第343話 強さの次元

 明らかにおかしい。レベル58にしては強過ぎる。下手したらコレットより強いんじゃないか?


 グノークス……まさかここまでの強敵とは。


「フーゥ。楽しかったよーォ。こんなに楽しい遊びは久し振りだったなーァ」


「もう勝った気でいるのかい? このボクがそこまで嘗められるとはね」


「嘗めてなんかいないよーォ。ユーフゥル、君は立派さーァ。今の当方にここまでついて行けるなんて、人間の中にはまずいないよ。例え……ウチのギルドマスター様でもね」


 ……こいつは一体なんなんだ?


 最初に会った時はフザけてる奴だと思った。言動も一人称もフラフラしてるし、飄々として掴み所がない奴って印象だった。


 でも同時に、大人の余裕も感じられた。訪ねて来た俺に対しても悠然と構えて対応していたし、地味な見た目に反して大物って印象も受けた。


 今は……全く違う。


 余裕に関しては寧ろあの時よりも感じる。それも納得だ。奴の実力はコレーすら凌駕しているように見えるし、下手したら人類最強もあり得る。


 だけど、どうしてだろう。今のグノークスには奇妙な欠落感がある。


 人間味を感じないというか、超然とし過ぎているというか……同じ人間とは思えない。まだ精霊のコレーやサタナキアの方が近い気さえする。


「でも、楽しい時間はここまでだ。これからは悲しい……とても虚しい時間を過ごす事になる」


 そう呟くグノークスの全身からは、漲るような闘志は感じない。


 そこが異様に不気味で仕方ない。わかりやすい敵意や殺気は感じないけど、異物感というか圧力というか……この世のものとは思えない不気味さがある。


「この空間は良い。ここでなら、君達をどんな殺し方したって死体は見つからない。行方不明のまま、君達の経歴も人生も終わりを告げる」


 今までの攻防は奴にとってただの余興に過ぎなかったのか? これからが本気……そう言いたいのか。


 だとしたら――――


「コレー! こっちに……!」


「そろそろ始めようか。一方的でつまらない虐殺ショーを」


 俺の叫び声を遮るように、グノークスは剣を振り翳した。


 ……違う!


 今まで奴が持っていたノーマルな剣とは全然形状も色も違う。あれは――――


「暗黒武器……?」


 一体いつの間に持ち替えた?


 おかしい。そんな素振りは全く見せていない。高速で戦闘している間に……? いや。一旦止まった時にも、奴の剣はあんなじゃなかった。



 まさか……別の空間から取り出してるのか?



 それって、サタナキアの能力なんじゃないのか? でもあいつはティシエラの会話術にハマってそれどころじゃなかった筈だ。


 引っかかったフリをしていただけ……は考え難い。そんな器用にはどうしても見えないし、途中でグノークスを支援するような様子もなかった。


 何がなんだか――――


「当方の愛剣を紹介しようか。【デカログス】って言ってね……別名【戒めの剣】とも言われてるんだ。この一撃を食らうと、呪いを一つ強制的に受ける。ま、大抵は耐えられず死ぬんだけどね」


 マズい! もう攻撃態勢に入ってやがる!


 コレーは反撃体勢を……


「おかしい……おかし過ぎる……ボクがこうも簡単に競り負けるなんて……」


 あっ、病んでる。そんなにスピード負けがショックだったのかよ。意外と負けず嫌いなのか?


 なんて思ってる場合じゃない!


