第386話 私がいない世代に生まれただけの凡夫

 ソーサラーギルドのティシエラ依存体質。


 それは俺がこの街に来てからも何度か耳にした問題だ。案の定本人も深刻に捉えていたらしい。


 ギルド員がギルマスに尊敬の念を抱く。それはギルドとして理想なのかもしれない。でも行き過ぎた信奉は暴走を招く。ティシエラ以外の意見に耳を傾けなくなり、ティシエラへのなんて事のない反論に過剰反応して攻撃――――そんな組織になってしまったら、周囲からの理解が得られなくなってしまう。


「サブマスターを置かないのも、それが原因なんだっけ。同等の職位を幾つか用意するとかでも無理なの?」


「試した事もあったけど、却って混乱を招くだけだったわ。ソーサラーギルドは魔法の研究をはじめ柔軟に対応しないといけない業務が多いから」


 魔法の研究か。新魔法の開発とか、そういう仕事なんだろうか。


 確かに、そういうクリエイティブな活動は役職が多いと混乱するだけかもしれない。何かと問題や進展が発生しやすいだろうし、どう対処すべきか迅速に共有できる環境じゃないと混乱を招くだろう。


 ティシエラという絶対的な存在がトップダウンで指示を出せば、その辺の問題はクリア出来る。指揮系統は単純化した方が現場は回りやすい。


 でも、それだとティシエラの負担がデカ過ぎる。


 それに……


「皆とても良い子よ。私の信じる正しい事を一緒に信じてくれている。でも、私だって常に正しい指針を打ち出せるとは限らないし、いつまでも存在できる訳じゃない。ヒーラーギルドの崩壊は決して他人事ではないの」


 万が一ティシエラが倒れてしまったら、彼女に依存し過ぎているソーサラーギルドは簡単に崩れてしまうだろう。イリスやサクアのような有能な人間がいても、その崩壊を食い止めるのは多分難しい。


 普段からティシエラが疲れた顔や張り詰めた表情をしている原因はこれか。実際、俺も同じギルマスの立場だからこの問題の深刻さは理解できる。表層的には大した問題に見えなくても、実際にはかなり根深い病巣だ。恐らく生半可な対策では改善できない。


 でも、余所のギルドの事に口出しするのは越権行為。俺に出来る事は何もない。


 ――――なんてな。ンなわきゃない。



「だったらさ。引退したら?」



 そんな俺の言葉に、ティシエラは珍しく目を見開いた。


「……何言ってるの?」


「ティシエラが引退するとなればギルド員だって危機感持つだろ? 自立心だって芽生える。盲目でなんていられなくなるんじゃないの」


「貴方ね、真面目に……」


「ただし今すぐじゃない。例えば10年後なんてどう?」


「……」


 呆れ気味だったティシエラの顔が、少しずつ真剣味を帯びてきた。傾聴に値する内容かどうか吟味する気になった証だ。


「今すぐ辞めるのはティシエラの本意じゃないだろうし、ギルド員だって困惑する。っていうかギルド自体が破綻するから論外だろう。でも『10年後に引退する』って今から宣言しておけば、少なくとも現時点で大きな変化はないから混乱も少ない。だけどいずれティシエラ抜きでギルドを運営していく必要があるから、それを視野に入れて活動していく必要がある。ティシエラ依存の体制を多少は改善できるんじゃないか?」


 ウチのギルドも、俺の借金という目標と返済期間のリミットがあったからこそ、あのムチャクチャなメンツが一応は纏まっていた。その間に各々がギルドに対する愛着やそれぞれの人間関係を構築して、少しはギルドらしくなった。


「急に変えようとしても困惑が増すだけだし、変えないと未来はない。だから、10年の猶予期間で少しずつ変えていく。別に10年って数字に拘る必要はないけど、変えていくきっかけとしてはそれくらいが妥当じゃないか」


「私が引退する時期を自分で決めて、それを早い段階で伝えておくって主旨ね」


「ああ。でも50年後とかだとあんまり意味はないかもな。まあ状況に応じて撤回しても良いんだし、数字に拘る必要はないと思う」


 提案ってほどのものじゃない。まして助言なんて烏滸がましい。あくまで経験を元にした一意見。却下されても仕方がない。


 ティシエラは――――


「……そうね。参考にさせて貰うわ」


 果たしてどう思ったのか。その声や表情からは窺い知る事が出来なかった。


 実際、この案では今すぐティシエラの負担をなくす事は出来ない。せいぜい今後の方針を最低限決める事で、少しだけ気が楽になる程度のものだ。


「引退……確かに、そういう選択肢もあるのよね」


 まだ若いティシエラが自らギルマスから身を引くなんて発想はなかっただろう。それはある意味、彼女の逃げ道にもなる。責任感が強く決して途中で投げ出さない彼女だからこそ、先に引退を明言しておくのは悪くない自己防衛の手段になり得る……筈。


 まあでも、将来の話とはいえ今すぐ引退時期を考えるなんて現実的じゃない。あくまで『こういう視点もありますよ』くらいに留めて、そこから更に煮詰めて実用性のあるプランを考案して貰えれば良い。最初は極端なアイディアから出発して、そこから落とし所を探る。ドア・イン・ザ・フェイスは何も交渉だけのテクニックじゃない。自分自身に対しても有効な手法だ。


「ありがとう。少し気が楽になった気がするわ」


「なら良かった」


 俺みたいな奴でもティシエラの力になれたのなら、こんなに嬉しい事はない。思い切って言った甲斐があった――――


「10年後……そうね。10年あれば一通りの事は出来ると思うわ。最初に着手しないといけないのは後継者の育成と運営の安定化。城下町内に支部を設立して役割の差別化を図って……」


 ……あれ?


