第255話 薄情

 この世界の紙は質がかなり低い。ちょっと厚手だから破け難いのは良いんだけど、その分重いしインクの乗りも微妙。しっかり力入れないと字が掠れるから、地味に疲れる。


 でも、今感じている心労の原因は恐らく……重圧だ。


 夜、雨、そして女性と二人きり。そんなシチュエーションが過度なプレッシャーを与えてくる。


 ここは何か気の抜けた冗談でも言って、空気を軽くしないと。


「ギルマスの仕事って……あ、そう言えばシキさん、このギルドを牛耳ってやろうと思ってたとか言ってたよね。あれ、もしかして本気だったの?」


「だったらどうする?」


 ちょっ、マジで!? 別の重圧が加わってGがヤバい事に! 戦闘民族の修行場かよ! 


 マズい。俺とシキさんじゃどう考えてもシキさんの支持率が高い。ヤメという最凶の工作員も誕生しそうだし。もしシキさんが本気で下克上狙って来たら太刀打ち出来ないぞ……


 ここは如何にギルマスが過酷かを吹き込んで、諦めさせねば。


「ギルマスの朝は早い――――」


「急に何が始まったの」


「早朝まだ街の通行人が誰一人いない時間帯に起きて、建物周辺の掃除をする。続いてホールの掃除。ギルド員が今日も一日頑張ろうと思えるよう、常に綺麗にしておく必要がある。続いて本日誰がどの仕事に就くのかを確認。勿論、全ギルド員の予定は業務文書に書き込んでいるけど、そこから更に今日一日分の業務活動内容を書き起こす。最終確認だな」


 この世界にはワークフローだのタスク管理だのを手早く行えるツールなんて当然ない訳で、全てギルマスの俺がしっかり把握しておかなくちゃならない。万が一仕事に穴を開けようものなら俺の責任だ。


「朝会は手短に。これが長くなるとギルド員の不興を買うし仕事も遅れて良い事なし。ただしその短い時間で、全体的にダレてないか、不満が募っていないか等を目聡くチェックする必要がある。特に無理なスケジュールで疲労が蓄積されていると、効率に大きな影響を及ぼすから注意。場合によっては、そこで喝を入れたりやる気を注入したりする。方法は様々」


 極端な話、軽く笑いを取るような話をするだけでも、結構空気が変わったりする。そういうのを苦もなく出来れば良いギルマスなんだろうけど、生憎俺はまだまだだ。


「朝会が終わったら、いよいよギルマス業務の本番、営業だ。可能な限り割の良い仕事を見つけてくる。今のウチの場合は街からの信頼を得られるような仕事選びも重要だ。ひたすら足を使って頭を下げて、顔を覚えて貰う。飲み会にも積極的に顔を出す。幾ら面倒でもな」


 これはシキさんには苦手だろうから、良い牽制になるだろう。本当は営業担当の職員がいれば良いんだけどね……ウチにそんな人材を雇う余裕はない。


「さっきから凄い喋ってるけど、私が知りたいのは今やってる書類関連の仕事」


 ……そうでしたか。もう少し前に言って欲しかったですね。喉の無駄遣いも甚だしい。


「書類関連は、大きく分けて三つかな。まず郵便物の確認。午後から届くのもあるからね。次に外へ送る書類の作成。仕事を発注して頂きありがとうございますの御礼状とか、近日中にお伺いしても良いですかってアポ取りとか、業務に関する申請や許可の書類とか、色々。で、残りがギルド内文書。定期報告書、通常報告書、成果報告書、指示書、計画書……こっちもまあ、色々」


「そういうの、全部ギルドマスターがやるの?」


「職員いないからねー。まあ、言うほど多くもないけどさ」


 警備員時代、デスクワークは殆どしなかった。各警備会社にはちゃんと事務の人がいるからね。


 だからこういう仕事は経験なかったんだけど、幸いティシエラやバングッフさんに実際の書類を見せて貰ったりしたから、特に問題なく作成や確認が出来ている。実例があれば、それをなぞるだけだからな。


「結構大変なんだ。ちゃんと仕事してたんだね」


「意外だったでしょ? これでもやる事はやってんの。ま、五大ギルドのギルマスに比べたら仕事量は大した事ないけどさ。コレットやティシエラは毎日大変だろな」


「……」


 あれ? 反応ないな。何か変な事言ったかな……?


「隊長ってさ」


 あ。これアレだろ。『相変わらず女の名前ばっかり出すね』みたいなやつだ。最近、シキさんってば俺をイジる事に楽しさを覚えてる感じだもんな……二人の時限定で。今日も怒涛の勢いでイジられたし。


 ま、悪い気はしないから良いんだけど――――


「誰が本命なの?」


 あいやー! その質問はイジりの範疇超えてませんか!?


「いや……本命って言われても……」


 そうは言いつつも、考えた事がないと言えば嘘になる。『本命』って言葉は兎も角、親しくなった異性と恋仲になる想像の一つや二つ、誰だってするだろう。


 ……するよな?


「あれだけ大勢の女と親密になっておいて本命いないの? 爛れ過ぎじゃない?」


「殺人犯を超えた風評被害!」


 シキさんの俺に対するイメージどうなってんだ? ヤメから変な事吹き込まれてるんじゃないだろな……


「よーし良い機会だ。シキさんの誤解をここで全部解いちゃろう」


「誤解なんてしてないと思うけど」


「まず大勢って所から違う。確かに女性の知り合いは二桁人数いるし、その中の何人かとは親しくしてるけど、殆どが仕事絡みなんだよ。コレットは一日冒険者時代に知り合った友達だし、ルウェリアさんは元職場の娘さんで恩人。イリスはウチのギルドに派遣されたソーサラーで、シキさん達ギルド員と同じ仕事仲間。あとティシエラは……」


 ティシエラは……何だろう。そう言えば、なんかなし崩しの内に色々言い合える仲になってたな。


 最初の出会いは、コンプライアンスの酒場でアイザックが腕相撲で負けて大荒れしている場面に出くわした時。感情をリセットする魔法を使って、一瞬で場を収めたのがティシエラだった。


 その時は挨拶程度だったけど、何故か翌日ベリアルザ武器商会の会議にしれっと参加してたんだよな。二度目の遭遇にして早くも辛辣なツッコミやらイジリやらをされていたけど、それは『親しくないからタメ口』っていう良くわからない彼女の基準に則っての事。未だにその理由は定かじゃないし、そこそこ親しくなった今も丁寧語を使われた記憶ないけど……っていうか絶対嘘だろアレ。


 ソーサラーギルドのギルマスで、かつてグランドパーティの一員だった、人類最高峰の魔法使い。本来なら、俺なんてまともに口を利いて貰う事も出来ないくらいの大物だ。それなのに、やけに俺に対して気さくというか、懇意にしてくれている……ような気がする。仲の良いルウェリアさんやコレットと知り合いだったから、かもしれないけど。


「……ティシエラはギルマスの先輩だし」


 熟慮してみたけど、結局俺とティシエラの関係を一言で表すには、こんな表現しかない。


「みんな良い人達だから、俺みたいな流れ者にも優しくしてくれるけど、仕事を超えた付き合いって訳じゃない」


「この前イリスチュアとデートしてたでしょ? 私にデートコースの予約までさせて」


「いや、だからあれも仕事の相談だったじゃん……もしかして雑用押しつけられて根に持ってる?」


「は? なんで私がそんな事でイラっとしなきゃいけないの。馬鹿じゃない」


 今まさに苛立ってますよね……


「兎に角、ある程度親しくして貰ってる人達はいるけど、親密な関係の女性はいないんだよ。だから本命も何もないの」


「ふーん。とてもそうは思えないけど」


 露骨に信じてない。いつもは淡白なのに、なんでこの話題に限ってしつこいのさ。


 まさか、ヤメと賭けでもしてるんじゃないだろな? 誰が俺の本命かで。あー、絶対これだわ。あいつなら持ちかけかねないし、シーフ系って賭け事好きそうなイメージだし。道理であのシキさんが妙に俗っぽい事を聞いてくる訳だ。恋バナに興味津々なシキさんなんて最初からいなかったんだ。


「シキさん」


「何……?」


 雨音がやかましくて声が聞き取り辛いんで、少し顔を寄せる。シキさんは驚いたように身を引いたけど、露骨に嫌な顔はしなかった。


「前にヤメと話してたのを聞いてたんだよね? 俺がその……失敗して、それ一回しか経験ないって話」


 正直、この件を蒸し返すのはムチャクチャ嫌なんだけど、賭けの対象にされるのはもっと嫌だ。ここは身を切ってでもNOを突きつけてやろう。


「……聞いたけど」


「なら話は早い。そういう訳だから、中々踏み込めないんだよ。まして今は借金背負ってる身だし、恋人作ろうってモードじゃない」


 まるで、自分に言い訳しているみたいで気が滅入る。


 自分らしく生きよう。やりたい事をやろう。第二の人生のテーマとして掲げてきたその中に、恋愛や結婚も入っている。


 だけど、今までそこには踏み込まないようにして来た。ギルドを軌道に乗せて借金返済する事に全力を注ぐ為だ。


 でもそれは多分……半分くらいは見栄だった。


 思えば、前世は恋愛と殆ど縁がない人生だった。唯一と言って良いのが、小学校高学年の頃クラスメイトの子に片想いしていた事くらい。


 童顔でクリッとした目が可愛い女の子。適度に人当たりが良く適度に笑う、あまり癖のない性格だった。


 女子との交流なんてずっと皆無だった俺にとって、その片想いは初恋であり未知との遭遇。話しかける勇気なんか勿論なくて、こっそり遠巻きに眺めているだけで十分満足だった。


 何か一つでも楽しいエピソードがあれば、きっと良い思い出になったんだろう。でも生憎、そんな都合の良い現実なんて転がっちゃいない。会話らしい会話なんて一切ないまま時が過ぎ、やがてそのまま卒業した。


 正直、あの時の気持ちが本当に恋だったのか、あの子の事を本気で好きだったかどうかはわからない。中学に上がった頃、当時同じクラスだったイケメンの男子と付き合ってるって話を聞いても、全く動揺はしなかったし心も痛まなかった。


 でも今思えば、それは自分が傷付かない為にあらゆる予防線を張っていた結果だったんだろう。本格的にゲームにハマったのもこの頃。現実逃避の手段だったのかもしれない。


 だから、失恋をしたって実感は正直ない。そこまで辿り着く前に、自分の気持ちを切り捨てて放棄してしまった。何か劇的な出来事でもあれば少しは違ったのかもしれない……なんて、ただの言い訳。俺は初恋にさえ真摯に向き合えなかった。


「いや……違うか」


 半ば独り言のように、口元でボソボソと呟く。


「俺はきっと、誰かを本気で好きになる事が出来ない人間なんだよ」


 両親に対してもそうだった。友達に対しても。俺には、心からその人達を大事にしようって感情が欠落していた気がする。


 情が薄い。いや……情がないんだ。


 虚無の14年がその証拠。誰かの為に頑張ろうって気持ちが一切なかったから、そんな人生になってしまった。そうに違いない。


 愛情も友情もないから、他人を大切に思えない。結局のところ、自分だけが可愛いんだ。


 でもそんな自分への失望、無様な自分を認めたくない気持ちも強いから、自分もあまり好きになれなかった。無駄にプライドが高いのに、そのプライドを生きる為の活力に出来ない。


 俺が本当に変えたかったのは――――この第二の人生で覆したかったのは、そこなんじゃないか?


「シキさんはさ、おじいさんを心から大切に思って、最後まで看取ったんだろ? 凄いよな。俺は……そういうのが出来ない。根本的に薄情なんだ」


「……」


 親孝行だって、やろうと思えばいつでも出来た。でも関心がなかった。親への感謝以前に、肉親の情っていうのが良くわからない。そんなの本当にあるのか?


 高校までの友達にも、大学に入ってからは一切連絡を取らなかった。ぼっちだった自分が恥ずかしかったってのもあるけど、結局は関わりたいって気持ちがそこまでなかったんだ。


 ……いやまあ、薄々気付いてはいたよ。見ないフリをしてきただけだ。自分がこんなスカスカな人間なんて認めたくなかった。


 この世界で生まれ変わって、前世よりは人付き合いをちゃんと出来ている。良好な人間関係を構築できている。信頼も少しは得られた。


 でも、本当に克服できたのか?


 薄情な自分を認めたくなくて、無理やりにでも気さくな奴を演じてるんじゃないか?


 過剰なくらいコレットの選挙を手伝って、自分の手を吹き飛ばしてでも身を挺してティシエラを庇おうとしたのは、自分は冷血な人間じゃないって周りにアピールする為だったんじゃないのか?


「そんな薄情な人間が、誰かを好きになるとか……ないない」


 全部が全部、打算って訳じゃないとは思う。コレットやティシエラを助けたかったのは本心だ。そこに偽りはない。


 でも――――


「……?」


 不意に、カウンターデスクに置いていた左手が温かい感触に包まれた。


 え、何なに何なに? 蛇? 蛇か何かに呑まれた?


 いや違う。これは……


「やっぱり似てる」


「ちょいとシキさん!? 断りなしに手握るの止めて心臓に悪いから!」


「前の時も思ったけど。隊長ってさ、受け身だよね」


 ……はい?


「手、握った時の反応。普通は反射的に指曲げたり動かしたりすると思うんだけど、なんかされるがままだし」


「それは単に困惑で硬直してるだけだって……」


「おじいちゃんも、こんなふうだった」


 あ……似てるってそういう……


「おじいちゃんを不安にさせないように手を握ってあげようって思ったんだけど、結局私の方が縋ってたのかな。おじいちゃんがいなくなったら、独りになるから」


「それはまあ……合ってるじゃないでしょうか」


「うん。多分おじいちゃんもわかってて、だから握り返さなくなったのかな。最後の方はずっと、今の隊長みたいだった」


 ……それは半分正解で、半分間違いだ。


『いつまでも俺に縋り付くな』って意思表示と、もう握り返すだけの力がなくなったという現実。 


 だとしたら俺は差し詰め、誰の手も握ろうとしない人間か。縋り付こうとする人の手すらも……


 っていうかシキさん、まだ手を放そうとしない。なんかずっと握っている。前と同じように、指の隙間を指で埋めて。しかも不意に握った手で甲をつねってくる。地味に痛いんだけど。


「あ、だからか」


「……何が?」


「隊長がギルドを作った理由。握り返せない人だから、囲える場所を作ったんだね」


 シキさんはほんの少しだけ口元を綻ばせながら、俺の目を見てそう告げた。




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