第278話 怪盗ベッヒー

『それにしても、この姿で我だと気付くとはな。お前、さては我のファンだな?』


 眼前のベヒーモスが草も生えない不毛な事を言い出した。何だこいつ。


「ファンな訳……」

『わーかってるって皆まで言うな。お前くらい、この怪盗メアロが優しくしてやった人間は他にいないからな。我に憧れるのは当然と言えるだろう。でも距離感を間違えるなよ? ファンは所詮、与えられる側。与えられる側なりの態度でな?』


 ……なんだろう。図体はとてつもなく巨大で禍々しいのに、俺の目にはもうあのメスガキが高笑いしている姿しか入って来ない。そして果てしなくウザい。


 それはまあ良いとして。



 一体どっちが本来の姿なんだ?



 怪盗メアロは変身スキルを持っているから、自分の姿を好きに変えられる。って事はだ。俺にとって馴染み深いメスガキの姿が本物で、あいつがベヒーモスに化けていると考える事もできる訳だ。勿論、本来はベヒーモスだけど人間の姿に化けている、とも解釈できる。


 普通に考えたら、図体がデカい奴から小さい奴に化ける事は出来ても、その逆は難しいよな。でも実際にはわからん。変身スキルの原理とか知らんし。


 ま、どっちでも良いか。中身一緒だもんな。


「ちょ、ちょっと! あんたさっきからブツブツ訳のわからない事喋ってるけど、まさかあの化物と――――」


『うっせー雌だなー。潰したろか?』


「……っ!」


 ベヒーモス版怪盗メアロこと怪盗ベッヒーが睨みを利かすと、ミッチャは一瞬ですくみ上がりガクガク震え出した。なまじレベルが高いだけに、俺が感じているよりも遥かに圧倒的な力の差を把握できてしまうんだろう。敏感なのも考えものだな。


『こいつには我の大事なコレクションを一つ預けてんの。勝手に殺す事は絶対に許さねーかんな? 少しでもそんな素振りを見せたら潰す。物理的に』


 このデカいボディならマジで踏み潰せるだろう。でもその光景は見たくない。当方、グロ耐性ないんで。


『ふはははは! 久々にカッコ良いぞ我! やっぱり知的生命体は言葉でビビらせてナンボだな! 我やりおる!』


「いや、お前の声って俺の脳内だけに垂れ流してるやつだろ? こいつには全然聞こえてないぞ。猛獣の鳴き声に怯えてるようなもんだ」

 

『……~~』


 この日、俺はベヒーモスの生態を幾つか学ぶ事が出来たけど、その中でも一番のサプライズが今だ。


 ベヒーモスでも耳を赤くするんだ。角の傍に耳があったのも初めて知った。ってか、図体デカいと耳もデカいから、赤くなるとスゲー目立つな。


『最悪……マジ最悪……めっちゃ恥ずい……あーテンション下がったー……もーやだー我帰る……』


 天井を破壊して飛び立つ事も懸念していたけど、結局怪盗ベッヒーはなんかスッと消えていなくなった。あのデカい奴が急にいなくなるとちょっと怖いな。ビルがまるまる一瞬で消失したような感覚だ。


 にしてもあいつ、ラルラリラの鏡なんてコレクションしてどうするんだろ。単にレアだから集めようって事なんだろうか。それなら残りの十三穢とか集めれば良いのに。よくわからんな。


 ただ、現れたタイミングはわかりやすかった。ミッチャに用があったのは事実だとしても、あの姿で現れたのは……俺をミッチャの脅威から救う為だろうな。恩に着せてフラガラッハを元に戻させようとしたんだろう。調整スキルでポンコツ化したままだもんな、あの剣。


 ま、別に戻しても構わないんだけど、暫くあのままにしておくか。


「消えた……って事は……やっぱり召喚獣……? ヒューッ……ヒューッ……まさか……あんたがヒューッ……あれを召喚……」


 脅威が去って安堵しても良い筈の局面で、ミッチャは顔面蒼白な上に過呼吸気味になっている。そんなに怖かったのか。


「信……じられなヒュィーッ…………こんなザコが……ベヒーモヒューッ……を手懐けヒューッ……なんて」


 別に手懐けてはいないんだけど、テイマーのミッチャ視点では意思の疎通が出来ている時点で契約が成立していると見なしたらしい。つまり、俺があのベヒーモスを召喚したと思っているみたいだ。


