第303話 同一人物
俺に出来る唯一の事。それは逃げるという選択。逃走だ。
……多分、この光景を見ていたティシエラとペトロは目を点にしてるだろう。あれだけ啖呵切って逃げ出したんだから。
勿論、本当に逃げる訳じゃない。奴等が俺しか狙っていないのなら、逃げた俺を全モンスターが追いかけてくる。まだ交戦状態にもなってない段階でティシエラとペトロを狙う理由はないからな。
あのクソデカい連中相手なら、地の利さえ活かせればすぐには捕まらない筈。逃げ続けていれば、奴等の群れは機動力のあるヤツが前に、ないヤツが後ろになっていき、次第に戦力が分断されていくだろう。
異世界に来た初日もそうだった。モンスターに遭遇した俺とコレットが逃げ続けていたら、機動力に富んだスケベ鳥だけが先行してきた。
あの時と同じ状況を作る。俺が囮になって街中で逃げ回れば、追いかけてくるモンスターはバラバラになり、しかも隙だらけになるに違いない。モンスター相手に戦った経験が殆どない俺に出来るのは、その僅かな経験を活かして戦況を少しでも有利にする事だけだ。
種類が違うとはいえ、あの中にはゴーレムもいた。ハッキリと覚えている。
追ってきたモンスターの中でも、奴等は最後尾だった。あんな重そうな奴等は足が遅くて当然だ。あのクリスタルゴーレムってのは更に重そうだ。
ある程度逃げ続けていれば、奴等だけが孤立する。そこをペトロに狙って貰う。不意打ちで各個撃破が理想だ。
クリスタルゴーレムさえいなくなれば、ティシエラの魔法で街ごと焼き払っても良い。どうせ俺達以外誰もいないだろうし。
作戦は以上! わかったなペトロ!
――――前にフラガラッハの入手を怪盗メアロに頼んで、その様子を見届ける為に始祖から幽体離脱して貰った事があった。
思念体になってシキさんの身体に取り憑いていたあの時、モーショボー相手に声を出さなくても意思の疎通が出来た。
つまり、契約中の精霊とは思念だけで話が出来る。しかも、距離は問わない。
念の為に、さっきペトロ相手に言葉を使わず意志の疎通が出来るか確認してみたら、ちゃんと出来た。目と目で通じ合う仲になったのは不本意だけど、まあ良い。
兎に角、これでペトロの口からティシエラにも俺の狙いが伝わるだろう。流石にあの場で全部説明する時間的余裕はなかったからな。そもそも反対されそうだったし。心配してくれるのは嬉しいけど、微妙に過保護なんだよな。俺が弱い所為なんだけど。ここらで、やる時はやる奴だって証明しておかないと。
……なんて考え事してる場合じゃねーな。裏路地抜けたし、現在地を確認しないと。
ここは確か、ソーサラーギルドの近くの通りだ。直ぐ目の前にメルトランテがある。元ソーサラーが営んでいるパン屋だ。
このアインシュレイル城下町に来て約200日が経った。その間、パン屋巡りや街灯設置を通して、街の地理には随分と詳しくなっている。どの道に入れば何処へ出るかは大体把握済みだ。
「……うおっ!」
何かが崩れるような爆音が聞こえて来た。間違いなくモンスターが建物を破壊した音だ。方角は……さっきティシエラ達といた方だ。
良いぞ。建物を壊したって事は、大通りから方向転換してこっちに向かっている証拠だ。最低でも敵の戦力を分散させる事は出来ている。まあ、クリスタルゴーレムを引き付けられてなきゃ作戦は失敗なんだけど……
