第374話 消化試合

 ヤメの敗北宣言を受け、オネットさんが心配そうな顔でヤメの方へと駆け寄っていく。竜巻は直撃していなかったけど、何かしらのダメージがあったんじゃないかと危惧したらしい。


 でもヤメの様子を見る限り全く問題はなさそうだ。


「あーつっかれた。もー無理。限界。やー、強いねオネちゃん!」


「ありがとうございます。ヤメさんも素晴らしかったです。同じギルドに所属する者として、とても頼もしく思います」


 ヤメの方から先に手を伸ばし、オネットさんがグッと掴んで立たせる。その瞬間、ギャラリーから万雷の拍手と両者を称える大音量の声援が響き渡った。


 それだけじゃない。審査員席も総立ちで健闘を称える拍手を送っている。興行としては文句なく大成功だ。


「ヤメ、これで納得できたのかな」


 ポツリと、シキさんが呟く。


「復讐したいって気持ちがほんの少しでもあるんじゃないかって自分を疑って、そんな自分が嫌で……だから『濡れた雑巾を最後の一滴が出るまで絞り尽くす』みたいな戦い方して。これで本当にオネットを許せたと思う?」


 それに対する俺の回答は一つだ。


「思う」


「本当に?」


「うん。オネットさんが全力で相手したからね。サブマスターを賭けた戦い、って条件だけど」


 本気の殺し合いとは目的も主旨も違う。それでも、間違いなく死力を尽くした戦いだった。


「それに、最後まで謝らなかった。それが一番良かったんじゃないかな」


 もしオネットさんが一言でも謝罪していたら、ヤメは『謝るくらいなら奪うな』と復讐心に駆られていたかもしれない。でもオネットさんはそんな安直な事はしなかった。


 謝罪は大事だ。自分が悪い事を言ったり迷惑を掛けたりしたと思ったら、その対象となった人に謝意を伝えるのは当然。そうしなきゃ相手も納得できないし、自分に対する戒めにもならない。いつまで経ってもガキのままで尊厳も身に付かない。


 だけど、悪い事をしていないのなら謝らなくてもいい。集団行動や社会通念の中でそれをしなきゃならない事はどうしてもあるけど、個人個人の付き合いで『事を荒立てたくない』『穏便に収めたい』って理由で本心でもないのに謝罪するのは、謝る必要があるのに謝らないのと同じくらい幼稚な態度だ。


 ヤメの父親は、絶対に倒されなければならない人物だった。そしてオネットさんは正しい判断が出来る人だった。


 きっとヤメはその確信が欲しかったんだ。そして今、実際に得られた。だからこそあんな晴れ晴れとした顔――――


「……ん?」


 さっきまでスッキリした顔をしていたヤメが、今は……なんだあれ。顔赤いぞ。鼻息も荒いし下半身をモジモジさせている。


 あれがフィネラルバインの副作用? でもあの様子だと、好戦的になってるようには見えない。寧ろ……


「ハァ……ハァ……オネちゃんって……ステキな身体してるよなー……」


「へ?」


 好色的になっとる! これはまさか……


「あの、ティシエラさん……?」


「見ての通りよ。他に言う事は何もないわ」


 やっぱり興奮は興奮でも性的興奮の方かよ! 一転して今度はオネットさんが大ピンチ! あとギルドの評判もヤバい! こんな大勢の前でギルド員による性犯罪は致命傷だ!


「シキさん! ヤメを止めて!」


「え、やだ」


「……なんで?」


「あの状態のヤメに絡まれるのマジ無理。酔うとあんな感じになるんだけど、いっつも服脱がそうとしてくるから」


 は? 嘘だろ? なんでその現場に俺はいないの?


「ぎゃっはっは! 面白過ぎだろ城下町ギルド! もう一番笑い取った奴が勝ちでいいだろ!」


「あのソーサラーがサブマスターの権力を持ったらどんな行動に出るのか、実に興味深いね」


 審査員の野郎共も面白がり始めやがった。よくないなーよくない流れだ。こういう最後グダグダになるイベントって絶対に低評価なんだよ。


 つーか今はそれよりヤメを止めないと! シキさんが拒否するってんなら、もう後はコレットしか…… 


「私が止めるしかないよね」


 おおコレット久々に頼もしい! 最近影薄かったから、より一層輝いて見える。これなら……!


「ねえトモ。私がもし公衆の面前で汚されても、嫌いにならないでいてくれる?」


「涙目で笑うな! 覚悟が悲壮過ぎて頼めねぇよ!」



 ――――で。



 結局その後、ティシエラがプライマルノヴァでヤメを沈静化してくれた為、大事には至らずコンテストも続行。


 ただ、消化試合感が半端なかった。


「エントリーNo.4、生粋のヒーラーにしてメデオと言う者だ!! 俺が思うサブマスターの条件とは蘇生魔法を使える事! おっと、『またそれか』と思うのは待って貰おうか! 俺は決して己の都合やアイデンティティの為にそんな主張をしている訳じゃない。サブマスターとはすなわちギルドマスターを支える者。ギルドにとって最悪の事態とは、ギルドマスターが何者かに殺害されてしまう事。特にグチャッとした死体はギルド内の空気を暗くしがちだ。ならば蘇生魔法を使えるサブマスターこそがギルドにとって最善なのは言うまでもなかろう! ギルドマスターが安心して惨殺されるギルドにしようではないか!!」


