第349話 しかし俺達は死亡した

 サタナキアは俺に勝てる相手じゃない。それは客観性が伴う純然たる事実かもしれない。


 でも力関係はもはや関係ない。


「ティシエラ、それは間違いだ」


「何がよ」


「この場で奴を仕留められるのは俺だけだ」


 勿論、根拠がない訳じゃない。理屈もそう難しくない。


 奴は必ず、俺に対してのみ手心を加えてくる。結界を発動させない為の手加減攻撃だ。


 そこに勝機がある。さっきも明らかに力加減を間違えてた。ならそのユルい攻撃に合わせて、警棒代わりのこん棒で奴の――――膝を破壊する。


 警備員になる時の研修で、警棒の使い方は一通り習った。出来るだけ的が大きく効果的で避けられ難い箇所を狙うのが定石だ。


 頭部は向こうも警戒してるだろうから避けられやすい。太股や二の腕は脂肪に守られて痛みが半減する。よって効果的な箇所は手首やスネ、そして……膝。


 手は動かしやすい箇所だから、手首も必然的に狙い難い。スネは脚を曲げて回避しやすい。その点、膝は一番固定化される箇所で的にし易い。


 それに、膝さえ破壊できれば自慢のスピードも活かせなくなる。形勢を逆転するには、奴の機動力を奪うのが最大にして唯一の狙い目だ。


 相打ちでも全然良い。例え俺がやられても、あのデタラメなスピードさえ封じれば後はティシエラがなんとかしてくれる。そうすればシキさんも戻って来る。


 ベストとは言えないけど、十分だ。


「……部屋の外から誰か来るよ」


 コレーが歯痒そうに教えてくれる。自分が動けない事に対する苛立ちや無念さが伝わってくる声だ。


「参ったね……ボク達の命運をキミに託さなきゃいけないなんて」


「悪かったな。頼りない契約主で」


「そうだね。キミは弱っちいし実際頼りない。今からやろうとしている事も想像がつくし、きっと勝算は相当薄いと思うよ」


 決戦の前に萎える事言いやがる。


 それでも――――


「……」


「……」


「……」


「いや逆接言えよ! そういう流れだっただろ! 『だけどキミを信じるよ』とかさあ!」


「そんな心にもない事言っても気休めにもならないでしょ?」


 なるよ全然なるよ。そこでちょっと良い感じの言葉のラリーの末に口元だけで軽く笑い合うのが決戦前のお約束じゃないのかよ。せっかく勇気振り絞ってカッコ付けてるんだから察してくれや。


「はぁ……」


 ほらティシエラが呆れて溜息ついちゃったじゃん……台無しだよ緊迫感が。


「立ちなさいコレー。寝ている場合じゃないでしょう?」


「……みたいだね。ま、囮くらいにはなれるかもしれないし」


 あ、ズルくないそれ!? 俺には塩対応だった癖して急にカッコ付けやがって!


「ボクにもプライドはある。人間の捨て石になるなんて屈辱だけど……今回はキミの勇気に免じて、盾役に徹してあげるよ」


「待てコレー。奴は今ファートゥムレラを持ってる。それで斬られたらお前は……」


 精霊界への強制送還じゃ済まない。殺されちまう。


 なのに……どうしてそんなギラギラした目になれるんだ……?


「構わないよ。奴に一泡吹かせる事が出来るなら悪くない。それにね……」


 コレーがゆっくりと立ち上がる。あの俊敏なコレーがこんな動きしか出来ないなんて……ダメージは明らかに深刻だ。


「キミのお陰で、ボクはようやく自分と向き合えた気がするんだ」


 自分――――と言いながら、その視線は一瞬だけ黒サタニキアの方に向いていた。彼女も彼女なりに、心に期するところがあったんだろう。 


「だから……そのお礼をしなきゃね」


 礼を尽くされるような事は何もしてないから、コレーの真意はよくわからない。どっちかってーと迷惑かけたお詫びじゃね? っていうか俺よりカッコ良く戦いに挑もうとしないで。俺の存在感が霞む。


