第351話 貴女が好きなの。コレット
頭に浮かんだ両親の顔はどっちも鮮明で、曖昧さはない。それは少しホッとした。
だけど、どっちも10年以上前の顔だ。今は多分、この記憶の中の二人とは違っているんだろうし、それを確かめる術はない。
大事な人達との絆は捨てちゃダメ――――確かにそうなんだろう。失った事で余計にそう思う。
だけど、諦める事は難しくない。そして一度諦めたら、後はもう……思い出だけだ。
後悔はした。もっと親孝行したかったし、それは今も引きずっている。でも俺はシキさんみたいにはなれない。自分を育ててくれた人達の愛情にいつまでも寄り添えるほど人間が出来ちゃいない。
それに、過去の自分を懺悔する時間は殆どなくなってしまった。今の生活が大変だし、大事だから。
何も残せずいなくなってしまったのは本当に申し訳なく思ってる。
そして、こうも思う。
俺の事なんてとっとと忘れて……普通の生活に戻っていて欲しい。
父さんも。母さんも。
あんまり夫婦仲は良くなかった。悪くもなかったけど、決して良いとは言えなかった。たまに大きなケンカもして、離婚届が宙を舞う事もあった。
大学を卒業してからどうだったのかは全く知らない。音信不通はお互い様だった。だから俺の両親に対する感情もイメージも大学合格の瞬間で止まってしまっている。
これから俺が何を成し遂げようとも、親に喜んで貰う術はない。
産んで良かった。育てて良かった。
そう思って貰う機会は二度と訪れない。
「良いんだよ。それで」
不意に、舞台上から発せられた台詞がシンクロして思わず顔を上げた。
どうやら人間――――ロックの主張が始まったらしい。
「親も友達も大事な人達だ。でも俺は自分で選んだんだ、どっちがより大切かを。俺にとって一番必要なのはムーシューなんだ。一緒にいられるのなら、他の全てを捨て去っても良い。それが俺の夢なんだ」
「……どうして……そんな……ウチなんかに……」
「どうしてだろうな。当たり前過ぎて、もうわからないや」
ムーシュー役の女優は、見事な演技力で最後まで大粒の涙を流し続けた。
そして、恋の決着がつかないまま幕は下ろされる。恋愛版俺たたエンドだ。
いや結局誰と結ばれるかわからないままかよ! それ恋愛ドラマで一番やっちゃいけないやつ!
……とツッコみたいところだったけど、どうもそういう空気じゃない。会場中が物語に引き込まれていたらしく、自然と拍手が沸き起こってきた。
正直、そこまで入れ込むほどのストーリーじゃないだろ……なんだろうな。自分が関わっているコンテンツが評価されているのに、この微妙にスッキリしない感じは。あんまり乗り気じゃなく始めた連載が大ヒットしてしまって、スゲー複雑な気分の漫画家や小説家みたいだ。そんな経験ないけど。
とはいえ役者達の演技は素晴らしかった。舞台ならではの大袈裟な言い回しをしながらも、要所要所では声量や仕草を抑えていた。顔の向きを上手く使って観客の視線を誘導したり、マイクもないのに息遣いさえ聞こえてくるような声を出したり……この三日間で劇的に良くなった気がする。
まさか、あの暗黒武器の呪いの騒動で覚醒したんだろうか……?
