第四部03:真相と深層の章
第266話 48歳年下の妻が遺産目当てだった
それから――――
深夜まで粘って考えてはみたものの結局、女心とはなんぞやという究極の問いに対する答えは出て来ず、無念のギブアップ。その所為で交易祭の企画書の事がすっかり頭から消えてしまい、当然ながら完成には至らなかった。
んで翌日。
考えが煮詰まって良いアイディアが出て来なかった事もあり、一旦原稿からは離れ、頭に包帯を巻いたバッドコンディションではあったけど再度シャンドレーゼ交響楽団の楽屋へお邪魔する事にした。
「公演前に雑念を抱かせるのはマナー違反です。プッフォルンの吹奏を依頼するにしても、公演が終わった後にした方が良いです。それと、楽屋を訪ねる以上はしっかり演奏を聴いて、感想を述べなければダメですよ」
そう主張する音楽ガチ勢のサクアと二人で入場したのは、アインシュレイル・リトゥス・ホールという名称のコンサート会場。リトゥスって確か十三穢の中の一つだった記憶があるけど、何故その剣の名前が使われているのかは不明。少なくともサクアは知らないそうだ。
それより、問題はどうやって頼むかだ。昨日は門前払いに近かったからな……同じ轍を踏む訳にはいかない。
という訳で、今日はヤメの提言を受けて、奏者のメリットになる話をキッチリ持ってきました。
それは――――交易祭の開幕および閉幕パレードの実施。
これまでの交易祭は、祭りに協賛している貴族による開会宣言で幕を開け、最終日は挨拶なしで終了となっていた。これは精霊を接待する初期の頃の名残で、気まぐれな精霊達は祭りの最終日を待たずそれぞれのタイミングで帰って行く為、最後は必ずグダグダになり閉会宣言の意味がなかったらしい。その習慣が、精霊なしでやる事になって以降も続いていた訳だ。
だったら、まずはそこから変革する。そうすれば街の人達も『今年の交易祭は一味違う』と思ってくれる。何だかんだ、最初と最後って一番印象に残りやすいからな。
「開幕と閉幕のパレードで演奏をお願いするのは、とても素晴らしい案だと思います。きっと楽団の方々も喜んでくれますよ」
「だと良いけど」
サクアは理解を示してくれたけど、祭りの最中にも大規模なコンサートを控えている楽団にとって、この提案が魅力的なのか、それとも負担になるだけなのかはわからない。ま、もし断られたらその場で違う案を考えれば良い。
「アインシュレイル城下町ギルドマスター様は、ホールで音楽を聴いた経験はどれくらいありますか?」
「一度もないかな」
生前からクラシック音楽には全く興味がなかったから、生演奏を聴きに行った記憶はない。でもゲームミュージックは好きで、サントラは良く聴いていた。
ゲームのBGMでクラシックの曲を採用したり、ゲーム音楽をオーケストラアレンジにしてコンサートで披露したりする事はある。だからクラシック自体に抵抗やアレルギーはない。単に縁がなかっただけだ。
一応、国営放送でやっているクラシック専門の音楽番組を何度か観た事はある。大抵は雄大で勇ましい感じの曲が多いけど、そういう曲に限って眠くなったりするんだよな。
指揮者や奏者が違えば演奏も全然違うらしいけど、そもそも原曲の演奏を知らないし、その楽団ならではの解釈や味が俺にわかる筈もない。そういう部分に魅力を感じるのがクラシックってイメージだから、どうにも高尚過ぎるというか、俺には荷が重い気がしてならないんだよな。
でも、この世界の音楽がどんななのかは知らないから、正直興味はあるんだ。当然だけど、ベートーヴェンやモーツァルトやバッハはいない訳で、『これ聴いた事ある!』とはならないし、俺が知っているクラシック音楽とこれから始まる演奏のイメージが一致するとも限らない。
未知の体験は疲れる。奇しくも昨日痛感した事を今日も味わう訳だ。いや、ここ最近シキさんに振り回されっぱなしだったから、ほぼ毎日感じていた疲労感か……そういう意味じゃ、慣れてきつつあるのかもしれない。今日はせいぜい指揮さんに振り回して貰うとしよう。
「今日演奏するのは、グラディエルフィードの『48歳年下の妻が遺産目当てだった』です。切なくて素敵な恋愛の曲なんですよ。私の一推しです」
「……なんだって?」
「あ、覚え難いですよね。作曲したのはグラディエルフィードっていう名前の音楽家で……」
「いやそっちじゃなくて、タイトル。タイトルの方」
「え? 『48歳年下の妻が遺産目当てだった』ですけど」
うわぁ……
「なんか聴く気なくした」
「そんな! 名曲ですから食わず嫌いしないで欲しいです!」
