第309話 例え脱出できなくても
妖術によって作られたこの亜空間が、何らかの理由で反転した。
……なんて言われても正直ワケわかめなんだけど、兎に角そういう事らしい。いや、冷静に考えても全く意味不明なんだが。
「さっきも言ったけど、『亜空間生成の秘法』は特定の対象……トモの心象風景を抽出して、ある程度の作為性を持たせた上で具現化する術式なんだ。だから『モンスターを特定の地点から出現させる』なんて事も可能でね。でも、今のこの空間は……作為性が一切ないオリジナルのものになっている。だからボクの支配下にはない」
「それを『性質の変化』ではなく『反転』と断言した理由は?」
「二次創作した世界が一次になる事は絶対にないんだ。考えられるのは一次との交換、つまり反転のみ」
「消去法、というか他に選択肢がないのね」
納得したようにティシエラは引いたけど、俺は全然納得できない。ここがオリジナル? 例えるなら、鏡の中の世界が真の世界になったようなものだろ? ンな事言われてもすんなり受け入れられないって……
「だからこの空間は既にトモ、キミの影響下からも離れた。ループという性質もなくなっている筈だ」
「え? じゃあ街の外まで出られるって事か?」
「そうなるね」
じゃあ、それを確認すればコレーの言っている事が本当かどうか判明する訳だな。
さっきみたいにモーショボーに頼めれば簡単なんだけど、既に一度使用してしまった。この時間経過のない空間だと、もう二度と――――
「……時間の概念もオリジナルの世界と同じになってんの?」
「そうだね。暫く待っていれば天雷の位置も変わるし夜も訪れる。下手に動き回るより、それを待つ方が良いかもね」
天雷――――この世界における太陽の事だ。今は東の方向にあるけど、あれが真上まで来るようなら確実に星が自転している事になる。時が動いている確固たる証拠だ。
「疑う理由も現状ではないし、取り敢えず貴女の言う事を信じるわ。その上で問うけど、こうなった理由と元の世界に戻る方法はわかっているの?」
そうだ。今はコレーを疑っても仕方ない。それより元に戻る方法……この場合『元に戻す方法』と言うべきかもしれない。それを聞いておかないと。
「……残念だけど、どちらも正解はわからない。正直、こんな目に遭った事もないからね。対処法の検討すら付かないよ」
マジかよ……まあ正直予想はしてたけど。俺達以上に狼狽してるもんな、コレー。
「ティシエラが殲滅させた連中以外にモンスターはいるのか?」
「多分、いないとは思うけど……何者かが介入した可能性が高いから、断言は出来ないね」
コレーすら手探り状態じゃ、俺とティシエラに考察する余地は余りなさそうだ。考察厨は手掛かりがないと何も出来ん。予知能力がある訳でもなし。
「不確定要素が多過ぎて迂闊に動き辛いわね。取り敢えず、暫く待機して天雷が動いているかどうかを視認しましょう。それが確認できたら手掛かりを探しに街の中を探索。それで良い?」
「了解」
ティシエラの言う通り、ここで無闇に動き回るのは危険だ。コレーを信用しない訳じゃないけど、罠の可能性も完全排除は出来ないし。
なるべく早くペトロと合流しておきたいところだけど……まあ暫くここにいれば向こうが見つけてくれるだろう。
「コレー、貴女もここにいて。これからは私達と行動を共にして貰うわ」
「勿論。こんな事になったのはボクの所為だし、指示にはちゃんと従うよ」
真剣な顔でコレーは頷いている。彼女だってこんな所にずっと閉じ込められるのは不本意だろう。特に精霊は縛られるの嫌いそうなイメージだ。
ん……待てよ?
「精霊なんだから、精霊界に戻る事は出来るんじゃないのか?」
「普通の精霊ならね。でもボクは出禁食らってるからダメ。じゃなきゃ交流が断絶してる今、人間界に常駐できないよ」
「言われてみれば……」
人間と契約して召喚されてる訳じゃないもんな。精霊の在り方も千差万別か。
「つーか出禁って……何しでかしたんだよ。母親に嫉妬して何かやらかした?」
「……………………まあ、そんなトコ」
反抗期の末に大暴れして家を出た家出少女かよ。髭剃王消える、そして女子精霊を拾う。なお背徳感はゼロの模様。
「――――ぉぉーぃ」
今の声はペトロだ。ようやく見つけてくれたか。
「何にせよ、出来る事をするしかないわね。この場にいる面々で」
「ああ……」
そう生返事しつつも、何となく一筋縄ではいかないだろうなって予感はあった。
そして、往々にしてこの手の予感は当たる。何故なら俺のネガティブセンサーは最新鋭で精度抜群だからだ。32年の年月を掛けてアップデートして来たからな。どんな高性能アプリにも負けやしないのです――――
――――なんて下らない事を考えていたのは、一体いつだったっけ?
