第259話 正しい妥協とは



 ――――紙一重の差だった。


「はぁっ……はぁ……」


 本当に、ほんの僅かな差が勝敗を分けた。何かが一つでも違っていたら、この結果はなかった。


「こいつ……レベル20もない雑魚って話だったのに……冷やっとさせやがって」


 男の声には、向こうも同じように感じていた事を思わせる緊張と動揺、そして――――昂揚と安堵があった。


「取り敢えず、任務完了。いや……死体処理までが暗殺業務、だったな」


 男は確信している。自分が勝利したと。後は俺の体を燃やすなり溶かすなりして、証拠隠滅を図るだけだと。


「チッ、足なんか掴みに来やがって……大方、接触タイプのスキルで両足を破壊しようとしたんだろうが……ま、狙いは悪くなかったな。一瞬、視界から消えたモンだから動揺しちまったよ。もし魔法で迎撃なんてしようとしてたら、不覚を取ってたかもな」


 魔法だったら、構えから発動までのタイムラグがある。その隙に俺の反撃を受けていたかもしれない。奴はそう言っている。


「俺が魔法しか能のないソーサラーだったら、お前にも勝機があっただろう。だが生憎、この俺の武器は魔法だけじゃない。突然の反撃に備えて、身体も鍛えておいて損はない……か。今回ばかりはグノークスの旦那に感謝だな」


 ……OK。


 期待はしていたけど、期待以上の独り言だ。やっぱり人間、肝を冷やした後は多弁になるものなんだな。自分自身を宥めて冷静になろうとする心理らしいけど。


「それじゃ、そろそろ消すか。恨むなら余計な事に首を突っ込んだ自分の愚かさを恨……」



 さて――――そろそろ良いだろう。



「……なんだ? 魔力切れ……? 馬鹿な。今日はまだ一発しか撃ってない。どういう……事だ?」


「お前はもう強力な魔法は使えねーよ。一生、最低限の魔法力で過ごせ」


「なっ……!?」


 本当に紙一重だった。もしコイツが拳じゃなくナイフ等の武器で攻撃してたら一巻の終わりだった。まあ、例の謎バリアが発動したかも知れないけど。


「何をフザけた事を……何だ? 何だこれは!? 力が……入らん!」


 今の俺の状況を整理すると、地面に横たわったまま奴の足に指一本だけ触れた状態。ほぼ同時に、振り下ろされた奴の拳によって俺は後頭部を強打した。


 恐らく、普通ならそれで気を失っていたか、下手したら脳挫傷で死んでいたかもしれない。でも、その真の威力を味わう事はなかったし、これから味わう事もない。


 奴の拳が俺に触れる直前、俺の調整スキルで奴の能力は改変されたから。


 もし拳よりもリーチの長い武器を持っていたら。もし足に触れる前に拳が届いていたら。そもそも指が届いていなかったら。


 本当に……ラッキーだった。


「お前ッ! 何をした! 俺の身体に何をしたんだ!」


「……呪い?」


 実際、そのようなものだろう。このスキルは。どうせだから今後、呪術師とでも名乗ろうかな。なんかウケそうだし。


「クソがっ!」


 魔法も使えなくなった憐れな殺し屋が放ったパンチは、まるで飼い犬が甘噛みして来たかのように鈍く、そして弱い。思わず優越感に浸りそうになるくらい。


 でも違う。このスキルは所詮貰い物だし、俺が強くなった訳でもない。そこを勘違いしちゃダメだ。


「ぐあっ……!?」


 俺は咄嗟に避けただけ。奴は拳を地面に打ち付け、そのまま蹲ってしまった。


 最低値の耐久力で、思いっきり堅い地面を殴ったんだ。骨が折れていても不思議じゃない。


「どうなってやがるんだ……これは……何なんだよォォォォ!!」


「その呪いを解いて欲しかったら、誰に依頼されたのか、どうして俺を狙ったのかを全部吐け」


「レベル10台の雑魚が……! 調子に乗りやがって……」


「吐かないのならお前は一生、そのレベル10台に手も足も出ない身体のままだ」


「……ッ」


 歯軋りがこっちにまで聞こえて来そうな顔。口元を隠していても、その怒りと葛藤が伝わってくる。


 出来れば、大人しく言う事を聞いて欲しいけど――――


「ヘッ、誰が言うかよ。その顔、覚えたからな……覚えたからなァァァァ!!!」


 うわっ! 煙幕!?


 やっぱりアイテムを隠し持ってたのか……攻撃用じゃなかったとはいえ、迂闊に飛び込まなくて良かった。


 煙が晴れてくる。当然もう奴はここにはいない。足の速さも最低限レベルにまで落ちてるだろうけど、どうせ大通りの方に出て行っただろうし、これから追跡するのは不可能だ。まあ、顔は覚えたから良しとしよう。口元は隠していたけど、かなり極端なタレ目だったから間違える事もない。


 そして有力な情報も得た。ま、このタイミングで襲って来た時点で予想はついたけど……どうやらグノークスが差し向けた刺客っぽいな。こっちが探ってたのバレバレだったか。


 でもこれで、奴が黒幕の最有力候補に浮上だ。奴はコレットに恨みがあるだろうし、コーシュへの私怨もありそうだもんな。彼女を奪われたって逆恨みしてそう。プライド高そうだったし。


 襲われたのは不運だったけど、これで一気に捜査が進展したって意味では、寧ろ幸運だった……かも……


「あ……れ?」


 マズい。頭がボーッとして来た。


 一撃目の魔法の衝撃か? それとも、無力化したとはいえ殴られた事で地面に頭を叩き付けられた所為か?


 ……どっちもか。二度も頭揺らされたんだから、そりゃ脳震盪も起こすわな。


 ヤバいな……吐き気もして来た。このまま、人気のないこの路地裏で倒れたら、誰にも発見されないまま死ぬなんて事も……いや、さっきの煙幕で煙が立ちこめてるから誰か駆けつけてくれるか?


 うわ、これダメだ。急に意識が……朦朧として……視界が……


 冗談じゃ……ない……こんな所で……死ねるかよ……


 這ってでも…………大通り……へ…………



 ……。



 …………。





「誰かいるの? 何があったのか説明を求めるわ」



 声……が……聞こえる……



 ああ……助かった……もう大丈夫だ……


 だって……こういう時に駆けつけてくれるのは……きっと……



「……え?」



 信念があって……いつも凛としていて……偉そうだけど親切で……優しくて……俺の……憧れの……



「トモ!? トモなの!? しっかりして!」

 


 ……ギルドマスターの先輩……だから……――――









「――――魔王が倒せないのなら、封印する方法を探すしかない」


 パーティ内で最も冷静で、最も堅物なベルドラックらしい提案だった。


 実際には『魔王を倒せると言われている四光および九星、計13の武器が全て魔王の手によって穢され、魔王殺しの力を失ってしまった状態』であって、魔王を倒す方法が一切ないとは限らない。穢れた武器を元に戻す方法も現時点では見つかっていないけど、何かあるかもしれない。当然、14番目の対魔王の武器が生まれるかもしれない。


 でも、全ては希望的観測。リアリストのベルドラックにとっては空虚な妄言に思えて仕方ないんだろう。


 ただ、魔王を封印できる方法も今のところ見つかっていない。封印であっても現実的とまでは言えない。


 結局のところ、何もかもが暗中模索であり、言い方を変えれば絶望だ。


 魔王を倒せない敵と認め、より謙虚な方法として『封印』の方法を探すか。あくまでも討伐に拘り、その手段を見つける事に心血を注ぐか。


 パーティ内で、意見は割れた。

 

 魔王討伐に関する最終的な方針はグランドパーティに一任されているから、ここでの不一致は致命的。



 パーティの解散を意味する。



 元々グランドパーティは魔王討伐に特化した集団。その一員が魔王討伐を諦めるのは、責任の放棄に他ならない――――頭の固いティシエラはそうボヤいていた。


 けれど彼女もわかっている。全てが理想通りにいくほど、現実は甘くないと。


 仮に人類が勝利するとして、その道のりは当然険しいものになる。けれど険しい道の先には最高の結末が待っている――――


 そんなのは子供に夢を持たせるための、御伽噺のお約束に過ぎない。


 現実には常に妥協が付きまとう。言葉を濁せば着地点、落とし所といった表現も出来るだろう。


 何にせよ、理想の追求が許されるのは、自分一人で全ての責任を背負える事柄だけだ。世界の命運が懸かっている魔王討伐に適用できる筈もない。


 妥協は必要だ。だからベルドラックの決断は正しい。


 でも、ティシエラの愚直なまでの高潔さもまた、正しい。それはひとえに貫通力とも言える。貫き通す力がなければ、理想に最も近い所まで辿り着けない。


 正しい妥協とは、最後まで死力を尽くして知恵を絞り抜いた末に落とす、最後の一滴。


 それを目指す限り、間違いなんてありはしない。


 だから――――


「俺は、封印も討伐もしない。一番確率の高い方法で、魔王の脅威からこの街を守ってみせる」


 無い知恵を絞って見つけたこの妥協案を、大切にしたい。


 それが、どんなに途方のない道のりであろうとも。


 誰に反対されようとも。


 例え、今までの全てと、これからの全てを犠牲にしてでも。



「勝てなくて良い。負けなきゃ良いんだ。永遠に」



 どれだけ馬鹿な真似だとしても――――









「――――……本当に馬鹿な真似をしたものね」


 意識が戻って間もないのに、早速罵倒ですか。現実は厳しいですね。おかげで夢の内容も吹っ飛んじまったよ。


 ここは……なんか見覚えがあると思ったら、一度コレットに担ぎ込んで貰った病院か。あれからそんなに経ってないのに、随分昔のように感じる。


 あの薄れゆく意識の片隅で聞いた声の通り、俺を助けてくれたのはティシエラだったらしい。そのティシエラに大まかな事情を話した結果、思いっきり呆れられてしまった。


「如何にも変装していますって格好で今の冒険者ギルドに行ったら、怪しんで下さいって言っているようなものじゃない。しかも単身で。危機意識って言葉は貴方の辞書に載ってないの?」


「いやそうは言ってもさ、日中の街中で襲われるとは思わないじゃん……」


 そりゃ宣戦布告みたいな事はコレットに言ったけど、別に戦争しようって訳でもないんだし。あんな過激な手段に出て来られるなんて予想しようがない。


「一応、その辺の事情も考慮して記録子さんの弟子を名乗ったんだよ。自分が好きな書き手の関係者に手荒な真似はしないって思うじゃん? 変人の弟子なら変な格好してても不思議じゃないし」


「はぁ……」


 ガチで呆れられてしまった。全身鎧の姿で聞き込みするよりは良いと思ったんだけどな……まあ、実際危険な目に遭った事だし、ここは大人しく愚策だったと認めよう。


「ま、良いわ。身体は大丈夫なの? 先生の診断では軽い脳震盪程度って事だけど」


「あ、うん。おかげさまで。特に痛い所もない」


 一番大きな衝撃は最初に受けた魔法だったけど、あれも殺傷力重視というよりは、俺を路地裏まで吹き飛ばす事を優先した魔法だったみたいだからな。おかげで裂傷は一切なかった。


 それより問題は、俺をどうやってここまで運んだかだ。今、病室にはティシエラだけしかいない。って事は……


「なあ。まさか、ティシエラが一人で運んでくれたの?」


「馬鹿言わないで。貴方と違って、私は街中を一人で出歩く事なんて滅多にないの。ギルドの子達と遠出してる最中に偶然、妙な煙を見つけて現場に急行したら貴方がいたから、馬車を呼んで御者にお願いしたわ」


 あ、そうでしたか。ティシエラにおんぶして貰っている光景を一瞬とはいえ想像してしまった自分が恥ずかしい。


「心配しなくても、馬車代と治療費はしっかり請求してあげるから。こんな事で借りを作りたくないでしょう?」


「いや、それ支払うのは当然だし、助けて貰っただけで十分借りなんだけど」


「だったら、今すぐその借りを返して貰おうかしら」


 ティシエラの眼差しが鋭く研ぎ澄まされていく。その表情だけで、何を言おうとしているのかは察しが付いた。


「貴方を襲った殺し屋……かどうかは断定できないけど、襲撃者の詳細を教えて頂戴」


 やっぱりか。まあ、ヒーラーでもないのに問答無用で人間を襲ってくる殺し屋の情報は詳しく知っておきたいよな。自分達が標的にされる事だってあり得るんだし。


 調整スキルについては、イリスを介して既に知っている筈。今更隠しても意味がない。そもそも、最初はこれ使って一攫千金を狙ってた訳で、信頼できる相手には隠す理由がない。


「わかった」


 洗い浚い話すとしよう――――という訳で、説明終わり。


「……」


 俺の話を最後まで黙って聞いていたティシエラの感情を、表情から読み取る事は出来ない。


「イリスから話は聞いていたけど……貴方のスキル、相当危ないわね」


「そうなんだよ。俺には扱いきれないくらいブッ壊れ性能で……」


「私が言っているのは、貴方の身の危険の話よ」


 ……身の危険?


「もしそのスキルの全容が不特定多数の人間に露呈したら、また今回みたいな襲撃に遭うかもしれないわ」

 

 そう告げるティシエラの目は、マジだった。





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