 ケルピーより遥か格上の召喚獣を喚び出した俺に対し、テイマーとして完全敗北を喫したと勘違いしているんだろう。なんか絶望の眼差しでこっちを見ている。


「信じたくないのなら、信じなければ良いさ。ズタボロにされても良いならな」


 その思い違いに乗じない手はない。実はこっちが格上でした感を出して脅してみた。既に戦意は喪失してるっぽいけど一応な。案外、これを機に改心するかも――――


「わたしを殺すの!? そっ、それとも犯す気!? こんな場所で……ケダモノッ……!」


「……」


 なんか一瞬で冷めた。慣れない事はするもんじゃないな。


「冗談だよ。それよりお前、メキトって奴に心当たりはない?」


「メキト……? 名前くらいは……でも別に面識はない……」


「じゃあヨナは?」


「冒険者でしょ。良い噂は聞かない」


 大分落ち着きを取り戻したか。ふり出しに戻るって感じで微妙だけど、こっちの質問に答えようって意思が見えるだけ最初よりマシだ。脅した甲斐は一応あったらしい。


 とはいえ、答えは期待したものとは違っていた。メキトと組んでいるとばかり思っていたけど、違うのか。


「だったらここへ何しに来たんだよ。マンティコアの幽霊を召喚しに来たって訳じゃないよな? 無視したり誤魔化したりしたら次はないぞ」


「ヒッ! やめて……これ以上わたしを惨めにしないでぇ……」


 ……なんか別の性癖に目覚めそうでちょっと怖い。俺、別にSッ気とかないんだけど……ないよな?


「ここは……わたしの取引場所だから……」 


「取引場所?」


「他人には絶対に見られちゃいけない取引をする為の場所。ここだったら大量のマンティコアを喚び出せるし、万が一取引相手が襲ってきても対抗しやすい……から」


 成程。そういう事か。


 すっかり忘れてたけど、精霊との交流が禁止になった時点で、こいつは精霊魔法が使えなくなってたんだ。だから精霊界に行って、人間と個別に交渉する意思がある精霊を探してたんだな。


