第330話 熱波

 交易祭、最終日の朝は――――



「火事だああああああああああ!」

「早くソーサラーギルドに連絡しろ! 風向きがヤバい! 燃え移るぞ!」

「水だ! ありったけの水を持って来い!」



 そんな喧噪で幕を開けた。


 えぇぇ……先行き不安過ぎるだろこんなの。なんでよりによってこのタイミングで火事を出すかな……


 出火元は何処だ? なんか冒険者ギルドの方から黒煙が出てるんだけど……まさかな。


 勝手に想像するより確認作業が大事だ。煙の見える方角から走ってきた通行人に聞いてみよう。あのデカい身体の人にするか。なんか何処かで見たような気もするけど……


「すみませーん。あの火事の火元って……」


「オレの酒場だバカヤロウ!!!! ウオオオオオおおおおソーサラァさアアアアアアン助けてくれえエエエエエエエ!!!!」


 ……風のように通り過ぎて行った。


 でも顔はハッキリ見えたし声も聞き覚えある。今のはコンプライアンスの酒場の主人だ。アイザックの自爆で半壊して、最近ようやく建て直したばっかりなのに……


 とにかく現場に向かおう。街を警備する立場としては周囲の野次馬が暴走しないように整備しないと。火事の時って必ず大勢の野次馬が群がるからな。


 コンプライアンスの酒場は冒険者ギルドの隣。ここからはすぐ近くだから、そろそろ見えてくる頃だ。


 あー……派手に燃えちゃってんな。今からソーサラーが駆けつけても間に合いそうにない。全焼を半焼に食い止めるので精一杯だろう。


 元いた世界では、半焼だと保険金があんまり下りないからって理由で全部燃える事を望むケースも多かったらしい。この世界にも一応、商業ギルドが運営してる火災保険は存在しているけど、保険料の設定が高すぎる上に支払いが遅いってんで評判は良くない。多分、あの御主人の慌て振りからして入ってないんだろうな。


 にしても、関わりの殆どない人が起こした火事って、感情の置き所がわかんないよな。そりゃ自分に置き換えてウチのギルドが燃えてるの想像したらゾッとするけど、かといって同情だの憐憫だのって気持ちは特にない。なんか人でなしみたいで嫌だけど。


 ただ――――出来るだけ早く消火して欲しい。


 さっき野次馬の一人が言っていたように、風向きが良くない。よりにもよって、隣接する冒険者ギルドの方向に吹いてる。このまま燃え盛って延焼しようものなら、冒険者ギルドまで燃えちまう。あそこにはコレットがいるし、元ギルマスとも顔馴染み。たった一日とはいえ古巣でもあるから、燃えるのは勘弁して欲しい。


「アインシュレイル城下町ギルドマスター様!」


 この呼び方は……サクアか。そう言えば近くを巡回してたんだったな。


「サクア、一人でこの火事を消火できる?」


「完全に消すのは無理です。他のソーサラーが駆けつけるまで炎の勢いを止めるくらいなら、なんとか……」


「オッケー、十分だ。頼む」


 火事への対応はサクアに任せる他ない。俺は野次馬に対応しないと。


「無闇に現場に近付かないでください! 距離を置いて! 出来るだけ遠くに!」


 ……多分、野次馬の大半が俺より遥かに強い元猛者達。この呼びかけにどれほどの意味があるかはわからない。


 それでも仕事だ。この街の安全を司る以上、道化だろうと何だろうと火事の現場に人を近付かせない。それが俺達の役目だ。


 ただ……


「悪いけど、そういう訳にはいかないよ」


 冒険者達にとっては――――そうも言っていられないだろうな。


「貴方は確か……グノークスさん」


 レベル58の冒険者。コレット以外ではギルド内のトップタイ、だったか。

 

「このままだとポックン達のギルドに燃え移りかねないからね。これ以上火の勢いが増すようなら、酒場に面した部分を一部破壊してでも延焼を防がないと」


 警備員時代に聞いた事がある。まだ消防車なんてなかった時代には、火事になった建物に隣接する建物を破壊して延焼を防いでいたらしい。破壊消火って言うんだったか。


 この街には消防署と同等の消化能力があるソーサラーギルドがある。でも消防車と違って移動力はない。一刻を争う状況で、ソーサラー達に命運を託すのはリスクが高い。


 それに……


「ここでソーサラーギルドに借りを作るつもりもない。彼女……今、消火活動してるソーサラーを止めてくれないかい?」


 やっぱり、そう言うと思った。


「ギルドの中にいた人間は全員避難した。人命の心配はない。命と違って、仮に建物は燃えても復元できる。でも……『ソーサラーギルドに助けられた』って屈辱は、中々回復できないんだよね」


「ギルドよりもメンツが大事ですか」


「そういう事だよーゥ」


「それは冒険者の総意なんですか?」


 ……本当は、こんな事に時間を割きたくない。でもここで、この男を野放しには出来ない。そんな気がする。


「どうだろうね。レベル79のギルドマスター様がなんて言うか。ポックンにはわからないんだよ。彼女の考えてる事が」


 この男と初めて会った時から感じていた……レベルに対する得体の知れない執着心。それが違う形で現れた。


「彼女は多分、ソーサラーギルドに借りを作る事を何とも思わないかな。でもそれは確実に冒険者ギルドの格を落とす事に繋がるんだよね。でもあのギルドマスター様は、そうなっている事さえ気付かないまま"なんとなく"でギルドを運営して行くんだろう」


