第252話 キスってのは魂の啜り合い

 アイザック――――


 まさか、ここで奴の名前を聞く事になるとはな。この街を去った後もなお、俺の前に立ち塞がるというのか……


 でも当然と言えば当然か。あのヨナって女が強い男に付いて優越感に浸るタイプなら、レベル60のアイザックは当然ターゲットになり得る。その上にいるディノーやベルドラックは取り入る隙もなさそうだし。


「詳しい話は聞けなかったみたいだけど、冒険者ギルドでその女性がアイザックに言い寄っている所を目撃した人間が複数人いたから、間違いないと思う」


「アイザックの取り巻きの女達と衝突してなかったのかな」


「そういう話は出て来なかったような……その女性達が見てない所でコソコソ、みたいな感じでやってたんじゃない? 話を聞く限り、ヨナって冒険者はそういうタイプっぽいし」


 確かに、計算高い人物って印象は俺も持っている。コレットから聞いた話を鵜呑みにすれば、だけど。


 出来ればヨナ本人に話を聞きたいところだけど、俺達を犯人扱いしているこの状況で本性を見せるとも思えない。それ以前に、何処にいるのかもわかっていないし……


「取り敢えず、現状で集めた情報は以上よ。あ、そう言えばあと一つ。貴方たちのギルド、日に日に評判が悪くなってるみたい」


「それ一番大事なやつ! ついでみたいに言わないで!」


 予想していた事とはいえ、やっぱり現実になりつつあるのか……


 信頼を勝ち得るのは日々の積み重ねしかないけど、それが崩れるのは一瞬。たった一つの悪評、それも根も葉もない噂で、印象なんて簡単に書き換えられてしまう。生前に嫌というほど見てきた。


 例えネットがなくても、悪評ってのは恐ろしいスピードで伝わっていく。そしてそれは、後で濡れ衣だと判明しても、イメージの回復には時間がかなり掛かってしまう。


 人間は皆、自分の見たいものしか見ようとしない。誰々がやらかしたとか、何処ぞの組織が潰れたとかのザマァ案件や無様な釈明なら嬉々として耳に入れても、実は間違いでしたというニュースは軽く聞き流して終わり。前者は楽しめて、後者はどうでも良いからだ。それどころか、冤罪だった事を執拗にアピールしたら却ってイメージダウンにすら繋がってしまう。


「はぁ……どうしよ」


「今はあんまり色々考えない方が良いんじゃない? 目の前の事を一つ一つ解決していった方が、最終的には良い方向に行くと思うけど」


「正論だけどさ、そんなキッチリ割り切れないって」


 こういう時は、優先順位をしっかりと決めて、その順位に従って粛々と物事をこなしていくのがベストなのはわかってる。でも実践するのは酷く難しい。優先順位自体が正しいかどうかもわからないし。所詮は自分で決める事だから根拠もコンセンサスも薄い訳で。


 自分に自信がある人なら、それでもやれるんだろう。自慢じゃないが俺にはない。謙遜でも何でもなくマジでない。ソースは32年の人生。熟成されし我が無力さよ。


「でも、ま……無理やりにでもそうするしかないのか」


「そういう事。私も、誰も、貴方に完璧なんて求めてないんだから」


 何気ないそのフレンデリアの言葉は、妙に心の中に響いた。


 誰も。



 ――――俺も?



 自分自身に完璧を求めない事は、多分この世のどんな事よりも簡単だ。完璧でありたいと思っても、現実には誰もが何処かで何かを妥協している。例え天才と言われる人達でも。


 だからフレンデリアは正しい。俺だって完璧主義者でもないし、そもそも完璧主義者は完璧を求めてはいない。縋っているだけ、若しくは取り憑かれているだけだ。



 けれどもし、それが必要な時が来たとしたら……?


 絶対に完璧でなければならないものがあって、それをしなきゃならないとしたら?


 完璧以外では成立しないものがあるのなら、俺は一体どうするんだ?