出来ればその姿を確認したいけど、そこまでモンスターに接近したら命の危険が伴う。所詮、ついさっき即興で思い付いた作戦だから、何から何まで都合良くはいかない。そこは割り切って逃走に集中しよう。
理屈は不明だけど、街の外から俺の存在を察知してここまで来たんだから、俺の姿が見えなくても追ってくる筈。何処かへ身を隠すって選択肢はない。
当然、走り続ける事も出来ない。体力には限界がある。既に二回、精霊を呼び出して体力を魔力に変換してるから、結構バテバテだ。
幸い、この異空間の街には俺とティシエラしかいない。建物なんてどれだけ壊して貰っても結構。モンスターが俺に向かってくる動線に、出来るだけ建物を多くする事が出来れば、奴等の接近を遅らせる事が出来る。
その為には――――旧ベリアルザ武器商会の方へ向かうのが良さそうだ。あの辺は建物多かったからな。
出来るだけ体力を使わず、でも出来るだけ早く逃げる。その為には、ランニングくらいの速度で走るのが一番良いだろう。
……何気に持久走は割と得意なんだよな。昔から。校内マラソンでTOP20に入った事もある。息を切らしてもペースを落とさず走り続けられるのが、俺の数少ない長所の一つだった。
必勝法ってほどの事でもないけど、一応コツはある。考え事をして、気を紛らわせる。疲労している自分を忘れるくらい、頭の中で全く別の事を考える。
それでも辛さが勝って来たら、次は心の中で自分を思いっきり鼓舞する。『おい俺、こんな所でヘバってんじゃねーぞ。まだまだやれるだろ? 全然いける。全然大丈夫。絶対負けねぇ! 負けてたまるか!』みたいな感じで。
まあ、モノローグとしちゃ最高に恥ずかしい。もし誰かに聞かれたら、自分が主人公になったつもりか、とんだ勘違い野郎だなと失笑される事請け合いだ。
けど、他人に聞かせる為の言葉じゃない。そして不思議な事に、例え自分自身をどれだけ疑っていても、例え心の中でも、言葉にすれば妙に力が湧いてくる。なんとなくその気になる。
今もそうだ。
俺は自分自身がショボい奴だと確信してる。それに疑り深い。周りから褒められても、素直に受け取る気にはなれない。
「はっ……はっ……はっ……」
だけど、自分を誤魔化す事くらいは出来る。
絶対にモンスターには追い付かれない。作戦は上手く行く。全て。完璧に。そしてペトロが、ティシエラがなんとかしてくれる。全員無事で夜を迎えられる。
「はっ…はっ…くっ……うーっ……」
キツい。マジしんどい。なんで30代にもなってこんな事しなきゃなんねーんだ。ザケんな。殺すぞ。クソが。バカタレ。死ね。死ね! 死ね死ね死ね!
……思い出した。そういや学生時代も、自己肯定すら効き目がなくなったら最終的に小声で悪態つきまくって耐えてたな。最終的に拠り所になるのは攻撃的な言葉。それが怒りと同じような作用で心を奮い立たせる。
特定の誰かを中傷する訳じゃない。自分に対してでもない。なんだろう。別に誰も死んで欲しくはないのに、死ねだの殺すだの言う事でキツいのが和らぐ。性悪説に興味はないけど、俺自身そういう性質の人間かもしれない。
それでも別に良い。綺麗な心なんて持ってるとは思ってないし、自分が良い奴なんて逆立ちしても思えない。クソな自分を山ほど見てるし知ってる。だから他人に好かれるなんて思えないし、そんな自分が誰かを好きになれるとも思えない。
もうそれで良い。そうやって生きていこう。何度も自分を諦めてきた。そして死んだ。
生き直して――――変われたのか?