 初対面時にも感じたけど――――この男、自分よりもレベルの高い相手に対して異常にコンプレックスを抱いている。そしてそれは、鉱山で事件を起こしたメキトやヨナと同じだ。



『自分のレベルにコンプレックスを抱えている冒険者を唆して、進化の種を摂取させている黒幕がいる。そう考えるべきでしょうね』



 ……まさかな。


「コレットは?」


「ギルドの中にいた職員連中を避難させに行ってたね。そういう俊敏さは立派だと思うよ」


「……」


 この男の中で、コレットは『有事に弱い者を助けて支持を稼ぐ姑息な女』なんだろうな。そういう皮肉がたっぷり詰まった顔してやがる。


 はぁ……苦手なタイプだ。価値観が微塵も合わない。出来れば会話もしたくない。


 でも、そういう訳にもいかないんだよな。


「それより早くあのソーサラーに魔法を止めるよう命令してくれないかな。キミが消火するよう指示を出したんだよね?」


「ええ。だから冒険者とソーサラーの貸し借りには関係ありません」


「"キミには"関係ない、って話だろう? ポックン達はそうも言っていられないんだよね。ソーサラー共とは色々あるからさ」


「"貴方には"色々ある、でしょう? 少なくともギルマス同士はこんな時に貸し借りの勘定なんてしないでしょうしね」


「……」


「……」


 この男の言う通りにしてサクアの消火活動を中止させ、冒険者達が燃え盛るコンプライアンスの酒場を破壊する光景を傍観する事は、別に間違いとまでは言えないんだろう。それで延焼が防げるのなら、寧ろ正解とさえ言える。


 でも……火事はそんなに甘くない。


 炎にだけ気を付ければ良いって訳じゃない。死因として多いのは寧ろ煙の方……一酸化炭素中毒だ。これだけ黒煙が上がっている状況で、燃えている建物に近付くなんて危険極まりない。レベルが幾らだろうと。外から魔法で対処できるソーサラーの方が安全に消火できるのは、火を見るよりも明らかだ。


 この世界の住民に『一酸化炭素中毒』って概念が常識として広まっているかどうかは怪しい。ここで説明しても通じないかもしれない。そんな問答してる時間もない。


 だから、俺が現状の立場で出来る事、言える事は――――


「外側から安全に狙った箇所だけを破壊できるのなら、サクアに言って消火を一旦止めさせます。出来ますか?」

 

「……」


 出来ないだろう。そんな都合の良いスキルを持っているとも思えない。


 ギルドを外から全壊させる力は誰かが持っているかもしれない。でもギルド全体が崩れないように特定の範囲だけを綺麗に破壊し、尚且つ野次馬にも周囲の建物にも被害を出さない完全部分破壊を可能とする都合の良いスキルはそうそうないだろう。仮にあっても、この男が所持しているとは思えない。


 あるならとっくに使ってる頃合いだ。


「出来ないのなら、貴方の申し出はリスクが高過ぎる。街の安全を預かるギルドの代表としては、承服しかねます」


「……中々、融通の利かない男だねーェ」


 当然だけど、全く納得してなさそうな顔だ。


 祭りの最中だから、野次馬の中には子供もいる。彼等は予期しないタイミングで危険地帯に飛び出す事もある。こんな問答に時間を割いてる暇はないんだけど……


「トモ!」


「! コレットか!」


 事務員の避難を終わらせて戻って来たんだな。良いタイミングで来てくれた。


「今、サクアが単身で消火活動をしてる。酒場のマスターがソーサラーギルドの方に向かったけど、ソーサラーが駆けつけるまではもう少しかかる」


「了解。酒場に面してる所だけ綺麗に取り除ければ延焼の心配がなくなるんだけど……」


 幾らレベル79でも、そんなピンポイント破壊はコレットにも無理か。そりゃそうだ。そんな器用な真似が出来るタイプでもないだろうし。


「ではギルドマスター様が来た事だし、この場はお任せするとしますかねーェ」


「……」


 グノークスは嫌味にもならない微妙な言い回しを残して、火事の現場から離れていった。


 初対面時にも思ったけど……どうもあの男の発言は一つ一つがいちいち勘に触る。虫酸が走るってほどじゃないのが余計にやり難さを感じるな……


 俺にしてはちょっと珍しい感情だ。他人にそこまでの関心がない分、嫌悪感を抱く事も滅多にない。だけど、アイツは……なんか纏わり付いてくるような鬱陶しさを感じる。


 良くないな。何もされてない相手をこんなふうに思うの。ま、聖人君子でもないから仕方ないけど……己の器の小ささは感じてしまうな。


 ウチのギルドには問題児こそ多いけど、あの手のタイプはいない。その点ではラッキーだ。


「トモは野次馬が近付き過ぎないか見張ってて。私は出来る範囲で食い止めてみる」


「あっ、おい!」


 コレットは慇懃無礼を働かれた事なんて気にも留めていない様子で、ギルドの方へ向かって行く。破壊消火に打って出る気か……?


