第269話 わからん

 熟考と協議の結果、結局二人とも一番安いコース料理を頼むって事で話は纏まった。もし周囲にセフィードあるいはメキト達の仲間が潜んでいた場合、変な注文をして目立つのは得策じゃないとの判断からだ。


 そしてシキさんの意向に従い、ここの食事代は俺が持つ事になってしまった。勿論、そんな余裕はないから身を削らないといけない。一瞬、勲章と一緒に貰った暗黒武器100選を売り払う案も脳裏を掠めたけど、あれはあくまでギルドに対して贈呈された物だから、俺の懐に入れる訳にはいかんわな。


 ……仕方ない。転生直後に所持していた宝石で唯一残していた青いの、アレを売るか。元々の身体の持ち主の形見かもしれないからって一応持ち続けていたけど、既に転生から約半年が経過した訳で、今更昔の知り合いと会う事もないだろう。俺になる前は何者だったかなんて興味もないし。


 お、晩餐が来おった。こんな高い店で食事するなんて二度とない機会だし、この際堪能するとしようぞ。


「本日の前菜、蒸しカルマのエムイオル風味と根菜の淡雪烈火漬けとパチムパチザのベルマカゼッセムーオ三種添えでございます」


 うん。何食ってるのか全然わからん。美味いのか不味いのかもわからん。


「季節野菜とタンノクンの追い焚きスープでございます。エチオカとカルザッツォの食感をお楽しみ下さいませ」


 わからん。温い液体って事以外何もわからん。


「本日のメインディッシュ、ジオ牛の炭火エンシャと旬菜のマクオーネでございます。ンホオソースでご堪能下さい」


 これは肉だ。柔らかい。


「食後のデザート、白露パンのベイクスィックでございます。ジュエルベリージャムとバターでお召し上がり下さい」


 えっトーストじゃん! えっこれトーストじゃん!! こんな所にいたの君!!


 何なに、急にどしたん? 久し振りじゃん。元気してた? もー、この世界にいるんならいるって言ってくれればいいのに……いや待て。これ厳密には違うか? 匂いは紛れもなくトーストそのものだし、耳もあるけど……水分がやや多い気がする。パンを作る上で水分の量はかなり重要で、 生地に使う粉の総量に対する水分の割合を『加水率』って言葉で表しているけど、食パンの平均的な加水率は60%前後。しかしこの白露パンは間違いなく80%以上ある。焼いているのにかなりモチモチだ。それにこの味……平均的な食パンよりも少し複雑な気がする。いやそもそも食パン自体が各メーカー、各ブランド毎に原材料が全然違ってて、油脂一つとってもマーガリンだったりバター入りマーガリンだったりファットスプレッドだったりショートニングだったり様々で、他にも色んな物を使っているから、一概にこの味ってのはないんだが……そもそも発酵のプロセスが異なるのかもしれない。イーストじゃなく別の物が使われているっぽいな。恐らくアルコール飲料だろう。それに加熱も全然違う。均一とは言い難い焼き加減だ。この世界にはトースターやオーブンはないから、竈か何かを使って……いや、それにしては高温で短時間焼いたような香ばしさだ。もしや魔法か? 魔法で炎を出して焼いたのか? だとしたら興味深い。焼き加減が歪でも、それが却って味と食感のコントラストを生んでいてメリハリがあるから、より深い味わいになっている。ここまで計算し尽くした上での調理……! 流石は高級料理店、生前のトーストとは似て非なるパンだ。それでいてトーストの良さとも共通しているし、何より見た目が近い。ノスタルジックな気持ちに浸らせてくれる。それにこのジャム。ジュエルベリージャム自体は一般庶民でも入手できるくらいのありふれたジャムだけど、これは正直モノが違う。元々しつこい甘みって訳じゃなく爽やかな味と風味が売りのジャムだけど、これはその部分を更に強化した完全なる上位互換。ベリーも高級な物を使っているのか、酸味の主張が程良い。甘さも決して弱くないのにかなり上品だ。加えてこのバター。思っていたよりもずっと濃厚で塩味も丁度良い。余りにも濃厚だとしつこく感じるけど、白露パンの水分の多さが上手く作用してか、パンに付けるとそこまでクドくない。寧ろ丁度良い。