「時間がないから手短に。ボクがグノークスを引き付けるから、ボクごと攻撃すると良いよ。奴の剣じゃなければ致命傷にはならないからね。最悪、覆い被さってでも彼の暴走を食い止めてやるさ」


 ……もしかしたらコレーは、グノークスの正体に気付いているのかもしれない。


 他人……精霊の家庭事情に首を突っ込むつもりはない。だから深く掘り下げないし聞く気もない。


 ただ、貴女の決断と覚悟を尊重したい。


「わかったわ。手加減抜きで攻撃するけど……構わないわね?」


「ありがとう。そうして貰えると嬉しいよ」


 ティシエラも同じ気持ちだったらしい。つい昨日、憎々しい相手として敵対していたのが嘘みたいだ。


 もしかしたら女性同士、何か通じ合うものがあったのかも。俺にはわからないけど。


「さあ、いよいよ来るよ」


 コレーの言葉が聞こえていたかのように、開いた扉の奥に人影が現れる。


「ティシエラ。念の為、俺の近くに」


 奴の事だ。今は悠然と、余裕の足取りでこっちに近付いているけど、そこから急にあのスピードで迫ってくるかもしれない。ティシエラには結界の範囲内……身体が触れるくらい傍にいて貰わないと。



 人影はやがて色と輪郭を帯び――――



 その姿を俺達に晒した。



 ……違う!


 グノークスじゃない! 奴とは明らかに違う姿だ。


 というか、あれは……


「シキ……さん……? シキさんなのか?」


 返事がない。本物のシキさんだったら、俺の呼びかけにすぐ応じる筈。


 って事は、サタナキアがグノークスの身体を捨てて、シキさんに乗り移った……?


 だとしたら、俺を探る為に操っていた肉体は……


 やっぱりシキさん……なのか……?


 嘘だろ……これまで俺と接してきたシキさんは全て、彼女を演じていたサタナキアだったって言うのかよ……


 視界が揺らぐ。とても冷静じゃいられない。こんな絶望感、死んだ時以来……それ以上かもしれない。


 ダメだ。ティシエラの足を引っ張る事だけはしちゃいけない。精神を立て直すんだ。

 


 だけど……心が奮い立たない。



 奴は――――サタナキアはずっと、俺の心を折る為に入念に準備してきたんだ。この瞬間を演出する為に。シキさんを全面的に信頼した俺が、その信頼が幻だったと絶望するように……


 それがわかっていても、シキさんを傷付けるような真似は出来ない。


 素っ気ないようで誰よりウチのギルドを愛してくれたあのシキさんが。


 普段の刺々しい言動とは裏腹に、子供っぽくて可愛いところを俺にだけ見せてくれたあのシキさんが、全て作り物だったとしても……


 俺にはもう戦えない。そんな気持ちになれない。


「……」


 ティシエラが困惑した顔でこっちを見ている。攻撃すべきかどうか迷っているんだろう。即座に飛びかかる予定のコレーも動けていない。


 攻撃させる訳にはいかない。だけど、どうすりゃいいのかもわからない。


  

 ――――完敗だ。

 


 ……せめて。


 せめてティシエラだけでも逃がさないと。


 俺が盾に……いや囮になって、その間にティシエラを……



「何してるの?」


「……え?」


「だから、何してるのって聞いてるんだけど。なんか急にいなくなったと思ったら、先に行ってたんでしょ? もしかして約束でもしてた?」


 なんだ……? この話の噛み合わなさは。全く状況を呑み込めていないような口振りだ。


 っていうかこれ、どう考えてもサタナキアじゃない……よな?


