第395話 イカれてんのかこの街は

 冗談でイリスに混浴を持ちかけたらOKされた。



 ……いやいやいやいや。


 こんなの絶対おかしいだろ! あり得ないにも程がある!


 幾らなんでもこれを『やった! イリスが誘いに乗った! これで裸が見られる!』と解釈するほど脳が茹だってはいない。明らかに裏がある。じゃなきゃ、あんなわざとらしく『待ってるから』って二回言う訳ねーし。ラブコメじゃないんだから。


 今のを真に受けて明け方鼻を伸ばして温泉宿に行ってみたら、ドッキリの看板持ったイリスが待ち構えている……とか? それもあり得ない話だ。意味がなさ過ぎる。自分もほぼ徹夜しなきゃならないし。


 それに多分――――



『そうそう。ティシエラから聞いたよー。グランディンワームに襲われて大変だったんだってね』


『慰安旅行はわかるんだけど、どうして温泉にしたの?』



 イリスは俺の怪我を知っている。温泉に浸かれない事も想像に難くないだろう。混浴は想定にない筈だ。


 となると偽物の可能性もあるな。まさか怪盗メアロの仕業か? そういや最近全然絡んで来ないし、俺を嘲笑う為にここに焦点を絞って入念に準備してたとか?


 ……幾らなんでもそこまで暇じゃないか。怪盗以外に普段何してるのか全然知らんけど。


 うーん……


 ……………


 ……………


 ……………


 ……………


 何がなんだか わからない……………



 かといって流石にこんな事を誰かに相談する訳にはいかない。自分で考えるしかない。


 でもこんな寒空の下で考え事しても仕方ないし……一旦宿に行くか。


 俺達アインシュレイル城下町ギルドが貸し切っている新築の温泉宿は【アンキエーテ】と言うらしい。秘湯って訳じゃないけど、舗装された道からは少し外れた場所にあるらしいから馬車での移動は出来ないとの事。まあここから歩いて30分くらいって話だから大した距離じゃない。


 来た事があるとはいえ、普段全く見慣れない街並みだ。歩きながら考え事をしていたら一瞬で迷子になる。まずは移動と街並みの見物に集中しよう。


「困りました困りましたどうしましょうどうしましょう」


 あ、早速迷子になってそうな奴がいる。メンヘルだ。


 ペドフィリアで幼女の拉致監禁を希望していた女ヒーラー。それでもヒーラーとしては破格レベルでマシな人間なんだから笑えない。


 元々はウチのギルド員だったけどタキタ君に精神と尊厳を破壊され、今はマイザーやチッチのいる新生ヒーラーギルド【チマメ組】に移籍している。何処から温泉の話を聞いてきたのかは知らないけど、来たいと言うから連れて来た。


 ただ、同行を許可した理由は他にもある。


 ヒーラーの彼女に、温泉に浸かって貰う為だ。


 ヒーラー国の温泉に浸かっていた連中は総じて骨抜きにされていた。でもその温泉水には原因となりそうな成分は含まれていなかった。


 だったら、ヒーラーが温泉に浸かった事で人を狂わせる何らかの成分が身体から放出された可能性がある。身体の中に変なガスを内在させていて、温泉に入って全身が弛んだ結果それが吹き出した、みたいな。


 ……いや普通に考えたら絶対あり得ないんだけど、何せヒーラーだからな。スカンクやミイデラゴミムシみたいな習性を持っていても不思議じゃない。


 だからメンヘルに温泉に入って貰って、異変が生じないかチェックして貰う予定だ。まあ何もないだろうけど。


「メンヘル。宿を探してるんなら一緒に行こう」


「ギルドマスター! ギルドマスターじゃないですか! 助かりました……危うく見知らぬ大地で朽ち果てる所でした」


 大地は見知ってるだろ。城下町と地続きだよここ。


「では御言葉に甘えて同行させて下さい。それと、今回の旅行に連れて来て頂いた感謝もまだ伝えていませんでした。お許し下さい」


「そんなの良いって。こっちにとっても助かるし」


「え?」


「……あれ?」


 まさかヒーラー温泉の件、伝わってない……?


「ああ、人体実験の件ですね。承っています。タダで温泉旅行に参加させて頂く身ですから、実験サンプルになるくらいは仕方ありません」


「言葉のチョイス……」


 とはいえ間違った事は言っていない。やろうとしている事はまんま人体実験だもんな。


「温泉に浸かったくらいで頭がおかしくなると思われるのは心外ですけど、これまでラヴィヴィオのヒーラーが街にして来た事を思えば多少の屈辱は甘んじて受け入れます。それに温泉ならば合法的に幼女の裸をこの視野に収める事も可能かもしれません。確率的にかなり低いのは承知の上ですが、それでも私めは今日と明日と明後日に人生の全てを賭けて温泉に入り浸る所存です」


 ……なんで最初にちょっとだけ常識人面したの? 後半ほぼ全文怪文書だったよ?


 グラコロ、シデッスと並んでファッション変態だと思っていたけど、こいつ実は真性だったのか?