『……そうだよな』





 幻聴が聞こえた。自分の声だった。本来ならそういうのは内なる声と表現すべきだけど、リアルに鼓膜に響くような声だった。


 まるで――――これまで何百回、何千回とそう答えて来たかのような、幾重にも重なったような声。そう答えるよう誘うかのように。



「そうなんだろうな。俺以外は」



 気付けば違う答えを口にしていた。天の邪鬼な性格って訳じゃないと思うんだけど……何故か、抵抗しなくちゃいけない気がした。


 ま、よくある『弱い自分』の声だったんだろう。それに抗うのは男のロマンでもある。だから、きっとこれで良いんだ。


「多分俺はさ、自分のやるべき事を完璧にこなすくらいじゃないと、周りに追いつけないんだよ。ここには天才や化物しかいないんだし」


「それは言えてるかもね」


 こことは違う、別の世界から来たからこそ、フレンデリアにも思うところがあったんだろう。俺の言葉に一定の理解を示してくれたとすれば、恐らくそんな理由だ。


「だったら尚更、優先順位は間違えない事」


「ああ。これから吟味して……」


「コレットよ」


 地獄の地響きような声が、目の前のお嬢様から発せられた。


「貴方が最優先すべきはコレットを守る事。それが、貴方にシレクス家が力を貸している理由。わかった?」


「あ、あいあいさー」


 取り敢えず、今回の件でフレンデリアに相談するのは今後控えた方が良さそうだ。偏り具合がヤバい。これもう極コレット政党の代表だろ。


 そうなると、一体誰に相談すべきか。優先順位も併せて考えてみよう。


 今回の事件、真犯人を見つけ出す為には、現場にいたコレットと被害者以外の冒険者三人の内、誰かを切り崩さなきゃいけない。被害者のコーシュは誰に刺されたかわかっていないし、DNA鑑定や指紋照合技術のないこの世界で凶器は決定的証拠にならない。なら有効な証拠は自然と『目撃者』および『事前の計画を知っていた人物』のどちらかになる。


 第三者の目がないクローズドな空間だったから、証人は自然と搾られる。俺やコレットは勿論、シキさん達も刺した瞬間は現場にいなかった訳だから、必然的に奴等三人の中の誰かに証言して貰う以外にない。


 って事は当然、奴等が何処にいるのかを探すのが優先事項だ。逆に言えば、奴等が姿を眩ましている内は無実の証明が難しく、悪評が広まる一方って事になる。そうなれば、ますますコレットが俺達を庇おうとする可能性が上がっていく。


 奴等の狙いは、多分それだ。


『コレットはいざという時、冒険者の味方をしてくれない』


 そう周囲に思わせる事で、コレットを失墜させようとしている。ムカつくけど有効な方法だ。コレットって人間を良く理解している。


 同じタイミングで居場所がわからなくなってるし、あの冒険者三人は足並みを揃えて行動しているとしか思えない。そこだけを考えれば全員グルが濃厚なんだけど……


 ただし、こういう考え方もある。


 犯人は一人で、他の二人はその犯人から『暫くギルドに顔を見せなきゃコレットが自滅する』と吹き込まれて来ていないだけ――――と。


 各人にコーシュを殺す動機がある以上、単独犯の線も捨てる訳にはいかない。


 だとしたら、切り崩すべきはそこからだな。


 この事件の動機が『コレットの失墜』と『コーシュへの私怨』なのはほぼ確実だけど、このどっちが強いのかがわかれば、複数犯か単独犯かの判断がし易くなる。つまり、三人にとってコレットの存在が何よりも邪魔だったとしたら、コーシュへの恨みにかこつけて三人で協力して犯行に及んだ可能性が高い。一方、誰かのコーシュへの憎しみが極端に強ければ、コレット排除を大義名分にしてコーシュを殺しにかかったと考えられる。


 つまり、どっちが主目的だったのかが判明すれば、自ずと犯人と事件の背景が見えてくる。


 犯人さえ特定できれば、それを喧伝して悪評への対抗策に出来る。根拠が希薄だと相手にもされないだろうけど、大勢が納得するような根拠さえあれば、近年における冒険者の評判の悪さが追い風になってくれるかもしれない。


 とはいえ……やり方を間違えると冒険者代表のコレットまでダメージを受ける。その回避を最優先するとなると……地味に難易度高ぇよなあ。コレットが一切関与していないのなら兎も角、現場にいた訳だし。


 ……ま、そこはおいおい考えるとして。


 あの容疑者三人の足取りを追うには、奴等についてもうちょい掘り下げる必要もありそうだ。そうすれば、何処に隠れているのかの手掛かりを掴めるかもしれない。冒険者ギルドでの聞き込みだけじゃ情報不足は否めないからな。


