第292話 一人のまともな人間が壊れていく様を丁寧に見せられているこの状況

 アインシュレイル城下町の治安が良いとされる大きな要因として、この娼館の存在を無視する事は出来ない。


 聞いた話によると、この世界における娼館の周辺は大抵治安が悪いらしい。でもここに関しては全然そんな傾向が見られない。女帝の教育が行き届いていて、娼婦一人一人が信念とプライドを掲げ働いているからこそ、客の方にも相応の意識が芽生え、トラブルなど起こさず綺麗な交流を保つ事が出来ているんだろう。


 でも、そんな娼館にも警戒すべき時期があって、その一つが交易祭の期間だという。祭りの雰囲気に飲まれた客が暴れるのは想像に難くないけど、娼婦の方もその空気に酔い痴れ、普段はマジメに働いている女性でもハメを外してしまうそうだ。


 結果――――


「この時期がね、一番多いんだよ。身請けの」


 身請け。要するに、多額の金を支払って特定の娼婦を引退させ、その身柄を引き取る事。寿退社じゃないけど、イメージとしてはそれに近い。


 身請け自体は決して否定されるものじゃないらしく、客側は気に入った娼婦を独占し、娼婦側は過酷な仕事から足を洗う事が出来る為、双方にメリットがある。性的対象化(モノ化)の象徴とも言える制度のように思えてならないけど、それを指摘してこの世界の文化にケチを付けるつもりはない。


 ただ、娼館側からしたら主力となる娼婦を失う訳だから死活問題だ。それに相応しいだけの金額を納めて貰えれば良い、というものでもない。一番人気の娼婦を失えば、売上げ以上に娼館そのものの格が下がる。それはどんな組織だって同じだ。劇団で言えば看板役者、楽団で言えばコンマスが抜けるようなもの。勿論、ギルドで言えばエース級の退会を意味する。


 当然、周囲や社会からの信頼は落ちるし、周りの見る目も変わるだろう。『あそこは何か問題があるんじゃないか? だからあれほどの人が辞めたんじゃないか』などの誤解を招く事にも繋がる。


「それでも、ウチの子達が幸せになれるのなら良いさ。一番人気が抜けたら、その穴は別の奴等で埋める。足りないのなら成長と補充でカバーする。当たり前の事さ。けどね……」


 女帝の顔が引きつっている。こんな顔はファッキウがこの街を去って以降、初めて見た。


「どいつもこいつも金に目が眩んで騙されやがるんだよ! アタイを通さず身請けすれば娼館に払う筈の金も自分が貰えるって唆されてさぁ! 冗談じゃないよ! ったく!」


「まさかの同時多発身請けテロ……」


 一番人気、二番人気、三番人気、四番人気の娼婦が揃って身請けを持ちかけられ、全員が女帝に話を通さず同じ日に高飛び。


 これが本日、娼館内で起こった事件の全容だった。


「護衛する側としても、こんなのは想定してませんて。何でそんな事になっちゃったんです?」


「誰かが手解きしてるに決まってるさ! 四人同時に別ルートで身請けなんて、一体どんな確率になるんだよ!」


「ですよね……」


 身請け自体、そう頻繁に起こる事じゃない。なのに、まるで交易祭初日を狙い撃ちしたかのように、トップの四人が同時に姿を消した訳だから、これを偶然と片付けるのは無理がある。 


 普通に考えれば、娼館に対する明確な嫌がらせだ。これが身請けじゃなく誘拐や襲撃だったら、護衛を行っている俺達への敵意って可能性もあったけど。


 問題は、この娼館に何の恨みがあって行われた身請けテロなのか。最初に思い浮かんだのはファッキウの顔だけど、奴がこんな露骨な手を使って実家に嫌がらせするとは考え難い。それに、幾ら奴が超絶イケメンでも先日起こしたヒーラー騒動の影響は大きい筈で、娼婦も素直について行こうって気にはならないだろう。


「はぁ……参ったね」


 談話室で女帝が力なく項垂れる。無理もない。一番の稼ぎ時に主力がごっそり抜けちゃったんだ。ウチで例えるなら、オネットさんとシキさんとディノーとヤメが一遍にいなくなるようなもの。想像するだけで具合悪くなって来た。


 こっちも警備って立場上、出来る事は何もない。身請けが嘘じゃないのは四人それぞれが残した手紙とその筆跡で確定しているし、ならそれは娼館内の問題であって、俺達が口出しする事じゃない。