「えっと……参考って言ったよね? なんでもう決定事項みたいな言い方?」


「参考にした上で具体案を練ろうとしているだけよ。何か問題あるの?」


 あり過ぎるだろ! 具体案練ってる時点で実行する気満々じゃねーか! 何俺一人の意見でそそくさと人生を左右する決断しようとしてんだ! 叩き台くらいに留めなきゃダメだって!


「その代わり貴方も五大ギルドに入って」


「……はい?」


「私も貴方の言う事を聞き入れるから、貴方も私の言う事を聞いて。五大ギルドの一角として、一緒にこの街を良くしていきましょう」


「ンな馬鹿な!」


 何その訳のわからない取引! 10年後の自分の引退と引き替えに俺を仲間に引き込むつもりか!?


「貴方のギルドが私達と同格になれば、私の負担も多少は減ると思うの」


「いや、でも……」


「お願い」


 そんな切実な顔で見ないで! 頼りにされてるって思っちゃうから!


 現状のギルドの規模を考えたら、過度な責任は負うべきじゃない。五大ギルドともなれば住民の俺達を見る目は今より遥かに厳しくなる。ただでさえギルド名でハードル上げてるってのに、これ以上のデカい看板は自分達を押し潰しかねない。


 けど、ティシエラにこんな顔で頼まれたら、俺は……俺は……


「失礼します。遅くなってすみません。ヤメ先輩に代わってお茶をお持ちしました」


「おっおお! 御苦労! ティシエラ喉渇いたろ? ウチで一番高いお茶だから飲んで飲んで!」


「……頂くわ」


 っぶねー! 危うく血迷うところだった!


 俺のティシエラに認められたい願望強過ぎるな……自制せんと。


「つーかヤメに頼んだ筈なのにあいつ何してんの?」


「ヤメ先輩曰く『ギルドマスターの接客風景を見届けるのもサブマスターの務めだから、その仕事を今回特別に譲ってやんよ』だそうです」


 あいつ……絶対ティシエラに小言言われるのを恐れてアヤメルに丸投げしただろ。


 まあでも、アヤメルがヤメに反感を持ってなさそうなのは良かった。一応サブマスター修行でウチに来てるんだから、二人が険悪になったら毎日が地獄だ。


 残る憂いは、この二人――――ソーサラーギルドの代表と冒険者ギルドの副代表候補がどういう感じになるか。ティシエラは冒険者ギルドに対して複雑な感情を抱いているみたいだし、アヤメルもソーサラーギルドには良い印象を持っていない感じだった。


 果たして――――


「先程は挨拶も出来ず申し訳ありませんでした。ティシエラ先輩、お久し振りです」


「いえ、私こそ改めて非礼をお詫びするわ。元気そうで何よりよ」


 ……あれ?


「二人は知り合い?」


「はい。私がこの街に来てすぐ声を掛けて貰って、冒険者ギルドに案内してくれたんですよ。優しくして貰いました」


「この街の治安維持は元々五大ギルドが担っていたから。新顔が不審人物じゃないかを確認するのは当然よ」


 確かに、俺に対してもガッツリ疑いの目を持ってましたね。疑われるだけの理由もあったけど。


「コレットから聞いたんだけど、合同チームに入りたがっていたんでしょ?」


「そうなんですよ! ティシエラ先輩の力になりたかったし、私の実力を知らしめるチャンスだと思って! なのにレベルが低いからダメだって内々で却下されて……それがサブマスターの道を選ぶ決定打でした」


 そういう理由もあっての引退決断か。レベル29からどれだけ時間をかければ40や50になれるのかは知らないけど、その間ずっとコケにされるのは確かに嫌だな。


「あいつら本当ムカつく……コレット先輩のいない所でグダグダグダグダ……私がいない世代に生まれただけの凡夫が上から目線で……レベルの数が多いのがそんなに偉いのかってんですよ! もう!」


 ティシエラ相手に愚痴を零すとか、どんだけ大物なんですかアヤメルさん。割とそういうトコなんじゃないっすかね、冒険者ギルドであんまり馴染めてないの。逆にウチだと死ぬほど馴染めそうなのが悲しい。


