第357話 終始何なん?
警戒しながら入った宿のエントランスは――――
「……誰もいないな」
ティシエラに続いて宿に入ったウィスがそう呟いた通り、人の気配がまるでない。本来なら女将さんあたりが出迎えるべき状況なのに。いよいよ不気味さが増して来たな。
「こりゃ、幽霊でも出て来そうだ」
「……ウィス?」
「あ。いや冗談冗談。トモをビビらせてやろうかなって思ってさ。他意はないんだ」
何故俺をビビらせる必要があったのかは謎だけど、ティシエラに凄い形相で睨まれたウィスは半笑いで身体を小さくしていた。
今のやり取りでわかった事が二つある。一つはウィスが迂闊な奴って事。そしてもう一つは……
「ティシエラ、もしかして幽霊が苦手?」
「は? 何言ってるの? そんな存在自体が不確かなものを私が怖がる理由が何処にあるの?」
やっぱり苦手なんだな……ちょっと意外かも。蘇生魔法もあるこの世界で、幽霊ってそんな不気味に思われるものなんだ。まあ、なまじ生き返る術があるからこそ、より不気味な存在なのかもしれない。
「幽霊はともかくとして、ここで待ってても仕方ないよな。奧に行って温泉を確認しよう」
ティシエラの方を見もせずにウィスはそそくさと走っていった。
「ティシエラって最年少だったんだよな? グランドパーティの」
「……そうね。私が一番年下だったわ。今のは確かに、その時の名残と言われても仕方ないわね」
俺の発言の真意を即座に見抜いて、先回りの溜息一つ。どうやら精神状態は問題ないらしい。いつもの頼もしいティシエラだ。
「彼なりに、私の緊張を解そうとしたんでしょうね。もうあの頃の私じゃないのに」
「昔は大分過保護にされてたみたいだな」
「……ええ」
予想していた反応とは少し違っていたけど、そのティシエラの返事でグランドパーティの雰囲気が大分わかった気がした。
メチャクチャ仲が良いって訳じゃないけど、相互理解は行き届いている。結構しっかりとした信頼関係を築いていたのが伝わってくる。
その中でティシエラは末っ子ポジションだったんだろう。今のティシエラからは想像もつかないけど、そういう時代もあったんだな。
「私達も行きましょう」
「ああ」
謎目線で感慨に耽ってる場合じゃない。真相を確かめないと。
断りもなく宿に入る事への罪悪感は、正直全くない。でも人気のない温泉宿の不気味さはどうしても感じてしまう。
生前の温泉宿とは当然全く違っていて、当然エレベーターなんてものはないし、建物自体が素朴だ。それでも絨毯は高級そうだし、所々置いている美術品にも気品を感じる。ますますヒーラーの建てた建物とは思えない。あいつらにこんなセンスは絶対ないもんな。
そんな悪態を心の中でついている内に――――温泉の手前にある脱衣所に到着した。
入り口は男湯と女湯に分かれているけど、今は関係ない。手前の男湯の方から中へ……
「……」
「いや、なんで遠回りするんだよ」
「わ、わかってるわよ。でも何となく入り難いの」
そう言い残し、ティシエラはわざわざ女湯の方へパタパタと向かって行った。
まあ、別に良いけど……あのバカデカい鳩がこの奧にいるのなら、男湯女湯どっちだろうと関係なくわかるだろうし。
にしても、温泉なあ。借金完済のお祝いにギルド員みんなで温泉旅行、なんてのも悪くないよな。中年多いし喜んで貰えそうだ。何処かまともな温泉があれば――――
「おっ。来たか」
ん?
今の声は……ベルドラックか。一足先にここへ来てたんだな。
っていうか……
「何で脱いでんの……?」
「そりゃ脱衣所だからな。温泉ってのは全裸で入るもんだ」
えぇぇ……笑顔で何言ってんだ? この人ってこんなんだったの? なんかイメージと全然違う……身体のゴツさとアレは想像通りだけど。
「ベルドは昔からこういう奴だよ。良くも悪くも融通が利かない。緊急時だろうと温泉に服を着て入るのは納得できないんだと」
あ、ウィスもいる。幸いこっちは普通に服着てた。
「一応フォローしておくと、こいつはモンスターがここへ来ている事を俺らが来るまで知らなかったからな。人がいないか確認しようとする為に脱いだってだけだ」
そうか。確かに鳩の事は知らなくても不思議じゃない。遭遇したあの場にはベルドラックはいなかったんだし。
にしたって、人がいるかどうかの確認だろうと別に脱ぐ必要はないだろ……まさかティシエラ、この状況を見越して女湯の方から入ったんだろうか。相互理解が行き届き過ぎだろ。
「ティシエラは?」
「女湯。もう先に中に入ってるかも」
「了解。俺達も入るとしよう」
ウィスの言葉にベルドラックは小声で『おう』とだけ呟き、武器も持たずに脱衣所を抜け温泉の方へと入って行った。
表情は引き締まっている。いつもの張り詰めたベルドラックだ。それだけに全裸なのがシュール過ぎて笑いそうになるけど……笑ってる場合じゃない。俺も続こう。
外からは確認できなかったけど、どうやら内湯はなく全て露天風呂らしい。
一体、中はどんな状況になっているのか――――
「良い湯だな!! グハハハハハハハハハ!!」
……入った瞬間、目眩がした。
「ま! ま! 一杯! う~~~~~~~ん! 今日も温泉は最高だぜぇ!」
「実に! いや実に! この全身に染み渡る多幸感、たまりませんなぁ!」
「もう回復魔法なんてオワコンですわ! これからは湯治の時代ですわ!」
凄まじく広い露天風呂に、十数人の野郎どもが腑抜け顔で浸かっている。
その口振りから察するに、全員が男性ヒーラー。
何と言うか……どいつもこいつも溶けてなくなりそうなくらい弛みきったツラだ。
「これは一体……何なの?」
やっぱりティシエラは先に入っていたらしい。湯に浸かり気持ち良さそうにリラックスしている連中を目の当りにして、作画崩壊レベルで愕然としている。
気持ちはわかる。正直意味がわからない。
「なあ! 回復魔法って……ブフッ! どうして俺ら今まであんなのにこだわってたんだろな!」
「だよな! 別に気持ち良くもねぇしさぁ! なんか一瞬パァってなってすぐ終わりだし!」
「その点、湯治は最高だな! こんな至福の時間が永遠に続くんだぜ!? もう入ってるだけで連続でイッちまうなぁ!」
……温泉が気持ち良すぎてヒーラーが回復魔法を全否定しとる!