「コレー! 避けろ!」


「人の事を構っている余裕があるのかなーァ?」


「……?」


 最初は、奴の言っている言葉の意味がわからなかった。


 俺達の位置とグノークスの位置は大分離れている。仮に衝撃波みたいなので遠距離攻撃するつもりだとしても、対処は出来なくはない。


 でも次第に気付く。


 グノークスが繰り出そうとしている攻撃は……とてつもなく強力な一撃なんじゃないか。



 下手したら衝撃波で吹き飛ばされる。


 それだけで殺される。



 ……いや。





 ――――滅びる。





 不意に脳内を支配したのは、そんな物騒な言葉。


 俺やティシエラ、コレーが死ぬとか言う次元の攻撃じゃない。これは……冒険者ギルド、下手したら城下町全体に致命的な破壊を巻き起こす攻撃かもしれない。


 どうしてそう思ったのかはわからない。根拠なんて全くないし、俺にそんな事を予感できる能力や実力なんてない。


 だけど、確信に近いイメージが……ビジョンが一瞬、頭の中に浮かんで消えた。奴があの剣を振り下ろした瞬間、全てが終わってしまうような、そんな映像が。


 このままだと……マズい!


「うおおおおおおおおおおおおお!!」


「トモ!? 何を……」


 考えてる余裕も、ティシエラに応える余裕もない! あの剣が振り下ろされる前に――――あれを俺一人が食らう! そうすれば結界が発動して、途中で剣を止めてくれる筈だ!


「いらっしゃい。そう来ると思ってたよ」


「!」


 剣を……振り下ろさない!?


 こいつ、まさか俺を……――――


「がはっ!!」


 視界が急激に乱れる。訳がわからないまま身体の自由がなくなって……全身に強い衝撃が走る。


 ……吹き飛ばされた……のか? 確か前にもこれと同じような事を経験した気がする。


「が……ぁ!」


 肩から胸部にかけて猛烈な激痛に襲わる。斬られた……? いや違う。もしそうなら今頃もうこの世にはいないか、結界が発動してた筈だ。


 そうだ。あの瞬間、奴は……別の武器で俺に攻撃して来た。


 でも、あの暗黒武器じゃない。いつの間にか、鞘に入った剣に持ち替えていた。それで俺の胸部に打ち込んで来たんだ。


 だから結界が発動しなかった。鞘に入った武器を視認したから。『この攻撃では死なない』って瞬間的に思った事で、結界の発動条件を満たさなかったのか……


「力加減がムズいね。死なない程度に再起不能になる程度のダメージを想定してたのに、全然ピンピンしてるじゃないの。失敗失敗」


 何がピンピンだ……痛過ぎて呼吸できないレベルのダメージだぞ……


「この……!」


 コレーが隙を突いて足払いを仕掛けるも、グノークスはなんなく宙返りでそれを躱す。あのコレーが完全に動きを読まれている……


 俺もそうだ。俺が突進を仕掛ける前、明らかに剣を振り下ろす速度が遅かった。俺を懐に呼び込んで、あの鞘付きの剣で殺意のない攻撃をする為だろう。


 間違いない。奴は……武器を瞬時に切り替えるスキルを使っている。


 サタナキアの能力なのか? それとも奴自身の固有スキルか?


 何にしても、これでペトロが瞬殺された理由がわかった。リーチの違う武器……恐らく槍か何かに切り替えられた事で、全く対応できなかったんだろう。


「もう何をしても無駄だよ、ユーフゥル。動きは完璧に見切った」


「……っ」


 完全に遊ばれている。俺だけじゃなく、コレーもティシエラも。スピードでコレーを圧倒し、ティシエラの魔法も無効、そして俺の目論みも悉く読まれている。


 今まで色んな敵と戦ってきたけど……変身した怪盗メアロを除けば、この男は完全に別格だ。


 本当にレベル58なのか……?


 いや……本当に人間なのか?


