第304話 ユーフゥルの正体

 マズい――――そう思った時にはもう手遅れだった。


 一瞬、顔に懐中電灯でも押しつけられたと錯覚するほど眩しい光で視界が覆われ、次の瞬間にはもう平衡感覚を失っていた。


『あっ、これ死んだ』と思う間もなく、身体が粉々にされた。


 ……と思うって事は、死んではいない訳で。


 ほんの一瞬、身体も心も何もかもバラバラになったような感触があった。でも今は違う。意識もハッキリしている。痛みすらない。


 取り敢えず身体は無事で、宙を舞っている事だけはなんとなくわかった。浮遊感自体は殆ど感じていないけど、足が地面に付いていないのは、そういう事なんだろう。


 そう考える頃には頭も多少回ってきた。多分、魔法か何かをあの至近距離でモロに食らったんだろう。普通なら一瞬で消し炭か汚ねぇ花火になるような、すっごい奴を。


 でも生きている。こうして思案に耽る事が出来ている。なら答えは一つだ。


 その結論に辿り着いた瞬間、全身を何かの衝撃が走る。次の瞬間、見えたのは空。成程。今ようやく地面に叩き付けられた訳か。


「最高だ! 素晴らしい。ようやく見つけたよ」


 ユーフゥルの声が聞こえてくる。今までにない昂揚。明らかに興奮している様子だ。 


「ボクが見間違える筈がない。間違いなく虚無結界だ」


 やっぱりそうか。例の結界が発動したんだ。それで命が救われた。


 でも妙だ。さっきの俺は『殺される』とか『死ぬ』とか思う前にもう結界が発動していた。検証の結果とは違う発動の仕方だ。勿論、こっちとしてはそのお陰で命拾いしたんだけど。


「……この結界、一体何なんだ?」


 悠長に話をしている場合じゃないのはわかってる。でも、この機会を逃せば二度と知り得ないかもしれない情報だ。どっちにしろ逃がしてくれそうな相手でもないし、突破口を見つける為にもここはユーフゥルに喋らせるのが得策だろう。


「理解していないのかい? という事は、キミがそれを手に入れた経緯を曝くのも簡単ではなさそうだね」


 向こうにこっちの情報が渡るのは、この際仕方ない。別に知られて困る事でもないしな。


「だが、キミがその結界を"継承"したのは間違いない。ならば、それをキミ以外が使えるようになるのは決して不可能じゃない。キミの何処にそれが結びつけられているのかさえわかれば、何となく想像はつく」


 ……なんかヤベー事言ってる気がするんだけど。これ会話続けて大丈夫か?


「解剖してみるか」


 わーーやっぱり! 絶対まともな奴じゃないとは前から思ってたけど、いよいよ猟奇的な事言い出した!


「そうだな。これなんてどうだい?」


「!」


 再び視界が覆われる。でもさっきとは違って、扇風機のカバーみたく中央に向かって無数の線が集まってくるような――――


「おおおおおおおおおお!?」


 なんか、結界が物凄い勢いで切り刻まれたぞ今……大丈夫かよこれ。


「素晴らしい。【ファルチェミーラ】でもダメなのか。普通の人間相手なら、今ので1000分割くらい出来るのに」


「おいおい……」


 冷や汗が止まらない。こいつ、明らかにシャルフより強くね?


「不思議な結界だ。キミが意図的に出力しているとは思えないし、キミの恐怖心に反応している風でもない。そもそもキミ、攻撃される事に恐怖を感じていないだろう?」


「……どういう意味だ?」


「ボク自身の得体の知れない事への恐怖は、確実に感じている。でも殺されるとは思って……いや、思ってはいるかもしれないな。うん。思ってはいそうだ。なのに、死に対する恐怖心がない。何だこれは。キミは何なんだ?」


「その言葉そっくりそのまま返してやるよ」


「確かに……お互いを知らなすぎるね、ボク達は。キミにとってボクはアンノウンなんだろう。そしてボクにとっても、キミはアンノウンそのものだ」


 モンスター扱いされているみたいで良い気はしないけど、言い得て妙だ。未確認生命体って意味では、俺もこの世界の住民からすれば立派なアンノウンだろうし。


「良いだろう。キミが本当に何も知らないかどうかを探る必要もあるし、反応を見るついでに教えてあげよう。その虚無結界は人間が作り上げた最高傑作。この世の全ての脅威を無効化できる結界と言われているんだ」


「……」


「その顔は、ほぼ同じ内容を知っていたって顔だね」


 その通り。『最強の魔王すら破れなかった結界』ってシャルフが言ってたもんな。新情報と言えば人間が作ったって部分だけど、それだって想像に難くない訳で。


「今、この世界には魔王を倒す武器が存在しない。でも、その結界があれば相手が魔王でもやられる事はない。倒せないまでも、動きを封じる方法でも見つかれば、必ずそれは必要になる」


