過労死って

「クッソ……絶対バレそうにないフツーの奴だから化けたってのに……何なんだよコイツはよー」


 ディノーの姿と声で怪盗メアロの口調なのは違和感半端ないな。けど素っ裸じゃないとはいえ布一枚のこの状況であのメスガキの姿になられても困る。犯罪臭がね……


「で、なんでこの街にいるの。まさかここで盗み働く訳じゃないだろな?」


「アホ。温泉宿に来る目的なんて温泉以外何があんだよ。我は身も心も繊細だからな。たまにはこうして湯治で癒やされなくちゃやってらんねーの」


 どの口で……? 予告状出して盗み働く奴のハートが繊細な訳ねーだろ盗っ人猛々しいな。


 にしても、怪盗メアロまで温泉が好きなのか。確か始祖もだったよな。どいつもこいつも温泉好き過ぎるだろ。俺なんて今こうして浸かってる状態でも別に……って感じなのに。これもしかして俺がおかしいの?


「一応言っとくけど今回はノーカンだかんな。我、別に怪盗として来てないし。だから一勝一敗のままだからな。勝手に勝ち越した気になってんじゃねーぞ」


「そうだな」


「うっわムカつく! 何だその薄ら笑い! この我を上から目線だと!?」


 実際問題、あのベヒーモスの姿見せられて上から物を言える訳ないんだけど……


 何故だろう。こいつに対しては恐怖心が全く湧かない。本来ある筈なのに、その感情が涸渇しているような妙な感覚。死への恐怖の欠如と同じような感じだ。


「あー気分悪い。くっはぁ~。ホンット気分悪い。ぷふぅ~」


「とても気分が悪いように見えないんだけど……」


 なんだかんだ、怪盗メアロは温泉を満喫しているらしい。目に見えて癒やされている。そして今頃本物のディノーは化粧品のショッピングを堪能しているんだろう。ぶっちゃけこっちの方が本物であって欲しかった。


「そう言うお前は全く温泉を活用できていないな。目が死んでるじゃねーか。温泉に浸かってるのにそんなザマでどーする。ただでさえ壊れかけてるってのに」


「……え?」


「自分で気が付いてねーの? お前、壊れかけてるぞ」


 壊れかけ……俺が? どういう事だ? 寧ろさっきヒーリングかけられて身体は万全になった筈だぞ?


「疲労の蓄積が許容量を遥かに超えてる。マギがグチャグチャ。もー見てらんない」


「そうなの? 自分では全然わからないんだけど」


「色々無理してきたのに全然休暇を取らないからそうなる。このままだと確実に早晩潰れるぞ。最悪、過労死コースだな」


「過労死!?」


 異世界に来て過労死って……そんな奴いる? 幾らなんでも大袈裟じゃないか?


 けど、シキさんもやけに俺の疲労を心配してたっけ。今の俺って、傍から見ていて簡単にわかるくらいボロボロなんだろうか。


 確かにくたびれている自覚はない訳じゃない。けど過労レベルの疲れまでは感じていない。警備員時代に地獄のシフトを入れられた時の方がよっぽど悲惨だった。自律神経ベロンベロンだったもんな。


 今の俺は――――


「新しい事業を始めて、それが順調で借金もなくなって気が大きくなってんだろうけど、そういうのは一時的なものだからな。何かの拍子にガタッと崩れる。そうなったらもうおしまいだ」


 ……正直実感がないからピンと来ない。


 だけど、俺は自分よりもシキさんの知覚を信頼している。自分よりも怪盗メアロの見識を信用している。


 その二人が同じ事を言っている事実は重く受け止めるべきだ。


「早死にしたくなかったら休める時は休め。お前みたいな虚弱貧弱脆弱情弱体質は特にな。無理して倒れてもそれは美談じゃねーからな? 思考停止して出来る事を怠った愚行ってヤツだ」