「5日前よ」
「もうそんなになるのか……」
思わず天を仰ぐ。そこには夥しい数の星が瞬き、見慣れた夜空が一面に広がっていた。
この5日間、進展は全くなし。思い返すのも虚しいくらい本当に何もない。
コレーが言っていた事は全て本当で、この世界には時間の概念もあり、ループする事なくフィールドも遥か遠くまで広がっている。
ただし俺達以外の気配は一切ない。人間も、動物も、モンスターも、精霊も、全く姿が見えない。この恐ろしく広い世界に、俺とティシエラとコレーの三人および俺と契約した精霊達だけだ。
幸い、時間の概念があるお陰で一夜が明けると全ての精霊を呼び出せるようにはなった。だからモーショボーに城下町以外の街にも飛んで行って貰ったり、ポイポイに乗って街中やフィールドを移動しながら手掛かりを探したりは出来たけど……残念ながら役に立ちそうな情報は何も転がっていない。
物知りそうなカーバンクルでさえも、この件に関しては何もわからないらしい。勿論、以前のようなフワワのアバターを使った脱出方法も今は使えない。
つまり、完全にお手上げ。元の世界に戻る方法も、戻す方法も、一切出て来やしない。絶望的な状況だ。
「仮に戻れたとして、元の世界の時間はこっちと同じように経過してるのかな」
「それも全くわからないわね。向こうの世界もこっち同様に反転しているのなら、逆に向こうは時間が止まっていても不思議ではないけど」
「それを願うしかないな」
もし既に5日も経過してるのなら、交易祭はとっくに終了し、俺の借金も返せないままって事になる。そうなれば、瀕死の俺を回復させたあのヒーラーは城下町ギルドから取り立てようとするに違いない。最悪、ヒーラー共の暴走でギルドが潰されかねない。
そんな事になったら、シキさん達に顔向け出来ない。
顔向け出来ないと言えば、もう一人……
「ゴメンな、ティシエラ」
「また? これで何度目?」
呆れるようにティシエラはいつもそう答える。でも、こっちとしては何度謝っても許される事じゃない。
なにしろ、ティシエラは俺に向けられた妖術に巻き込まれただけだ。責任を感じるなって方が無理だろう。
ティシエラが不在となったソーサラーギルドの阿鼻叫喚は想像に難くない……と言うより想像を絶するものになっていそうだ。最悪、俺がティシエラを攫って何処かへ逃げたと騒ぎ立てて城下町ギルドを焼き討ちする……なんて事もなくはない。ティシエラを崇拝してるソーサラー多いもんな。
「悪いのは貴方を貶めたコレーだし、あの子も十分反省してるから、これ以上の追及はしないと言った筈よ。いつまでもウジウジされる方が迷惑だわ」
「中々罪悪感って消えてくんねーのよ」
「それを私に言われてもね……そんな事に頭を使うくらいなら、ここから出る方法を何か捻り出してよ」
無茶振りしてくるなあ。でも、このやり取りはここまでがワンセット。昨日も一昨日も、無人の食料店から食材を頂く帰り道で同じ事を話していた。それだけ進展がない証だ。
「……やっぱり、原因を突き止めるしかないよな」
「でしょうね。世界が反転した原因さえ判明すれば、そこから脱出方法が見つかるかもしれないわ」
それは論理的思考とは言えない、希望的観測。でも現状では唯一、希望を見出せる仮説でもある。
「一つ一つ、洗い出していくしかないか」
「洗い出す?」
「どうせ推察でしかアタリは付けられないんだし、それを煮詰めるって事。まず大前提として、世界が反転した事は事実と仮定する」
「今更そこに疑問を持つ気はないけど……」
眉を顰めて隣を歩くティシエラに、取り敢えず今日ずっと考えていた事を明かしてみよう。意見交換は大事だ。
「その世界反転は、外部からの仕業か。それとも内部……妖術の不具合か。どっちだと思う?」
「前者よ。後者ならコレーがわからない筈ないでしょう」
その通り。コレーもその可能性大だと言っていた。
つまり、誰かが意図的にこの状態を作った。まずこの前提で話を進めよう。
「次。だったらその犯行には悪意があるか否か」
「普通に考えたら、悪意しかないと思うけど」
「だよな。ならその悪意は誰に向けられたものか」
「イレギュラーでここへ転移された私への恨みはあり得ない。コレーか貴方のどちらかでしょうね」
ティシエラの言う通りだ。実質的な二択と考えて良いだろう。
「コレーにそういう心当たりがあれば、とっくに彼女が気付いているでしょうね。でも、そんな素振りは見られないわ」
「って事は、俺への悪意か……」
実は、ここまではとっくに思い至っている。だからこそ、ティシエラに対する罪悪感が消えないんだ。
客観的に見て、何者かがこの空間にイタズラした理由として最もあり得るのは、俺に対する悪意。つまり俺に恨みを持つ人間の犯行って訳だ。
不本意だけど、他人に恨まれる心当たりは幾つもある。この異世界に転生してから、結構な数の連中と戦ってきたからな。
その敵の中に、今回の件の犯人がいるかもしれない。
「普通に考えたらファッキウだよな。コレーとも俺とも因縁があるし」
「彼はただの人間だから、仮に彼の主導でも実行犯は別にいるでしょうね」
それは間違いない。でも、奴等がこのタイミングで俺をピンポイントで狙う理由が見当たらない。正直、選挙の件だけでそこまで恨まれるとも思えないし。
だとしたら、今まで倒してきた敵――――例えばシャルフ達の残党やエルリアフの仕業って事も考えられるな。特にエルリアフは生存が確定しているし。
タキタ君の正体を奴だと看破した時、何処かへ軟禁できれば良かったんだろうけど……生憎そんな手段はなかった。奴は何処にでも行けるし、何処からでも逃げられる。見逃すしか選択肢はなかった。俺に危害を加える気はないって言ってたけど、信用できる訳がない。
ただ、あのネットリした性格上、俺をハメる事に成功したら顔くらい出すと思うんだよな。で、こっちを小馬鹿にする。それくらいの事はやるだろう。そう考えると、奴の仕業とも考え辛い。
だったら、俺に恨みがあるんじゃなくて、俺を元の世界から消さなきゃいけない理由があるとか……?