 ふむ。これは、良きものだ。


 通常、コース料理におけるパンは前半に出て来て、料理と料理の間に食する『繋ぎ』のような役割を担っている。言うなれば前の料理を一旦リセットする為の箸休め。その為、あまり濃い味付けのパンが出る事は少ない。しかしこの世界におけるパンの役目はデザートだ。アイスやシャーベットのような物は作るのが難しいだろうし、ケーキも同様。そうなるとパンがこのポジションに落ち着くのは納得だ。そしてデザートであれば味付けはどれだけ強めでも問題ない。ただし後味は重要だ。何しろこのパン料理でシメとなるんだから。そういう意味では白露パンもジュエルベリージャムも適任と言える。パンが高級料理店でこんなに良い仕事をしているなんて、感無量だ。俺がこの世界に来た本当の意味は、この事実を知る為だったのかもしれない。


「……そんな幸せそうに物を食べる人、初めて見た」


 シキさんは終始淡々と食事していたけど、俺がパンを食べる姿を見てからは手が止まった。なんかじーっとこっちを見てくる。


「そう言えばパンが好きって言ってたね。子供の頃から?」


「うん。初めて自分の足で買いに行った食料もパンだったし、辛い時や悲しい事があった時もパン食って凌いでた」


「そこまで好きな物があるって、なんか良いね。人生楽しそうで」


「……そうでもないけど」


 パンが好きなのは紛れもない事実だし、その嗜好がブレた事もない。友達が途切れて途方に暮れていた大学時代も、会話らしい会話もないまま一日が終わってた警備員時代も、食事の大半がパンだった。我ながら偏った食生活だったと思う。


 でも。虚無の時代にパンを食べる幸せを噛みしめていたかというと、そんな感じじゃなかった。好きな物すらも好きと実感できなかったあの頃は、もしかしたら軽い欝状態だったのかもしれない。特に気分の落ち込みとかはなかったけど、常に気怠くぼんやりしていた。だから記憶に残っているエピソードも少ない。


「じゃ、つまんない?」


「つまんない時期もあったよ。今は違うけど」


 転生してから、パンの美味しさを取り戻せた気がする。生前の世界のパンとは少し物や味が違うとか、そういう意味じゃなく。


 結局、味覚も他の五感も、環境と密接に繋がっているんだろう。生活に余裕がなかったら、美味い物も美味いと感じられず、綺麗な景色を楽しむゆとりもない。


「シキさんは好物ってないの?」


「特にない。趣味も、熱中する事も、何もない。つまんない人生だよ」


 ……変なところで諦観してるというか、スレてるんだよなシキさん。


「身内の為に尽力してきた時期まで卑下しちゃダメだよ。おじいさんが草葉の陰で泣いてたらどうすんの」


「実際、泣いてるんじゃない? 可愛がってた孫がこんな人間になっちゃって」


 可愛がられた自覚があるのは良いな。羨ましい。


「でも、その感謝があるから今もラルラリラの鏡を手に入れようとしたり、未だに十三穢を気にかけたりしてるんでしょ? 好きなものだって見つかるかもしれないし、まだ途中なんだから結論出すのは早いって」


