第361話 アヘ顔のプライムデー
かつて俺がいた世界での水質検査がどんな道具を使っていたかは知らない。でも温泉って色んな効能がある事を大々的に喧伝してるから、かなり詳細な水質検査が行われているのは間違いない。例えばどんな成分が含まれているかを検査して、それぞれの項目に関して一定以上の数値が出たら効能として認められる、みたいな。多分そんな感じだったんだろう。
でも、この世界には検査キットのような物は恐らくない。科学的な調査を行う事は出来ないだろう。
そうなるとさっきティシエラが言っていた、天才鑑定士パトリシエの持つスキルってのがどれだけのレベルの検査を出来るかが極めて重要になって――――
「あひゃあ~~~~悦楽だぁ~~~悦楽の波が止まんねぇよぉ~~~~~」
「イくおぉ~~~~~~~もうイッちゃうおぉ~~~~~~~~~あっ」
「全身遍く性感帯になったかのようだ。湯が次々と私を愛撫してくる」
……気持ち悪い。聞こえてくる呻き声がもう全種類気持ち悪い。
男湯の温泉に浸かるヒーラー共は、前に来た時より更に言動が気色悪いものになっていた。
幾らなんでも、こんな温泉はあり得ない。いやそれは日本での常識であってこの世界には快楽を与える成分を含む温泉があるのかもしれないけど、元々この世界の住民だったティシエラ達も俺と同じようにドン引きしてるんだから認識は間違ってはいない筈。
つーかもう色々と全部アウトだろ! 女性陣に見せちゃダメな絵面なんだって! アヘ顔のプライムデーじゃねーかこんなの!
「これは予想以上に酷いですねぇー。急に人類の終着点を覗いた気分です」
……あれ? パトリシエさん意外とノーダメ? どんなメンタルしてるんだ……俺が今まで踏んできたどんなブラクラよりキツいよ?
「……」
対照的に、ティシエラは明らかに具合が悪そうだ。っていうか男湯は俺だけで良いから外で待ってろっつったのに、全然言う事聞かないんだよなあ……こうなるのわかりきってただろうに。
「貴方達……ちょっと申し訳ないけど……検査したいから出ていって貰えないかしら……」
搾り出すような声で、青ざめたティシエラがヒーラー達に問う。正直、この場面だけ切り取ったらティシエラの方がセクハラで訴えられそうだ。
「イヤだね!!!」
「お断りだ!!!」
「どのような権限があっての発言かね?」
……予想通り誰も温泉から出たがらない。もう末期だろこれ。依存度がヤバイって。
「あー、大丈夫ですよぉ。そいつらがいても検査は出来るんで」
まあ、そりゃ出来るだろうけどさ……つーか地味に口が悪いなパトリシエさん。服着たら性格変わるんだろうか。
「えっと……検査って具体的にはどうやるんですか?」
「両手の掌を、検査対象となる液体に浸してスキルを使用するんですー。具体的には【触診3】の効果を【集中3】と【小宇宙3】で高めて、その後に触った感じで含有成分の特定を行って、あとのスキルで補足ですねぇー。【慧眼3】と【地獄耳3】で液体が空気に触れた際に起こる変化を捉えて裏付け、更に成分特有の味や匂いがある場合は【テイスティング3】で裏付け……って感じです」
全然ピンと来ない。つーか【集中3】はなんとなくわかるけど【小宇宙3】ってどういうスキルなんだろ……
「それじゃ失礼しまーす」
特に躊躇も恥じらいもなく、男性ヒーラーが真っ裸で入っているお湯の中にパトリシエさんは両手を入れた。
「すぅ……はぁ……」
集中しているのは表情と息遣いでわかる。深呼吸して感覚を鋭敏にしているのか、スキルを使用するのに必要な何かを発しているのか……
「んっ……んっ……んっ……」
今度はお湯の中で両手をニギニギさせ始めた。それに伴い息遣いも変わる。なんつーか……エロいな。
「はぁ……ふぅ……んっ……はぁ……んっ……ふぅ……んっ」
「おほおおおお……ヤバ……ヤバぁ……」
「うほおっ……タマんねェ……最高だァ……」
「もっとだ。もっと私を愉楽の底にいざなうんだ。もっとだと言っているだろうが!」
絵面ァ!! パトリシエさんの手がヒーラー共に触れてる訳じゃないけど、なんかもうそんな風にしか見えないって! なんだこの特殊プレイ! とても直視できねーよ!