嘘だろ? そんな事ってある? 俺達は何を見せられてるんだ……?
流石のベルドラックとウィスも呆然としてるな。そりゃ、こんな事態を想定できる訳ないから当然だけど。
「……ベルド。これはどういう事なんだ?」
「俺に聞くな。別にヒーラーの生態に詳しい訳じゃねぇんだ」
「そうは言っても、元ヒーラーだろ? 俺達よりはこの状況を理解して――――」
……今なんつった?
「元……ヒーラー……?」
「ん? ああ、そうか。トモは知らないんだな。こいつは元々ヒーラーの出身なんだ」
マジかよ!? ベルドラックってそうなの!? ヒーラーから冒険者に転職したって事!?
「……昔の話だ」
いやそりゃそうかもしれないけど! それにヒーラーって割と筋肉質の奴多いけども!
この堅物が元ヒーラー……? とても想像できない。ってか意味わかんない。
「えっと……って事は、街中で回復させろーっつってヒャッハーしてたの?」
「してねぇよ。ラヴィヴィオのヒーラーが全員あんなだった訳じゃねぇ」
いやいやいや……そんなふうに言われても、こっちは変態以外のヒーラーなんて知らないし。寧ろ変態の語源がヒーラーだろ? 幾ら何事にも例外があるっつっても限度がある。
「けど、まぁ……訳わからねぇ事が起きてるのは確かだ。ここにいる連中は間違いなくヒーラーだし、本来ヒーラーが回復魔法を否定するなんて天変地異が起きてもあり得ねぇ」
「確かに……な」
いや急にシリアスモードに突入されてもね、こっちはついていけないんですわ。ベルドラック元ヒーラー事件で頭がいっぱいなんスよ。やたら顔から汗が滲んでくるけど、割合的には冷や汗の方が多いかもしれない。
「ティシエラ、ティシエラ」
助けを乞うように、ティシエラに呼びかける。そのティシエラもまだ状況を受け入れられていないらしく、随分とぎこちない首の動き方でこっちを見てきた。
「ベルドラックが元ヒーラーって本当なん?」
「……ええ。事実よ」
うわぁマジだったのか……なんかダルぅ……
あ、そうか。だから周囲から妙に嫌われていたり距離を置かれていたりしたのか。元ヒーラーって肩書きが知れ渡っている以上、仲良くするのは無理だもんな。いつ豹変するかわかったもんじゃない。
「私達も別に差別するつもりはないのよ。実際、パーティを組んでいた訳だし、一時は苦楽を共にした仲間だから。でも……ヒーラーだった過去を肯定するのは、端的に言って神に唾を吐く行為でしょ?」
真顔でそんな事言われてもな。正直、あの神サマになら割と吐けそうな気もするし。
「それよりも、目の前の光景が問題よ。ここにいる連中はラヴィヴィオのヒーラーで間違いないわ。当然、例外なく回復魔法狂いの連中よ」
「だよな……」
俺もそこまでヒーラーと長く関わった訳じゃないけど、この温泉にいる何人かは城下町で見かけた事がある。王城の襲撃には参加していなかった連中だ。
「あハァァァァ……内臓まで染み渡るぅふぅ……湯治たまんねぇワぁ……どうして俺は回復魔法なんて下らないものに入れ込んでいたんだ……」
いやおかしいって。あの狂信者共がたかだか温泉に浸かっただけでこうも考えを変えるか? 洗脳なんてレベルじゃねーぞ。完全に脳が破壊されているとしか思えない。
まさか、この温泉が原因なのか? 何かとんでもない成分が含まれているとか……
「クルックゥゥゥゥゥ」「クルッポーーーー」「ポウワァァァァァァ」
遠くの方で、あの三つ頭の鳩モンスターが気持ち良さそうにお湯に浸かっているのが見えた。でも今はどうでも良い。それよりヒーラーだ。
「……どうする? 精霊を召喚して、お湯に浸からせてみるか?」
「そんな非人道的な事をしたら、精霊界から永久追放されるんじゃないの?」
「違ぇねぇ。やめとけ。一旦戻って五大ギルド会議で対策練って調査隊でも組んだ方が良いだろ」
世界最高の実力者が集ったグランドパーティの面々が揃って為す術ないという異常事態。実際、俺もこんなヤバそうな温泉に入るなんてとても出来ない。なんか一瞬で骨になりそう。
ヒーラーの人格をも破壊する温泉か……
待てよ。
記録子さんが言ってたヒーラー国の壊滅って、もしかして……ヒーラーが回復魔法への盲信を捨てた事によるアイデンティティの崩壊を意味していたのか?