俺には虚無結界だけじゃなく、調整スキルというチートもある。これを危険視して俺を排除しようとした奴がいるのかも……
「ん~……でも決め手はないな」
結局、この日も結論らしい結論は出て来ない。わかっているのは、世界の反転なんていう壮大な力が働いた事実だけ。少なくとも、並の敵じゃないだろう。相当な力の持ち主――――
「魔王」
不意に、ティシエラがその名を口に出す。
「……って線も考えられなくはないわね。私達がずっと危惧してきたように」
「そう言えば、魔王がこの街に潜伏してるかもって言ってたっけ」
「ええ。コレーの妖術自体が相当な規模のものだけど、それにこんな干渉の仕方をするくらいだから、魔王やそれに近いレベルの存在が絡んでいると見るべきよ」
「もしそうなら、本体がこの世界に何処かにいたとしても、倒すのは無理筋じゃないか……?」
「本当に魔王だったら、そうなるでしょうね」
人類は現在、魔王を倒す手段を持っていない。ましてこの世界には俺とティシエラとコレーと俺の精霊しかいない訳で、とても対抗できる戦力じゃない。
「……そうね。一度魔王城に行ってみるのも良いかもしれないわ」
「魔王城に? でも霧があって入れないんだろ?」
「元の世界ならそうだけど、ここはそうとは限らないわ。聖噴水の効果がないみたいだし」
言われてみれば――――ここへ来た直後、街の中にモンスター達の侵入をあっさりと許していた。明らかに聖噴水の効果は発現していない。って事は、魔王軍側の聖噴水とも言える邪怨霧も発生していないかもしれない。
「よし。明日モーショボーに偵察に行って貰って、霧がなかったらポイポイに乗って魔王城に行ってみよう」
「決まりね」
この5日間は街の探索だけに時間を費やしてきたけど、いよいよ外に出る時が来たか。モンスターはいないって話だけど、緊張は禁じ得ない。
「……もし魔王城に何もなかったら、次はどうする?」
何の気なしに、そんな事を聞いてみる。深い理由はない。まだ目的地に着かないから、雑談を継続しただけの事。
「そうね……別の街に行ってみるのも良いかもしれないわ」
「世界中を旅する感じ?」
「ええ。可能性は低いけど、何処かに誰かいるかもしれないし、何かゲートのような物があって脱出できるかもしれない」
「それだと、逆に釈然としないかもな」
「そうね」
珍しく、ティシエラはクスクスと笑った。
……仮に、このまま脱出方法が見つからずに、ティシエラと一生この空間内で生きていく事になったとしたら、俺達は一体どうなるんだろう。
まだ5日だから、そんな事を考えるのは早過ぎるかもしれない。でも、全く考えないってのも無理な相談だ。
精霊もいるとは言え、人間は俺とティシエラの二人だけ。それで一生今の関係を維持……ってのは流石にないだろう。ないよね? 幾らネガティブな俺でもそれはあり得ない。
兎にも角にも、まずは生活を安定させなくちゃいけない。話はそれからだ。
幸い、衣と住には困らない。問題は食だ。時間の概念があるから、今ある食料はいずれ腐っていくし、既に生肉はもう厳しい。動物もいないから肉類や魚の調達は不可能だろう。
けど作物は育てられる。熟穀(この世界の小麦)を自分の手で育てられればパンだって焼き放題。多少メニューは偏るけど、食も問題なさそうだ。水だって川から汲んでくれば良い。
……イケる! 例え脱出できなくても、ティシエラと一緒にここで――――
『了解。ガッツリ働いてくれ』
『ギマの借金完済の為にな!』
……。
『今回の交易祭を乗り切れば、借金は完済できるんだったか?』
『微妙ですね。報酬を満額受け取れても、届くかどうか……』
『そうか。微力ではあるが全力を尽くそう』
……。
『あと、なんか死ぬまでギルド続けるって。同い年だし、私も寿命くらいまでそこにいるかもね』
……なんて浮かれてる場合じゃないか。
絶対に帰らないと。俺を信じて、集まってくれたみんなとまた会う為にも。
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