 でも、ケルピーだけじゃ心許ないから霊魂を操れるこの場所を取引先に選んだと。ここなら人の目を気にする必要もないしな。


「って事は、交渉の為に来たのか。誰と?」


「それだけは言えない。幾らわたしでも、交渉相手の情報を漏らすなんて真似は絶対しない」


 意外と自己評価高くないんだな。さっきは魔王になりそうな勢いで驕り高ぶってたのに。ま、自己評価の乱高下が激しいのは不安定な人間の特徴でもあるか。


 何にしても、メキトやヨナと深く関与している可能性は限りなく低くなった。これだけ戦慄してて嘘がつけるような奴ならヤメも羨む演技の天才だろうけど、まずあり得ない。


 だったら、これ以上こいつに構ってても仕方ないか。でもその前に……


「最後の質問だ。俺がここに来る前、誰か他に来なかったか?」


「さあね」


 誰がお前になんか教えるかボケ、って顔でそっぽを向かれた。さっきまでビビり倒してた癖に……結局最後まで噛み合わなかったな。


 仕方ない。手掛かりもないのなら、引き返すしか――――


「……ねえ。悪い運気って、邪気と同じ意味だと思う?」


 こっちの質問には答えないのに、自分は質問するのかよ。ストレス溜まるなーもう……


「全然違うだろ。不運ってのは巡り合わせだ。悪人だからとか、悪い行いをしたからって理由でそうなるもんじゃない」


「そうよね。そんなの、当たり前の事なのに……はぁ……」


 納得したように大きな溜息をついたミッチャは、腰に下げているウェストポーチみたいな革製の鞄から何かを取り出して、それをこっちに放り投げてきた。


 大きさは掌サイズ。やや厚みのある円形の物体で、表面に花火のような意匠が施されている。


「あげる。もう私には必要ない物だから。っていうか、持ってたらヤバそうだし」


「……?」


っぶ。ラルラリラの鏡よ。それ」


 マジで!? まさかのコンパクトミラー! え……なんか意外。銅鏡みたいなのだと思ってた。


「さっきの化物、それを狙ってたんでしょ? わたしにそれ持ってるかどうか聞いたのって、そういう事よね?」


「……ああ」


「そいつにやっても良いし、アンタが持ってても良いけど、あの化物を二度とわたしに関わらせないで。それが譲渡の条件」


 この後に及んで偉そうなのはイラつくけど、実質無償で貰えるのなら多少の罵倒は気にしない。素直に頷いていこう。


「これ、何処で手に入れたんだ?」


「正式にはさっき。その前からお試し期間って感じで預かってたんだけどね」


 って事は、誰かと交渉して譲り受けた訳か。交渉相手は……いや、詮索はやめておこう。既に一度、絶対に話さないって言われてるしな。


「これで自分の悲運を打ち消そうとしてたんだな?」


「バカでしょ? 笑ってよ。その方がスッキリするから」


 なら笑わない。それに、自分の為だけじゃないんだろうから。


「……お前、本気でアイザックを冒険者に返り咲かせる気だったんだな」


「勝手に過去形にしないでよ。ザックに必要とされてないなら、ザックに必要とされるようにするだけ。どうせ他に何があるって人生でもないし」


 こういうのも、一つの愛の形って言って良いんだろうか。よくわからん。少なくとも献身的とは言える気がするけど。


「ま、やってみりゃ良いさ。俺の主観だけど、まだメイメイと完全に結ばれたって感じじゃなかったから」


「……」


 血迷ったかもしれない。散々罵倒された相手を勇気付けるなんて。


 でも、この女がアイザックの事を本気で想っているのは確かだ。だからまあ、良いんじゃないかな。


「じゃ、もう行くよ」


「……この鉱山、色々変な仕掛けがあるから」


 去り際、ミッチャは何故かそんな事を呟いた。


 一応、激励への礼のつもりなんだろう。最後に『気を付けて』と言わないところが奴らしいけど。


 引き返す最中、一度だけ振り返ってみると、ミッチャは項垂れたまま顔を手で覆っていた。


 その心情は察するに余りある。ずっと好きだった相手が、自分の関わらないところで別の女と一緒に街を出て行ったんだから。三人の中で唯一の負け組ってのもキツい。


 でも、憐れむのはやめよう。口も性格も悪い最低な奴だけど、アイザックに恨み言一つ言わなかった気高さには敬意を示したい。


 それに、今は他人の人生に思いを馳せる余裕もないしな。


 仕掛けか……既に一度それに引っかかった手前、実感はバッチリある。


 でもあれは、あくまで俺個人への嫌がらせじゃなかったのか? ミッチャも認識していたと言う事は、不特定多数の侵入者に向けた罠だったのか――――


「……?」


 なんか今一瞬、視界が少し暗くなったような……


 いや、気の所為じゃない。明らかにさっきまでより暗い。


 そう言えば、岩場の穴を通ってこっちへ来る途中では、この辺りを境に明るくなってたっけ。ならやっぱりミッチャがいたあのエリアだけ、ファローラってのが多く飛んでるんだろう。それほど気にする事じゃないか。


 いや……なんか引っかかる。


 大した意味はないと思うけど……こん棒を地面に付けて引きずりながら、今歩いて来た道を引き返してみる。十歩ほどで明るさが違う地点に戻った。

 

「!」


 そして同時に、戦慄が走る。


 こん棒を引きずった跡が――――なくなってる。


 振り向いて確認したら、明るさが変わった部分から綺麗に途切れていた。


 ……空間転移だ。あの境目で、俺は違う空間に飛ばされている。だから明るさも違ったんだ。移動の途中でワープゾーンに入って、そうとは気付かず鉱山の別のエリアに飛ばされたっぽいな。


 念の為にもう一度振り返り、こん棒を引きずりながら今度は端の方を歩いてみる。するとやはり特定の地点で引きずった跡が途切れた。しかも、さっき付けた筈の跡もない。


 これは……ワープゾーンに踏み入れると別のワープゾーンのある所にランダムで飛ばされる、って解釈で良いのか?


 うわ! なんか凄くダンジョンっぽい! メッチャ興奮してきた! こういうので良いんだよこういうので!


 ……なんて浮かれてる場合じゃねーな。現在地がわからなくなっちまった。完全に迷子じゃねーか。


 ミッチャが言ってた仕掛けってのはこれか。奧に行かせない為の罠だろうか。


 ワープゾーンっぽい境界の周辺を調べてみたものの、これといった物は見当たらない。木片が少し散らばっていたけど、特に関連はないだろう。


 どうする? 何度もワープゾーンに入って規則性がないか確認してみるか?


 でもワープ事故みたいな事になったらと思うと少し怖いな。どうしたもんか――――





 ……ィ…………ィン…………




 

 なんだ? 何か音がしたような……


 間違いない。遠くの方から金属音が聞こえる。このエリアに人がいるんだ。


 脱出経路の確保も重要だけど、ティシエラ達との合流やメキトの発見も大事。ここは迷う余地なく行くっきゃない。


「はぁ……はぁ……」


 若干酸素が薄いのか、整備されていない足場の問題か、鉱山の中を走ると街中よりバテるのが早い気がする。


 なんとなく、警備員時代にやっていた走り込みを思い出した。夜間の警備は施設によっては暇な時間が長いから、やる事なくて施設の中や外周を走ってたんだよな。


 あの頃とは環境も、身体も、何もかも違う。


 でもどうしてだろう。


 闇雲に走っていたあの頃の自分が、背中を押してくれているような気がした。



 ――――どれだけの時間、走り続けたのか。



「……!」


 肺が限界を訴えてきた頃合い、視界に人影が映り込んで来た。

 


 


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