第244話 黙れゴミ屑

「ふ…ふしゅる…ふ、ふしゅ」


 久々に見た自称イリス姉は、以前よりも若干ふくよかになっていた。


 昂揚しているのか、それとも激昂しているのかわからないけど、さっきからずっとプルプル震えている。そして血走った目でこっちを睨みながら、言語ではない何かを呟いている。


 なんというか、常軌を逸した存在が常軌を逸した行動をすると妙に安心するよな。あー通常営業だーって。夜のコンビニに人が賑わってたら気持ち悪いもんな。


「えっと、元気?」


「見ての通り健康です」


 急に普通! だからそういうのがダメなんだって!


「取り乱してしまい誠に申し訳ございません。わたくしイリスチュアと申します。我が半身にしてもう一人のわたくし、ソーサラーのイリスチュアを守護する者です」


「え? 何の挨拶? そんな初対面みたいな……」


「当然ですが。わたくし、貴方のような男は存じ上げません。失礼ですが、もしわたくしを知人と思っておいでならば、願望の類ではないでしょうか」


 そんな願望ねーよ。こんな世界のバグみたいな人と出来る事なら知り合いになんてなりたくなかった。


「だったら質問しますけど、貴女は最近までアインシュレイル城下町ギルドに入り浸っていませんでしたか?」


「ギルドの名前は存じませんが、確かにギルドの面接を受けて、暫くそこにいた記憶はあります」


 ホラやっぱり本人じゃん! えっ、どういう事? 記憶喪失? にしちゃギルドの事は覚えてるし、マジで訳わからん……


「そんな事はどうでも良いんです。わたくしはイリスチュアを見守る義務があり、イリスチュアにこの世の全ての幸福を授ける使命があります。あの子の幸せは世界の幸せ。日差しが強い日は雲となってあの子を遠くから覆い、雨の日は水溜まりとなってあの子に踏まれます。踏まれたわたくしはピチャッと跳ねて、あの子にほんの少しだけ付着するのです。それがあの子とわたくしの絆」


 うん、相変わらず何を言っているのかわからない。間違いなく俺の知る自称イリス姉だ。仮に世界が狂っても、こんなのを二つも生み出さないだろう。


 記憶については、まあ……イリス以外は眼中にないから覚える気がないって事なんだろうな。


「お聞きしたいんですが、イリスチュアさん以外に知人はいますか?」


「不要です」


「頭の中に、イリスチュアさん以外の事を考える機能は備わっていますか?」


「不要です」


 やっぱりか……我ながら冴えてるけど、こんなトコで冴えても何にも嬉しくない。冴えの無駄遣い。寝る直前に当たりの動画を見つけたようなもんだ。


「先程は我を忘れて叫び倒してしまいましたが、わたくしは本来恫喝するような人間ではありません。何故なら、わたくしもまたイリスチュアたり得るからです。イリスは細雪のように淑女。快活にして優美。わたくしもまた、徒然なるままに時雨。ですから、あらためて申し上げます。そこにある鉱石はフラワリルといって、イリスチュアの好きな宝石です。つまり、全てのフラワリルはイリスの為のもの。もうおわかりですね。貴方がたはイリスを侵犯しているのです」


「いや、そのイリスからここにフラワリルがあるって聞いて来たんだよ。それに、彼女とは前から協力関係を築いててだな……」


 っていうか、さっきからずーっと俺しか喋ってない! シキさんはともかく、ディノーとオネットさんまで一切絡んで来ないな……そんなに関わるのが嫌か。気持ちはわかるぞ畜生。


「貴様がイリスと?」


 ナチュラルに貴様呼ばわりするのやめてくれませんかね。情緒がオラついてんなあ……


「言われてみれば……貴様からはイリスの匂いがする……」


「は!? 何言ってんの!?」


 慌てて袖とか襟とか匂ってみるけど、そんな香りは一切ない。イリスは香水使ってるみたいで、いつもフローラルな香りがするんだけど、それが染み付くほど長時間近くにいた訳でもない。明らかに誤報だ。


「……」


 ああっ、シキさんがクズを見るような目で俺を!


 ……いや、元々そういう目だったわ。


「この不安になる匂い……思い出しました。貴様はイリスが一時期身を寄せていたギルドを牛耳る人」


「不安になる匂いって何だよ! 俺の体臭どうなってんの!?」


 そう叫びつつも、心の中ではこっちが不安いっぱいだ。


 この世界、日本とは違って家にバスルームは基本ない。銭湯らしき施設は女性専用で、温泉は一応あるけど娼館が独占している。よって俺が身体を洗う手段と言えば、水桶に溜めた水で濡らしたタオル的な布で拭くという原始的スタイルのみ。


しかも前世で使ってたあのフワっとしたタオルじゃないから、吸水性も肌触りも微妙だ。幸い石鹸はあるから清潔には出来ているけど、洗浄効果も消臭効果も明らかに弱い。


 だから、体臭については正直、気になってはいた。大丈夫だとは思うけど、自分の臭いって自分ではわからないからな……


「全てを思い出しました。牛耳る人よ、わたくしは貴様に言いたい事があったんです」


「それは良いけど、牛耳る人って呼び方やめてくんない?」


「黙れゴミ屑」


 ……好感度爆下がりですやん。ここまで嫌われてた覚えないんだけどな。記憶から消されて印象もリセットしたのなら、尚更おかしくない?