ヒーラーが回復魔法を放棄した結果、性的ニュアンスを含んだ変態になってしまった。悪化してるじゃねーか。なんだこのバッドエンド。もう何もかも投げ捨てて家に帰りたい……
いや待て。帰る前にティシエラが今、このどうしようもない光景をどういう顔で見ているのか確認しないと。もう今日の俺のモチベーションはそれだけしかない。寧ろそれがわかれば大体の事には耐えられる。
ティシエラは――――
「……」
あれ!? なんか別に恥じらってない! どうしたティシエラ! この特殊な手コ……もとい、特殊な検査に何も感じないってどうしたオイ!
「どうしたの? 私の顔に何か付いてる?」
付いてたら最悪だよ、とは言わないでおこう……
「いや何も。ただ、よく平気でいられるな。男の俺でもキツいのに」
「人間だと思うからよ。風に吹かれてたまに奇妙な動きをする案山子が沼地に十数本立っていると思えば、大した光景ではないわ」
その脳内変換は単なる現実逃避なのでは。流石にこんな無機物はおらんだろ。
っていうか、さっきから全然瞬きしてないなティシエラ。かといってガン見している訳でもない。これは……意図的にドライアイを作り上げて、視界をボヤっとさせて何も見えなくしてるのか。いやそこまでするんなら外で待ってろよ。そんなにパトリシエさんや俺が信用できないのか?
……違うか。単純に責任者としての責任を全うしようとしてるだけだな。検査を依頼しておいて、自分だけ安全圏で待ってるなんて出来ないタイプだ。俺も決して器用な人間とは言えないけど、ティシエラは下手したら俺より不器用かもしれない。
でも、そういう所に気高さを感じてしまう。俺の贔屓目なのかもしれないけど。
「ふぅ……抜き終わったぁ」
「手をね! お湯からね!」
なんか段々、ロハネルが彼女と絡むのを拒んだ理由がわかってきた気がする……この人といると周囲から色々と変な誤解を受けそうな気しかしない。
「検査結果ってすぐわかるんですか?」
「んーん。温泉の成分ってよくわからないしぃ。【触診3】で得た感触を覚えておいて、後で成分表見ながらギルド員の皆さんに手伝って貰って特定するんだよ。わたし自分の感覚を伝えるのが下手だからぁ、ちょっとお時間貰わないとだね」
「問題ないわ。それじゃ、次は女湯に行きましょう。ここ以外の温泉も全て検査して貰うから、大変だろうけどお願いね」
「次からは今のと同じだったらすぐ終わるから大丈夫だよぉー」
そう答えつつ、パトリシエさんは両手を手拭いで拭く。しっかり水分を拭き取らないと次の検査の時に違うお湯が混ざって正しい結果が出ないらしい。流石にそういう所はちゃんとしてる。
「それじゃ行くか」
「……何処に行くつもりなの」
先陣を切って移動しようとした俺の襟首を、ティシエラが鷲掴みしてきた。
「まさか貴方、女湯に入るつもりじゃないでしょうね」
「ンな訳あるか! 普通に外で待ってるから! つーか澄まし顔で男湯に入ってるティシエラに説教される筋合いはねーよ!」
「それは……」
俺が女湯に入る異常性を考慮した事で、ようやく自分が今どれだけ異常な場所にいるのかを理解したらしく、ティシエラは一瞬で顔が真っ赤になった。
「は、早く行きましょう。検査しなくちゃならない温泉は沢山あるから」
「はぁーい」
逃げるように、ティシエラはパトリシエさんを連れて女湯の方へと向かった。
珍しく迂闊というか、普段ならあんな姿は絶対に晒さないんだけど……やっぱりヒーラーがこんな事になって動揺してるのかな。それとも、他に考え事があってボーッとしてるとか?
……まさかこの温泉の煙に、頭がバカになる成分とか含まれてないよな?
それもありそうでちょっと怖い。知らない内に体内に脳を弱らせる成分が入って行くとか……想像するだけで寒気がする。でも温泉の傍だから外気温は暑い。汗と冷や汗と暑苦しさと寒気が同時に押し寄せて来るこの不気味さったらないな。
「なあアンタ! 突っ立ってないで湯の中に入っちゃえよ! メッチャ気持ち良いって温泉!」
不意に――――湯の方からそんな声があがる。声質からして俺より上……実年齢よりはちょい下って感じだ。20代後半くらいか?
「いや、俺はもう外に出ますんで」
「えっなんで? 一緒に入んねーの? 良いじゃん入れば。マジ気持ち良いって」
急に俺に話しかけてきたその男は――――周囲のヒーラーとは明らかに纏っているオーラが違っていた。
イケメンだ!
