第254話 行動理念が杜撰すぎる
前世で天気予報を気にしなくなったのは、一体いつ頃だったか。
警備の仕事は雨天決行が当たり前で、商業施設やビルの出入り口に常駐する施設警備の場合、長時間レインコートを着て雨に打たれながら立ち続ける。例え冬場であっても。
交通誘導についても同様。ただし、野外ベントの場合は相当強く降っている場合は中止になる事があり、工事現場は小雨でない限り中止になりやすい。
それに、雨の日でも意外とメリットは多い。人通りが極端に減るから、気を張る必要が大分なくなる。特に祭り関連のイベントは、雨次第で人の数がかなり変わってくる。警備の難しさやトラブルの多さは人口密度に比例するから、降雨で助けられた現場も多い。
だから、それがわかるくらいキャリアを積んだら、雨が降るという予報があっても特に憂鬱にはならなくなった。カイロと防寒のレインウェアでしっかりガードすれば、冬でも凍えるほど寒いって訳じゃなかったし。
晴れでも雨でも、特に心の動く事のない一日。スマホやテレビが知らせる天気を、虚無の目で眺めていたあの日々は、今思えば少し異常だったのかもしれない。
皮肉なもので、そんな俺が天気予報なんてものが存在しないこの異世界に来て、あらためて天気予報の偉大さを知る事になった。
明日の天気がわからない。それだけの事なのに、まあ不便。洗濯物を干すタイミングがわからないから洗濯するタイミングも賭けに近いし、何より仕事面で予定を立て辛い。外灯設置の仕事をしている最中、何日も連続で雨が続いた期間はマジで焦った。あらかじめ雨の予報を知っていれば、前倒しで進行する事も出来たのに。
そして今――――過去最大級の天気予報プリーズ症候群に蝕まれている。
結局、あれから雨脚は強くなる一方。外は完全に真っ暗になってしまったのに、依然として猛烈な勢いで降り続けている。
これじゃ、とても外には――――
「……」
「ってシキさん! 何しれっと帰ろうとしてんの!」
ちょっと目を放した隙に、シキさんはギルドの玄関口で今にも外へ飛び出そうとしていた。
「もう夜遅いし」
「そりゃそうだけど、こんな土砂降りに打たれ続けたら体壊すって! 夏場ならまだしも!」
「でも夜遅いし」
同じ言葉のゴリ押し好きだなシキさん……別に語彙干涸らび系でもないのに。
「っていうか、絶対前見えないでしょ。どうやって帰るつもりなの」
「あそこに住んで結構長いから、方向はなんとなくわかるし」
「なんとなくで辿り付ける距離じゃないと思うんだけど……」
最初の頃は素っ気なくてクールな印象だったのに、随分とイメージ変わったよな。今のシキさんの方が素なんだろうけど。
「とにかく、こんな雨の中で外になんて行かせられないって。ヤメに知られたら翌日、棺桶の中で冷たくなっている俺が発見されるよ?」
「どういう脅し文句?」
「自分でもよくわかんない」
その答えが、一体何処のツボを押したのかはわからないけど……
「ふふっ」
シキさんは珍しく声を出して笑った。
「別に熱出しても良いけど。そうしたら隊長、看病してくれそうだし」
「いやいやいやいや。そりゃして貰った恩はあるけど、一人暮らしの女性の家に男一人で行けないって」
「私の住んでる所、知ってるでしょ?」
「知ってるけど、そういう意味じゃなくて!」
「でもマギだけになった時、私に引っ付いて家まで押しかけてたんでしょ?」
……その通りです。だから家の場所も間取りも知ってるんだけどさ。
「身体があるかないかだけの違いで、もう一度来てるようなものでしょ。一度も二度も同じじゃない?」
「全然違う! 特に身体の有無はメチャクチャ重要だから! そりゃ俺が襲ってもシキさんなら余裕で返り討ちに出来るだろうけど!」