「……わかったよ。悪いな心配掛けて」


「ぶぁ~か。誰がお前なんぞ心配するか。勘違いすんなよ」


 顔が近い……ディノーの顔でそこまで接近されても嬉しくない。


「お前はマグレとはいえ我を追い詰めた事があったし、生意気に変装も見破りやがった。そんな奴がマヌケな醜態晒して倒れたら我の株が下がんだよ。そんだけだ、わかったかダアホ」


「そーですか」


「そのスカした返事やめろマジムカつく!」


 ディノーの姿でツンデレムーブされるとなんかゾワッとするな。でも気に掛けて貰えた事は素直にありがたい。


 つくづく変な関係になったもんだな。最初は本気で捕まえようと躍起になっていた筈なのに、その感情すら今となっては懐かしい。


「それじゃ助言通り部屋でゆっくりするか」


 元々、長時間風呂に浸かるのは苦手だ。割とすぐ逆上せる体質なのかもしれない。ここらが限界だ。幸い全裸じゃないし見られても恥ずかしくない。


「ん? もうあがんの?」


「温泉そんな好きじゃないんだ。昔から」


「あっそ」


 お湯に浸かれば疲れが取れるって感覚もよくわからない。確かに身体は温まるけど、出ればすぐ冷えるし寧ろ湯冷めで体調を崩しかねない。それにあまり熱いと体力を持って行かれる。疲労を回復させたいなら、寧ろ入らない方が良いくらいだ。


「俺達は二泊三日の予定だけど、そっちは暫く滞在するのか?」


「まーな。コイツに変装するのは今度が最後だけど。もう二度と化けねーよこんなゲテモノ」


「ウチの主力をあんま悪く言うなよ」


 ディノーに対しては割と心の中で辛辣な事を言っているんだけど、他人に言われるとちょっとムカつく。なんだろうなこの心理。単なる仲間意識では括れない何かがあるな。


「ま、次もアッサリ見破ってやるよ。じゃあな」


「我が言った事をくれぐれも忘れるなよ」


「あいよ」


 ヒラヒラと手を振り、背中越しに怪盗メアロに別れを告げる。


 ……もしかしてあいつ、俺が疲れている事を見越してわざわざディノーに化けてまで風呂に誘ったんだろうか。無理をするな、出来るだけギルドにいろと。


 だとしたら……良い奴過ぎないか? そう思う俺がチョロ過ぎるのか?


 つーか周囲に心配掛けてる時点でダメダメだよな。奴の言うように、ここでは疲労を抜く事に専念しよう。折角の慰安旅行なんだし――――



『私……待ってるから』


 

 いや無理だよ! あんな事言われてるのに気が休まる訳ねーだろ!


 さっきのやり取りで全く言及がなかった時点で、怪盗メアロがイリスに化けていた可能性はほぼなくなったと見ていい。つまりあれはイリス本人で、混浴もイリスの意志……そう断定しても良い段階だ。


 仮に――――イリスが俺に好意を持っているとしよう。こんな自惚れた仮定、本当はしたくないけど仕方ない。状況が状況だ。


 その場合、果たして一緒に温泉に入りたいって思うだろうか? そりゃ、俺の方から言い出した訳だから『好きな人から混浴に誘われちゃった♪』みたいな嬉しさはあるかもしれない。裸のお付合いで仲が進展する事もあるだろうさ。でも常識的に考えて手も繋いだ事のない相手といきなり混浴とかあり得ないだろ。


 それに、イリスは男性との接触を極度に嫌っている。余りにも愛想が良いから忘れそうになるけど……そんな女性が男と混浴する事を望むとはとても思えない。


 思えないけど……心の何処かで『旅行に来て気分がハイになってて冒険したくなったんだ!』ってライトなノリの解釈に向かいたがる自分もいる。いやだってイリスみたいな美人と混浴だよ!? チャンスがあるならさあ、そりゃ実現させたいに決まってるだろ!