そんな事を考えている間に、物語のラストを飾るエンディングテーマが流れ始めた。
シャンドレーゼ交響楽団が演奏するその曲は、音数を最小限に抑えて奏でるバラード調の曲。主旋律と副旋律が絡み合い、時に入れ替わる。まるで、ヒロインを巡って争う男達の取っ組み合いのような激しさを、美しい音色で表現している。
これは問答無用で素晴らしいエンディングだ。オチの微妙さを補って余りある感動のラスト。エンドロールの映像が欲しいくらいだ。
曲が終わると、観客が一気に立ち上がってスタンディングオベーションが始まる。
さっきまでは微妙な気持ちだったけど……なんか感無量だ。この瞬間を作り上げる為に俺も結構頑張って来たからかな。報われた気分だ。
「……」
コレットもちょっと感極まっているのか、目が潤んでいる。
シキさんは……特にそういうのはない。いつも通りの顔で、何も言わずに見守っている。
なんつーか、性格出てるなー。
「ね、トモ」
「ん? なんだ?」
「トモはさ、夢って努力すれば絶対に叶うと思う?」
……言葉自体はコレットらしく、何処か幼さを感じさせる内容。劇に感化されている事も含めて。
でも――――そう呟いた表情は、不思議なくらい大人びて見えた。
「叶わない事だってあるんじゃないの」
「……へー。そういうタイプなんだ」
「タイプっつーか、そもそも夢って叶うか叶わないか絶対に確定しないから夢なんじゃないの? 叶うまでの道筋が明確にあって、そこをちゃんと進めば叶うっていうのなら、それを夢と呼ぶ必要はない訳で」
それこそ目標でもなんでも良い。夢ってのは曖昧でなくちゃ意味がない。血を吐くくらいの努力をしても、最高に運に恵まれても、最終的に現実にはなり得ない可能性がある。だから夢だ。
「もし絶対叶う夢があるとしたら、それは夢じゃない事を夢と呼んでいるだけに過ぎないと思う」
「あー……なんていうか、トモらしいね」
「隊長って理屈っぽいよね。理論武装して予防線張るタイプだし」
おい。俺をディスって意気投合するな。あとシキさん、いとも容易く俺の本質を抉るんじゃねぇ。泣くぞ。
「っていうかさ、いるだろ? 別に大して難易度高くもない事を大袈裟に『夢』って言葉で飾ってさも凄そうに見せかける奴。まあそれも一種の自己演出っつーか、自己陶酔で自分の力を最大限に発揮しようとしてるのかもしれないけど……」
「ホラ、ちょっと攻撃的な事言った後に別の切り口で予防線張って嫌な奴って思われないようにしてる」
「ホントだ。トモ、カッコ悪ー」
俺の話術を丸裸にするのやめてくれませんかね。俺への理解が深過ぎて照れるんですけど。
「シキさんはどう? 夢は叶う派? 叶わない派?」
「……私は叶えた事が一度もないから」
ない派、って事なんだろうか。相変わらず素っ気ない。なのに俺の事に対してだけやたら饒舌なのはどういう事か聞いてみたい。聞けないけど。蹴られそうだし。
「で、そう言うコレットはどうなんだよ。そもそもお前、夢持ってんの?」
「持ってるよ」
……っと。
消え入りそうな声。どういう感情なんだろうか。
「私の夢はね――――今日を乗り切る事」
……それは、俺がさっき言った事を真っ向から否定するような内容だった。
ただ、『今日』という言葉のニュアンス次第では違う意味になる。今日は交易祭の最終日だから、そこに『今日』を当てはめるのか。それとも普遍的な意味での今日、すなわち『一日一日をしっかり過ごして、それを積み重ねていく事』って意味なのか。
どっちにしても、夢と呼ぶのは違和感がある。
「……なんてねー。はは」
そんな俺の戸惑いを知ってか知らずか、コレットは大人しめに笑った。
「やっぱりギルドマスターなんてやってると、一日を完璧に過ごすのって無理でさー。綱渡りでなんとか乗り切ってる感じなんだよね」
「その気持ちはわかる」
俺もギルマスになりたての時はそんな感じだったし、今も大して変わってない。実際、今日も昨日も散々だったし大変だった。一歩間違えば、ここには戻って来られなかっただろう。まさしく綱渡りだ。俺が見ていないところで、コレットも幾度となく危機を乗り越えてきたんだろうな。
「舞台、終わったみたい」
シキさんの言葉通り、俺達が話し込んでいる間にカーテンコールが終わって、後はもう撤収のみ。
観客は総立ち……ってほどじゃないけど、半分以上が立ち上がったまま拍手を送り続けている。特に女性客はかなりの割合で興奮してるみたいだ。
……本当は、この雰囲気をもう一日早く作りたかった。そうすれば街全体が恋愛ムード一色になって、フレンデリアも――――
「コレット!」
うわビックリした! 急にフレンデリアが下からニュッと生えてきた!
