第391話 ねえってば

 俺とシキさん以外に誰もいないギルド内のホールは発光水で満たされた照明器具の淡い光に照らされ、月明かりや常夜灯よりは遥かにくっきりと本来の色彩を映し出している。


 だからのシキさんの表情もよくわかる。寂寞の眼差しが薄影に染まっている。こんなに感情が顔に出ているのは初めて見たかもしれない。


 今日しなきゃいけない話? 旅行先では出来ないような重大な内容なのか?


 それとも……旅行に行けない事情があるのか?



 ――――不意に、数日前に高級レストランで見た光景が蘇ってくる。



「隊長。私ね」


 まさかシキさん、城下町ギルドを……



「まだ隊長から謝って貰ってないんだけど」



 ……んん? 


「あや……何を?」


「黙って尾行してた事に決まってるでしょ? あと盗聴も」


「いや盗聴まではしてないって! あれはヤメが読唇術で……」


「それと盗聴と何が違うの?」


 仰る通りでございます。


 やっちゃったな……問答無用のディスコミュニケーションだ。慰安旅行までに一通りの仕事を片付けなきゃいけなくて死ぬほど忙しかったのと、ヤメが既に釈明していてシキさんも引き抜きを断っていたから後回しで良いかって甘えがあったのは否めない。


 いや、それも言い訳だ。


「先日は数々の愚行を犯してしまい、大変申し訳ありませんでした」


 謝る事自体が嫌だった訳じゃない。


 シキさんに嫌われたかもしれないって懸念がどうしても払拭できず、怖くて接触できなかった。それが本音だ。


「なんであんな事したの?」


 ……やっぱそこ詰めてくるよなあ。俺だって黙って尾行されたら良い気はしないもんな。


「えっと……あの日のシキさん、様子がおかしかったからさ。何かあったのかなって心配して」


「どういう心配? 道端で倒れるとでも思った?」


「いや、その……」


「なに目逸らしてんの? ちゃんとこっち見ろ」


 あれ? これどっち? 怒ってる? それともからかってる?


 ダメだ。迂闊に後者を期待するな。それこそ甘えだ。シキさんは本気で怒ってるに決まってる。


「何を心配したの? 私がどうなるって思ってたの? 早く答えて」


「それは……」


 ここで誤魔化しても、多分シキさんには見抜かれるだろう。俺の考えは大抵筒抜けだし。


 覚悟を決めて本当の事を言うしかないか。


「シキさんが、誰かとデートしてるんじゃないかという疑いをですね」


「なんでそんな事を隊長が心配する訳?」


「……悪い奴に引っかかってやしないかと」


「何それ。私を子供扱いしてるの?」


 表情も声も、今までにないくらい張り詰めている。シキさんには今まで何度か詰められたけど、今回はその比じゃない。


『生きて来た世界が狭い』って彼女自身が言っていたから、世の中の悪意や欺騙に免疫がないんじゃないかって心配は前からしていたし、今も正直変わらない。でもやっぱり尾行は下策だった。やるべきじゃなかった。


 だけど……


「シキさんも聞いてたでしょ? ディノーが追ってる、身請けを持ちかけられて娼館から黙って出ていった娼婦の話。結局男に騙されてて、金品を奪われて今は男性不信に陥ってるって……あれ聞いた直後だったから」


 別にあの話が決め手だった訳じゃない。でもあのタイミングじゃ連想するなって方が無理だ。


「ふーん。要するに、私が男にコロッと騙されて『一緒に逃げよう』とか言われてそれを真に受けて、身ぐるみ剥がされてズタボロになって捨てられるのを想像して心配したんだ」


「いや、そこまでは……」


「……」


 シキさんは俯いてしまった。プライドを傷付けてしまったらしい。


 そりゃそうだよな。子供じゃないんだから。騙されるのを前提で自分の行動を詮索されるのは腹が立って当然だ。


 俺はなんて事を……


「……ふ」


 ん?


「っ……フフ……」


 んんん?


 シキさん、まさか――――


「隊長、狼狽え過ぎ」


「やっぱり笑ってたんかい!」


 思わず出た大声とは裏腹に、全身が脱力感に見舞われる。なんだよこのドッキリ……あーでも良かった……


 いやでもこれどっちだ? 最初から? それとも本気で怒ってはいたけど途中から慌てふためく俺が滑稽で思わず気が抜けたのか? 下手に『なんだよ全然怒ってなかったんじゃーん』とか言っちゃうとドツボにハマりかねない。もう少し様子を窺わないと。