 でもその興奮と同じくらい、得体の知れない不気味さも感じる。イリスは何かと謎が多い子だから余計にだ。その妖しさが魅力でもあるんだけど、流石に誰も助けに来られない時間帯に裸同然で対峙するのは怖い。


 怪しい。怖い。考えれば考えるほど疲れる。


 でも行きたい。イリスと混浴したい。こんなチャンス二度とないかもしれない。


 一体俺はどうすれば……



「――――そんじゃ、かんぱーーーーい!」



 ……?


「くっ…………はぁぁぁぁぁ!! たまんねーな! この一杯の為に生きてるって感じーっ!」


 え……


 いつの間にか夕食が終わって宴会が始まってる!?


 温泉からあがってちょっとイリスの件を考えていただけなのに……一体何時間経過してんだよ。つーか俺どうやってここまで来たんだ?


 夕食は……無意識に完食してるな。満腹感もある。でも味以前に何食ったのかすら覚えていない。


 待ってくれよ。夕食って旅行の醍醐味なのに、なんでこんな……ちょっと余所見してる内に重要なシーンをスキップしちゃったADVパートみたいな事になってんだよ。


「皆さん、今宵はお酒もたっぷり用意していてよ! 好きなだけ飲んで騒いではしゃいで下さいませ!」


「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 無情にも料理皿は全て片付けられ、代わりに酒瓶が次々とテーブルの上に運ばれてくる。ヤメとフレンデリアがキッチリ手筈を整えていたらしい。到着してからの引率はあんなに杜撰だったのに。


 中身は……この世界で最も愛されている黄金酒。ビールと色合いは似ているけど炭酸は入っていない。味わいは……生前に酒自体あんま飲んでなかったから似た酒が思い付かないな。少なくともビールみたいな苦さはないから飲みやすくはあるけど、個人的には好んで飲むような味でもない。


 城下町で飲み会が開かれると、この黄金酒が注文の大半を占めるらしい。味にクセがなくすんなり酔えるからだろう。貴族や上流階級の人達は上品な果実酒を好むらしいが、フレンデリアが言うには『本当は黄金酒の方が好きだけど見栄で嗜んでいる奴が多い』との事。妙に説得力がある話だ。


 俺も生前よりは飲むようになったとはいえ、正直酒の席は未だに慣れないというか、慣れたくないというか……知り合いがデロッデロに酔っ払ってる姿を見たくない。幼少期に母さんが前後不覚になるくらい酔っ払ってた姿を見て軽くトラウマになったんだよな……


「おいおいボスよう。何一人でボーッとしてんだよう」

「そうだよぉ。まさか俺達とは飲めないっつーんじゃんねぇよなぁ?」

「若けーんだからもっとガバガバいけよ。まさか遠慮してんじゃねーだろ?」


 ……あと、この手のオヤジ共の絡みがすっげーウザいのがホント嫌。まだ学生の俺にムリヤリ飲ませようとしてきた親戚のジジイ達を思い出してウンザリする。あいつら決まって『酒くらい飲めないと社会でやっていけないぞ』とか言うんだよな……頭化石か。


 とはいえ今や俺も立場ある大人。宴会の席で白けさせるような事はしない。それは別に空気を読むとかそういう事じゃなく、楽しい空気を邪魔したくない。そういう人間にはなりたくないからな。


「あんま強くないからチビチビ飲ませて貰うよ。つーかアンタ等、本当はアヤメルと飲みたいんじゃねーの?」


「……」

「……」


 あ。ポラギ以外の顔が死んだ。


「ボスさあ……あんま残酷な事言ってやるなよお。こいつらみてぇなカス中年があんな若くて可愛い子に相手して貰えると思うかあ?」


「そりゃ思う思わない以前にあっちゃいけない事だけど」


「そういうこった。昼間に調子こいてしょーもねえ下ネタかましまくったらブチ切れられてよお、『次喋りかけてきたらヒーラー温泉ですよ』って念を押されちまってなあ。ヒーラー温泉はなあ……」