「話変わるけど、あの親子と一緒にいて色々と大丈夫?」


「はい。チッチさんは攻撃性が強く油断すると殺気を放ってきますけど慣れれば受け流す事は可能ですし、マイザー様には近付きさえしなければ貞操は守れますから。それに、私めがキスギルドなる不浄な集いは潰して差し上げますと直談判した際にも不敵な笑みを零していらして、中々の歯応えを感じています」


 ……こいつはさっきから何を言ってるんだ?


 成程。あの親子に適応できる時点でやっぱり真性なんだな。ロリコンや生首マニアと一緒にして申し訳なかった。あとリリースしたのは正解だったな。変態は少ないほど良い。


「先日は代案として幼女のみを回復する【よしよし部】という名前のギルドにしましょうと訴えましたが、それは即座に却下されました。少し悲しかったです」


「俺も元同僚として悲しい限りだ」


 これ溶け込むどころか、寧ろギルドを乗っ取るつもりでいるな。ちょっとチッチが不憫になってきた。あいつ、口と態度が悪いのと俺を殺そうとする以外は割とマトモだもんな……まあ殺そうとする時点でイカれてるんだけど。


「今回の温泉旅行も快く送り出してくれました。世間の目は厳しいですが、私にとっては居心地の良いギルドです」


「なら良かった」


 言動は所々おかしいけど、タキタ君(偽)に精神を破壊された頃を思えば一応安定はしている。今はそれで良しとしよう。


 タキタ君か……正体がエルリアフと判明してからすぐいなくなったけど、一体何処で何をしてるのやら。あの様子だと何かよからぬ事を企んでいそうだったけど――――


「あ、聖噴水がありますね」


 メンヘルの言葉通り、中央街のど真ん中で噴水が景気よく水を吹き出している。城下町の聖噴水ほどの大きさじゃないけど、この街を守るには十分なんだろう。


「余りこの辺りには来ないんですけど、結構人が多いですよね」


「割と栄えてるよな。活気もあるし」


 鉱山都市と言うだけあって、ミーナの中心はヴァルキルムル鉱山だ。そこで働く鉱夫も多く、城下町から出稼ぎに来ている人間もいるという。俺に武器屋を提供してくれたユマ父もそうだ。

 

 鉱夫って言うと肉体労働のイメージが強いけど、彼らは脳筋で鉱石を掘り出している訳じゃない。出来るだけ鉱石を傷付けないよう、細心の注意を払って採掘を行っている。当然その方が鉱石の質も高くなり、値段も上がる。冒険者ならフィールドに出て宝石のある洞窟なんかを探索して金を稼げるけど、常に命の危険がある。だから家庭を持った人ほど、フラワリルなどの原石を比較的安全に採取できるこの仕事を選ぶ傾向があるらしい。以前、ユマ父が娘と妻の仕事ぶりを見にギルドへ来た時に教えて貰った。


 そのユマ父が言うには、このミーナは武器屋の質も良いらしい。城下町ほど大規模に展開してる訳じゃないけど、この街の職人が独自で製造している武器もあるらしくて、それも街の目玉の一つになっている。だから冒険者の中には定期的にここを訪れる人もいるとの事。確か明日も聖噴水の定期調査で冒険者ギルドから派遣されるってアヤメルが言ってたっけ。


 でも俺にとって武器屋は余り魅力的なスポットじゃない。こんぼうは鉱石で造る物じゃないからな。俺が欲しい物は恐らく売っていないだろう。


 重要なのはパン屋だ。


 パン屋は店によって千差万別、例え同じパンでも焼く人間が変われば当然味も食感も変わる。つまりパン屋の数だけ夢がある。この街には幾つの夢が俺を待っているんだろう。そう思うと心が躍る。ワクワクが止まらない。テカテカが抑えきれない。


 集中するんだ。絶対に見逃すな。どんな小規模の店でも確実に捉える。パンの美味さは店の大きさに比例しない。むしろ個人でひっそりやっている所の方が拘っていたりする事もある。一店たりともスルーする訳にはいかない。


「色んな店がありますね。まさかこんなに栄えているとは」


「そうだな」


「食べ物屋さんも沢山ありますね。どれも美味しそうです」


「そうだな」


「香ばしい匂いがしてきましたね。きっと焼きたてですよ」


「そうだな」


「あ、宿が見えました」



 …………。



「なんでだよ!!」


 ザケんなよパン屋一つもねーじゃん! おかしいだろ30分くらい歩いたのに! 30分歩いてパン屋一つもないってイカれてんのかこの街は!!


「なんでキレ散らかしているのか存じ上げませんが、案内ありがとうございました。御礼にヒーリングを」


「え?」


 不意打ちでヒーリングを食らう。いや食らうって表現はそもそもおかしいんだけど、ラヴィヴィオのヒーラーによる押し売りヒーリングの所為ですっかりそういう認識になってしまった。


 背中の傷を触っても……全然痛くない。傷痕が残っているかどうかはわからないけど、多分治ってる。


 って事は、温泉に入る事が出来るようになったのか。



『私……待ってるから』



 いや、まさかな。そんな訳ない。


 でも……


「これって誰かの差し金?」


「違いますよ。ギルドマスターが名誉の負傷をしたとは聞いていましたけど。それでは、私は宿内をくまなく探索してきますので」


 メンヘルは深々と頭を下げて、一足先に宿へ入っていった。


 やっぱり考え過ぎか。イリスに頼まれて俺を治した……なんて事がある筈ない。良くないな。パン屋が一つもなかった所為で思考力が大分ガタついてる。立て直さないと。


 それにしても、新築って割には年季が入ったような建物だ。所々くすんでいるようにも見える。敢えてそういうヴィンテージなデザインにしているんだろうか?


