第359話 キチゲ解放





「――――……」


 夢を見たような記憶があって、だけど内容を全然覚えていない時、それを惜しいと思うかどうでも良いと感じるかは『起きた直後の感覚』で決まる。


 例えば爽やかな気分で目覚めた時は、恐らくハッピーな夢だったんだろう。その感覚が残っているから目覚めも良い。逆に起きた瞬間からもう心が重い時はまず間違いなく悪夢だ。


 一度忘れた夢を思い出す事なんてない。だから検証は出来ないし、ほぼ無意味な考証。だけど、こう思う事は出来る。


『良い夢だったらその余韻に浸れるだけで十分だし、悪夢だったら忘れて逆にラッキー』


 要するに、どっちでもプラスに捉えられるっていうポジティブ思考だ。だからいちいち引きずる必要はない。例え見たのが悪夢だったとしても。


「……はぁ」


 溜息を一つ落とし、それでも晴れない気持ちを半ば引きずるようにして、棺桶から這い出る。


 思い出したくないのは悪夢の内容だけじゃない。


 本日の予定もまた滅入る。気が。またあの異常な場所へ行ってヒーラーと関わらなきゃいけないって思うだけでウンザリする。


 でも仕方ない。関わった以上は……


 いや違う。


 この街を守る為にも、嫌な事からは逃げ出せない。


 アインシュレイル城下町ギルドは、そういうギルドなんだから。


 ま、でも――――


「ぃぃぃぃぃ嫌だああああああああああああ!! 行きたくねええええええええええ!! 行きたくないよおおおおおおおおおおおお!! もおおおおおおおおおおおおおおお!! なんでいっつもいっつも面倒事ばっかあああああああのクソヒーラーどもはあああああああああああああアアアアアアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!! ファック!!!! ファーーーーーーーーーーーーーーーック!!!!!」


 はいキチゲ解放終わり。行ってきまーす。





「……なんかもう、世も末だな」


 当初は俺達の報告に半信半疑で半笑いを浮かべていたバングッフさんとロハネルも、現地視察に訪れた瞬間にその考えを改めたらしく、浴場でヒーラーの変貌ぶりを目の当たりにしてからずっと立ち眩みに耐えるかのように下を向いていた。


「勝手に出ていって建国までしたヒーラー軍団が郊外の温泉にドハマリしてアヘ顔入浴ピースを晒してくるなんて……誰が想像できるってんだよ」


「現実は現実よ。受け止めるしかないでしょう?」


 苦しげにそう告げるティシエラに、二人は特に返答もしない。ヒーラー共が回復魔法をディスりまくって温泉に入り浸っている現状をまだ受け止めきれていないらしい。そりゃそうだ。俺だって最初アレを見た時は余りの違和感に目眩がした。


「で、それとは別に……貴方に話を聞かせて貰いたいの」


 ティシエラのその発言と同時に、全員の目が一人の人物に向けられる。


 ラヴィヴィオの元四天王、そして現五大ギルドの一角を担うヒーラーギルド【チマメ組】の一員――――マイザー。


「……」


 そのマイザーはずっと腕組みをしながら、珍しく神妙な顔つきで浴場から視察を終え出て来た。


「どういう事態なのか、説明できる?」


 この場にいる誰よりもヒーラーの生態を知っているマイザーの返答は――――



「わかる訳ねぇだろ。温泉なんぞが回復魔法の代わりになるか。全員イカれちまったとしか思えねぇよ」



 ……ですよね。あらヤダ不思議。マイザーが常識人に見えちゃう。ゲインロス効果ってやつ?


「貴方たちはどう?」


 今度はメデオと元ギルマスのハウクが浴場から出て来た。どちらも死んだ目をして絶望に浸っている。なんか口元でブツブツ呟いているけど聞こえない。仲間の変わり果てた姿に精神をやられてしまったらしい。ヒーラーにも精神ってあったんだな。


「わざわざ仮釈放してまで連れてきたけど、どうやらダメみたいね。だったら……」


「うっひょひょヒョヒョーーーーーーーー!! 今日も温泉サイコーーーーーデーーース!!」


 今後の方針について何か言おうとしたティシエラを、前方から凄まじい勢いですれ違って行ったヒーラーの大声が遮る。


 っていうか、今のって……


「お、おい! お前……!」


「あン? なんデスかこれから温泉入るのにジャマしないで欲しいデス!」


 やっぱり間違いない。俺が借金したあのヒーラーじゃん! こいつもここにいたのか!