「……魔王討伐でも目指してるのか?」


「フフ……ハハハ!」


 何がおかしいんだ。そんな笑うような事言ったか俺。


「いや失礼。人類が未だにそんな事を言っていると思うと、切なくなって来てね」


「……?」


 言葉がチグハグ過ぎる。切ない? 滑稽とかならわかるけど……いやわかんねぇけど。


「でもまあ、その結界を欲しているのは事実だよ。ずっと狙っていた。何処に隠されているのかわからず途方に暮れていたけど、まさかアンノウンが持っているなんてね。自分の嗅覚と引きの良さに惚れ惚れするくらいだ」


「あーそうかい。でも生憎、俺はこれが使える理由なんて知らねーけどな」


 多分、この身体の持ち主なら知っていたんだろう。でも俺がそれを知る事は決して出来ない。


「キミは正直者のようだ。だとしたら、やはりキミを連れて帰るしかないか」


「連れて帰る……?」


「ヒーラー達と創った国にさ」


 うげ……そういや、そんな話もあったな。交易祭で忙しくてすっかり忘れてたけど。


「彼等がいれば、キミをどれだけ引き千切って中を調べても、元のカタチに戻してくれる。ボクにとって彼等は必要不可欠な人材なのさ」


 おいおいおいおい! なんだこいつヒーラーよりヤベーじゃん! 猟奇性を手段にするな!


「後は、その結界が発動しない条件を見つけるだけだね。キミ達の検証通り、キミが命の危険を感じたら発動すると思っていたんだけど……どうやら不完全な検証だったらしい」


「そのようで」


 お陰でこうして助かってる訳だから、皮肉なもんだな。


「或いは、キミには死の概念自体が存在しないのかな? もしそうなら、さっきキミが死を怖がっていなかった説明が付く。でもそんなのは、不死身でもなければあり得ない。ますますわからないな」


 こっちだって知らねーよ。多分、一度死んで感覚がバグってるんだろうけど、それだって単なる俺の予想だ。


 死に対する恐怖がない。これはこの世界に来た初日から感じていた。そのお陰で、窮地に立たされてもなんとか凌げてきた所もある。ある意味これは、調整スキル以上のチートかもしれない。


「遠距離……いや、素手以外ではノーダメなのかもしれない」


 パッと思い付いたようにそう言ったかと思うと――――ユーフゥルの身体が消えていた。


「これも違ったか」


「!」


 いつの間に後ろに……しかも俺の後頭部目掛けて思いっきり殴りつけて来やがった。


 でも、それも結界が防いでくれた。さっきから発動しっぱなしだ。こんな事は初めてだな。


 まさか敵……ユーフゥルって人物そのものに反応してるのか?


 検証でも、シデッスの攻撃に発動して、ヤメの時は出て来なかった。本気で俺を殺そうとしている……殺意を持っている奴に反応してるのかもしれない。シデッスなら十分あり得る。


 ただ、それだと不可解な点が一つある。


 夜道で俺を刺したのは、こいつじゃないのか?


 この異空間を生み出したのがユーフゥルなら、あの声だけの存在もユーフゥルだとばかり思ってたけど、あの時は結界が発動しなかった。


 殺意を込めてなかったのか? でも、それも妙な話だ。夜道で刺して殺す気はなかったとか、頭のおかしな犯人の供述でしか聞いた事ないぞ。


「何か思い付いた顔だね?」


 ゲッ……気付かれた。何だこいつ。俺の事的確に見抜き過ぎだろ。


 やっぱり俺、考える事が顔に出てんのかな。始祖にもシキさんにもティシエラにも、あとフレンデリアにも思考読まれるし。とうとう野郎にまで読まれてしまったか。


「だが、より良い手を思い付いたのはこちらさ。フフ、これは良い」


 なんだ? 憎たらしい顔したがって……


「キミの知っている事、思っている事を全て話して貰おう。そうしないと、キミのツレが死ぬ事になる」


「……!」


 この場にいないティシエラを人質にする気か……!?


「この空間はボクが妖かしの術で生み出した。キミを依り代にしてね。ここは"キミの所有するイメージ"を具現化した空間なんだ」


「イメージ……?」 


「記憶に近いものだね。キミが今いる場所を、キミが心の中で見ている景色に置き換えた、とでも言おうか。キミは、よほど孤独が好きみたいだ」


 ……いや、そりゃ変だろ。だって、さっきのモンスター連中は見覚えのない奴等ばっかだったぞ?


 まさか、この身体の持ち主の記憶が混ざってる……? いや、俺の記憶じゃなく身体の記憶そのものが反映されたのか?