「手を抜いてどうにか出来る相手じゃないよ、コイツは。ティシエラも殺すつもりで戦ってくれないかい?」


「……ええ」


 コレーのかつてないほど真剣な……いや切実な声に、ティシエラは言葉少なに肯定を伝える。異常なスピードに加えサタナキアの空間移動もあるとなると、もう回避力が天元突破している状態。俺が奴の身体に少しでも触れられれば、そのスピードを最低値まで下げられるんだけど……無理だ。あんなの捕まえられっこない。


 全力のコレーとティシエラでも、果たして捉えられるかどうか……


「トモ。危険な目に遭うのを覚悟しておいて」


「……?」


「貴方を巻き込むかもしれない魔法を使うわ」


 俺の反応を見るつもりは最初からなかったらしく――――既にティシエラは魔法を行使していた。


 室内に風が吹く。


 ただの風じゃない。あっという間に強風……いや、まるで台風の時のような暴風が吹き荒れ始めた。


 室内に飾られてあった暗黒武器が全て床に落ちる。でもその音すらも聞こえないくらい、風の暴走は凄まじい音を鳴らしている。まるで部屋全体の悲鳴のように。


「……!」


 息が極端にし辛い。この風は……向きが一定じゃない! 追い風かと思えば急に向かい風になって、鼻腔や口内に風が入り込んで来る。それだけでもかなりの恐怖だ。


 どうやら、この暴風でグノークスのデタラメなスピードを封じるつもりらしい。


 でも、これだと……


「ユーフゥルも相当動きが制限されるんじゃないのかい!? 同条件なら自分達が有利だとでも――――」


 そうグノークスが余裕かまして呟いた刹那。


 コレーの姿がその場から消えた。


「へぇ! 亜空間移動か!」


 そうだ。コレーも俺達に対してそうしたように、亜空間を操れるんだ。サタナキアの専売特許って訳じゃない。


 向こうは遠隔操作。でもコレーは自分の意志でそれが出来る。加えてこの風で動きは大きく制限される。明らかにコレーが有利だ。


「へぇ、色々考えるじゃない! 良いよ最高だ! 無抵抗の敵なんてつまらない! これくらいやってくれる相手の方がずっと刺激的で楽しいね!」


 グノークスはこの強風の渦の中、わざわざ声を張り上げてまで自分の気持ちを俺達に伝えてくる。


 余裕なのは間違いない。でもこの好戦的な発言、そして笑みさえ浮かべている奴の顔からは、それとは別の感情も見て取れる。


 ……何故だ?


 仮に、今のこの状況を苦にしない何らかの対抗策を持っているとしても、ここまで危機感が希薄なのはおかしい。


 もし奴がそこまで化物じみた力を持っているのなら、アンノウン討伐の一件くらいで落ちぶれたりはしない筈だ。これまでの奴の評判と、今の強さとはまるで噛み合っていない。


 この短期間で急激に強くなったのか?



『進化の種でレベルアップする裏技』


『助けて貰った冒険者に「進化の種でレベルアップする裏技」を教えて貰った結果ドーピングで急激に強くなって――――』


『自分のレベルにコンプレックスを抱えている冒険者を唆して、進化の種を摂取させている黒幕がいる』



 まさか……進化の種を使ってレベルを大幅に引き上げたのか?


 メキトと同じように、誰からか進化の種を手に入れて、人知れず強くなっていたんじゃないのか?


 レベルに拘りがある奴だったからな。その可能性は十二分にある。


 だとしたら……


「ティシエラ! そいつは――――」


 くそっ、風の音が更に強くなって声が遮られる……!


 ティシエラは当然、グノークスの情報は持っている。レベル58の冒険者。幾ら強敵だと認識していても、その先入観がある以上は『レベル58の相手ならこの魔法は通用する』って前提でこの暴風を巻き起こしている筈だ。


 でも、その前提が崩れたら?


 今の奴がどの程度までレベルアップしているのかはわからない。進化の種が手に入った数や副作用の有無などで変わってくるからだ。


 ただ、仮にメキトより遥かに多くの種を手に入れられたとしたら……あの男は間違いなく、躊躇せず使い切るだろう。少なくともコレットより上のレベルになるまで。実際、今のグノークスからはコレットと同等以上のスピードを感じる。


 他のパラメータも相応の数値まで引き上げられているのなら――――


「うお……っと」


 風力が更に強く……息が出来ない……!