「だって隊長、見た事ないくらい挙動不審になってたから」


「……そりゃ、本気で悪かったって思ってるし」


「もう怒ってないから。ふて腐れないでよ」


 って事は、やっぱり怒ってた事は怒ってたのね。変に開き直らないで良かった。


「ヤメも似たような事言って弁明してたけど、私ってそんなに危なっかしい?」


「うん」


「即答すんな」


 足先で軽くスネを小突かれた。でも痛くはない。圧倒的な安堵感のお陰で痛覚が麻痺してるのかもしれない。


「っていうか私、隊長に何回か言ったよね。恋愛とか興味ないって。デートなんてする訳ないじゃん。しかも仕事中に」


「はい。それはもう本当に反省してます。疑ってすみませんでした」


「はぁ……どうせヤメから強引に連れ出されたんでしょ」


 そこまでお見通しですか。シキさんも大概トモソムリエ1級だよな。つってもこの資格、水上バイク免許の取得より簡単だけど。


「っていうか、デート以外の可能性は考えなかったの? それこそ引き抜きとか」


「考えたよ。でもそれに関しては全然心配してないから」


「私が引き抜かれるほど有能じゃないから?」


 そう問うシキさんの表情には余裕が感じられる。多少の怒りはあったにせよ、さっきまでの張り詰めた雰囲気が嘘みたいだ。俺をイジる為にどんだけ全力出してんだよ……演技派が過ぎる。


「そうじゃなくて、引き抜きの話を持ちかけられて断れないくらい破格の条件だったとしても、即断はせずにまず俺に話を通すだろうなって意味で」


 シキさんは不義理を働く人じゃない。そこに対する信頼は絶対だ。


「まあ今回みたいに断るような話だったら、俺達があの場にいなかったら黙ってただろうけど」


「……そうかもね」


 決め付けんなって怒られるかと思ったけど、意外にもシキさんは素直に同意してきた。


「条件で言えば、破格は破格だったよ。今の収入の倍を保証するって言ってたし。ま、欲しかったのは私の能力じゃなかったみたいだけど」


「十三穢に関する情報、って言ってたっけ」


「話したんだ。あいつと」


「あの直後にね。ウチの主力を取ろうとするなって釘刺しておかないと」


 きっと今後も、ギルドが有名になればなるほどこういう話は出て来るだろう。ウチよりも報酬の良い仕事を扱っているギルドは幾らでもあるし、仮にそこへ行きたいってギルド員がいたとしたら、勿論引き留めはするけど……最終的には当人の判断に委ねるしかない。


 それはわかってる。ギルドはあくまで仕事を斡旋する立場であって、ギルド員を縛り付ける為の組織じゃない。


 でも――――


「少なくとも現状では、鑑定ギルドよりもウチの方がシキさんを必要としてるからね。絶対」


 必要としている人を守ろうとする姿勢は全力で見せていかなきゃいけない。これこそギルマスの責務だ。サブマスターでも他の役職でもない、俺だけの役割。アインシュレイル城下町ギルドを、ギルド員全員にとっての居場所にするのが俺の仕事だ。


「……」


 シキさんは特に答えず、でも否定もしないまま天井を見上げた。その横顔から、今何を思っているのかを推し量るのは難しくはない。


 でもそれを言葉にする事はしないだろう。まして俺が代弁するなんて以ての外だ。


 きっとシキさんは、そういうのを嫌う――――


「私が自分からここを出ていく事はないよ」


 ……そう思っていたから、正直意外だった。


「報酬が三倍だろうが十倍だろうが、私の能力に最適な職種のギルドだろうが、移籍するつもりなんてないから」


 ここまで明確に断言するとは。例え心の中でそういう決断があったとしても、それを口にする事はないと思っていたのに。


「……ありがとう。でも、言いきって良いの? ウチより居心地の良いギルドがないとは言い切れないんじゃない?」


「居心地で決めてる訳じゃないから」


 シキさんは視線を下げ、俺の方に照準を合わせてじっと見つめてくる。


「お祖父ちゃんがいなくなって、せめて名誉だけでもって必死になって十三穢を探して、でも魔王に穢された武器を墓前に備えたところで……って心が折れて。ここに来た時は結構、自暴自棄に近かったのかも」


 そこまでの精神状態とは思わなかったけど、面接時や加入直後のシキさんは確かにそんな空気を引きずっていたように思う。ウチのギルドを本気で乗っ取るつもりだった、みたいな事を言っていたけど、それも本心と言うよりは半ば無理に横柄な事を考えて生きる理由を捻り出していたのかもしれない。


 夢や目標や生き甲斐がなくても、仕事の合間にゲームしてネットやテレビを観て漫然と過ごしていた俺とは違って、シキさんは天国のお祖父さんに顔向け出来るような生き方をしなきゃいけないと思っていた筈だ。でもどうすれば良いかわからず――――


「途方に暮れていたんじゃないの? 自暴自棄っていうより」


「……良いように言ってくれなくても別にいいけど」


「でも破滅願望みたいなのはシキさんないでしょ? 無理に自分を悪く言う必要ない」


「どの口で言ってんだか」


 ……俺とシキさんの生き方、生き様は似ていない。ただ、一部を切り取れば似ている箇所はある。その認識を改めて強める一幕になった。


「でも、そう。私には自分を殺すような度胸はなかった」


 まるで破滅願望がない事を実力不足とでも言わんばかりに、シキさんの目が黄昏れる。お祖父さんに何も恩を返せないままあの世へ旅立たせてしまった事は、本当に痛恨だったんだろう。自罰的な感情に囚われてしまうくらいに。