「いや、借金の件なんだけど……」


「は? 借金? 借金……アーーーーーわかった! オマエ、前にヒーリングプレミアムで回復してヤった奴!」


 脱衣所でもないのに既に衣服を脱ぎそうな勢いで入浴体勢を整えていたヒーラーは、ようやく俺に気付いたらしくビシッと指差してきた。つーか勝手に回復しておいて『してヤった』はねーだろ。

  

「アレもーーーいーーーヤ! 回復魔法とかもう全然興味ないデスから! 返済とかイラネ!」


「……へ?」


「もうイイ? イイデスよね? ンじゃバイバイ! ファッフーーーーー温泉おんせーーーーん!!」


 かつて電光石火の勢いで俺に回復料を請求したヒーラーは、電光石火の勢いで借金をなかった事にして浴場へ消えていった。


 これって……借金完済じゃなくて借金全額免除だよな? って事は、今まで溜めた返済用のお金を丸々残して良いって事?


 だとしたら、こんなありがたい話はない。今後のギルドの運営費に回せるしギルド員にボーナスも支給できる。ギルドの設備も充実させる事が出来る。良い事尽くめだ。


 だけど。


「……」


 なんだ? この釈然としない感じは。この数ヶ月間頑張って来た苦労が報われる瞬間を……カタルシスの爆発を取り上げられたようなこの虚しさは。あれだけ苦労したのに、こんなヌルッとした感じのゴールって……


「良くわからないけど、これで借金はなくなったのよね? おめでとう」


 そんな複雑な心情の俺に、ティシエラが祝いの言葉をくれる。いや、今はそれに笑顔で応えられる気分じゃ……


「おめでとう」

「おめでとう」


 更にバングッフさんとロハネルも乗っかってきた。いや、だから……


「おめでとう」

「おめでとう」

「おめでとう」


 街から連れて来たヒーラー共まで! つーか目が死んだまま祝うなよ気色悪いな!


「めでたいなぁ」

「おめでとさん」

「クルック」

「クルック」

「クルック」

「おめでとう」

「おめでとう」

「おめでとう」


 また増えた! 温泉に入りに来ていたヒーラー連中や王族、それにモンスターもかよ……つーかお前ら絶対事情わかってないだろ!


 何なの、このフラッシュモブみたいな現象。温泉でハイになってるから謎の連帯感が生まれたの?


 こっちが眉間を指で揉んでいる間にも、今度は寒々しい拍手の音が辺りを包む。それさえも温泉の熱気がいとも容易く吹き飛ばしていき、俺の周辺にだけ異常な空気が取り残されていった。


 こ、この状況でありがとうって言いたくねぇ……


 コイツ等に俺のいた世界の知識なんてある訳ないし、そういう"フリ"じゃないのは理解している。それでもなんか嫌だ。俺の心だけがヒエヒエになりそうだ。


 でも、言わなきゃ拍手が鳴り止みそうにない。だったら覚悟を決めるしかないか……


「ありがとう」


 満面の笑みでそう応えた結果――――特に誰も何も言わず変な感じの空気が漂い、やがてギャラリー達は散り散りになっていった。


 でしょうね! 素人のフラッシュモブって大抵グダグダになるもんな! 話した事もない親戚の結婚式で大学時代のサークル仲間がやってたの見たけどその時の空気とそっくりだよクソが! 


「……なんか御免なさい。悪気はなかったんだけど」


 そして何故か俺以上にティシエラが赤面していた。予想もしていなかった波及効果に恥ずかしくなったらしい。とんだグロ歴史が生まれたけど、このティシエラの羞恥顔が見られたからまあ良いとしよう。


「それでティシエラ、さっき話の途中だったけど」


「そうね。元ラヴィヴィオの面々でも理解が追い付かないとわかった以上、私達で憶測を膨らませても真実に辿り着くのは困難よ。出来るだけ客観的な情報を集めましょう」


「情報?」


「温泉水の水質検査よ」


 ティシエラの至極真っ当な意見に、バングッフさん達は感心したような表情で相槌を打つ。嫌な脱線もあったけど、ようやく話が前に進みそうだ。


「確かに、ヒーラーの異常性を無視して状況だけをシンプルに捉えたら、温泉に何か中毒性の高い成分が含まれてるって考えるのが妥当だよな」


「となると、鑑定ギルドに頼むべきじゃあないか?」


 職人ギルドの長であるロハネルにとって、鑑定ギルドは身近な存在。彼がその名前を出したのは当然の成り行きだ。


 アインシュレイル城下町には俺達や五大ギルド以外にも数多くのギルドが存在している。ギルドってのは要するに職業単位の組合だからな。農業、漁業、林業、鉱業、建設業、織物業、運送業、飲食業、宿泊業……ありとあらゆる業種にとって必要な組織だ。


 ただし、例えばホテルギルドみたいなのは存在しない。元いた世界には全国のホテルや旅館が加盟する協同組合なんてのもあったけど、この世界の場合は商業ギルドがその役割を担っている。農業、漁業など飲食に関わる職業も同様。林業、鉱業、建設業あたりは職人ギルドが担っている。