「え、襲う気だったの?」
「襲うか! 雨の中帰らせて体調崩したのを見計らって家に押し寄せて襲うとか、どんな鬼畜マスターだよ!」
「キチマス」
「その略し方やめて! 違う意味にも取られるし、どっちの意味でも最悪だから!」
くっそ……完全に嘗められてる。身分も年齢も上なのに。精神年齢は10以上違うのに。なんか手玉に取られてる感が半端ない。
「そもそも、このプレートアーマー脱げないから襲いようがないんだよ。今の俺って全身が貞操帯みたいなもんだし、世界で一番安全な男なんじゃないかな」
「鎧で身体は覆えても欲望までは覆えなくない? 発情して襲われたら押し潰されそうで怖いんだけど」
「余裕で回避できる癖に……」
「かもね。隊長ヘッポいから」
ヘッポいって何だよ。ヘッポコなのかヘボいのかハッキリしろや。どっちだろうとショボいのは変わらないけどさ……
ま、実際レベル18はこの街じゃ飛び抜けて低いから言われても仕方ないね。マルガリータさんのお墨付きだし。
「その癖、人一倍最前線で戦いたがるよね。あれ何なの? やめた方が良いよ。おかげでこっちは倍疲れるから」
「それは本当ごめんなさい……ん? なんでシキさんが倍疲れるの?」
「余計な事は気にしなくて良い」
……もしかして、俺がマイザーやシャルフと戦っている最中も、ずっと俺に危険が及ばないか気に掛けてくれていたんだろうか。
「やっぱり俺、足手まといなんだな……」
「別にそこまで言ってない。まあ、士気?は上がってるみたいだし。一応貢献?もしてるし」
おお……シキさんがフォローしてくれている。珍しい。今日はレアシキさん多いな。
「わかったよ。俺もなるべく自重するから、シキさんも今日は自重して。この雨の中で帰らせて体調でも崩したら、俺マジで他のギルド員から人でなしって言われる」
「……だったら、一番近くの宿に泊まる。そこなら看病できるでしょ?」
「なんで看病ありきなの! 行動理念が杜撰すぎる!」
意地でも俺に借りを返せという事なのか。シキさんは薄く笑みを浮かべていた。
「とにかく、雨が弱まるまでは外出禁止。そのまま外に出ようとしてたし、雨具とか持ってないんでしょ?」
「隊長の格好なら雨の中でも平気なのにね」
全身鎧を雨合羽扱いすんな。貞操帯扱いした俺が言うのもなんだけど。
「大体、幾ら全身を覆ってるっつっても隙間はあるんだし、この土砂降りじゃ余裕で中に入ってくるって」
「そう? 試してみてよ」
「……マジで?」
そう言いつつも、少しだけ雨に打たれてみたい気持ちもある。全身鎧のこの姿で大雨の中に飛び込んだらどうなるのか……なんか台風の日に外に出てみたくなる心理に似てるな。
「よーし、やってやろうじゃねーか」
「え……」
「焚き付けてドン引きするのやめて」
シキさんのジト目から逃れるように顔面部分を下ろし、万全のフルアーマー状態で外へ出てみる。
おおおおおおおお……!
なんか雨音の反響がスゲェ! 工事現場のど真ん中にいる気分。震動は全然ないけど揺れてるような錯覚を抱くくらい音が響くな! 思わず『ショーシャンクの空に』のあのシーンを再現してしまうくらいテンション爆上げですよ。
とはいえ、懸念していた通り雨が隙間からどんどん入り込んで来たんですぐ引き返した。
「ふぃ~」
兜を脱いで湿気を逃がす。髪は少し湿ったけど、耳の中まで入って来なかったのは幸いだった。前世と違って、この世界だと中耳炎でも結構大事になっちゃうからね。
「やっぱ無理無理。スゲー濡れる。でもなんか童心に帰れて楽しかったなー」
「……隊長」
「あ、もしかして水滴跳んじゃった? ゴメンゴメン」
「そうじゃなくて。なんか普通に兜脱いでるけど、その鎧って脱げないんじゃなかったの?」
……ん?