え、どうなってんの……? 床に何か仕掛けあんのかな……劇場だし。っていうか、いつの間に観に来てたんだ?
「とっても感動的な舞台じゃなかった!? 私、もうずっと涙腺緩みっぱなしよ!」
「へ? あ、はい。そうですね」
「やっぱり恋って素敵ね! そう思わない!? 好きな人同士が一緒にいるって大事! そう思わない!?」
「は、はあ」
……なんだこのお嬢様のテンション。これどっちだ?
①本当に感極まって興奮状態になっている。そういうお年頃だからね。
②実際はそうでもないけど告白チャンスだから強引に気持ちを昂ぶらせている。策士ですから。
フレンデリアもどっちかっていうと俺と同じで理屈屋だからな……②の可能性もありそうだ。もう祭りも最終日だし、ここを逃したら二度と告白できないって危機感が一番強いのかもしれない。
ただ、そんなフレンデリアの必死さが気の毒になるほど、コレットの方はピンと来ていない。困惑した顔でフレンデリアの方を見ている。
気付けフレンデリア。今慌てて告白しても、多分無理だぞ。ムードに流されてないし恋愛モードにもなってない。
……あれ? この告白が失敗したら、俺が責任取らされる?
そもそも、交易祭のプロデュース自体がフレンデリアの私情まみれだったし……これが上手くいかなかったら祭り自体が失敗って事になるよな……
このバカ! 状況見て判断しろよ! どうすんだよ見切り発車しやがって!
「……」
案の定、手応えを感じなかったらしくフレンデリアがチラチラとこっちを見てくる。完全にフォロー待ちだ。
期待に応えないと俺への評価がガタ落ちしてしまう。そうなると報酬が満額支給されない。当然、借金も返せない。
なんでこんな急に正念場が……あーもうウダウダ考えてる場合じゃない!
「コレット。お前さっき、今日を乗り切る事が夢だって言ってたよな」
「え? 言ったけど……」
「それはフレンデリア御嬢様も同じなんだ。今回の交易祭、御嬢様が中心になって企画した事は知ってるよな? 暗黒ブームやヒーラー騒動で暗くなった街を恋愛で明るくする。若い世代にウケが悪かった交易祭を魅力的な祭りに変えて未来に残していく。その一心で御嬢様は寝る間も惜しんで準備して来たんだ」
「そ、そうなの……? フレンちゃん様がそこまで全力で取り組んでいらっしゃったなんて……」
よし、良いぞ。取り敢えず流れは変わった。あのままだったら確実に告白→失敗→地獄のフルコースだったからな。
「いつもより落ち着きがないのはその所為だ。今日を……交易祭の最終日を無事に乗り切る。その為だけに、何十日もかけて頑張って来たフレンデリア御嬢様の気持ちをまず汲んでくれないか。一緒に取り組んできた俺にはわかるんだ。今、御嬢様がどれだけの想いで感極まっているのか」
……咄嗟のフォローだから中身がないったらありゃしねぇ。でもこのまま押し切るしかない!
「実はなコレット。それも全て、お前の為だったんだ」
「……私の?」
フレンデリアが顔を赤らめながら小さく頷いた。いやもう半分以上俺が告白してるようなもんじゃんこれ……腹話術師にでもなった気分だ。
「……」
何バカな事やってんの、ってシキさんの視線が痛い。ティシエラのジト目はレアだから割と御褒美なんだけど、シキさんの場合はちょくちょく見かけるからね……まあこの痛みも嫌いじゃないけど。
「あの……どうして私の為に?」
当然、コレットは困惑を更に深めてフレンデリアに問う。
ここからは自分で乗り切れ。あんた俺より賢いから出来るだろ。上手く誤魔化して、日を改めて――――
「……コレット。私、貴女にずっと言いたかった事があるの」
何ィーーーーーーッ!? まさかの告白続行!? 俺のフォローなんだったの!?