 ギルドの危機を前に落ち着かない気持ちはわかる。実際、強風に煽られて火の手が強まったら、すぐ燃え移りそうなくらい建物の距離は近い。


 ギルドマスターとしての責任感。今、コレットはそれだけで動いている。


 そういう時、本来働くべきストッパーが作動しなくなって、人間は無茶をするんだ。


 マズいな。なんとかしてやめさせないと――――


「……」


 あれ? ギルドの方じゃなく、燃え盛ってる酒場の方に向かって上段に構えてるぞ。


 一体何をする気なんだ……?



「はっ!!!」 



 ……!


 そうか、風か!


 振り下ろした際の剣圧で風を起こして、ギルドの方に向かいそうな火の勢いを押し戻そうって訳か。風向きが悪いのなら、そこに力で対抗すれば良い……俺には全くなかった発想だ。


 でもそれだと、舞い上がった火の粉が野次馬に飛びかねない。だから俺に野次馬を下がらせろって頼んだんだな。


 ……ちゃんと周囲の事も考えてるじゃないか。地味な方法だけど、周りの建物に被害が出ないよう配慮しながらギルドを守ろうとしている。


「えいっ!!」


 第二波が放たれる。コレットは明らかに全力では振っていない。力を入れ過ぎたら反対方向の建物に火の粉が飛ぶ恐れがある。絶妙な力加減が必要だ。


 幾らレベル最強の冒険者でも、こういう繊細な挙動を一朝一夕でやれはしないだろう。勿論、事前にこんな事を想定して訓練してる筈もない。


 多分、手加減攻撃を日頃から練習してたんだろうな。どれくらいの力を使えば、相手を深く傷付けずに済むか。それをしてきたから、あの防衛策が出来る。


 冒険者を引退して、ギルドマスターになると決めて、コレットが今まで何をしてきたのかがよくわかる。


 これから相手にするのは人間。人とどうやって向き合っていくのかを考えた結果、全力を出さない攻撃に行き着いたんだろう。


 ギルド員に認められる為じゃない。ギルドを守る為に。冒険者ギルドを脅かす人間が現れた時、後で方々から責められない形で上手く対処できるように。


 コレット……この短期間で大人になったな。立場が人を作るってのは本当だ。


「やっ!!」


 ただ……気付いてしまった。


「とーっ!!」



 やってる事は、ほぼほぼサウナの熱波師だ!



 くっそ……サウナとか一回も行った事ないのに、何故か一時期動画サイトで熱波師特集を漁ってたのが仇に……! その所為でせっかくのコレットの成長を素直に感動できない!


「1、2、3! 1、2、3!」


 やめろ数字でリズム取るな! マジで熱波師としか思えなくなるだろ!


 こんな状況で笑いでもしてみろ。サイコパス野郎って誹りは免れなくなる。そんな事になったら最悪だ。ここは絶対に耐えなきゃ……


「は~~~っ! はっはっ! は~~~っ!」


 何だよその技出す時みたいな『は~~~っ』ってやつ! 気合い入れてるのか抜けてるのかわかんないって!


 ひ、肘をつねって耐えろ……耐えるんだ……


「はい~~~っ!」


 いっ、言い方……! それ剣道やってる人が残心の時に言うやつ!


 こ、コレットだって真剣なんだ……それを笑うとか最低だ……絶対笑わないからな……


「ほっほっほっ! せいっ! とりゃ! ほあーーーっ!」


 なんでそんな気合いのバリエーションが豊富なんだよ! どれか一つに絞れや!


 はぁ……俺、どうして自分の身体を全力でつねりながら人様の酒場が燃えてるのを眺めてるんだろ……しかもこんな大事な日に。頭がおかしくなりそうだ。


「随分燃えてるのね」


 ……ん? しまった! 笑い堪えるのに必死で野次馬の接近に気付かなかった!


「危険だから離れてください! 今、延焼を魔法や熱波で防いでる最中で……」


「……熱波?」


「あ、いや。剣圧で……って」


 なんだティシエラじゃん! って事はソーサラーが着いたのか!


「何その弛んだ口。私の顔に何か付いてるの?」


「何でもない。それより早く消火を始めて貰えないか。サクアとコレットが頑張ってくれてるけど、そろそろキツい頃合いだ」


「言われなくてもそのつもりよ。皆、用意は良いわね! 驕れる火炎に雪の鉄槌を! 怒れる熱に救いの冷気を! 穢れし大地に永遠の安息を!」


「驕れる火炎に雪の鉄槌を! 怒れる熱に救いの冷気を! 穢れし大地に永遠の安息を!」


 ……消火活動の時まで詠唱すんのかよ。しかも復唱すんなよ。一刻を争うんだから、そこは省略バージョンで良いだろ。


「一斉発射!」


 何はともあれ、ティシエラの号令と同時に、ソーサラー達の放水……じゃなくて、魔法による鎮火が始まった。





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