「わざわざ暗殺者って名乗って、他のギルド員から敬遠されるようにしたのに……しつこく絡んでくるヤメみたいなのがいてさ。鬱陶しいって思うんだけど、拒絶も出来なくて。気付いたらオネットとか他の連中とも普通に話すようになってたし」


「俺に至っては過去を語っちゃったりもして?」


「ホント屈辱」


 おい、それはどうなんだ。一応これでもこのギルドで一番偉いんだぞ俺。


「結局さ、私ってヌルいんだよね。だから居心地が良いとかじゃなくて、私自身が望んでこういう環境を作ってたんだよ。だって最初からあった訳じゃないでしょ?」


「完璧な自己分析」


 思わず拍手したくなった。それくらい、シキさんの客観性は文句の付けようがない。


 ウチのギルドは最初から和気藹々としていた訳じゃない。そもそも出来たてホヤホヤだし、空気とか雰囲気なんて全然できあがってもいない状態。入ってくるギルド員は変人ばっかだったし、イリスというソーサラーギルドからの監視役もいた。同じ街に住んでいるとはいえ、年齢も職業も生い立ちも性格もまるで違う面々が何のしがらみも計略もなく偶然集まっただけ。強いて言えばカオスなギルドだった。


 だからシキさんはどうにだって出来たんだ。孤高を気取る事も、ひたすら嫌な奴に徹する事も、幽霊ギルド員になる事も出来た。


 でも今のシキさんはというと、黙々と仕事をこなし和を乱さない真面目なギルド員。気が向いた時には飲み会に参加してるって聞いた時は正直驚いた。


 馴染んでるんじゃない。シキさんが自分で望んで、そういう居場所を作った。アインシュレイル城下町ギルドの現在を作ったのは俺だけじゃない。皆がそうだし、シキさんもそうだ。


「今の自分も、このギルドでの立ち位置も、望んで作ったのは私自身。なのに出て行くなんておかしいと思わない?」


「思う」


「だったら出ていく訳ないじゃん」


 シキさんが城下町ギルドに思い入れを持ってくれているのは知っていた。ちょっとやそっとの事じゃ出ていかないって期待も。


 でも、ここまで強い気持ちを……愛情を注いでくれていたなんて。


「嬉しいな」


 思わず本音が漏れる。本当に嬉しい。俺がこの半年して来た事は、多分間違いじゃなかったんだ。そう思える。シキさんがずっといたいと思ってくれるギルドになったんだから、それ以上の正解はない。


「私は全然嬉しくないけどね。軽くムカついてるし」


「ごめんって。もう尾行とか絶対しないから」


「それじゃない。私がムカついてるのは別件」


 シキさんはそう言うと――――俺の背中をバシンと叩いた。


「痛っ! 何!?」


「またこんな怪我してさ。無理はするなって言ったのもう忘れた? それともわかってて無視?」


「いや、これはアヤメルの実力を見る為に出向いた先で偶々グランディンワームと遭遇して……」


「そんな役割、隊長がする必要ある? フィールドに出るのならモンスターと戦う状況にはなり得るんだから、戦える奴に任せれば良いだけの話じゃないの?」


 なんかメッチャ説教されてる! 酒の席でもないのに!


「でも自分の目で見ない事には……」


「隊長いつもそれ。出しゃばり」


「出しゃばり!?」


 それは正直ちょっと嫌だ……慎ましく生きて来たつもりなのに。


「街中での戦闘でもそうでしょ? 弱いのに率先して戦おうとして」


「そりゃギルマスが逃げたら示しつかんでしょ。一度下がった求心力を元に戻すの大変だよ? 一応、虚無結界って保険もあるんだし」


「その結界だって絶対じゃないんでしょ? 毎回何処かしら怪我してるじゃん」


 ぐぬぬ……実際、今回も怪我してるから反論の余地はない。


 でも、幾らなんでもそこまで過保護にされる筋合いはない。そりゃ弱いのはわかってるけど、俺だって立場ってものがある。疲弊しているように見えるからと言って――――


「……」


「私の気持ち、わかった?」


「はい……よく理解しました」


 なら宜しい、と言わんばかりにシキさんは満足げだ。


 成程な。俺とヤメがシキさんを心配していたのは、今まさにシキさんが俺に対して見せた過保護っぷりと同じだって言いたかった訳ね。見事にわからせを食らってしまった。


「シキさんって実は俺より口が達者なんだよな……無口気取ってる癖に」


「何?」


「なんでもねーっすよ」


 苛立ちはしないけど、ちょっとしてやられた感があって思わず溜息が漏れる。今日は全面的に負けの日だ。


「もしかして拗ねてる?」


「拗ねてねーっすよ」


「……怒った?」


 勿論、怒ってなんかいない。先に失礼な事をしたのはこっちだ。怒る筈がない。怒ったフリして焦らせるっていう低次元戦略に打って出る度胸もない。絶対見破られるし。


「ねえってば」


 だからどう答えようか少し迷っていると――――



 シキさんがすぐ目の前まで近付いて来た。





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