やめとけって! 絶対上手くいかない流れだよこれ。恋とはここまで人を視野狭窄に追い込むのか。
仕方ない。こうなったらもう見守るしか――――
「私、貴女の事が好き」
おおおおおおおおおお! 言った言ったフレンデリアが言ったーーーーーーーーっ!
さ、さぁどうなる?
コレットの反応は――――
「……」
あ。キョトンとしてる。
そりゃそうなるよな。多分、フレンデリアを恋愛対象としては見てなかっただろうし。
ただコレットは押しに弱い。ここで戸惑っている間にフレンデリアがあらん限りの情熱をぶつければ、もしかしたらOKする事も……あるのか?
前に一度そうなる事を想像したりもしたけど、あらためて現実味を帯びた今、思う事は……前と一緒だ。友人が百合に目覚める。うん、悪くない。なんかちょっと興奮する。
けど……やっぱり複雑だ。あれだけ俺に懐いていたコレットが、フレンデリアに対して同じように、若しくはそれ以上に甘えるのかと思うと結構モヤる。
俺は果たして、上手くいかないで欲しいんだろうか。それとも上手くいって欲しいのか。自分でもよくわからない。
一つだけ確かなのは、コレットには不幸になって欲しくない。コレットにとって良い方向に行って欲しい。それで仮に借金が返せない事態になったとしてもだ。
……にしても沈黙が長いな。おかげで脳内に随分と長文を浮かべる余裕さえあった。
この沈黙に果たしてフレンデリアは耐えられるのか……
「貴女が好きなの。コレット」
耐えるどころか更に追い打ちだと……!? もう後には引けないって決死の覚悟を感じる。やりおる。やりおるわお嬢。
でも……悲しい哉、コレットの反応は鈍い。
だったらもっと具体的に、どういう所が好きなのか、いつ、どんな理由で恋愛感情を抱いたのか、あと同性に恋した心境とかを語ると良いんじゃないかな。いや良くないけど。
さあ、フレンデリアはどんな判断を下す?
次に何を言う?
「――――家族として」
……へ?
「前にも言ったでしょ? 貴女の事はずっと、家族と同じくらい大事に思ってたって」
日和ったああああああああああああああああああ!!
でも良い判断だフレンデリア! 多分あの雰囲気だとダメだったと思うし、あそこからの逆転劇は無理難題だ。
「だ、だから、ね? そんな貴女に日頃の苦労を忘れて、純粋にお祭りを楽しんで欲しかったの。暗黒ブームを恋愛ムードで吹き飛ばして、明るく楽しくポップに!」
取り敢えず筋は通った……のか? まあ、あんな状態から着地を決める辺りは流石というか……かなり強引ではあったけど。
「そうだったんですね……私何も知らなくて。すみません。せっかく気を遣って貰ったのに」
「いいの、いいの! っていうかね、その喋り方! 私が一番気になってたのはそこ! もう家族同然なんだから、もっとフレンドリーで良いのよ? っていうか、そうしてってずっと言ってるじゃない!」
「で、でも立場的にそんな訳には……」
「私はそうしてくれるのが嬉しいし、今のコレットなら立場的にも不自然じゃない筈よ。だって貴女、もう冒険者の代表じゃない。そんなに立派になったんだから、私にもそれを実感させて?」
成程、上手い。敗戦濃厚だったから、一気に突っ切るのはやめて距離を縮める事に専念した訳か。転生者だけあって柔軟だな。あの体験したら、もうなんでもアリって感じになるもんな。
「……わかりました」
「じゃなくて」
「あ、はい。えっと……うん。わかったよ。フレン……ちゃん」
「!」
フレンデリア的には大収穫だったらしい。わざわざ俺の方に顔を向けて満足げに微笑んでいた。でもすぐに日和った事実を思い出して凹む。その繰返しが五回ほど続いた。
そんなこんなで――――満額支給がほぼ確定した。
「……」
あと、シキさんが終始ドン引きしていた。
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