「別に合同チームはレベル制限を設けていないし、もしレベルだけが理由で門前払いされたのなら、貴女の憤りは正当なものよ」


「ありがとうございまっす!」


 アヤメル的にはティシエラが全面的に同調してくれたと思っているみたいだけど、暗に『他の理由もあったのでは?』とツッコまれている事には……今後も気付かないだろうな。


「ありがとうはこちらの台詞よ。グランディンワームを討伐してくれたんでしょう? しかもイレギュラーな二体同時出現にも上手く対応して」


「そ、そんな事ありますけどありませんよ! 私は天才的な戦闘技術を持っていますからサプライズへの対応なんてお手のものですし、私がいなかったら死んでたってトモ先輩が思っているのも間違いないですけど、トモ先輩のフォローも良かったんで!」


 自分の手柄を全力で誇示したい気持ちを少しだけ抑えて俺を立てようとする努力は伝わったのでヨシ! でも君が始めた物語でしたよね、あの戦闘は。


 何にしても、二人の関係が良好そうなのはよかった。これで何の憂いも――――


「あの、話は変わりますけど……さっきお二人が話しているのが聞こえちゃって。立ち聞きしていた訳じゃないですよ? 入るタイミングを窺ってただけで」


「別にそれは構わないけど何?」


「えっとですね、10年後にティシエラ先輩が引退するという件なんですが……あ、勿論他言はしないですけど、一つ気になって。引退するのには理由が必要ですよね? どんな理由にするおつもりなのかなと」


 引退理由か。確かに、特に脈絡もなく10年後に引退しますじゃギルド員も納得しないかも。何か尤もらしい理由を考えた方が良いだろうな。


「そうね……家の事情、で良いんじゃないかしら。それなら深く立ち入ってはこないと思うわ」


「その理由だと多分イリスが質問攻めに遭うぞ」


「……言えてるわね」


 記憶が喪失している時期があるとはいえ、イリスはティシエラと幼なじみ。家庭の事情となれば彼女が何か知っていると判断するギルド員は多いだろう。


 何しろティシエラのガチ勢はマジモンのガチ勢だからな。カタギと思ってはいけない。拷問してでも聞き出そうとする可能性さえある。


「あの子に負担を掛けるのは本意じゃないわ。別の理由を用意……」


「それに関しては私に考えがあります!」


 待ってましたと言わんばかりの決め打ちドヤ顔。どうやら最初から何か思い付いていたらしい。敢えて焦らしやがったなコイツ。


 まあでも、グッドアイディアなら経過は問うまい。一体どんな――――


「10年後に結婚するって事にすれば良いんですよ」


 ……は?


「……は?」


 俺の心の声とティシエラの肉声が綺麗にハモった。


「やっぱり一番穏便に仕事を辞められる理由は結婚じゃないですか。繁忙期でも結婚なら祝福しないと、って空気にもなりますし。きっと納得してくれますよ」


 いやいやいやいや、それは絶対逆効果だって! 今の俺達の何十倍も大きな『は?』がギルド内に響き渡るって! 想像するだけでおぞましい修羅場と化すぞ!


「あのね、貴女……」


「あ、すみません。そうですね、結婚って言ってもお相手がいないと信用して貰えませんもんね」


 ティシエラの引きつった顔をディテールが甘いって不満だと勘違いしたのか、アヤメルの暴論は尚も続く。


「ならトモ先輩を婚約者にするのは如何ですか?」


 その果てに――――俺が巻き込まれた。


「なっ……何言ってるの?」


「ダメですか? お二人の会話を聞いてて、なんだか凄く気が合うというか、夫婦でも違和感ない雰囲気だったんでイケそうな気がしたんですけど」


 こ、こいつ……! 見えてる地雷に笑顔で包丁刺しやがった……!


 俺は良いよ? 全然良いよ? 『お似合いの二人ですね』的な事を言って貰うのはもう全然ウェルカムカモナマイハウスですよ。でもティシエラはそういうの絶対嫌がるタイプだし、嫌がるティシエラを見れば当然俺は傷付く訳で、だったら俺もダメじゃねぇかコラ! なんつー事言いやがるんだオイ!


 ティシエラの反応は――――


「……」


 あれ?


 澄まし顔だけど……なんか耳赤くない?


 これ、もしかして照れてる?


「ダメよ。そういう嘘は誠実ではないわ」


 露骨に態度に出てる訳じゃないから、本当に照れていたかどうかはわからない。耳が赤く見えたのも一瞬で、今は普通だ。俺の目の錯覚だったのかも。


 一体どっちだ? おいアヤメル、ここは更なる追撃をだな……


「ですよねー! トモ先輩は良い人だと思いますけどティシエラ先輩とは社会的に釣り合ってないですよね! 変な事言ってすみませんでした!」


 おいいいいいいいいいいい!! なんだそりゃナメてんのかコラ! こういう時正論は要らないんだって!


「……別に……そこまでは……」


「私、こういうトコがあるんですよね。天才ゆえに先が見え過ぎて先走るっていうか……サブマスターになる為にはもっと精進しないとですね! 失礼しました!」


 言いたい事だけを言って、アヤメルは部屋を出て行った。


「……」


「……」


 おいマジでどうすんだこの空気……やってくれたなアヤメル。あとヤメ。あいつ絶対アヤメルが何かしでかすと思って差し向けただろ。刺客として。


 取り敢えず、サブマスターになる奴にはロクなのがいないと判明した一日だった。

 





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