変わらないよな。
根っこは変わらない。如何に別の自分を作るか。ペルソナと言い換えても良い。結局は、それが限界だと思う。
社会的評価が伴う場面での自分。ギルド内の立場を弁える自分。
……友達と話す時の自分。
全部、少しずつ違うし違って当然。その違う自分すら作れずに、一面性だけで生きていたのが生前の俺。
今の俺は――――少しでも自分を良く見せたいと、そう思えるようになった。
「はっ……は………ふぅ」
いつの間にか、旧ベリアルザ武器商会に着いた。一度も歩かずに。
人間、やれば出来るな。頭痛いし膝もヤベーけど。
取り敢えず、休憩を――――
「……え」
浅い呼吸が、思わず止まる。
無意識に息を呑んだその瞬間、目の前にあった武器屋の"破片"が頬を掠めた。
少し遅れて、音が聞こえてくる。
さっき聞いたよりもずっと大きく、暴力的で、乱雑な音。
武器屋が――――粉々に砕けた。
「なっ……」
言葉も出ない。不測の事態はそれなりに頭に入れていたつもりだけど、こんなのは全く予想していなかった。
馬鹿な。早過ぎる。もう追い付いてきたのか……?
「自分の古巣が破壊されるのは、どんな気分かな?」
……おいおい。
モンスターが喋ってきたのかと一瞬思ったけど、どうやら違う。崩れゆく武器屋を背に、こっちにゆっくりと近付いて来る――――人影が見える。
それほどの距離はない。すぐに何者かは特定できた。何しろ……見知った顔だ。
「セフィード……」
冒険者ギルドに所属する、レベル58の冒険者。同時に、シャンドレーゼ交響楽団所属で金管楽器を扱う白づくめの音楽家。
何故、奴がここにいる?
「私だったら、正直悲しい。既に気持ちが離れていたとしてもだ。例えるなら、一夜を共にした女性が不幸になるようなもの。甘受は出来ないだろうね」
「悪いけど、アンタの価値観に今は興味がないんだ。それよりも"ここ"に表れた理由を説明して貰いたいな」
「相変わらずつれないね。私の方は君に興味津々だと言うのに」
そりゃそうだろう。明らかに俺を待ち構えていたようだからな。
そして、この異空間でそれが出来た理由は一つ。
「ここを生み出しているのは、アンタか」
「その通り。御名答、とは言わないよ。余りに一目瞭然だからね」
隠す気が少しでもあるのなら、わざわざ俺の前に現われたりはしないだろう。しかも、これ見よがしにベリアルザ武器商会を破壊してまで。
間違いない。この男は……俺を執拗に追い続けている、あの声だけの存在の一味だ。
「君の事はずっと監視していた。君がこの街へ来てからずっとね。果たして"何人に"気付けたかな?」
「……どういう意味だ?」
「まだピンと来ないかい? それなりにヒントは上げていたんだけどね。君の事を見張るのに、私にどんな能力が必要だと思う?」
監視に必要な能力……? そりゃ勿論、周りをウロウロしていても不審に思われない能力だろう。尾行するのが上手いとか、そういう事か?
……尾行。
この世界には電柱や自販機みたいにサッと隠れられるような物は街中にはない。街灯は作ったけど、あれは細過ぎる。隠れられないのなら、尾行されても即見つけられる。
でも、見つけられないケースもある。
例えば――――変装。
怪盗メアロと同じくらいのレベルで別人に化けていたら、とても特定は出来ない。
ヤメと食事した夜、シキさんが奴の気配すら完全に見失ってしまったのは……
「別人に化けられる……いや、別人に"なれる"のか?」
「今度こそ言おう。御名答」
……道理で、レベル58の割に存在感が以上に薄い筈だ。あの姿でいる事自体がそう多くなかったんだ。
「こういう裏でコソコソと動き回る行為は、最後に本人に種明かしして愕然とさせてこそ美しく完結できる。是非君には聞いて欲しい。私がこれまで何をしてきたかを」
「生憎、そんな余裕はないな。知ってるんだろ? 俺がモンスターに追われているのを」
「勿論さ。私がそう指示しているのだから」
だろうな。この空間を作り出したのがこの男なら、ここにいるあのモンスター達の生みの親もこいつだ。
「心配しなくても、まだ随分と遠いよ。それとも、私の要望を撥ね除けて私と戦うかい?」
ぐっ……敵意こそ見えないけど、そりゃそうだよなって答えだ。理由は不明だけど、こいつの標的が俺である以上、このまま逃がす訳がない。
不本意だけど、奴の話を聞くしかない。
「わかったよ。話せば良いだろ」
「嬉しいね。思えばこの武器屋に居た頃から、君は誠実だった」
「……な」
その頃から俺を追い回してるのか?