「……」


 意識してゆっくり食べていた白露パンも、いよいよ残すは皿の真ん中にあるこの一切れになった。名残惜しいがお別れだ。


「例えば、隊長のその残り一口のパン」


「?」


 シキさんは俺のパンを視線で指しながら、少し拗ねたような顔をした。


「今まで食べてたのより劇的に美味しくなったり、逆に不味くなったりすると思う?」


 ……そんな訳ない。幾ら最後でも、この一口が格別な味になる事はない。


 成程、そういう事か。


「だから、結論はもう出てるよ」


「ならこの一口、シキさんにあげる」


「……は?」


「ちゃんとナイフで切ってるから、汚くはないよ」


「そういう事じゃなくて。くれる意味がわからないんだけど。私も同じ物食べてるのに」


「だから同じ味がするって?」


「当たり前でしょ。同じパンなんだから」


「なら食べてみてよ。ホラ」


 本当は、高級料理店でシェアなんてしちゃダメなんだろう。マナー違反だ。でも俺は別にマナーを守る為に食事している訳じゃない。店員には目を瞑って貰おう。


「……」


 シキさんは終始怪訝そうな顔をしていたけど、最終的には俺のパンをフォークで刺し、口に含んだ。


「どう?」


「…………同じ味」


「ふふっ」


 ほんの少し、何かを期待していたようなシキさんの僅かな間がなんかおかしくなって、思わず吹き出してしまった。


「何なの一体」


「これで、少なくとも俺の中で格別な記憶にはなったな。その一口のおかげで」


「……」


「食事って、味だけじゃないよね。楽しむのは」


 屁理屈ではあるんだろう。でも、間違ってるとは思わない。


「隊長って、詐欺師の素質あるんじゃない?」


「ねーよ」


「いーや絶対ある」


 黙々と食べていたシキさんが、ほんの少しだけど楽しそうに笑顔を覗かせている。


 それに思わず満足して、自分が今何の為にここにいるのか忘れそうになってしまった。


「……あ」


 だから、シキさんがヤメ達の方に視線を向けて、一瞬絶句したのを見て、思わず血の気が引いた。


 このやり取りに気を取られた所為で、ヤメの危機を見逃してしまったんじゃないかと。


 でも違った。


 俺が慌てて視界に入れたその光景は――――ヤメがセフィードに思いっきりグラスの食前酒をかける瞬間だった。


 ズブ濡れになったセフィードは凄まじい勢いで席を立って、足早に店から出て行った。まるで恋愛ドラマの冒頭で良く見る別れのシーンだ。まあ、普通はかけた方が去って行くんだけど。


「追う?」


「お願い。俺は支払いとヤメのフォローしとく」


 前に無自覚の無銭飲食やらかしてギルドの信頼が揺らいだからな。幾ら緊急事態でも同じ轍は踏めない。


 それにしても――――


「……」


 セフィードに食前酒を浴びせてからずっと、店員に話しかけられても押し黙ったまま微動だにしないヤメの様子が気になる。一体何を言われたんだ?


 口説き文句程度で激昂するとは思えない。それは当初から想定済みだし、よほどキツい下ネタでもない限りは耐えられると本人も言っていた。その手の話でキレたとは考え難い。


 考えられるのは……ヤメさんへの悪口か侮辱、或いは口説き落とす宣言。何にせよ、ヤメが感情を乱すのはシキさん絡みだ。


 頭の中ではそんな事を考えながらも、店員に『急用で帰らなくてはならなくなった』と伝えて会計を済ませて(金はギルドの運営費で立て替え)、ヤメへと近付く。


「何があったんだ?」


「あー。ギルマタ」


 そこでようやく俺の接近に気付いたらしい。いつもは過剰なくらい鋭敏なのに。なんかボーッとしてるな。


「貴女はシキちゃんよりも美しい、みたいな事何度も何度も言うからもうムカついて……やっちった」


「やっぱりか」


 何の意外性もなかった。サクアにもそういう手口使ってたもんな。


「あのヒョロガリ、ホンっと腹立つわー……お嬢様演じてなかったら魔法でブッ飛ばしてたのに」


「そこはまあ、良く耐えたけども」


 結果的に計画は失敗に終わった。まあ、ヤメにとってシキさんより綺麗って褒め言葉は最大の侮辱と同義なんだろう。


「ヤメ、そっちの会計ってもう済ませてんの?」


「予約入れる時に払ったって」


「なら出るか。これ以上ここにいても仕方ないし、店の邪魔になる」


 取り敢えず、店側には俺達が知り合いなのを説明して、傷心のヤメを送るって体で店を出る。テーブルと床を汚したのと、店内の雰囲気をブチ壊したのは丁重にお詫びしておいた。対応から察するに、こういう事は割とあるっぽい。金持ちのお嬢様あるある今から言うよ。グラスの中身浴びせがち。


