第328話 ほのぼのエピソード
「くぁ……」
棺桶から這い出て外に出ると、まだ真っ暗。そりゃそうだ。砂時計を見る限り、まだ日付が変わって間もないくらいの筈だから。
ここのところ何時間後に起きるかを念じて寝たら、本当にその通りに起きられるようになってきた。別に特別なスキルに目覚めた訳じゃない。眠りの深さを上手い具合に調整できてるからだ。
元いた世界……というか日本は、やたら時間に対して真面目だった。それは美徳でもあるんだけど、同時にプレッシャーにもなる。この世界はその点、相当ルーズだから心は楽だ。だから自律神経が生前より整ってるのかもしれない。
睡眠時間は三時間程度。当然、寝足りないし身体が休まった感覚もない。寧ろ昨日動き回った所為で全身筋肉痛だ。ベストコンディションとは程遠い。
それでも泣き言なんて言ってられない。泣こうが喚こうが今日が交易祭の最終日だ。そして同時に、借金返済の期日でもある。
今のところ、交易祭に関する仕事で減点されるような事は何もない筈。みんな本当に良くやってくれている。後は、フレンデリアに満足して貰って報酬を満額得るだけだ。
……それが一番難しいんだけどさ。街の雰囲気はあんまり恋愛一色って感じじゃないし。俺の周囲の人間や精霊ばっかりがそうなってる印象だ。
当初の予定では、モーショボーがカーバンクルかポイポイに公開告白する予定だったけど、それはナシになっちまった。精霊の恋愛を住民に見せつける事で交易祭の原点回帰と恋愛ムードの普及を狙ってただけに、ちょっと痛い。かといって、今更代案を用意するのも難しい。
ま、なるようにしかならないだろう。最後まで足掻いてやるさ。
「起きたんだ」
あれ……シキさん。まだギルドに残ってたのか。
「うん。おはよう」
「……おはよ」
声が小さい。さては挨拶が苦手なタイプか。わかるわー。俺もギルマスなんてやってなかったら、率先して挨拶なんて出来ないタイプだもんな。流石に上司にはちゃんとするけど。
「休憩終わったんなら先に行ってても良かったのに」
「……これ作ってたから」
ぶっきらぼうにそう答えつつ、シキさんは首に下げていたネックレスを外して掲げてきた。マフラーに隠れて見えてなかったけど、これは……
「え、鍵? 合い鍵をペンダントにしたの?」
「たまたま通せるサイズのチェーンがあったから」
鍵ネックレスか……急にオシャレアイテムに代わったな。これじゃまるで誕生日プレゼントみたいだ。
「これ、ヤメに見せびらかそうかな。隊長からプレゼントに貰ったって」
「え!? それはマジ勘弁して! 殺されるって俺!」
「良いじゃん。今日で借金返済するんだから、またヒーラーの世話になって借金しても」
「良くない全然良くない! なんで半年かけて返した借金を一日で復活させなきゃならんのよ!」
「借金に蘇生魔法かけてるみたいでオシャレじゃない?」
いえ全然オシャレじゃないです。
くっそ……昨日は鳴りを潜めてた小悪魔シキさんが急に出現してきた。おのれニマニマしおって……
「ま、冗談だけどね。マフラーしとけば隠れるから、多分見つからないよ」
「いや普通に見つかる可能性あるから外しててよ。ヤメのこういう事への嗅覚をナメちゃいけない。何の脈絡もなく出会い頭にマフラーの匂い嗅いで『男の臭いが混じってる』とか言い出すタイプなんだから」
「そうかもね。鋭い所あるのは、確かにそう」
良かった、納得してくれたか……
「でも外さない」
「なんでよ!?」
「なんででも」
頑な過ぎる……鍵ネックレス、そんなに気に入ったのか?
「ま、仕方ないから隊長に貰ったって事は伏せておこっか」
「そうして貰えると助かる」
「ギルドの合い鍵なのはちゃんと言うけどね」
「それ言ったら意味ないんすわ! 俺があげたのモロバレなんですわ!」
「そう?」
俺を何処まで道化にしたいのか……終始笑顔だから冗談だとは思うけど。ホント楽しそうだなシキさん。そんなに俺をからかうのが楽しいか。
「ここで無駄話してても仕方ないし、そろそろ娼館に行こっか」
「はい……」
すっかり主導権を握られたまま、一旦ギルドに入って支度をする。つっても、身支度は終わってるし簡単な装備品の変更程度だけど。
昨日までは警棒代わりのスマートなこん棒を持ち歩いていた。でも、昨日の経験を踏まえると、これじゃ心許ない。
何しろ今日は、怪盗メアロと決着を付ける予定でもある。現時点で最強の装備にすべきだろう。
ついに来たか、これを手にする日が。
こん棒・ザ・オリジン。
原初の時代、こん棒が人類最強の武器だった頃の記憶をそのまま詰め込んだ、至極で珠玉な一本だ。勿論、俺の経済力じゃ買えない高級装備。交易祭の打ち合わせ中、試作品で良いならってロハネルから貰った逸品だ。
「……普通のこん棒にしか見えないんだけど」
「見た目はね。でも中身は別物なんだって。アレだよ、めちゃくちゃ高いパンだってパッと見フツーな事多いし」
「パンと一緒にしてもね。騙されたんじゃないの?」
ンな事ぁない……と思うけど、そう言われると少し自信なくなってきたな。大丈夫だよな? いざ決戦って時に実はカス武器でした、的なゴミみたいなスカシは要らないからね?