まさか、客の一人に化けて――――
「この姿に見覚えはないかい?」
「!」
いつの間に……この一瞬で姿を変えたのか!?
それに、その外見。見覚えは当然ある。口調はまるで違うけど、間違いない。
「ユーフゥル……」
「久し振りだね。元気にしてたかい? ボクの最後に言った言葉、覚えていてくれたら嬉しいな」
胸糞悪いが、ハッキリと覚えてる。去り際、奴はベルドラックと五大ギルドを信用するなと言っていた。最初から信用も何もないベルドラックは兎も角、五大ギルドに対しては信頼と不信感が入り交じっていたから。
けど、今はそれより気になる事がある。
「そいつは元々、カインって名前のソーサラーだった筈だ。その頃からお前だったとは思えない。一体、何をした?」
「大体想像がつくんじゃないかい?」
……つかない、と言えば嘘になる。でもそれは、ティシエラが悲しむ結果に直結している。出来れば当たって欲しくはないけど――――
「ボクの能力を紹介しよう。君達が『固有スキル』と呼んでいるものに近い。ボクは、条件を満たせば他者の身体を奪う事が出来る。奪った身体は永久にボクの物だ。見ての通り、一瞬で切り替えられる。どうだい大将?」
「なっ……」
今度は……ポラギ!?
嘘だろ!? ポラギがユーフゥルと同一人物だったって言うのか……!?
「この身体を頂いたのは割と最近でなあ。選挙の少し前だったっけ。しっかり監視するにはやっぱり、ギルドの仲間にならなきゃなあ」
「やめろ! その姿でそれ以上話すな!」
じゃあ、酒の席で俺の結界についてバラしたって話も……こいつの仕業だったのか?
『最初は不特定多数の人間が別人のようになる事件から始まって、聖噴水の一時失効、ヒーラーの暴挙、王城占拠、そして王族や住民の失踪……もしかしたら、これらのトラブルは全部一本の線で繋がっているかもしれないわね』
ティシエラが言っていた事は、やっぱり正解だったんだ。突然人格が変化した連中の少なくとも一部は、この野郎の仕業。別人から身体を乗っ取っられたのなら、性格が激変するのも当然だ。
でも、幾らなんでも俺を監視する為にその能力を使い始めた訳じゃないだろう。俺がここへ来る以前から、こいつは暗躍していた筈。
何の為に……?
「良い顔をしてくれたね。やはりキミは、ボクの期待に応えてくれる男だった」
こっちの意向を汲んでか、ユーフゥルに姿を戻して会話を継続してくる。今の言葉は恐らく、選挙の時に奴がファッキウへ反論した時の事を言っているんだろう。
「ファッキウやメカクレはどうした? あいつらは仲間じゃないのか」
「同志さ。彼等には彼等の目的がある。ボクはそれに力を貸しているに過ぎない。勿論、その見返りも得ているがね」
利害の一致で行動を共にしていた訳か。表向きは『女性になりたい男達』だったあの集団だけど、一枚岩でないのは何となく察していたから驚きはない。
「そろそろ本題に入ろうか。キミに目をかけたのは、キミが妙な力を持っているからさ」
「……」
何を指して『妙な力』と言っているのか。調整スキルか? それとも、あの結界の事か?
「これからキミを粉々にしてあげよう。果たして、その力は発動するかな?」
後者か……!
マズい。あれを引き出そうとしているのなら、俺を殺すつもりで攻撃してくる。もし結界が発動しなかったら……死ぬ!
「期待に応えてくれ」
理不尽な要求を口にした瞬間、ユーフゥルの姿が消えた。
いや……俺の目では、奴の動きは捉えられないのか。
「さあ」
その声は――――耳元で聞こえた。
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