第394話 待ってるから
言うに事欠いてピロートークって……どういう感性してんだ? 愛だの恋だの囁いた訳でもないのに、何処にそんな雰囲気があったってんだ。
「ピロートーク?」
イリスは意味をよくわかっていないのか、目を点にしている。全然響かなかったのが若干ショックだったのか、アヤメルは露骨に顔を曇らせていた。
「この薄い反応……敢えてブラフのパンチラインをかまして関係性を曝こうとしたんですけど、本当に深い仲じゃないっぽいですね。こんなに親しげなのに」
トラップだったのかよ! でも直後に自分から種明かしするところがアヤメルらしいというか……
「あー……私ちょっと馴れ馴れしい所があるってティシエラにもちょくちょく言われてるんだよね。あんまり交友関係広くないから、親しくなった相手にはつい気軽に喋っちゃうのかも」
「やっぱり親しい間柄なんですね!」
「へ? 違う違う! そういう意味の親しいじゃなくて!」
このクドめな話まだ続くの? 旅行先に着いた直後にする会話か? いつもなら悪い気はしない誤解だけど、イリス姉の呪文を何時間も聞いた後だとキツいって。
「ん~……私達の関係ってなんて言ったら良いんだろね。マスターわかる? 代わりに説明してして♪」
ニコニコ笑顔でどんな無茶振りだよ! イリスたまにそういうトコあるよな!
俺とイリスの関係……? そんなのはわかりきっている。少しの間だけど同じギルドで過ごした元仲間だ。だから単なる知り合いって訳じゃない。
でも全面的には信頼していない。何かを隠しているのは確定しているからな。ただ、俺に対して害意を抱いているとも思わない。勿論ティシエラに対してもだ。少なくとも悪い奴じゃないとは思ってる。
これらを総合して、俺とイリスの関係を一言で説明するのに適した言葉は――――
「顔馴染み」
「……」
え? なんで二人してジト目で睨んでくんの? メチャクチャ的確な表現じゃない?
「ダメだこりゃ。トモ先輩ってそういうトコありますよね」
「そーなの。マスターってこういうトコあるんだよねー」
「いやどういうトコ?」
マジでわからん。何が悪かったんだ。っていうかこの流れでどうして俺が悪者になってんだ?
「はぁー……わかりました。サブマスターについて色々教わっている御礼に、私がトモ先輩に女子とのコミュニケーションの取り方を教えてあげます」
「なんかよくわからんけどお願いします」
「良いですか? こういう場合はトモ先輩がどう思ってるかを言うんじゃないんです。イリスさんがどう言われたいかを考えて言葉にしないと」
言いたい事はわからなくもないけど……その気遣いって今必要かな。
「ですからトモ先輩は例えピエロになったとしても『俺とイリスの関係を言葉にするのは難しいな。でも俺はイリスと会うといつもドキドキするよ』くらいは言ってあげるのがレディに対する礼儀ってやつです。そうすれば、私が言ってた湿っぽさはトモ先輩の好意に由来するものだったんですね、となって私の顔も立つじゃないですか。それで一件落着ですよ」
いや理不尽過ぎるだろ! やれやれ顔でそんなん言われても納得できるか! イリスもしたり顔でうんうんと頷いてるし……
こいつら呼吸を合わせて俺をからかってるのか? 『なんで俺がそこまで気を遣う必要あんだよ!』ってツッコミ待ちなの?
でも割と本心で言っているのかもしれない。わからん。女心全然わからん。俺は今、何を試されているんだ?