「だから、キミがティシエラの死ぬ光景を一度でもイメージした事があるのなら、あの女はこの空間内でも死に至る。どうだい?」


「……」


 そんなの、あるに決まってる。ついさっきもそうだ。死なせちゃいけないと思った人達の『死』は、必ず頭の何処かで連想している。


「キミの事は結構長い間見続けてきたから、良く知っているよ。戦闘力はこの街の中でも最下層。けれど不思議なスキルと虚無結界を有する。それだけに、頭を使って創意工夫するしかない。今までは、そうやって生き延びて来られたが……今回はどうかな?」


 どうもこうもない。こいつは何の前触れもなく、いきなり目の前に現れてきた。この空間限定かどうかは知らないけど、瞬間移動みたいな力を使えるのは確実だ。そんな奴を野放しにしたら、幾らティシエラでも……


「モンスター達の餌食にするか、ボクが始末するか。ボクはどっちでも良いよ。さあどうする?」


「……良いのか? そんな危ない橋を渡って」


 繋ぎ止めるしかない。とにかく話を途切れさせるな。奴の興味を俺に向けるんだ。


「どういう意味だい? まさかボクが彼女に負けると言いたいのかな?」


「お前が乗り移ったその男、カインっていう奴なんだけど……お前、そいつの事を知ってるのか?」


「当然。記憶は共有されるからね。この男がソーサラーギルド所属なのも、ティシエラに傾倒していたのもね。まさか、ティシエラを殺せば彼の自意識が芽生えるとでも言いたいのかい?」


 傾倒、という言葉が果たして崇拝を指すのか、それとも恋愛感情を含んでいるのか。正直気にならないと言えば嘘になる。ティシエラがカインをずっと気にかけていた事を思うと余計に。


 けど今は敢えて考えないようにする。脳の色を変えろ。今必要な色は――――灰色だ。


「生憎、そんな事は絶対にあり得ない。"人間如き"が一旦ボクの術中にハマって自力で元に戻るなんて、天地がひっくり返っても無理さ」


「成程。お前、人間じゃないのか。モンスターか?」


「……」


 ボロを出した、とは言わない。わざとらし過ぎる。そもそも異空間を作ったり他人を身体を複数奪って同時に乗っ取るなんて、人間業じゃないのは明らかだ。


 でも、モンスターって判断には傾かない。さっき奴は『魔王』と言っていた。モンスターなら『魔王様』だろう。魔王に反旗を翻している下克上狙いのモンスターって事もなくはないけど、それよりあり得るのは――――人間でもモンスターでもない存在。


 例えば、精霊。


 こいつの使う妖術の事をカーバンクルが知っていた。彼曰く『闇堕ちした精霊の十八番』。


 恐らくこのユーフゥルの正体は、暗黒面に堕ちた精霊だ。


 それなら話は早い。


 面白そうだし、ちょっと乗っかってみるか。


「やっぱりそうか。モンスターなんだな?」


「フフ、流石ボクが目を付けただけはあるね。中々鋭いよ」


 向こうの狙いは明白だ。俺に奴をモンスターだと思い込ませようとしている。つまりミスリードってやつだ。


 ユーフゥルは俺の事をかなり調べ上げているみたいだから、俺がどういう情報を握っているのかも知り尽くしているつもりなんだろう。当然、モンスターに化けてる人間と何度も戦っているって事情も。だから俺が今回もそうだと思い込んでる……って心の中で嘲笑ってるんだろうな。


 それを利用しない手はない。時間稼ぎにはもってこいだ。


「でもお前、さっき魔王の事を敬称略で呼んでたよな。そんなモンスターいるのか?」


「いるさ。魔王軍とて一枚岩じゃない。中には一向に人間を滅ぼそうとしない魔王に辟易している奴等もいる。このボクのようにね」


「って事は、噂に聞いていた魔王軍の抵抗勢力『カニエウェスト』の先鋒なんだな?」


 勿論、そんな噂はないしそんな勢力もいない。適当に言っただけだ。


「……ふうん。良く知っているね、そんな事まで」


 お、少し動揺したか?


 向こうは向こうで、俺に疑われないようにしなくちゃいけない。こっちの握っている情報を把握していないと知られれば、自分の正体がモンスターじゃない事に気付かれる――――そう思っているだろうからな。


「やっぱりか! って事は、王城の地下に眠る魔王封印の術式『ケンドリックラマー』を手に入れようと画策している集団ってのもお前らだったのか!」


「…………そうか。そこまでバレてしまっているのか」


 今のは露骨に『え? そんなのあるの?』って間だったな。勿論そんな術式などない。全て即興の創作だ。


「なんて奴だ……そうなってくると、職人ギルドの第二研究所で密かに開発していた『ウィズカリファ』を盗み出したのもお前の仕業か! 邪怨霧を晴らして魔王城を襲う気だな!? ならヴァルキルムル鉱山の最奥に封印されていた『アイスキューブ』もお前が砕いたのか! クソッ! なんて事だクソおおおおッ!!」


「………………………フフッ」


 とうとう言葉すら出て来なくなって半笑い浮かべちゃったよ。ここまで来たらもう後戻り出来ないんだろう。こっちも流石にネタ切れだ。


「どうやらボクは、キミに甘過ぎたようだ」


 笑みを消したユーフゥルは、最初に会った時のような顔で俺を睨んだ。





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