「じゃ、行こうか」
「ん」
まだ真っ暗な外を、シキさんと歩く。娼館までの道はずっと街灯が立っているから、夜目が利かなくても困る事はない。
「今更だけど、街灯を設置しようって提案したの隊長だよね。なんでそんな事思い付いたの?」
「単純に防犯と治安の観点っていうか、夜に行動するのに街灯もないんじゃ不便だなって思っただけ。特に深い理由とかはないよ」
「夜に行動、って言うのがそもそも不思議なんだけど。夜にわざわざ外出する必要あるの?」
……そっか。地球と違ってこの世界は『眠らない街』じゃないんだよな。当然、24時間開いてるコンビニやファミレスみたいな店はないし、照明器具や暖房器具も利便性に欠けるから、作業効率の観点からも夜間に仕事をする意義が薄い。
そもそも、基本的に夜は外出しないんだ。この世界は。地味にカルチャーショックだな。
「ま、本当の理由は大体想像ついてるけど」
「え? 何?」
「娼館に通うつもりだったんでしょ?」
……ほー。そう来ましたか。
夜間に外に出ないのは、あくまで『基本的には』。何事にも例外は存在する。それが娼館だ。この施設だけは深夜にも開いている。
だから、シキさんの推理は支離滅裂でも荒唐無稽でもない。治安を良くする為って名目で街灯を立ててはいるけど、実際には娼館までの道を明るくして通い易くする。うん、理に適ってる。
何よりしっくりくるのが、この話を持っていったのが商業ギルドだった事。あそこ野郎ばっかだもんな。当然プレゼンもし易いし企画も通り易い。
でも、全然違う。そもそも――――
「俺、娼館通いなんて全くしてないんだけど。ヤメも言ってたでしょ? 誘われても行かないって」
「そんな事言って、コソコソ一人で通ってるんじゃないの? 隊長、そういうタイプじゃん」
「……否定は出来ねぇ」
確かに、もし俺が性的なサービスを受けに行くんだったら、知り合いと一緒には行きたくない。普通に恥ずかしい。
「やっぱりそうだったんだ。おかしいと思った」
「いや違うから。ってか、おかしいって何が?」
「女っ気はやたらあるのに、性欲は全然表に出さないトコ」
……またその話題か! ヤメの昔話聞いた時も同じような事言ってたよな。イジるにしても乱暴過ぎない?
「定期的に娼館で発散してるから、表に出ないって言いたいの?」
「そうだけど。違うの?」
「だから違うって。娼館には全く通ってません。性欲は、その……普通の男よりちょっと少ないかもしれないってだけ」
実際には『20歳の性欲は12年前に通り過ぎました』が正しいんだけど、そんな説明をする訳にもいかないからね。
にしても、ここまで防戦一方だと流石に面白くない。こっちもちょっとつついてやろうか。
「ってか、俺の性欲気にし過ぎでしょ。そんなに気になる?」
どうよ! 俺にこんな切り返しされるとは思ってもいまい! たまにはちょっとくらい照れろシキさん!
ま、どうせ『全然。馬鹿じゃないの?』ってスタンスでスルーするんだろうけど……
「……」
え。
何そのリアクション。無言? しかも露骨に顔背けた?
あーくそ、幾ら街灯で照らされてても顔の色合いまではわかり辛いな。赤面してるかどうか判別できない!
いや、ちょっと待て。
冷静に考えてみたら……今のはセクハラ認定されるのでは?
向こうから振ってきた話だから、こっちもついムキになってあんな事聞いちゃったけど、よくよく考えたら典型的なセクハラ発言だったような……
しまったーーーーっ! やっちまった! 最悪だ! その手の発言する中年オヤジなんて大嫌いだったのに、自分がそうなっちまうなんて……! ミイラ取りは、こうやってミイラになるのか。
は、早く訂正しないと……
「気にならな――――もない」
え、何?