 だけど中には、五大ギルドのような大きな組織からは独立して、自分達だけで運営している中小規模のギルドも少なくない。鑑定ギルドもその中の一つだ。


 鑑定ギルドは、文字通りあらゆるジャンルの鑑定士に仕事を割り当てるギルド。調査や検査もこの範疇に含まれる。


 ただし、戦闘の伴う調査の場合は冒険者ギルドに依頼が行く。鑑定ギルドはあくまで鑑定専門であって、モンスター退治はその範疇に含まれない。だから活動範囲は必然的に街中がメインとなる。


 今回は城下町から離れた場所に位置している温泉村。それでも高い専門性を有する調査が必要って事で、鑑定ギルドに白羽の矢が立った訳だ。


「私も賛成よ。それで、誰が依頼しに行くの?」


「……」

「……」


 え、何でそこで黙るん? 普通に職人ギルドのロハネルが行くんじゃダメなのか?


「ま、僕が行くべきなんだろうね。本来は」


「だったら普通に行けば良いんじゃ……」


「君はあのギルドの実状を知らないから軽々しくそう言えるんだ。一筋縄ではね、中々いかない相手なんだよ。あのギルドは」


 随分と嫌そうだ。まさかまた変人枠か? 魔王城の近くの街まで来る連中って、頭のネジが100本くらい抜けてる奴多いもんな。


「でもヒーラーよりはマシなんでしょ?」


「単純比較は出来ないね。迷惑なのは間違いなくヒーラーの方だが……抱えるリスクは良い勝負かもしれない」


 え、マジかよ。ヒーラーとタメ張るレベルの奇人軍団がまだいるってのか? 底知れねぇなアインシュレイル城下町。


「大袈裟に言い過ぎよ。少なくともあんな支離滅裂とした集団じゃないわ」


 傍にマイザー達がいるにも拘らず、ティシエラは平然とそう言い放つ。でも特に反論はなかった。連中もそれどころじゃないらしい。


「そりゃあ、君は女だからな。不快感はあってもせいぜいそれくらいだ。でも僕たち男は違う。社会的に殺されかねない」


 ……えらく物騒だな。身辺調査とかされるのか?


「ま、確かにな。特に俺やロハネルくらいの年齢だと色々とな……」


 バングッフさんが腕組みしながら遠い目で空を見上げる。つられて見ると、雨雲が幾つも漂っているのが見えた。天気予報なんてない世界だけど、もうすぐ一雨来るのは馬鹿でもわかる。


「頼むティシエラ。ここはアンタに行って貰えないかい?」


「……仕方ないわね。ただし、貸し一つよ」


「抜け目ないね。まあ、それで良いよ。鑑定ギルドと絡むよりはアンタ達に借りを作る方がマシだろうしな」


 今の会話だけでは鑑定ギルドがどんな問題を抱えているのか良くわからなかった。ま、俺には関係ない話だけど……


「トモ。貴方にも一緒に来て貰うわ」


「……は? なんで俺? っていうかティシエラ自ら行く必要なくねーか? ギルド員を育てる為に仕事を割り振るのもギルドマスターの務めだろ?」


「現状までの流れを把握している人間が行く方が、説明もスムーズでしょう? 私だって何もかも自分でやるつもりはないわ。でも今回は育成を考える余裕はないの」


 確かに……緊急を要するとは思えないけど、かといってヒーラー案件である以上は油断できない。奴等、ちょっと目を離した隙に王城占拠とかやらかす連中だからな……


「ま、良いじゃねーか。こういう機会にティシエラに恩売っとけばよ、いざ口説く時に成功率も上がるってなもんだろ?」


「馬鹿じゃないの?」


 ティシエラのゴミを見るような目がバングッフさんを襲う!


 まあ口説く云々はともかく、ティシエラに頼まれれば嫌とは言えないよな。交易祭の時も随分と助けて貰ったし。


「わかった。行く」


「……そう」


 何故かティシエラは俺の返事に対して素っ気なかった。まさか本気で口説かれるとか思ってないよな……


「いいねえ青春だね羨ましいね。若いってなぁ特権だよな。オジさんにゃ眩し過ぎらぁ」


「バングッフさんだってまだまだ若いじゃないですか。精神的に」


「それ暗にこの前の誕生日サプライズの件ディスってんだろ! 聖噴水に顔突っ込ませて窒息死させんぞガキが!」


 さすが反社会勢力ギルド。セクハラだの脅迫だの、語彙のバイアスが酷過ぎる。


「それじゃあティシエラ、宜しく頼む。それと新入り……いや、もう新入りでもないか。トモ」


「はい」


「何があっても気をしっかり持ちたまえよ。君にはこれからも、この街で生き続けて貰いたいからな」


 随分と仰々しい助言を、ロハネルは終始真顔で告げてきた。


 どうやら、今回も一筋縄ではいかないらしい。


 今度は一体、どんな種類の面倒事なんだか――――





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