「えっと、シキさん?」


「見ればわかるでしょ。私が石ころにでも見えてるの?」


 間違いない。いつものシキさんだ。


 そうか。ここに来て更に普段のシキさんを演じる事で、俺のメンタルを念入りに引き裂こうと――――


「あっ……」


 急に黒サタナキアが声をあげながら挙手してきた。


「あっあの……わっ私がサタナキアです」



 …………。



 えっ?



「えっ?」


「だっだから、私が……さっさっきまでグノークスさんの身体の、なっ中に入ってた、サタナキアです」


 あれ?


 って事は…… 

 


「元の身体に戻った……のか?」


「あっはい。たっタントラム発動させた時点で、わっ私のマギはスッカラカンになっちゃったんで……もっ戻らないと干涸らびして死ぬ……から……」


 明らかに口調がは違うけど……間違いない。さっきまでグノークスの身体で俺達と対峙してたあのサタナキアだ。じゃなきゃタントラム発動の件なんて知らない筈。


「やっ闇堕ちして闇属性になったマギも空っぽになったから……もっもう聖噴水の影響も受けないし……いいかなって」


「へっ、へぇー……」


「……」


「……」



 やっちまった……!!



『気をつけろティシエラ! 多分部屋の外に戻ってるんだ! すぐ来るぞ!』


 

 来てませんでした。サタナキアはとっくに部屋にいました。


 俺達はずっと間違ってました。間違いに気付かないまま、ずーーーっと敵襲に備えてました。しかも妙なテンションで。



『ならそこで黙って見てろ。奴は俺が仕留める』


『この場で奴を仕留められるのは俺だけだ』



 俺はなんでこんな事を……?


 強敵相手に気分が高揚してたのか? 絶望的なシチュエーションに却って燃えてたのか? そんな自分に酔ってたのか?



 血迷ったーーーーーーーーーーーーっ!!!!



 はっ……恥ずかしい! これから最強の敵サタナキアがやって来るって前提で盛り上がってた数分前の自分が死ぬほど恥ずかしい! しかもその恥ずかしい台詞の数々を本人にガッツリ聞かれてたし! 何この高度な羞恥プレイ! 頭に上った血で脳が溶ける!


「……」


「……」


 あ、ティシエラとコレーも羞恥に耐えられないって顔してる。そういや、二人も俺に負けず劣らず恥ずかしい台詞連呼してたな。良かった、仲間がいたお陰で羞恥の度合いも1割引だ。


「あっ……わっ私、もう抵抗しないです……そんな力も残ってないんで……」


 サタナキアはさっきのタントラムで全て出し切ったらしい。禍々しい雰囲気もすっかり消え失せている。


 つまりWar Is Over.


 俺達の勝ち。


 サタナキア編、完。



「……」


「……」


「……」


「……」



 喜べるか!!



 味方陣営全員だんまりだよ! 関係ないシキさんすら一言も発しない異常事態じゃねーか! なんだこれ!? こんな恥ずかしい勝利ある!?


「あっあの……さっきのくだり、誰にも言わないんで……」


 敵に思いっきり気を遣われた。


「あっあと……辛い思いしてるのは私だけじゃないってわかったって言うか……だっだからわだかまりは大分……すっすぐに全部は無理だけど……少しずつでも……」


 敵の方が成長したし得たものが多そうだった。


「あっそれと……私が化けてたのはグラコロで……」


 割とどうでもいい奴だった。


「グノークスさんの身体は適当に元の世界に転移させましたので……わっ私はこれで……」


 余りもあんまりな雰囲気に居たたまれなくなったのか、サタナキアはそそくさと立ち去っていった。


「こんな所にいやがったのか。放火犯が見つかった。以前酒場でヒーラーにボコられたソーサラーが『なんで止めてくれなかったんだ』と逆恨みでやったらしい。既に拘束してあるから事件は解決だよ。じゃっ」