つーかさ……
「アヤメル、ちょっと質問いい?」
「特別ですよ。何ですか?」
「もし俺が本当にイリスに片想いしてたら、これどう収拾つけるんだ?」
「……」
特に捻ったつもりもなくストレートに疑問をぶつけたつもりだったけど、アヤメルは宇宙猫のような顔になった。
「すみません……本気で全然考慮してませんでした……人の恋路を足蹴にするような真似を……私もう死んだ方が良くないですかこれ……」
「恋路じゃないから安心しろ」
俺の答えに対してアヤメルは安堵するでもなく、そのまま地面に手を付いてダラダラ汗を流し始めた。
「なんであんな妙な事言い出したんだよ。割とその前から変だったけど」
「サブマスターたるものギルドマスターを手玉に取れるくらいじゃなきゃダメだってヤメ先輩から聞いてたんで、つい……」
あいつマジで悪影響しか与えてねーな! なんか逆にこっちが申し訳なくなってきた。
「イリスさんもすみません……もしかしたら私、フラグをバキバキに折ってしまったかも……」
「大丈夫大丈夫。そんなフラグ最初からないから。ね? マスター」
「うん。でもアヤメルは反省しろな」
「はい……ちょっと温泉で穢れた心を洗い流してきます」
調子に乗って俺をからかおうとした結果、自分の言動がデリカシーなさ過ぎな事に気付き、結構なダメージを受けて去って行くその背中は見事なまでに煤けていた。
俺としても、ここまでアヤメルを落ち込ませるつもりはなかった。なんか全員損しかしないやり取りだったな……
「アヤメルちゃん大丈夫かな。フォローしてあげたいけど、泊まる宿違うからねー。新しく出来た所だよね?」
「そうそう。貸し切りなんだ」
「私は全然気にしてないから心配しないでって伝えて貰える? また会える保証もないし」
「了解」
イリスのこういう気遣いには毎度感心する。だからこそ今までティシエラを支えて来られたんだろう。
「そうそう。ティシエラから聞いたよー。グランディンワームに襲われて大変だったんだってね」
「まーね。ソーサラーギルドも色々大変らしいな」
「あー……うん。多分私の所為」
少しの間とはいえイリスが黙ってギルドからいなくなった事で、ギルド内のパワーバランスが崩れたのは想像に難くない。恐らくそれもティシエラに負担がかかる一因になっているんだろう。
この件に関しては俺の方からは何も言えない。イリスが失踪した理由を話さない限り、良いとも悪いとも言えないからな。だから口を挟むつもりもない。
俺が介入できるのは、これからの事だけだ。
「自分の代わりのフォロー役を考えてるのなら、俺はサクアを推す」
「え?」
「サクアはティシエラを尊敬してるけど、盲信はしてない。詠唱にも疑問を呈してたしな。上手く立ち回る器用さはないかもしれないけど、中立でいられる分、ギルド内のギスギスを緩和させる事は出来ると思う」
ソーサラーギルド内が実際どんな空気になってるのかは知らない。ただ、あのティシエラの様子を見る限りだと決して健全な状態じゃないんだろう。
誰かが空気を変えなきゃいけない。イリスが暫くギルドに戻れないとなると、彼女以外の誰かがそれをしないといつまで経ってもティシエラ依存体質とそこから派生する二次災害は消えない。
「……うん。そうだね。考えてみる」
イリスもそれはわかってる筈だ。何か手を打たないと、ティシエラが潰れかねないと。
「でもねマスター。城下町ギルドが五大ギルドに入って、マスターがティシエラと同格になってくれれば、それが一番ティシエラにとって良いんじゃないかな……って私は思うんだ」
恐らく――――イリスは気付いている。
ティシエラが俺に相談した内容に。
「勿論、無理にとは言えないけど。マスター達にも考えがあるだろうし。でも出来れば検討して欲しいな。私も私で真剣に、今できる事でティシエラを支えるから」
「わかった。ギルドのみんなに相談してみる」
「うん。ありがと」
結局、上手く言いくるめられたのは俺の方か。体よく外堀を埋められてしまった気がする。
ウチが本気で五大ギルド入りを目指すと表明すれば、ティシエラもあの交換条件に従って10年後の引退を決断するだろう。そういう律儀さや潔さをティシエラは備えている。良い意味でも悪い意味でも。
ギルドマスターの引き際っていつくらいが妥当なのかは、俺にはわからない。それほど年が行ってない冒険者ギルドのダンディンドンさんが身を引いた事や、他ギルドのギルマスの年齢を考えると、多分若い内に後進に道を譲る不文律みたいなのがあるんだろう。
そこまで考えての発言じゃなかったけど、俺のあの提案は少なくとも非現実的って訳じゃなかった筈だ。だからこそティシエラも真剣に考えているんだと思う。
だから、あの案を口にした事に後悔はない。ただ、言った以上は責任もある。五大ギルドへの加入を目指すべきか否か、真面目に結論を出さなきゃいけない。