「やるねーェ……! 風圧で自分の身体を支えきれないよーォ……! 確かにこれだと別の空間から出現するユーフゥルに即対応するのは無理だーァ……!」


 その言葉とは裏腹に、グノークスにはまだ危機感がない。


 根拠は……


「気を付けろ! 奴は――――」


 暴風に遮られ、俺の叫声は虚しく霧散する。



 直後、コレーがグノークスの背後に現れた。



 完全な不意打ちの体勢。グノークスは風の影響でまともに動けない。察知しても、もう遅い。コレーの方が先に攻撃できる。


 倒せる。間違いなく。



「……ガハッ」



 ――――そう確信していたであろうコレーが、呻き声と共に崩れ落ちた。



「悪くない狙いだったけど、当方には通用しなかったねーェ」


 奴が何をしたのか、コレーが何をされたのか、全くわからない。強さの次元が……違う。


「……何故そんな速度で動けるの」


 呆然とその様子を眺めていたティシエラが、魔法を止める。途端に風は消え、息苦しさもなくなった。目論見が崩れてショックを受けているだろうに、判断が早い。


「ティシエラ。多分奴はレベルを大幅に上げている。抵抗力……魔法防御の値も相応の数字になってるんだ」


 だから、魔法で生み出したティシエラの風にも強い耐性がある。効いていたように見せかけていたんだ。油断させる為……ってよりは、おちょくる為に。


「く……そっ……このボクが……無様だ……」


「そんな事はない。君はとても優秀だよ。一時の気の迷いで、味方に付く人間を間違えただけさ。優秀な精霊は優秀な人間と組むべきだ」


 ……ムカつくけど、言っている事は一理ある。実際、この戦闘で俺は今のところ何の戦力にもなれていない。


 あらゆる面で認識が甘かった。そこはもう認めざるを得ない。


 このままだと為す術なくやられちまう。幾らティシエラが最高のソーサラーでも、コレーより速い上に亜空間に逃げられるような奴を捉えるのは無理だ。


 せめてサタナキアの能力だけでも無効化できれば……


 でもどうする? 下手に刺激すると今度は奴の癇癪で爆発事故が起こっちまう。ったく、自爆野郎のアイザックがいなくなったと思ったら今度はこいつか……つくづく癖の強い奴が多い街だな!


「サタナキア。アナタに一つ提案したい。これは当方からの感謝の気持ちだと思ってくれーェ」


「……?」


 なんだ? 何をしようとしてるんだ……?


「さっきの雑魚精霊と違って、彼……いや彼女か。彼女は暫く精霊界には帰れないようデカログスで呪いをかけておいた。ここでアナタにトドメを刺して欲しくてね」


 そう告げたグノークスが、また武器を切り替えた。


 今度の剣は――――今までで一番禍々しい形状をしていた。


「魔王を殺せるっていう十三の武器の一つ、流命ファートゥムレラ。見覚えはあるかい?」


「あっ……あっ……」


 サタナキアの顔色が露骨に変わった。


 まさか、あいつが探してた暗黒武器って……


「魔王に穢された事で暗黒に堕ちたこの剣はね、『運命』を固定するんだ。これで殺されたらもう蘇生は出来ない。憎き妹に完全な死をくれてやりなよ」


 グノークスが無造作に十三穢の一つ、ファートゥムレラを投げる。その剣は回転しながら放物線を描き、サタナキアの足下に深々と突き刺さった。


「妹を恨んでいたんじゃないのかい? 自分より優秀で、自分が親から目を向けられなくなった原因を。彼女を殺せば、アナタは過去への復讐を果たせる。当方に貢献してくれたアナタに、その剣ごとプレゼントするよーォ」


 そんな悪魔の囁きのような言葉を投げかけ――――グノークスは薄く微笑んでいた。


 



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