 幸い、三人の中の一人、ヨナに関して何か情報を持っていそうな奴に心当たりがある。


 本当にあの女がアイザックにちょっかいを出していたのなら、絶対に放置してはおけなかった筈だ。


 あの取り巻き共には――――





「……またここに来るハメになるとはなあ」


 零細ヒーラーギルド【ピッコラ】の前で、思わずそうボヤいてしまう。出来れば来たくなかったし、関わりたくもなかった。


 現在の城下町内におけるヒーラーギルドは、最大手【ラヴィヴィオ】の崩壊によって勢力図が一気に変わった。


 普通、序列1位のギルドが失墜したら、繰り上げで2位の規模を誇るギルドがトップに躍り出るところだけど、その2位のギルド【アンメーブル】にそんな野心を持つ人間はいなかった。というか、まともに会話が出来る人物すらいない。そんなギルドが2位をキープ出来るくらい、ラヴィヴィオ以外のヒーラーギルドは弱小だった。だからこそ、このピッコラが代表格になれた訳なんだが。


 ここはチッチが長らく守り続けてきたギルド。そこにマイザーが帰り、メンヘルが加わった事で、新生ヒーラーギルド【チマメ組】が結成された。


 だから正式にはピッコラじゃなくチマメ組の筈なんだけど、看板にはピッコラと書いたまま。もしかしたら、もう引っ越しているのかもしれない。


 とはいえ、三人だったらこれくらいの小さな建物でも十分活動できるだろうし、ずっとチッチが守ってきた場所を簡単に手放すとも思えないんだよな。


 ま、ここでグダグダ考えていても仕方ない。取り敢えず入ってみるか。

 

「ごめんくださーい」


「おっ、客か。ヒーラーをお望みかい? それとも人生観をトロけさせるキスをご所望かな?」


 ……この気色悪い口上、間違いない。


 元ラヴィヴィオ四天王、そして現ヒーラーギルド代表――――マイザーだ。


「ん? なんだ運命のお前か。そうか、とうとう俺と本気のキスをする気になったか?」


「一語一句気色悪」


「フッ、随分な御挨拶だな。だが良いぜ。そういうのも良いと思うワケよ最近は。ハネッ返りはすなわち鮮度。よくぞそこまで芳醇になりおおせた。喰うに値する」


 おかしいな……奴との戦いの後も、何人か変態と出会ってきたつもりなんだけど、なんか全然耐性って出来ないんだな。気色悪いって感情には。


「アンタさ、一応チッチの父親だろ? 娘の所に戻って来たんだったら、もう少し大人の威厳を保てよ」


「わかってねぇな終生の友。このギルドの"夜"は俺が支えてやってんだぜ? それが威厳じゃねぇかよ」


「夜……?」


 ギルドに昼も夜もないだろうに。っていうか夜まで開けてんの?


「おうよ。日中はヒーラーギルド【ピッコラ】、そして夜はキスギルド【チマメ組】ってワケさ」


 ……あ?


「キスギルド、知らねぇのか? ま、無理もねぇな。この俺がつい先日発案した概念だからよ」


「その単語に概念とか持ち出されても……」


 キスギルドて……いや、言葉の意味はわかるんだ。何をするのかも大体想像がつく。おっパブのキス版なんでしょうよ。


 問題は、この野郎はどうでも良いとして、チッチとメンヘルもキス要員にされているかどうか。そこは気になる。


 チッチは一時期娼館に身を寄せていたけど、それとこれとは話が別。父親からキスを売り物にするよう強制されているのだとしたら、それは余りにもインモラルだ。奴には散々酷い目に遭わされたが、幾らなんでもそれは見過ごせない。


 勿論、元ウチのギルド員のメンヘルについても同様。合意しているのなら俺がとやかく言う問題じゃないが、そうでないのなら許し難い。


「心配には及ばねぇよ。娼館から何人かスカウトして、そいつ等とこの俺が夜の主戦力だ。娘とメンヘルにめくるめくの世界はまだ早ぇ」

 

「時期の問題じゃないだろ……でも安心した。一応、最低限の倫理観はあるんだな」


「当然だろ? キスってのは魂の啜り合いだ。お子ちゃまの出る幕じゃねぇ」


 ……やっぱ俺、コイツ苦手だわ。イリス姉と違ってなんかスッと聞き流せない。喉に痰がこびりついて気持ち悪い感覚と似てる。全力でカーーーーッてしたい。


「客として来たんじゃねぇのなら、就職かい? 宿縁のお前なら当然歓迎だ。即採用」


「いや、チッチと話がしたくて来たんだけど……」


「おいおい。幾ら俺でも運命共同体のお前と娘のキスを簡単に許可するワケには……」


「話っつってんだろ! キスは最高のコミュニケーションとか言いたいんだろうけど死ぬほどどうでも良いわボケ!」


「少し違うな。キスは性感帯のコミュニケーションだ。ところでその鎧はなんだい」


「今聞く事かそれ!?」


 かつてないほど幸先の悪い一日が始まった。


 


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