 放火犯を捜索していたコーシュが入れ替わりでひょっこり現れて報告してすぐ去って行った。



「……」


「……」


「……」


「……」



 えっと……



 事件は解決した。



 ――――しかし俺達は死亡した。





「……いや、本当に死ぬよりはマシだけどさ」


 結局あれから誰一人言葉を発する事なく、コレーは無言で精霊界へと帰還。ティシエラもゲッソリした顔で自分のギルドへ戻っていった。


 そして俺はというと、放火とサタナキアに関するレポートを纏める為に城下町ギルドへと一旦帰る最中、シキさんに事情を説明していた。


 タントラムであの部屋が破壊された事で、サタナキアの亜空間転移の罠は全て解除された為、最初に何処かの空間へ転移させられていたシキさんも現実に戻って来たらしい。


 飛ばされたのは俺達のいた空間とは別の所だったから事情は全くわからず、突然消えた地点に戻って来たら俺の姿がなく、仕方なく前に進んだらあの部屋があって、俺とティシエラとコレーと見知らぬ髪の長い精霊が中にいた……ってのがシキさん視点。そりゃ困惑もするわな。


「サタナキア、だっけ。逃げてったけど良いの?」


「まあ闇堕ちも解除されたみたいだし、目的の武器も手に入れてるし、悪さをする感じでもなかったから良いんじゃない? 追いかける気力も残ってないしね……」


 グノークスの身体を操っていたとはいえ、それに対する罪状って何が適用されるのかイマイチわかんないし。タキタ君と同じで危険人物……危険精霊には違いないけど、現状で身柄を拘束するのは難しい。強いて言えば(恐らく)ファートゥムレラを盗んでいる罪には問えそうだけど、入手経緯がわからない以上決め付ける事は出来ない。


 ……決め付けられる事を何よりも嫌っていた奴が、結果的には『サタナキアがこれから攻めて来る』って俺の決め付けによって救われた訳か。皮肉な話だ。


「そのサタナキアって精霊、ペトロ……だったっけ。どうしてそいつを欲しがらなかったの? コレーが好きなのってその精霊なんでしょ?」


「知らなかったんだろね。ずっと疎遠だったみたいだし。まあ結果的にペトロを瞬殺した事で、コレーの欲しかったものを得る事にはなったんだろうけど」


 それは――――関心。


 恐らくペトロは自分をアッサリ倒したサタナキアに対し、雪辱を期すだろう。ペトロの心が奴に向くのは間違いない。それはコレーがずっと願ってた事だ。


 ……まあ、昨日の様子だとディノーにも興味持ったっぽかったけど。さっきの戦いで精彩を欠いてたの、その色ボケの所為じゃないよな……


「ある意味、交易祭を一番満喫したのは人間より精霊だったのかもしれないな」


 当初の予定とは全く違ったけど、結果的にやたら精霊が目立つ交易祭になった。今後精霊界で今年の交易祭が語り継がれる事になるかも。


 結局恋愛ブームは生み出せなかったけど、これはこれで歴史的価値をもたらしたと言えなくもない。


「それで、隊長」


「何?」


「どうしてティシエラとあんなにくっついてたの?」


 ……ん?


「さっき私が部屋に入った時」


 あー……その説明はしてなかったか。する必要もない気がするけど……


「隊長視点では私、サタナキアの罠に掛かっていなくなってたんだよね?」


「え? あ、うん。そうだけど」


「で、隊長は私を放置してティシエラとイチャイチャしてた」


「違う違う違う!! あの非常時にそんな事する訳ないでしょ!?」


「どうだか」


 シキさんのジト目が刺してくる。


 何これ……もしかして嫉妬?


「やっぱり隊長って女好きなんだね。口ではあーだこーだテキトー言ってるけど」


「本当に違うってば。あれはね……」


「いい。聞きたくない。言い訳ばっかり。もうウンザリ」


「……聞いたのはシキさんじゃん」


「はぁ……職場の上司がエロマスターとか最悪。転職しよっかな」

 

「それはシャレにならないからやめて」



 ――――そんな軽口を叩き合いながら、交易祭最終日に沸く街中をシキさんと二人で歩いた。






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