「綺麗どころに四人も抜けられちゃ、商売あがったりだよ。祭りの夜はこれからだってのに……」


 女帝は何度も弱気な言葉を口にし、顔を手で覆ったまま天井を仰いだ。流石の女帝も相当なダメージを負っているみたいだ。


 弱ったな。どうしたもんか……


「話は聞かせて貰いました!」


 突然バァンという景気の良い音と共に談話室の扉が開き、外からディノーが乱入して来た。


「こんな俺でよければ力になります! 黒幕らしき人物がいるのなら、必ず捕まえてみせますから!」


「いや盗み聞き……そもそも警備の仕事……」


「無論、それは全うする。休憩時間、仮眠時間を駆使して捜査に当たるつもりだ」


 一睡もしないつもりか……? まあ、それでもやり遂げそうなくらいバッキバキな目してるけどさ。私情が宿り過ぎて怖いんだよ。


「それには及ばないよ。業界のルールを無視してこんなナメた事してくれた奴には、アタイ自らたっぷり御礼しないとね。あの四人を絶対に見つけ出して、口を割らせてやるさ」


 うっわ、これ完全に追い忍用意してるじゃねーか怖ぇーな。私怨メッチャ入って物凄い追尾機能持ってる精鋭部隊なんだろな……


 実のところ、ファッキウ以外にも心当たりはない事はない。ヒーラーギルド【ピッコラ】だ。つい最近、娼館から何人かスカウトしたってマイザーが言ってたもんな。


 でも確証はない。この段階で告げ口するのは気が引ける。マイザーやチッチに義理立てする必要はないけど、あそこにはメンヘルもいるからな。


「それより、どうやって今日を乗り切るかの方が切実な問題だよ」


「なら俺が代わりに働きます! ぜひ働かせて下さい!」


 いやいやいやいや! 娼婦の代わりって……君どしたの。そんなんじゃなかったじゃん? 常識人枠のアイデンティティを大切にしてくれよ。


「ああ、その手があったね」


「女帝! ディノーは冗談を真に受けるタイプなんで、あんまりそういう……」


「冗談なんかじゃないさ。ボーヤのトコ、結構キレイどころが揃ってただろ? 祭りの間だけで良いから、何人か貸しておくれよ」


 は?


「は?」


 いやディノー、今はお前がキレるところじゃない。


「あのですね……ウチはこの手のお仕事は請け負ってないんで」


「別に娼婦の真似事をしろっつってるんじゃないよ。客に酒注いで、テキトーに会話が出来ればそれで良いさ。娼館っていっても、全員が全員ヤりに来てる訳じゃないからね。言葉攻めで昇天したいってヤローも……」


「だからそういうのもウチはやってないんですってば!」


「カッカッカ、冗談冗談。交易祭限定で、純愛を疑似体験できる席を用意してただろ? そこを担当して欲しいって言いたいのさ」


 あー……それか。


 今回の交易祭が恋愛をテーマにしてるって事で、娼館でも何か出来ないか検討して貰った結果、肉欲一切抜きで一晩過ごすサービス『ぴゅあぴゅあはーと』ってのを企画して貰ったんだっけ。娼館としては異例となる、エロ行為一切抜きでの交流。俺みたいに性行為にトラウマがある人、娘がいたらこれくらいの年齢になっていたんだろうな……的な目線で飲みたい人、単純に同性と雑談したい、相談したいって女性などをターゲット層にしたサービス。評判が良ければ平時にも導入する予定らしい。