「実況のイリスです。エントリーNo.7の方は、辞退。辞退するとの事です。理由については不明……あ、今続報が入りました。書き置きがあったようです。読みますねー。えっと、『貴女の事が心配で青空の下で見守っていました。貴女はいつも明るく楽しく人生を謳歌しているように見えますが、そんな貴女は湖畔の水面に映るわたくし。わたくしはそんな貴女の心にちゃぽんと入りたかったのですが、今日は寒い冬の日の事でした。凍った水の青の青さに貴女は思わず青ざめてしまったのでしょう。わたくしはそれを見て、なんという事でしょう。深淵に真髄を見ました。『青は青より出でて青より青く限りなく青に近い青い青』。わたくしの言葉です。だからわたくしは貴女の青い春が訪れる事を祈りながらまた会う日までごきげんよう』……えっと、うん。ごめん。わかんない」


「エントリーNo.11、ポラギってんだ。あのさ、俺さあ、実はさあ、好きな奴がいんだよ。いや……好きとはちょっと違うかな。この感情は……愛してる。心から愛してるんだあ。けど俺は、そいつと比べて余りにもちっぽけでよお……しかも最近までずっと別の奴に身体乗っ取られちまってたみたいで、もう立つ瀬もないんだあ。だからよお、ここでサブマスターになって今まで足引っ張った分を取り戻すくらい仕事してよお、あいつに『俺だって少しはやるんだぜ』『ちょっとは見直したかい』って胸張って伝えたいんだ。好意よりもよお、まずはそういう事を伝えてみてえんだ。だから俺にとってサブマスターってのはよお、愛なんだ。始める事が愛なんだ」


 ……ピンと来る奴が全然いない。特にポラギは酷かった。なんだよ『サブマスターとは愛』って。ちょっと良い事言ってそうな雰囲気出してたけど完全に私利私欲の為の公私混同じゃねーか。死ねよあいつ。


 ヤメとオネットさんのバトルが盛り上がった分、その後の冷えっぷりが余計際立つ。ただでさえ冬でクソ寒いのに、みんな凍えちまうよ。せめて後一回くらい盛り上がり所が欲しい。


「では次が最後のエントリー者となります! 自己紹介とアピールポイントをどうぞ!」


「………………………………………………ひっ」


 あ。サタナキアだ。そう言えばあいつもいたな。っていうかよくこの場に来られたな。


 この街で暗躍していた頃はグノークスをはじめ街の住民を乗っ取ってたから、本来の姿は殆ど知られていない。とはいえ、闇堕ちから脱した今のあいつは倫理観ガバガバの引きこもり精霊。人前に出るのは色んな意味で苦痛だろうに。


「大丈夫ですよー。最後だし時間はたっぷり残っていますから、心配しないでゆっくりで良いですからねー。深呼吸とかどうかな?」


「はっははははははい。スッハッスッハッスッハッスッハッ」


「んー、ちょっと浅いかな。すーーーーっ、はーーーーーーーーーっ。くらいでやってみよっか」


「わわわわわかりました。スッスッスッハッスッスッスッスッスッハッ」


 吸い過ぎだろ……過換気症候群になっちゃうぞ。


 にしてもイリス、サタナキアの正体が元魔王の側近って事はティシエラから聞かされている筈だけど、全然動じずに優しく接してるな。これどういう種類のコミュ力なんだ?


「ハーッハーッスーッスーッハーッスーッハーッハーッ……スーーーッ……ハーーーーッ」


「良い感じ! 良いですよー、大分落ち着いてきましたね。それでは改めて自己紹介からどうぞ!」


「あっはい。えっエントリーNo.15、さっサタナキアです。せっ精霊なんですが、精霊界に馴染めなくて一時期闇堕ちしていまして、この街の方にも何人かご迷惑をお掛けしました。その償いも兼ねて、街の治安維持を担うっていうアインシュレイル城下町ギルドのサブマスターコンテストに応募しました。よろしくお願いします」


 おお、後半全然どもらずに自己紹介できた。まあカンペ読んでるんだけど。それでも、俺とティシエラの二人相手にビビリ散らかしていた先日の事を思えばかなり頑張っている。


「最近は精霊界と人間界が友好関係を断絶していると聞いて、胸を痛めています。私が、サブマスターになる事で精霊と人間の交流を少しでも再開できればいいなって思っています」


「良いぞ精霊の姉ちゃん! その気持ちが嬉しいぜ! 応援すっからな!」

「素晴らしい志じゃねーか! もうサブマスターにしてやれよ! こんなに頑張ってんだからさ!」

「そーだそーだ! 強い女も良いけどか弱くて守ってあげたくなる子に俺たちゃ飢えてんだよ!」


 予想通りというか案の定というか、男性の観客からのウケが異常に良い。この街の住民は猛者ばかりだから、当然女性も強い人達ばっかりな訳で、サタナキアみたいな気弱な奴が新鮮に映って人気出るのはわからなくもない。


 まあ男なんですけどね。


 この手の自己紹介でわざわざ自分の性別に言及する奴なんていないから、完全に不可抗力だよな。騙す意図なんてサタナキアにはないだろう。


 何にしても盛り上がってるのは良い事だ。


「それではサタナキアさんに伺います。貴方が思う理想のサブマスターとは?」


「あっはい。えっと……あれ……あれ……えっ……嘘……なんで………えっ………」


 あれ? 急に落ち着きがなくなってモゾモゾし始めた。どした?