今までファッキウを筆頭に色んなタイプのイケメンと出会って来たけど、その中でもトップのファッキウとかなり良い勝負のイケメンが湯に浸かっている。
髪はかなり長く、色はややキツめの茶色。それを後ろで縛っている。普段からそういう髪型なのか、温泉の中だからなのかは不明。まあかなりのイケメンだからどんな髪型でも似合いそうだ。
色気を感じる点でもファッキウと共通している。ただ彫の深さはファッキウほどじゃない。その代わり、ちょっと少年っぽさも残っていて奇跡的なバランスだ。
……なんつーか、アレだよな。綺麗な女性と知り合いになれるのは当然嬉しいけど、イケメンと知り合うのもちょっと嬉しいんだよな。これどういう理屈なんだろう。
まあ幾らイケメンのお誘いでも、こんな温泉に浸かる勇気は俺にはない。
「お誘いはありがたいですけど、また今度にします」
「えーマジ? ちょっショックなんだけど。温泉に入らない奴とかいる? 嘘でしょ?」
可哀想に。あんなに顔が整ってるのに温泉に頭ヤラれたのか。まあヒーラーなら元からおかしいんだろうけど……
「ねぇどう思う? あり得ないくない?」
「ははは知らねーよ! ダント様必死過ぎ!」
「ちょっと心に余裕持とうぜ王子様~。温泉にでも浸かってよ~」
「いやもう浸かってんだよ!」
「ですよね~!」
やっぱり脳が溶けてんのかこれ……? やり取りに知能を全く感じない。
でも今問題にすべきはそこじゃない。
「王子様……? 今王子様って言いました?」
「ま~ね~! ここにおわす御方、第二王子のアグァンテンダント様だ! つーか見りゃわかるだろこんなヤベェ顔面してるんだからさ~!」
名前も知らないヒーラーのオッサンがケタケタ笑っている。そして、その視線の先にいるイケメンこそが――――第二王子。
「温泉。マジ最高」
……王様がああなってた時点で想定内ではあるけれども。
王子まで温泉狂いになってしまっていた!
まあでも、今までも壊れてしまったイケメンを何度か見てきたからか、そこまでの違和感はない。というかイケメンは多少イカれてるくらいが輝く気はする。
けどなあ……この人、ルウェリアさんの兄貴なんだよな? ルウェリアさん王女だし。ちょっと中性的というか女性っぽい顔立ちで、ルウェリアさんと少しだけ似てもいる。
そんな奴がブッ壊れている姿は正直あんまり見たくなかった。奇妙な感情だと自分でも思うけど、なんというか……ルウェリアさんの肉親はまともであって欲しかった。なんか聖域を汚されたみたいで萎える。
多分、他の温泉にも王子がいるよな。その度にこの何とも言えない気持ちになるのかと思うとウンザリするな。
けど……もしかしたら一人くらいはまともな精神状態を保っている王子がいるかもしれない。ルウェリアさんの肉親なんだから、元々はちゃんとした人だと思うんだよな。
人間、例えどんな事でも目標があると活力が湧いてくる。正直、今回のヒーラー温泉の件はそれが全く見えて来なかったから全然気持ちが奮い立ってこなかったけど、ようやく一つ見つかった。
話の通じる王族を見つけて、ルウェリアさんの子供時代の話を聞く。
きっと心が浄化するに違いない。我ながら良い目の付け所だ。取り敢えず、第二王子はダメそうだから残りは四人だな。
そろそろ女湯での検査も終わった筈。先に外に出て待っていよう。
「待てよ。マジ入んねぇの? なんで? なんでなんだよ!」
命令に従わない事への苛立ち……って感じじゃなく、心の底から温泉を愛し、そんな温泉に関心を示さない俺が信じられないって顔と声色。
そんな終わってしまった第二王子に答えるべき言葉は何もなく、俺は罵声を背中で浴びながら無言で浴場を後にした。
――――で、その後。
「……わかってはいた。わかってはいたんだ……けど……おぉ……もう……」
一通り全ての温泉を検査し終えた結果、成分は全て同じと判明。そして王子は五人全員が重度の温泉依存になっていた。
ルウェリアさんの子供時代の話を聞く事は叶わず……無念。
「すーっ。すーっ」
流石に疲れたのか、パトリシエさんは帰りの馬車で熟睡中。あのギルド内の惨状や下着姿からは想像できないくらい、仕事に関しては真面目な人だった。
「真面目だからこそ、断れずにいたのよね。来る依頼を全て受けてしまうの」
そんなパトリシエさんの傾いた頭に肩を貸し、ティシエラは複雑な表情でそう呟く。旧知の仲なのはギルドでのやり取りでわかっていたけど、思った以上に関係が深そうだ。
「パトリシエさんとは長いの?」
「そうでもないけど……いえ、そうね。グランドパーティ時代からの付き合いだから、それなりにはね」
ティシエラは決して多くを語らない。過去も、未来も。ただ今だけを切々と積み上げている。
それが、少し――――歯痒かった。
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