「あれ!? なんで!?」
「私に聞かれても知らないよ。自分で脱いだんでしょ」
確かに……なんか条件反射で何にも考えずに脱いじゃったけど、本来は兜も含めて全身脱げなかった筈。なんで急に……始祖が向こうで勝手に着脱の儀式か何かをやってくれたんだろうか。
まあ何でもいいや。兜が脱げたんなら全部脱げる筈。ようやくプレートアーマーマンを引退できるな。
「じゃ向こうで着替えてくるから、勝手に帰ったりしないようにね。まだ全然雨強いから」
「うん」
……やけに素直だな。さっきまで帰る気満々だったのに。鎧がビショビショなのを見て考えが変わった……って事はないと思うけど。
取り敢えず着脱――――完了。男たるもの着替えに時間を割いてはならぬ。なお女性はその限りではない。
にしても寒いな。そう言えば、今は初冬だったっけ。鎧のおかげで全然寒さを感じてなかったから忘れてた。
こういう時、風呂に入れないのは不便だよな……髪拭くタオルもゴワゴワだし。まあ、いい加減慣れたけど。
「雨、止みそうにない」
ホールに戻ると、シキさんはこっちをまじまじと見つめてきた。何気にこの姿を人前に晒すの久々だから、ちょっと恥ずかしい。
「この感じだと一晩中降りっぱなしだろうし、泊まってけば良いよ」
「……」
「なんちゅう顔してんの。別に同じ部屋に泊まるんじゃないんだから、問題発言ってほどでもないでしょうがよ」
……と言っても、俺以外の人間が宿泊する事を一切想定していなかったから、寝具なんて気の利いた物はない。予備の毛布くらいだ。
それでも、大雨に打たれて帰宅するより遥かにマシだろう。この世界には瞬間湯沸かし器なんてないんだから、家に帰ったところで簡単に暖は取れない。絶対風邪引く。正式な風邪かどうかは置いといて。
「そりゃ、警戒するのは当然だけどさ。俺だって自分の立場くらい弁えてるし、この状況でシキさんに変な事したら身の破滅ってくらいは理解してるから。どうしても不安なら、両手両足縛ってくれても良いけど?」
シキさんの方が遥かに強くても、やっぱり男と二人で同じ屋根の下……ってのは抵抗あるよな。だからシキさんがどうしても帰りたいって訴えるのは理解できる。
でも、ここは折れる訳にはいかない。
「……わかった。今日は隊長の御言葉に甘える」
あれだけ渋ってた割には、意外な物言い。取り敢えず一安心だ。
「空いてる部屋を好きに使ってくれて良いから。毛布も出すし」
「了解。今晩はギルドを自分の家みたいに思って過ごそうかな」
「それ、俺の方から言うセリフだよね」
なんかシキさん、嫌がってる割にノリノリだよな。案外、台風の日の子供みたく非日常に対してテンション上がってるとか?
……それはないか。不安だから、出来るだけ明るく振舞ってるのかもしれない。
シキさんの事だから、恐らく熟睡はしないんだろう。仮眠なら、俺が近付けば気配察知のスキルで把握できる筈だから、問題なく対処できる。そういう夜になる覚悟を決めたんだろう。
勿論、過度に警戒されれば複雑な気持ちにはなるけど、こればっかりは仕方ない。こっちが『寝込みを襲うなんてしないから安心して眠って!』なんて言っても意味ないし。言えば言うほど白々しくなる。
俺に出来るのは、淡々と今日という一日を終える事だけだ。
「じゃ、毛布出したら俺は自室で休むから」
「もう休むの? 仕事は残ってない?」
「残ってるけど、明日やれば良いから別に大丈夫」
「今日すれば良くない?」
……うーん。これどう解釈すれば良いんだろう。
気を遣っているだけか? 目の届く場所にいろってお達し? それとも、もう少し話し相手が欲しい……とか?
まあ最後のはないとしても、二番目は普通にあり得る。だったらここで断るのは気の利かない男って事になるな。
探りを入れる意味でも、もう少しここにいるか。
「なら、こっちも御言葉に甘えるとするか」
実は結構仕事が溜まってるんだよね。何しろここ数日、鉱山殺人未遂事件の調査に時間取られまくってるもんだから、通常業務に皺寄せが来ている。あんまり良い傾向じゃないよな。
この建物は元々武器屋だったから、執務室みたいな気の利いた部屋はない。かといって自室に執務机を置くのもなんか気が滅入る。消去法で、書類整理はこのホールのカウンターデスクで行うしかない。
「……」
なんだろう、この奇妙な緊張感。仕事の邪魔しないようにって配慮なのか、シキさんも全然喋らないし。
でも視線は感じる。ガッツリ見てますねこれは。俺の仕事している様を。何が楽しいだろう……サボらないよう見張ってるんだろうか。
「な、何?」
「ギルドマスターってどんな仕事してるのかなって」
シキさんは妙な事に関心を持っていた。
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