「あっああ……ああ……」


 今度は泣きそうな顔で目を泳がせ、イリスを見たり観客を見たり虚空を見たりと首が落ち着かない。これまさか、アピールの方のカンペなくしたか?


「あっ……はっ……はっ……はっ……はっハッハッハッハッハフハフハフハフヒッヒッヒッヒッ」


 マズい! 不安と緊張で呼吸が浅くなり過ぎてる! あと唇の震えが凄い事になってる!


 このままだと――――


「どうしました? サタナキアさん落ち着いて。大丈夫ですよ? サタナキアさん? サタナキアさん?」


「ヒッヒッフハフハヒッヒッフハフハヒッヒッフヒッフヒッヒフッヒギヒッキィッヒキッヒッヒぬっしぬっ」


「サタナキアさん!? どうされました!? すみません救護班来て下さい!」


 あー、これ完全に過換気症候群、もしくはパニック発作だ。呼吸困難に加えて痺れも出てる。その内立っていられなく……あ、やっぱり座り込んだ。


 いきなり失神する場合もあるけど、意識はある状態で全身が痺れる場合もある。人の多い場所でなりやすい症状だから、警備員やってると結構な頻度で見かけるんだよな。


 過換気症候群やパニック発作で命を落とす事はない。でも本人の感覚だと呼吸がまともに出来ないし意識が遠のいていくから死を覚悟するらしい。頻繁に再発するようだとパニック障害って診断になる。


 一度、全身が痺れて動けなくなった人を介助した事があった。その時に聞いた話によると、最初はなんとなく具合が悪い、呼吸がし辛いって所から始まって、徐々に『ここで倒れたらどうしよう』とか『段々酷くなってるけど、これどうなっちゃうんだ?』みたいな不安が膨らんで、四肢に痺れが生じて更に焦りが出て呼吸が浅くなり、吸っても吸っても楽にならなくなる。更に不安の増加に比例して痺れも広がっていき、口も痺れてまともに声が出せなくなる。そうなると助けも呼べないからいよいよ死を意識するそうだ。


 恐らく今のサタナキアも同じ状態。対処法はそう難しくない。


 昔はペーパーバッグ呼吸法っつって袋で口と鼻を覆って呼吸させる方法が推奨されてたけど、現代では否定されている。それよりゆっくりと呼吸させて、吸う時間より吐く時間を長くする事で酸素と二酸化炭素の量を安定させ、リラックス効果を生むのがベストらしい。


 救護班もきっと同様の指示を――――


「明らかに正気を失っている。状態異常か、呪いの類か、それともケダモノに取り憑かれたか……仮に呪い殺されてしまった場合は蘇生も出来ない。最悪、我々の手で一旦殺してから蘇生魔法という選択も視野に……」


「だーーーーーーーーーっ! そんな対処の仕方があるか!」


 ……どうやらこの世界では『全身の痺れ→麻痺攻撃』『呼吸困難→毒攻撃』『譫言→呪いor憑依』というのがメジャーな認識らしい。言われてみれば、その手の状態異常を手軽に引き起こせる世界なんだから、そっちを最初に疑うのも仕方がないのかもしれない。


 幸い、サタナキアは俺の見立て通り過換気症候群だったようで、暫く寝かせてゆっくり呼吸させ続けたら徐々に痺れも取れてきた。


「こっ怖い……ひっ人前で失敗して……恥かくの怖い……醜態晒すの嫌……暗黒武器を一面に飾った部屋で一生引きこもってたい……」


 でも精神が死んだ。勇気を出して来てくれたんだけどな。これじゃサブマスターは無理か。


「サタナキアさんは体調不良によりギブアップとの事です。皆さん、サタナキアさんの健闘に盛大な拍手をお願いします!」


「よくやった! いい読みっぷりだったぞー!」

「精霊が人前で喋るって凄い事だと思う!」

「ここまで一人で来た事が立派だ!」


 イリスも観衆も善意でやってるんだろうけど、結果的に『陰キャのなんて事ない言動を大袈裟にピックアップしてイジる陽キャ』という、当事者のプライドをズタズタにしてくる事案が発生した。


 サタナキアは……


「最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪」


 発作よりも闇堕ちの方が再発しそうだな……まあ気持ちはわかるよ。あんな扱いされたら俺もそうなる。


 とはいえ、同情でサブマスターには出来ない。あいつはもうダメだ。場を盛り上げてくれたのは感謝してるけど候補からは外そう。



 そんな訳で、候補者は出揃った。さてサブマスターは誰になるのやら……





 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る