となると相談相手が必要だ。誰に頼むか――――
「はい! それじゃ堅苦しい話はおしまい! せっかく旅行に来たんだから、もっと楽しい話をしないとね!」
そんな俺の頭の中は、イリスがパチンと手を叩いた音で一瞬真っ白になった。
確かに慰安旅行にまで来て延々とする話じゃないよな。仕事モードの時に改めて考えるとしよう。
「慰安目的なのはわかるんだけど、どうして温泉にしたの?」
「発案者は俺じゃなくてフレンデリアなんだよ。理由も特に聞いてない」
「……呼び捨て?」
あ、しまった。マズったな。
転生仲間なのをカミングアウトし合った事で、俺とフレンデリアは竹馬の友的な関係になった。でもそれはあくまで俺達二人の間だけでのみ成立する関係。第三者から見れば貴族令嬢と一般人なんだから、呼び捨てが異常に思われるのは当然だ。
「マスターがシレクス家と懇意にしてるのは知ってるけど、もうそんな所まで行っちゃってるんだ……ちょっとビックリ」
「いやいや、なんか誤解してないか?」
「いえいえ、誤解なんてしていません事よ。シレクス家のお婿さんになっても私と仲良くして下さいね?」
「……あのな」
「あはは、冗談冗談。でも家族ぐるみのお付合いをしてるくらいじゃないと、呼び捨てにはしないと思うなー」
昨日はシキさんにからかわれ、今日はイリスにからかわれる。勿論悪い気分じゃないけど、二日連続の小悪魔エンカウントは結構メンタル削られるんだよな……
「一応、本人の希望と言うか……堅苦しいのがあんまり好きじゃないんだ、あの人」
「そうなんだ。すっごい違和感」
俺としては初対面時から一貫してそういう奴だったから不思議でもなんでもないけど、この街の住民からすれば今のフレンデリアは未だにバグってる感じなんだろうな。転生する前の悪役令嬢時代のフレンデリアに一度くらい会ってみたかった気もする。
「ちなみに今回の旅行にもついて来てる」
「え、本当? 温泉が好きなんだ……なんかちょっと親近感湧いたかも」
「イリスも温泉好きなのか。参考までに、どういうトコが魅力なのか教えてくんない? 俺イマイチ良さがわかってないんだよな」
そんな素朴な疑問を投げかけた途端――――イリスはまた小悪魔っぽい笑みを浮かべた。嫌な予感しかしない。
「だったらマスター、一緒に入ってみる?」
……やっぱりか! 絶対言うと思った。そして照れる俺を肴にニマニマしやがる気だ。
流石に嘗められ過ぎだ。俺もいい加減、大人の男って所を見せてやらねば。中身30代のオッサンがいつまでもイリスやシキさんに弄ばれてる場合じゃない。
「わかった。それじゃ今夜、どっちの温泉宿で落ち合うか決めよっか」
「……え?」
「え? じゃなくて。俺達が泊まる宿と、イリスが泊まる予定の宿って違うだろ? だから、どっちの温泉に入るかを決めようっつってんの。一緒に入るならそうしなきゃだろ?」
「あ、え、あ」
良いぞ! イリスが露骨に狼狽えてる。自分から攻めてきた癖に防御スカスカだな。イリスっぽいっちゃぽいけど。
「ギルド員の目があるし、こっちの宿じゃ難しいかもな。イリスの方の宿にしようか」
「え、えっと……それはどうかなー……」
ふっふっふ、目が泳いでるぞイリスさんよー。つーか混浴な訳ないんだから、まずそれを言えば良いのに。こっちだって引きやすいし。
「嬉しいよ、イリスの方から誘ってくれて。俺もいつか一緒に入れたらなって思ってたんだ」
「うえぇ!? そんな事……考えてたんだ……」
……あれ? 何この押せばイケる感。今のは『なんだやっぱり冗談かー焦ったー』って言って貰う為にわざと露骨に嘘っぽくしたんだけど……まさか本当に混浴ルート開放ある?
いやいや騙されるな。これアレだ。乗っかったフリしてこっちが『え、これマジなやつ?』って思った瞬間に掌返すパターンだ。ドッキリ返しってやつか。流石イリス、抜け目ない。
ここで主導権を渡す訳にはいかない。かと言ってこの雰囲気で『冗談でしたー!』とかテンション高めに言うのも何か違う。まして『あれ? 本気にした? まさか俺と一緒に温泉に入るトコ想像しちゃった? 意外とエロいねイリスって』とか煽るのは論外だ。それはアヤメルにも劣る外道だ。
ここは無難に抑えたトーンで『冗談だよ』と返すのが一番――――
「そっか。だったら私も覚悟決めなきゃ」
……覚悟? 何の?
「マスター。聞いて」
「あっはい」
「温泉って言っても混浴じゃないから、普通の時間には一緒に入れないと思う。だからね、だから、真夜中……ううん、明け方に【シャンジュマン】って宿に来て。待ってるから」
…………。
は?
「いやイリス、今のは――――」
「私……待ってるから」
えっ? ちょっ、あれ? なんで走って離れて行くの?
え……
何だこれ。
冷や汗が……止まらない……
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