「鉱山事件の時は世話してやっただろ?」


「う……それを言われると」


 でも、幾ら女帝の頼みでも娼館でウチのギルド員を働かせる訳にはいかない。きっと嫌がるだろうし……



「ん? 全然いーけど。客とくっちゃべってりゃ良いんよな? 警備とか護衛より楽そうじゃん」


 ――――そんな俺の懸念を、ヤメが一瞬で吹き飛ばした。


「いや……楽ではないと思うけど」


「でーじょーぶでーじょーぶ! そういうのヤメちゃん得意だから任せろー!」


 な、なんて心強い。何気に忍耐強いトコあるし、確かに接客は適任かもしれない。


 でも、あと三人も貸し出すのは流石に無理だよな。他に引き受けてくれそうな人材なんて――――


「イリスはきっと私に会いに来ます。あの子は昔からお祭りの時は楽しいねお姉ちゃん楽しいねお姉ちゃん、と私にくっついていました。夜の静寂に溶け込むように、あの子は必ず私に会いに来るでしょう。数年前の事です。祭りの日の夜、あの子の手を引いて伝統舞踊アッツォコッツォ踊りを見に行くと、あの子はとても神秘的な顔で星空を眺めていました。私はその横顔を見て、冬の足音を聞いていました。大雪で家が潰れた年の話です。そんなあの子を私は手厚く接待してあげたい。姉妹が一緒の席でお酒を飲み交わす奇跡に酔いましょう」


 何故かイリス姉がノリノリだった。っていうか、いたんだ……


「良いじゃないか。影のある美女って感じで」


 既にヤバい言動をしているイリス姉を、女帝は余裕の表情で歓迎していた。顔が良けりゃ誰でも良いのか。


「普段あまりお役に立てていないので、こういう時くらいはお役に立ってみせます」


 更に、真面目なサクアも自ら立候補してくれた。極度の方向音痴が祟って、日中のパトロールでは何度も担当エリアを間違えていたみたいだから、その罪滅ぼしに……って思っているんだろう。


「ワタシもお役に立てていないので、今日は身を粉にして頑張ります!」


 え……誰? 四人目誰?


 なんか見た事ない人が急に出て来たんだけど。怖いんだけど。


 いや、待て。待て待て待て。


 今の声、それにこの目付き……


「……ディノーか? つーか女装してる?」


「そうだ。ワタシは今、女装をしている」


 なんで鸚鵡返しなんだよ! つーかいつの間にか化粧までしやがって! お前の人生それで良いのか! 親御さん知ったら泣くぞ!


「どんな形でも良い。役に立ちたいんだ。それだけなんだ」

 

「って感じで何度断っても聞きゃしないから、落とし所としちゃこんなモンだろうって思ってね。ウチの衣装係に手伝って貰ったのさ」


「はあ……」


 ウチに移籍してから余り活躍できていないフラストレーションと、女帝にフラれた事で行き場を失った情欲。それが合わさって謎の化学反応を起こしてスパーク。結果、ディノーが女装した。


 ……納得できるかこんなの!


 うわーしまったー! もっとちゃんとメンタルケアしておくべきだった! レベル60台の大物だからって遠慮したのがマズかった。まさかこんな事になるとは。


「美形男子を自分の色に染めるってサイコー……なんか新しい趣味に目覚めちゃった♪」


 衣装係のお姉さんが相当ノリノリだったのは、ディノーの化粧からもわかる。男らしい部分を見事に消して、目元の涼しげなクール美女っぽく仕上げてある。元々目鼻立ちは整ってるから、女装が映えるっちゃ映えるんだろう。


 でも違和感は拭えない。普通に男顔だし、声も無理してハイトーンにしてるけど男声なのは明らか。女装してるって丸わかりだ。


「ま、付いてる奴の方が好きな野郎ってのもいる事はいるからね。そういうマイノリティな需要を満たす存在も、娼館には必要なのさ」


「無理があり過ぎだと思うんですけど!?」


「文句は本人に言いな。こっちだって何度も断ってるのに、どうしても、どーーーーーしてもアタイの力になりたいって聞かないんだから」


「既婚者なんだから普通に断って下さいよ……」


「あんな若い男に言い寄られて、無慈悲な態度とるほど老いちゃいないんだよ、アタイも」


 えぇぇ……それって満更でもないって事?


 ヤバいぞ。このままだとマジでディノーが変態寝取り野郎になってしまう。これはいけない。ウチのギルドに来た所為でディノーの人生がとんでもない事になってしまった。


「任せて下さいサキュッチさん。必ずこの娼館に新風を巻き起こしてみせます!」


 そんな俺の絶望など何処吹く風、ディノーは無駄に甲高い声で人一倍やる気を見せ、談話室から勢いよく出て行く。


 ……なんだろう。一人のまともな人間が壊れていく様を丁寧に見せられているこの状況。気を抜くとこっちのメンタルがやられそうだ。


「アタイも罪な女だね」


「そう思うなら自首して下さい」


 残念ながら俺の心からの訴えは聞き入れられる事なく、大幅に予定を変更して娼館警備の任務が始まった。





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