だとしたら記録子さんを探せば……
いや、あの人って基本神出鬼没だもんな。こっちから探しても見つかる気がしない。
つーか、それより――――
「あいつらって、俺達が入って来たのを認識してるのかな。さっきからリアクション全くないけど」
「言われてみればそうね。反応がなさ過ぎるわ」
俺もティシエラも、本来なら入って10秒で不審に思うべき事にさえ全く気が回っていなかった。余りにも異常な状況に頭が混乱しっぱなしだ。
「だとしたら、洗脳状態の可能性が高い――――」
「見えてるし聞こえてるよー」
げっ! 急に会話に入ってきやがった! 怖っ!
「別にアンタらが何者だろうと、どうでも良いさ。温泉を否定しないのなら歓迎するぜ」
「ここは温泉郷【ヒーラーの湯】。古傷の痛みや精神的な摩耗、なんなら世界に嫌気が差して絶望中の奴だって一瞬で解決さ」
「我々人類は新たなステージに突入した。湯だ。この世は湯さえあれば良い。湯は世界を救う。魔王だってここに浸かれば一発だ。なあ国王サン」
「そらそうよ」
……。
え?
「な、なあ。今誰か国王っつったよな。それってヒーラー国の国王……アイザックの後釜って事?」
「アイザック? えらい懐かしい名前やんか。確かにワシ、あの男に王座譲ったなあ。だから正確には元国王やね。愛称として定着しとってなあ、紛らわしくてスマンスマン」
言動が軽い……! 外見は厳格そうな初老のオヤジなのに、温泉でトロけきってやがる……!
「いや、そういう事を言ってるんじゃなくてですね……え? 貴方って失踪していたレインカルナティオの国王様なんですか?」
「せや。ワシはレインカルナティオ64代目の国王、オーエンハーディンバーグっつーんよ」
うわぁ……もうダメだ。訳わからな過ぎて副鼻腔がツーンってしてきた。
国王って事は、ルウェリアさんの実の父親……なんだよな? なんで王城をガラガラにしてこんな所にいんの?
「えっと……」
「ええ。間違いないわ」
確認しようとティシエラを見た瞬間、生気のない声が返ってきた。どうやら事実らしい。
ずっと行方不明だった国王が、こんな所にいた。
「王子達もおるよ。皆それぞれ別の湯に浸かっとるけどな」
「あいつらも好みがうるさいからなー。たまには子供達に背中を流して欲しいんじゃないのかい? 国王サンよぉ」
「そらなあ。けど浸かってるだけで大満足なんよ」
王子達もいるのかよ。つーか温泉ってそんなにあんの? 確かに湯気は結構たくさん上ってたけど……
「オゥイェヘェー良い湯だなアハァーン! たまらん! 温泉たまらん! ワシもうずっとここにいて良い? 今日ここで寝ても良い?」
「いいともぉーーーーーーーーッ!!」
「クルッポーーーーーーーーーーー」
……何なんだこのやり取りは。国王が何言ってんの? 国王と国民とモンスターが一緒に温泉に浸かって意気投合って……異文化交流ってこういう事なの?
っていうか、終始何なん?
「取り敢えず……一旦戻るか」
ウィスのその言葉に、誰一人応える者はいない。
ただ静かに、そのカオス極まる情景に背を向け、無言のまま帰宅の途に就いた。
魔王城最寄りの国『レインカルナティオ』にて――――
アインシュレイル城下町を震撼させた変態ヒーラー軍団『ラヴィヴィオ』を中心に結成された『ヒーラー国(仮)』――――
"壊滅"
ドン!!
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
第四部完! ここまでお読み頂きありがとうございました。
第五部『ドキドキ湯けむり大事件! 邪怨霧攻略直前に起こった惨劇! 湯治中に突如として消えた花嫁! トリックは瞬間移動!? なんと密室も!? 死んだと思われた彼が実は生きていて……! 全てを堕落させる温泉に一体なんの成分が!? 全ての謎を一晩で解決する伝説の名探偵が、ささやき女将と夢の対決! この盛りのついたメス猫が!』に続きます!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます