第五部04:静養と整容の章
第393話 ゴミを見るような目って憶測の時点で向けちゃダメ
フラワリルの採取などで有名なヴァルキルムル鉱山のある鉱山都市ミーナは、温泉街ではないものの古くから泉源を持つ街として知られているらしい。鉱石の採掘中に噴出した偶然の産物で、当初は鉱夫の疲れを癒やす為の湯治として活用されていたが、観光用の資源とする方が街にとってメリットが大きいと判断され、この地を統治する領主が許可を出す形で温泉宿や施設の設置を民間人に委託する事になった。
この世界に温泉法のような法律はなく、温泉の所有権はその温泉が湧出した土地を所有する領主に帰属するのが通例。その温泉をどれくらい重視するかも領主の判断一つで大きく変わってくる。野湯として完全放置するケースもあれば、街全体を温泉街に造り替えるくらい入れ込むケースもあるとか。当然っちゃ当然だけど、その地の気候によっても判断は大きく左右される。
ミーナがあるヴェシーナ地方は、アインシュレイル城下町のウルティモ地方と隣接しているだけあって気候は全くと言って良いほど変わらない。春期、朔期、冬期の3シーズンで一年を分けているのも当然同じ。つまり一年の3分の1が寒い。温泉が重宝される部類の地方だ。だから、本来ならこのミーナも温泉街になっていても不思議じゃない条件下にある。
でも実際には鉱山都市として栄え、温泉は特徴の一つに留まっている。これには一応、明確な理由があるらしい。
レインカルナティオは元々大国って訳じゃなく、国土面積も決して広大じゃない。ただ魔王城がこの国の中に建設された事で世界全体における重要度は一気に格上げされ、住民の多くが入れ替わった。その影響で領主も結構目まぐるしく変わったらしい。結果、温泉に対する扱いもその都度変わり、源泉が涸渇するほど放置するでもなく施設が充実するほど注力するでもない、なんとも中途半端な扱いになったそうだ。
現在もその状況は変わらず、老舗の温泉宿が幾つか残ってはいるものの新たな泉源が掘り起こされる事もなく、観光のメインとなるほどの大々的な宣伝はされていない。だから新しい温泉宿の建設は城下町の住民にとっても意外な出来事で、まだ広く知られてもいない。だからこそ貸し切りに出来たって訳だ。
「着いたーーー!」
そんな聞きかじりの知識を頭の中で反芻していたら、いつの間にかヤメが歓喜の雄叫びをあげていた。
着いたと言っても温泉宿の手前じゃなくミーナの中心街。宿はここから少し離れた場所にある。
尚、移動時間中の記憶は殆どない。今後蘇る事もないだろう。
イリス姉の扱いには慣れたつもりだったんだけどな……逃げ場のない場所で長時間隣にいられるのは想像以上にキツかった。あいつ身振り手振り首振りを交えて喋るから、聴覚だけじゃなく視覚まで犯されるんだよな。目を瞑ると次の瞬間何されるかわかったもんじゃないから寝たフリすら出来ないしさ……
出かけて数時間で体力も精神力も底を付くって、どんな慰安旅行だよ。俺はここへ何しに来たんだ?
……まあ良い。そもそも遠出ってのは疲れてナンボだ。その分、普段体験できない非日常を味わって良い思い出にするのが正しい旅行の楽しみ方ってもんだろう。
旅行に関してはヤメとフレンデリアに一任しているから、今後の引率も彼女達がやってくれる。いつもは一応リーダーの俺が指示を出す役割を担うけど、今回はその必要はない。だから気は楽だ。
さて、これからは――――
「自由行動としまーす! 宿は自分らで勝手に探せー!」
ちょっ……! そんな投げっぱなしアリかよ!
そりゃ旅のしおりみたいなの配られてガチガチにスケジュール固められるのも嫌だけどさあ……そこまで極端なフリーダムをお出しされても満喫できないよ。尾崎世代でもないしオープンワールドにも乗り遅れた俺にとって自由って言葉は大して魅力的じゃない。
「っしゃあーーーっ! まずは温泉じゃーーい! 全ては湯に浸かってからだ!」
「ぬうっ……普段見かけぬ首級がそこかしこにッ。ならば品定めといこうではないかッ!」
「せっかく鉱山都市に来たんだ。良い工具がないか見て回るとしようか」
でも俺以外に不満を持ってそうなギルド員は皆無。ダゴンダンドさんやシデッスどころかマキシムさんまで活き活きしている。元冒険者も多いし、基本的に自由を愛している人達が多いんだろうな。
「シキちゃーん! これからどーする? 買い物? 温泉? それともヤメちゃんと寝る?」
「適当にブラブラする」
「散策さんせーい! よさげなお店見つけて飲もーぜ!」
それにしても……
「セバチャスン、ミーナ市長の好物わかる? 意見交換会の前に準備しておかないと」
「既に手配済みでございます。その他の有力な要人への差し入れも全て」
「流石ね! それじゃ事前にちゃっちゃと配り歩きましょうか」
何と言うか……
「買い物しようと! 街まで! 出かけます!」
「ヒィッ! これでは迂闊に街も歩けないィィィ」
「アクシー。いい加減怯えるのをやめたらどうだ? お前の力は俺が一番よく知っている。確かに彼女は凄まじい強さだけど、そこまで絶望的な差はない。気を強く持つんだ」
「そう言ってくれるのか相棒……そうだな。いつまでも気後れしている場合ではない。新たな剣と仮面を入手した後に再起を図るとしよう。付き合ってくれ」
「わかった。後で俺の化粧品選びにも付き合ってくれ」
自由にも程がある! なんだこいつら。温泉旅行っつってんのにダゴンダンドさん以外は温泉に目もくれない。ホント仕事以外では一切協調性がないギルドだよな。今更だけど。
中年オヤジ共はどいつもこいつもアヤメルを口説こうと必死だし……あれ、アヤメルがこっちに来た。
「トモ先輩、すみません。殺人許可証って何枚まで発行されます?」
旅行開始早々物騒過ぎる……どんなセクハラ発言かましたんだよあの馬鹿共。
「一応無制限だけど、その前に警告出しておくから一旦抑えて」
「警告ってどんな内容ですか? それ次第です」
「今度アヤメルがイラっとする事言ったり視線感じたりしたら連帯責任で全員ヒーラー温泉行きの流刑に処す」
「それ良いです! トモ先輩、罰ゲーム考えるの天才的ですね! 伝えておきます!」
褒められて伸びるタイプだけど、そこ褒められるのはあんまり嬉しくないかな……俺、自分で思ってるより性格悪いんだろうか。
「あ、それと先輩。これからの予定は?」
「何も考えてない。宿探して部屋で寝るかも」
「なんですかそれ……旅行に来て最初にする事じゃないですよ。最年長のダゴさんがあんなに張り切ってるのに」
ダゴさんって呼んでるのかよ。なんつー中高年キラーっぷり。モンスター殺すよりオヤジ共を殺す方が得意そうだな……
「もしかしてコレットからウチのギルドの中高年全員コロがせって言われてる?」
「言われてないですよ! コロがして冒険者ギルドになんの得があるんですか!」
「そうなんだけど、短期間で異様に馴染む奴って大体裏の顔があるっつーか、正体は敵でしたパターンじゃない?」
「あー、なんかわかる。私も最初そんなふうに見られてたよねー」
「だろ? イリスも馴染むの早かったもんな」
「でも傍から見てるより大変なんだよ? 新しい環境で知り合いもいないし。誰か一人にでも嫌われたら一気に居心地悪くなるから嫌でも八方美人になっちゃって、それも気に入らないって人もいるかもだし」
確かに、そういう難しさもある。俺もこの世界に来た直後は適応にかなり苦労したっけ。でも大学に全く適応できなかった前世を思えば、大分マシな方……
「……イリス?」
「あはは! 気付くのおっそ!」
彼女が笑顔になると、周りの空気がパッと華やぐ。久々に見た気がするけど、やっぱりイリスにはこういう明るい顔が似合う。
いやそんな事より何でいるんだよ! 同行希望者リストに名前なかったぞ……?
「何日か前にヤメとバッタリ会ってさー、今日から旅行に行くって話聞いて。私も今ちょっと時間持て余してるから、タイミング合わせて来ちゃった♪」
そういえばイリス、今はソーサラーギルドから離れてるんだったな。一年後に復帰予定ではあるけど。要は暇なのか。
「確か副業でアクセサリーとか作って売ってるんだよな。鉱山に宝石でも採りに来た?」
「うん、それもあるねー。この前の交易祭でフラワリルのアクセサリーが凄く売れちゃって在庫切れになっちゃったから」
やっぱりか。幾らなんでも目的もなく遠征なんてしないよな。
「あのー……」
あ、しまった。イリスが余りにもナチュラルに入って来た所為でアヤメルの事ずっと放置したままだった。
「イリス、こちらは冒険者ギルドから派遣されてるアヤメル。ウチでサブマスターの勉強をしてる」
「アヤメルです。イリスさんのお噂はかねがね伺ってます」
「え、そうなの? 私ってそんな有名人?」
「勿論です! ティシエラ先輩が一番信頼している人で、綺麗で仕事も出来る才女だって冒険者の間でも有名ですよ。ファンも凄く多いです!」
「あ、あはは……照れるなー」
思った事を素直に口に出すアヤメルだけに、これがお世辞じゃなく真実だという事に疑いの余地はない。実際、イリス人気あるもんな。サブマスターコンテストで実況頼んだ時も反響凄かった。
「ティシエラ先輩とお二人で並んで歩く姿は本当カッコ良くて、私たち女性冒険者にとっても憧れです!」
「でもソーサラーギルドは苦手なんだろ?」
「はい。出来れば近付きたくもありません」
「えっ、なんか複雑……ウチってそんなにギスってるって思われてるんだ……」
一瞬で心当たりを口に出来るあたり、イリスもその空気は日頃から感じ取っているんだろうな。
「あ、そうそう。何日か前にティシエラがそっちに行ったと思うんだけど……マスターってば、ティシエラに何かした?」
「何かしたんですか……?」
アヤメルさん、ゴミを見るような目って憶測の時点で向けちゃダメなヤツなんですよ。早とちりって割と無罪放免になる事多いけど、結構な確率で人を傷付けるんだからね?
「何もしてないけど、そう言われる心当たりはない事もない」
「お悩み相談でもしたとか?」
「逆。された方」
どうやら引退宣言の件はイリスにも相談していないらしい。なら当然、ソーサラーギルドでも告知はしていないんだろう。あの時は翌日にでも言い出しそうな勢いだったけど、流石にそこは冷静になって考え直したか。
本人にも話したけど、俺が訴えたかったのは『例えばこんな案もあるよ』ってニュアンスであって、別に引退がソーサラーギルド改善の絶対条件でもなければ近道でもない。要は膠着状態で視野が狭まっていた感のあるティシエラの目先を変えたかったんだ。実際に10年後に引退するのが望ましいかって言うと、それは全く別の話。そこは本人が熟考した上でどうするか判断してくれれば良い。
とはいえ……この話をイリスにすればブチキレられる可能性も否定できない。ティシエラになんて事言うんだ、余計なお世話だこのクソマスター……とは言われないと思うけど、それに近い言葉をぶつけられる恐れは多分にある。彼女にとってティシエラは相当大きな存在みたいだからな。勝手に引退を勧められたと知れば良い気はしないだろう。
「ティシエラがマスターに相談? 何を……って言える訳ないか」
当然だ。そもそもイリスに言える内容なら俺なんかより先にイリスに相談するだろうよ。
推測だけど、イリスのギルド内での立場はかなり微妙なんだろう。ティシエラの幼なじみで大きな信頼を寄せられている訳だから、ティシエラをお姉様と慕うスール達の嫉妬の対象にならない筈がない。でもイリスを虐めたり集団無視したりしようものなら、ティシエラが早々に勘付いて根絶やしにするだろう。それはソーサラー達もわかっているから、イリスへの嫉妬は極力見せないようにしている筈だ。
つまり、水面下ではイリスを快く思っていないソーサラーが必ずいる。イリス本人の性格や人格には関係なく、ティシエラの幼なじみって時点で嫉妬の対象だからな。それは防ぎようがない。
ティシエラも、そんなイリスの立場を理解しているからこそ相談は出来ないんだろう。彼女へ負担がかかる事は露骨に嫌がってたしな。
「一応、俺もギルマスとして多少はやってきてるからさ。自分と同じ立場にいる人間にしか話せない事もあるんだろうよ」
「そっかー。なんか妬いちゃうな。今までティシエラを支えて来たのは私だったのに。あーあ取られちゃったかー」
冗談とも本気ともつかない顔で、イリスは笑う。明るい笑顔とは裏腹の、影が差したようなその笑い顔も結局絵になるんだからズルいよな。
対照的に、アヤメルはさっきから妙に難しい顔をしている。この子がこんな顔をしている時は決まって見当違いの方向に思考が素っ飛んでんだよな……変な事言い出さなきゃ良いけど。
「あのー……お二人にちょっとお聞きしたい事があるんですけど」
「え? いいよ。なになにー?」
「私ここにいても大丈夫ですか? お二人の雰囲気から何かを察してしまっても消されたりしませんよね?」
「……ごめん。何聞かれてるのか全然わかんない」
イリスは本当によくわかっていない模様。尚、俺はなんとなく察しましたよ。
「ティシエラがギルドに来た時もそうだったけど、なんで普通に会話してるだけでそっち方面に想像力働かせるんだよ。どう見てもただの知り合いだろ」
「いーえ違います。知り合い同士の会話ってもっと湿度が低いと思います。先輩とイリスさんの会話ってなんか湿度高くないですか?」
湿度が高い会話って何? そんなの一度も感じた事ないんだけど……
「えーっと……もしかして私、マスターの恋人って思われてる?」
「はい。しかもそれを周りには明かさずに内緒で付き合っているのを楽しんでいるとお見受けしました。私、こう見えて洞察力にかけては天才的なんで、こういう事って何かわかっちゃうんですよね。せっかく隠してるのに察しちゃってゴメんなさい!」
「全っ然違げーよアホか!!」
「あれ!? 嘘!?」
案の定だ。訳のわからない事言い出しやがって……イリスも顔引きつってんじゃん。
「あ、あの……もしかして私またやっちゃいました? サブマスター失格みたいな印象持たれました……よね?」
「失格ってほどじゃないけど大減点な。つーか、ヤメから悪いトコばっか吸収してないか? 日に日に俗っぽくなってる気がするんだけど」
「私もそれは思ってました! あの人サブマスターに必要な事とか色々教えてくれるんですけど、それ以上にギルド内の人間関係とか城下町の最新ゴシップとかそういうのばっかり教えてくるんですよ! でもそういう情報ってなんか聞き入っちゃいません?」
「わかるけど……あんまりヤメの言う事を真に受けない方が良いかもね。あの子、子供みたいに純粋な笑顔して平気で嘘つけるから」
元同僚だけあって、イリスのヤメ評は正鵠を射ていた。
「すみませんでした。私、とんだ失礼を……」
「やー全然大丈夫。でも、どの辺が恋人っぽい会話だった? 参考までに聞かせて欲しいなー」
「具体的にこれというワードがあった訳じゃありませんけど、小気味良い会話の中にしっとり感もあって、なんとなくピロートークっぽいって思いました」
……コイツ何言ってんの?
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