 どうやら俺の警告案は奏功したらしい。つーかマジでこの世代のオヤジ共のコミュニケーション能力どうなってんだ。下ネタ抜きで喋ると死ぬんか。

 

「ま! 俺はヒーラーも悪くねえって思ってるけどなあ! 寧ろこんな逆風でも城下町に残ってるヒーラーは骨があるっつーかあ、凄えって思うよなあ!」


 近くでメンヘルが飲んでるもんだから大声でアピールしてやがる。勿論ポラギの場合、メンヘル目当てじゃなく彼女の口からマイザーに今の巧言が届くのを期待しているんだろう。


「そんじゃ俺らはメンヘルの近くで飲む事にするよお。元同僚には優しくしてやらねえとなあ。おめーらあ! いつまでも落ち込んでないで行くぞお!」


「飲みの席で目的意識が高ぇ奴ってなんか嫌だよなぁ……」

「同感」


 散々愚痴りつつも、パブロもベンザブもポラギに付いていった。ホント仲良いな。


 他の連中も、普段から一緒にいる事が多い面々で飲んでいるみたいだな。意外なのは……


「私の! 何が! いけないんでしょうか! もう裏切られるのは嫌なんです!」


「ふむ……私が思うにオネット様の配偶者の不貞はですね、伴侶が強過ぎるあまり自分自身が矮小に思えて卑屈になってしまい、真正面から向き合えず逃避してしまう心理の現れではないかと。オネット様に何一つ落ち度はありません」


 オネットさんとセバチャスンさんの組み合わせ。多分今日が初顔合わせだと思うけど、まさかセバチャスンさんに下心とかないよな……?


「何下らない心配しているの」


 ……っと。フレンデリアか。


「セバチャスンはシレクス家の執事よ。万が一にも私達に恥を掻かせるような行動はしないから安心なさい」


「いやでも酒の席だし……」


「私達がどれだけ社交場をこなしてきてると思ってるの? こういう席こそシレクス家に恩恵をもたらす繋がりを作るチャンスなんだから、理性を失う道理はないのよ」


「繋がり?」


「貴方のギルドで一番強いのは彼女。シレクス家がバックアップすると決まった以上、まずは最強のギルド員から信頼を得る。当然じゃない」


 成程。そういう打算を明示されると安心する。それは多分、俺もそういう事ばかり考えているからだろう。


「……あまり楽しめてない?」


 そんな俺の納得顔をつまらなそうな顔と思ったのか、フレンデリアは少し困った様子で声のトーンを一つ落とした。


「そうだな。宴会……と言うか飲み会が苦手だから、正直こういう雰囲気は楽しめない」


「素直ね。そこは嘘でも強がる所じゃないの?」


「強がるのはリーダー面が必要な時だけで良いよ。いつも肩肘張ってたら身が持たない」


「あら。貴方はいつだってリーダー面してるじゃない。それも結構無理をして」


 ……フレンデリアにはそう見えているのか。


 まあでも確かに、シレクス家に行く時は一応ギルドの代表として情けない姿だけは見せないようにと気を引き締めてはいる。それは転生の事を打ち明け合ってからも変わらない。


「俺はさ、この街に来る前は本当に何もなくて。人の上に立つような人間じゃなかったから、基本不慣れなんだよ。今の立場は」


「奇遇ね。私もよ」


「……え」


 意外……というか、正直そこまでフレンデリアの前世について考えた事がなかった。出自が裕福じゃなかったのは知ってるけど、そこから這い上がって成り上がった訳でもなかったのか。


 けど、今の彼女を見る限り人の上に立つだけの素養は十分にある。行動力があって、常に自分本意じゃなく家の為に何をするかを考えているし、相手への配慮も決して忘れない。コレット絡みを除けば、とても別世界の人間だったとは思えないくらい貴族令嬢として立派にやれている。


「トモ。一つ約束をしましょう」


 不意に、フレンデリアが神妙な顔で指を一本立てた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る