「別に凄く気になるとかじゃないけど隊長みたいな同世代の男が女をどんな目で見てるのかとか性欲ってどれくらいあるのかとかそういうのは……ちょっとだけ」
ビックリした。急に素直だ。しかも……
「めっちゃ喋るじゃん」
「うっ、うるさい」
「……ふふっ」
「笑うな、ばか」
「いや無理だって! くく……はははははっ!」
どうやら、シキさんは俺が思っているよりもずっと普通の20歳女性なんだな。じゃあ普通って何なのって話になると、よくわからないトコあるけど。
「……俺はさ、同世代の男と比べたら性欲少ない方だと思う。多分だけど」
シキさんにだけ恥をかかせるのは寝覚めが悪い。俺も少し恥をかいとこう。
「そういうのって、よくわからないけど……やっぱりモテてる奴の方が欲望も育ってる気がする。俺は全然モテなかったから、早々に撤退した感じ」
「隊長、モテなかったんだ」
「そ、全然。恋愛に関しちゃマジ空っぽ。だからまあ、性欲自体がなんか無意味で虚しい本能って感じがして、あんまり育たなかったのかなって」
勿論、こんな話に科学的根拠はない。あくまでも自分だけの感覚だ。
恋愛経験がないに等しいから、恋愛や性欲に関わる情緒が育ってない。だから性欲自体も枯れるのが早かったのかもしれない。
誰かに恋して、その人に好かれたいって思って色んな努力して、それが報われるのを毎日妄想して……みたいな人生だったら、もっと飢えてたんだろうな。
「恋だの愛だのが嫌いなタイプ?」
「そんな訳じゃないけど……自分にもそういう感情がある、って気がしないのは確かだなー。他人の物って感じ?」
「……やっぱり隊長、変」
やっぱりって何さ。前々から変だと思ってたんだとしたら酷ぇ誤解だ。正直、恋愛観に関しちゃマイノリティなのは認めざるを得ないけど、他の事では軒並み一般庶民だろ? 特に個性みたいなのもないし。
「変って言うなら、その呼び方だって変じゃん。隊長って……何で隊長なの」
今まで敢えてツッコまず好きに呼んで貰ってたけど、別に俺部隊とか持ってないし、『隊長』と呼ばれる要素はないんだけどな。
「……」
あ、またなんか言い難そうにしてる。今日の俺、割とクリティカル当ててるな。
「……笑わない?」
「笑う」
「何それ。じゃ言わない」
「冗談だってば。極力笑わない努力はするから」
「何の保証にもなってないから、それ」
そりゃまあ、別にどうしても聞き出したいって訳じゃない。どう呼んで貰っても良いってスタンスに変更はないから。あくまで話の流れってだけだ。
でも、今日のシキさんなら普通に続きを話してくれそうな気はしていた。
「……大した話じゃないよ。子供の頃、おじいちゃんとそういう遊びをしてたってだけ」
…………。
「お祖父さんを隊長って呼んでた?」
「……」
「えっと、冒険者ごっこみたいな感じ?」
「……」
答えないけど表情が物語っている。『そうだけど悪い?』と
シキさんが……冒険者ごっこ? お祖父さんを隊長に見立てて?
何そのほのぼのエピソード。どのツラ下げて暗殺者を自称してたんだよこの人。掘れば掘るほどキャラが崩れるな。
「……自分でもわかってるけどね。生きて来た世界が狭いってくらい」
でも、当のシキさんは真剣にその事を受け止めていた。
「良い思い出はおじいちゃんとばっかりで、そのおじいちゃんがいなくなってからは、ずっと『なんとなく』でやって来たから」
「……ウチのギルドに入ったのも、なんとなく?」
「そうかもね。なんとなく、ここなら乗っ取れそうかなって思ってたし、そうなれば一生食べてはいけるし。これでも一応、私なりに生きる事を最大限前向きに考えた末の行動だったんだけど」
なんか……わかるな。気持ちが。
俺も、大学に入ってからはずっと『なんとなく』な人生だった気がする。高校生までは一応、クラスに溶け込もうとか、勉強頑張って良い点取ろうとか、目立って人気者になりたいとか、そういう意欲はあった。
でも大学入ってからは、その環境の変化に適応できず、友達も親しい相手も見つけられなかった所為で、一日がやけに静かだった。ゲームと講義の繰り返し。最初は一人暮らしの開放感と期待で胸を高鳴らせていたけど、毎日が惰性になるのに時間はかからなかった。社会人になってからは更に空っぽな人生だった。
俺にとって『生きる事を最大限前向きに考えた』の……卒業と就職くらいか。大学は自分でもよく卒業できたなって思うくらい、当時何やってたのか覚えていない。就職活動の時も終始フワフワしてた。
警備員を軽視してた訳じゃない。でも、情熱みたいなのは全くなかった。多分シキさんも、最初はそういう感覚で働いてたんだろうな。
前を見ろ、先に進めと人は言う。でも見えないのに前を見ても、瞼の裏を見るのと何も変わらない。目的もないのに一歩踏み出しても、それはトレンド上位のワードをクリックする行為と何も変わらない。
勿論、罪悪感なんて何もない。何も悪い事なんかしてないんだから。だけど……あまりにも中身がない時間が長過ぎた。
俺も、生きて来た世界が狭い人間。シキさんと同じだ。
「ごめんね」
そのシキさんが、急に謝ってきた。
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