そうは言っても、こんな曲作ってる時点で見苦し過ぎてさ……いやその年齢差なら遺産目当てでも仕方ないだろ。何ガッカリして曲作るモチベーションにしてんだよ。最低のインスピレーションだな。
「私を信じて下さい。多分、私とアインシュレイル城下町ギルドマスター様は感性が近いと思うんです。ソーサラーギルドマスター様の詠唱に異を唱えた者同士のシンパシーというか」
「近くないと思うなあ」
不本意な共鳴を抱かれていた事に異を唱えつつ、客席からステージの方に視線を送る。
このアインシュレイル・リトゥス・ホールは扇型の会場で、座席数は2000弱。だけど席の半分……いや三分の一くらいしか埋まっていない。音響面でどうしても偏りが生じる両翼は特に空席が目立つ。
どうやら今回が特別チケットの売れ行きが悪かった訳じゃないみたいで、ステージに入ってくる奏者の方々にショックを受けている様子は見受けられない。最後に登場した指揮者も、なんとなく覇気のない顔で客席を一瞥したのち、すぐ指揮台に乗って構えた。
ざっと見る限り、楽器は生前の世界と変わらない。でもオーケストラの割に人数はかなり少ない。弦楽器でも10人以下だし、木管楽器と金管楽器は各3人ほど、打楽器とピアノが1人ずつ。指揮者がピアノ奏者の方を見てるけど、ピアノがメインの曲なんだろうか。
でもやっぱり、こっちとしては金管楽器の方に目が行ってしまう。今回、世話にならなきゃいけないのは彼等だからな。誰も彼も気難しそうな顔してるんだよね……
ん? 昨日見かけなかった人がいるな。なんか露骨に周囲から浮いているからすぐわかった。
白い。
髪も、肌も、服装も、そして手にしているホルンっぽい楽器も、全部が白い。白髪だけど見た目はかなり若く、20歳前後っぽい。顔立ちは中性的だけど間違いなく男性だ。
あと細い。周囲の奏者と比べても、大分華奢に見える。爽やかというより儚い、そんな印象を抱かせる……少年と青年の狭間にいるような人物だ。
「サクア。あの白ずくめの奏者って誰かわかる? 金管の」
「白ずくめ……あっ」
どうやら心当たりがあるらしい。でも、今のリアクションには明らかに驚きが混じっていた。知っている人物なら、そこまで驚く必要はない筈なのに。
「あの方、確か冒険者です。楽団にいたなんて知りませんでした」
「……冒険者? あの身体で?」
「はい。それもレベル58の猛者なんですよ。グノークスさんと並んで、今の冒険者ギルドでは最高値ですね。名前は確か……セフィードさんだったと思います」
セフィード……聞いた事ない。でもグノークスと同レベル帯の冒険者がいるのは知っていた。彼がそうなのか。
「冒険者でも音楽活動やってる奴、いるんだな」
「珍しい訳じゃないですよ? 冒険者もソーサラーみたいにセカンドキャリアを考える時代ですし、冒険者として稼いで、残りの人生を趣味に生きる人も沢山いますから」
魔王討伐に消極的な冒険者も少なからずいる、ってのは前々から聞いていたし、そこに疑問を挟むつもりはない。どんな人生を歩むかは人それぞれだ。
でも、冒険者がこの楽団にいるってのは想定外だった。これじゃ、俺達が協力を仰ぐのはかなり難しい。大誤算だ。昨日無碍にされたのも、これが原因かも知れない。
「参ったな……」
「す、すみません。私が勉強不足だったばっかりに」
「いや、サクアが悪いんじゃないから」
ただ、どうにも巡り合わせが悪いと言うか、最近ツイてないよな……運命とか熱心に信じてる訳じゃないけど、流れが良くない。お祓いしたいくらいだ。
ま、ここでグチグチ言っても仕方ない。まずは演奏を聴いて、それから楽屋に行くべきかどうか考えよう。
指揮者が指揮棒を振り、ピアノの鋭くも美しい一音が響き渡る。
――――強い。
率直に感じた第一印象はそれだった。
音が強い。
その後もピアノだけが奏でられていくけど、軽やかな演奏じゃない。一つ一つの音を重く、でも歯切れ良く鳴らしている。
何より音が多彩だ。クラシックの演奏って何となく、同じフレーズを繰り返したり階段状の複雑なメロディだったり、あと和音ばっかりのイメージが強かったけど、この曲は違う。
単純で綺麗。それでいて単純過ぎない。
ピアノの独奏が終わって管弦が入って来ても、その印象は変わらない。色んな音がバラけている感じじゃなく、そろって同じフレーズを弾いているから、主旋律がしっかり耳に届いてくる。リズムも極端に早くなく心地良い速度だ。
そして何より、メロディラインが――――ゲームミュージックっぽい!