 温泉宿とは言っても日本の旅館とは全く違う。スパ施設みたいな感じでもない。これは何というか……


 神殿?


 柱がやたら多く、しかも直線的に並んでいるからそう見えるのかもしれない。しかも柱の意匠もやけに凝ってて螺旋のように模様が彫られている。


 だけどパルテノン神殿とは違ってちゃんと壁はあるし、入り口は大きな扉もある。今は開きっぱなしにしてるけど。俺達が来る予定だったから開放しているんだろう。


 中は……


 んー、建物内も新築って割にそこまで新しい感じはしないな。神殿を模して遺跡っぽい演出にしてるとか? でもそこまでの古さは感じない。築10年くらいの使用感だ。


 って、チェックインも済ませてないのにジロジロと見るのは失礼か。まずは受付に行こう。


 カウンターは白い石材で、かなり上品な造りになっている。床も大理石っぽい材質で天井も高い。この辺からは高級宿って雰囲気を感じる。


 受付の人は二人並んで、俺の方をじっと見ている。俺が話しかけるのを待っているんだろう。どっちも中性的な顔立ちだから、パッと見では性別を特定できない。一方は短髪で一方は長髪。カジノのディーラーっぽい格好だから性別を特定できる服装でもないし、一目で女性とわかる身体的特徴も見当たらない。


 まあいい。話しかけりゃわかる事だ。


「すみません。アインシュレイル城下町ギルドの者ですが……」


「お坊ちゃま。お待ちしておりました」

「お待ちしておりました」


 ……ぇ?


「本日はお寒い中、私どものアンキエーテへようこそお越し下さいました。当館は本日よりお坊ちゃま方の貸し切りでございます」

「貸し切りでございます」


「どうぞ心行くまで御寛ぎ下さいませ。三日間、私どもが誠心誠意の限りを尽くしておもてなしさせて頂きます」

「頂きます」


 なんで俺、温泉旅行に来て執事喫茶みたいな接客受けてんの? あと声まで中性的で結局性別はわからない。


 まあでも、そういうコンセプトの宿なんだろう。オーナーの趣味かもしれないし、彼らがおかしいと決め付けるのは早計だ。ここは一つ乙女ゲームの主人公にでもなった気分で受け入れよう。


「ありがとうございます。実は宿泊予定の奴等が皆バラバラに行動していて、一度にチェックイン出来ないんですけど……」


「承りました。勿論問題ございません。個別に対応させて頂きます」

「頂きます」


 ……さっきから左の長髪の人、最後の方だけ復唱してるけど何の意味があるんだ? あと若干不服そうな顔したの見逃さなかったぞ。面倒かけてすみません。


「それではこちらのメオンがお部屋までご案内致します」

「致します」


 長髪の人、メオンって名前なのか。なんか強張った顔でカウンターから出て来たな。さっきから感情を隠し切れていない。短髪の人の方は完璧なのに、こっちは微妙に接客慣れしてない感が出てる。


 まさか……バイトか?


「こちら へ どうぞ」


 ああ、バイトだこりゃ。棒読みを通り越して機械音声みたいになってる。新規オープンにつき執事っぽいシュッとした見た目の人を入れたかったんだろう。


「あ。お荷物を……」


 軽いんで別に大丈夫です、と言いたいところだけど、こういう時は素直に任せるのがマナーか。別にマナーとかどうでも良いんだけど、郷に入っては郷に従え。雰囲気は大事にしないとな。


「それじゃお願いします」


「ははっ」


 メオンさんは緊張の面持ちで、俺から鞄を受け取ろうとして――――上手く掴めず床に落としてしまった。


 特に割れ物なんかは入ってないから問題ない。さっさと拾おう。


「やって……しまった……」


「え?」


「お坊ちゃまの荷物を床に……クレーム……評判……初動……乗れない軌道……閑散……人員削減……クビ!!」


 メオンさんはその場に膝から崩れ落ち、額を床に打ち付けた。


「申し訳ございませんんんんんんんんんんんん!!!」


「うわビックリした!」


「私とした事がッ!! このような不始末……!! なんという醜態ッ……!! 死ねよ!! こんなッ……もう死ねよ私!!」


 えぇぇ……何これ。敢えて自責の念をオーバーに出す事で『いやいや気にしないで』って言って貰う為のパフォーマンスか何か?


 でもそれなら、こんな化物に取り憑かれたかのように髪を振り乱して錯乱するのは明らかにやり過ぎだよな。実際こっちはドン引きだよ。


 つーか……


 マジで……まともな人と会話させて……





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