 店の前にシキさんの姿は――――ない。セフィードは相当遠くまで駆けていったらしい。一刻も早く着替えたがってるのか、女性に酒をかけられたのがよっぽど屈辱だったのか……


 何にしても、その前に確認が必要だ。


「で、本当は何言われた?」


 何度も溜息をつきながら隣を歩いているヤメに、そう問いかける。


 確かにシキさんを下げられたらヤメなら内心キレるだろう。でも、それで仕事を台無しにするほど子供じゃない。もっと決定的な一言があった筈だ。


「……家の事と、妹の事」


「マジかよ」


 ヤメが元お嬢様で、今は寝たきりの妹を養っている事は本人から聞いてるけど、それを口外した事はない。ヤメだって誰彼構わず話したりはしないだろう。


「一応先に言っとくけど……」


「わーってるって。ギルマタそういうトコはちゃんとしてるし。シキちゃんもね」


 あの時の話、シキさんが聞いてたのもわかってたのか。


「って事は……あらかじめ知ってたのか?」


「だろね」


 怖っあああああああああ!! なんかしれっと『もう調べは付いているんだ』とか言ってたけど、まさかあいつウチの女性陣について根掘り葉掘り調べまくったのか!?


 あんな爽やかな顔して全方位ストーカーとか……俺じゃとても扱いきれねーぞそんなヤベー奴……


「やー参った参った。久々にゾワッてしたー」


「よく酒ぶっかける程度で踏み留まれたな……」


「ま、そこは女優志望の意地っすわ」


 あくまで淑女に徹したって訳か。にしても悪い事したな。そんな変態だと知ってたらイリス姉を派遣したのに。 


 にしても、なんでこの街には正統派イケメンがいないんだ。唯一まともなディノーも性癖が少々オラついてるし……顔面偏差値と引き替えに内面を尖らせる儀式でも流行ってんのか?


「お。シキちゃん戻って来た」


 相変わらずシキさんに対する嗅覚凄ぇな。俺が視認できたのは、その言葉の10秒以上後だった。


 そしてちょっと安心。レベル58でストーカー気質の冒険者を追跡して、万が一シキさんが捕まったらシャレにならん。彼女に限ってそんなヘマはしないだろうけどさ。


「ごめん。見失った」


「あー、仕方ないよ。夜だし」


「それは関係ない。あんな目立つ格好の奴、嫌でも目に付くから」


 確かに。夜間とはいえ、ウチの働きで街灯はこの周辺の至る所にあるし、あの白づくめのわかりやすい格好をした男をシキさんが見失うのは意外だ。


「向こうのカドを曲がって、それをすぐに追いかけたんだけど……そこで急に姿がなくなって、気配も消えてた」


「不気味だな……」


 意味わからんけど、この街の住民でしかも冒険者ギルド屈指の実力者だ。そういうスキルを持っていても不思議じゃない。向こうが一枚上手だったって事だ。


「あーもうムカつく! シキちゃん飲み直そ! ついでにギルマタも来やがれ!」


「え、珍し。俺も良いの?」


「つーか……さっき店の支払いしてたけど、あれギルドの金か? まさかテメ、自分の金で払ってねーよな? それだと世間じゃデートっつーんだけど? そこンとこ詳しく聞かせろやコラ」


「OH MY Harpocratēs」



 ――――その日の俺は、かつてない量の酒を呑んだり呑まされたりした。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る