幻想的で切なく、何処かノスタルジーを感じさせる美しい旋律。人数の少なさもあって重厚さはかなり抑えられているけど、その分ポップで聞きやすい。ゲーム音楽ってこういうのが多いんだよな。
サクアのオススメって言うから、もっと魔法少女の変身バンクっぽいBGMを想像していたけど、全然違う。悲劇に見舞われた主人公が初めてフィールドに出た時のBGM、って感じだ。
そんなに立体的な音じゃないから、きっとクラシックを専門に聞いている人には物足りないだろう。でも俺にはこれくらいで丁度良い。あんまり音が跳んだり跳ねたりするのは好みじゃない。メインとなるピアノが常に軸となっていて、弦や金管はあくまで彩り。そういうバランスが心地良い。
ああ……音が染みてくる。生前に好んだ音楽と限りなく近い。
そうだ。俺はあの頃、こういう時間を幸せと思っていたんだ。
波長の合う音楽は、心に穏やかな多幸感を運んでくれる。魂が浄化されていく感覚が自分でもわかる。あんなタイトルだったのに……ちくしょう。
もういっそこのまま、現実を忘れていつまでも浸っていたい――――
そんな至福の一時に暫く浸り、一つの結論を得た。
「もう最高でした! 想像の50倍、いや90倍素晴らしかったです!」
作為的なものは何も必要ない。手土産や論理的な褒め言葉よりも、今この胸に去来している感情をそのまま見せるだけで良い。
きっとそれが、彼らにとって最も大きな満足に繋がる筈だ。
「……」
楽屋で余韻に浸っていた奏者達を手で制し、指揮者が沈黙のまま近付いて来る。口元に髭を蓄えたダンディな方。年齢は……30代もしくは40代ってところだ。
「……」
値踏みするような目で、こっちをじっと眺めている。まあゴマすりと疑われるのは仕方ない。昨日の今日だからな。
でもきっと大丈夫だ。彼等は自分達に向けられる喝采や称賛の声を正しく判別できる筈。ずっと、それと戦って来た人達だろうから。
「……」
指揮者はフッと口元を緩め、無言で手を差し出してきた。俺もニコッと微笑み、その手を力強く握ろうとしたらパァン!と払いのけられた。
「帰れ。我々は君の願望を叶える為に時間を使う余裕などない。その媚び諂った笑みを二度と見せるな、この不調法者が」
えぇぇ……ここまで伝わらないものなん? いや実際、俺の中に邪念が全くないとは言えないかもしれないけど、メチャクチャ感動したのは紛れもない事実なのに……
「アインシュレイル城下町ギルドマスター様、ここは一旦出直した方が良いと思います」
「……そうしようか。皆さん、お疲れのところお邪魔して大変申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げ、逃げるように楽屋を出た。
うう、後味悪い。折角最高の演奏を聴かせて貰ったのに。片想いってだけならまだしも、完全なる拒絶……悲し過ぎてちょっと泣きそうだ。
「仕方ありません。芸術家は気難しい方が多いですから。公演前日に安易に頼み事をしに行ったのが良くなかったですね」
「返す言葉もない……」
こっちとしては頼み事をしにいっただけで、別に無礼な態度を取った訳でもないし、しつこく食い下がったつもりもない。ただタイミングが悪過ぎた。それを確認しなかったミスと言われればそれまでだけど……
「はぁ……最近こんなんばっかだ」
「巡り合わせが悪い時期は誰にでもありますよ。魔法少女もそうです。宿敵に負けそうになったり、民草に誤解されたりして心がどんよりします。でも全てを乗り越えて、必ず再起して最後は勝利します。魔法少女は最高です!」
最終的に俺は何を聞かされていたんだって結論になったけど、まあ慰めようとしてくれているのはわかる。ここは素直に頷いておこう。
さて……どうしたもんかな。あの拒絶っぷりだと、やっぱあの白ずくめの冒険者が俺達の事を悪し様に言って好感度を爆下げしてるんだろう。だとしたら協力して貰うのは無理だ。
誰か他に、金管楽器を吹ける人を探すしかない。望みは薄いけど、片っ端から知り合いを当たってみるか……
「待ちなよ、君達」
失意のうちに帰ろうとコンサート会場を出たところで、後ろから誰かに引き留められ振り向くと――――そこには、ついさっき回想したばかりの『白ずくめの冒険者』がいた。
レベル58で、金管楽器の奏者も兼ねている不思議な人物。名前は確かセフィード……だったか。
「さっきは済まなかったね。ウチのマエストロ、神経質なところがあってさ。練習でも間違えた箇所は執拗に繰り返すし。でも、だからこそ我々は高いクオリティで演奏できる。優秀なんだ、彼は」
「はぁ」
マエストロ……ああ、指揮者の事か。確かに仕事が出来るタイプって感じではあったな。
「前置きが長くなったね。私で良ければ協力しよう」
え……マジ?
「どうして?」
「さっきの君の感想、あれは本心と私は感じ取った。我々の音楽を気に入ってくれる人に悪人はいない。強いて言えば、それが理由さ」
一番協力してくれそうにない、何なら敵認定されていると思っていた人物からの、想定外の申し出。
これは――――
「願ってもない。ありがとうございます」
面白くなってきた。
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