「貴様が馴れ馴れしくイリスと会話しているのを、わたくしは何度も見てきました。その度に腹がキリキリ言って腸軋りする思いでした。しかしわたくしはイリスの幸せを司る者。イリスが笑顔でいる限り、わたくしもまた笑顔である事に疑いの余地はないのです。これは試練。イリスはいつでもわたくしを成長させてくれます。わたくしは掌に吐き捨てた血反吐を啜りながら、貴様のギルドで過ごすイリスを見守り続けました。しかしやはりと言うべきか、イリスは消耗していました。当然です。男が大勢いる空間にあの子が蝕まれない筈がありません。イリスチュアとは太古の言葉で高潔と聖杯を意味します。わたくしの予感です。そうに違いありません。そんなあの子は日に日に貴様等のギルドに汚染されていたのです。そしてとうとう、耐えきれず避難したのです。わたくしはこうなるとわかっていました。だからこそわたくしは貴様等の野郎臭いギルドに居続けていたのです。いつかイリスが飛び出した時、それを追いかけて優しく抱きしめてあげるのが姉の役目。その時わたくしは、イリスと一つになるのです。あの子はわたくし、わたくしはあの子。真理にして悦楽の公式です。わたくしは探しました。イリスがいなくなった後、必死にあの子を探しました。そして見つかりませんでした。なんという事でしょう。イリスはわたくしに迷惑をかけまいと、わたくしが迫りくるのを承知した上で、決して巻き込まない為に姿を消したのです。わたくしの為に。なんて健気な。なんて気高い。イリスは昔からそういう子でした。あの子がまだ9歳の頃です。一緒に料理をしていた時、わたくしがうっかり自分の指を出刃包丁で切ってしまいました。するとあの子は何も言わず、にこっと微笑んでくれました。わたくしが安心するように。もう二度と、恐怖に呑み込まれないように。わたくしは心から安堵し、感謝し、血塗られたその包丁をそっと差し出しました。微風のように、あの子はそれをただじっと見守っていました。ある晴れた日の出来事です。わたくしは一生忘れません。だからイリスが戻って来た時には、何も言わずただ抱きしめてあげようと、毎日その練習を繰り返してきました。あの子はきっと、わたくしに寂しい思いをさせてしまった事を悔いているに違いありませんから。右から抉るように来たらこう、右肘を畳んで迎え入れるように。左から舐め回すように来たら、左腕を折りたたみながらこう。掌で後頭部をつつみ込むように。わたくしはその日を待ちわびていました。そのおかげでしょう。あの子はなんかスッと帰って来ました。そしてわたくしは、新たな生活を始めたイリスを再び見守る事になったのです。そして時は交易祭。毎年の事です。わたくしはあの子に最高の贈り物をして、あの子もまたわたくしを喜ばせる最高の贈り物を届けてくれる。暗黙の了解です。今年はどうしよう、どうしようとずっと悩んでいるイリスを、わたくしは眼差しで愛撫していました。そしてこう思ったのです。わたくしが先に欲しい物をあげれば、あの子は迷わなくて済むと。あの子はわたくしなのですから、当然わたくしが欲しい物を欲しがるのです。昔からそうでした。あれは流れ星が何処かの大地に突き刺さって大火と地響きを生み出した日の事。わたくしは空から零れた星を涙しながら見ていました。大事な物をなくしてしまった気持ちでした。そんな時、あの子は新しい星をわたくしにくれたのです。その日以来、わたくしのはイリスの空です。だからわたくしは、こう思いました。あの空に輝く星のように、美しい宝石をあの子に見せてあげたいと。どんな宝石なら喜ぶだろうと考えました。たくさんたくさん考えました。するとある日、イリスはわたくしにこう言いました。お姉ちゃん、イリスはね、ヴァルキルムル鉱山にある市販していないフラワリルって宝石が小鍋のフリホーより欲しいんだ。そう言いました。あの子がこんなおねだりをするなんて、滅多にない事です。きっとわたくしに甘えたくて仕方なかったのでしょう。わたくしは良いよ、良いよと言って、あの子の頭を何度も撫でてあげました。姉たるもの、妹の希望に応えるのは当然の事です。つまり、貴様等はイリスの高潔な魂を穢し、わたくしの崇高な姉力を侮辱しました。邪な魔が差したかこのジイカス共があぁ!! イリスの大事な大事な宝石をよくも奪いやがって!!!! 生きて帰れると思うなよ!!!!!!!!」


 なにっ。


「イリス姉。アンタは勘違いしている」

 

「ベョェア!?!?!?」


「俺達がこの鉱石を集めているのは、イリスに加工して貰う為だ。イリスはそういう作業が好きだからな。当然、知っているだろうけど」


 俺がそう告げると、自称イリス姉はテーブルの上で死にかけた蝿が鳴らす羽音のような声をあげて、三度ほど頷いた。


「全ては……イリスの……為に……?」


「そう。全てはイリスの為に」


「全てはイリスの為に! わたくし理解しました。許します。でもそれはそれとして、わたくしにも分けるのです」


 ちゃっかりした狂人だな……


「まあ、良いけど」


「シャアアアアアアアアアアアアアアア」


 歓喜の声なのか威嚇音なのか良くわからない奇声をあげ、自称イリス姉は鉱石を一つ掠め取ると蛇のように引き返して行った。


 ……何だったんだこの時間。


「ギルドマスター、凄過ぎです。私は、あの人とだけは、会話になりません」

 

「俺も無理だな……よく窘められるな」


 いや、俺だって会話にはなってないよ? ただ聞き流してるだけだし。


「あれとまともに話せるのは奇人だけ」


「シキさん? 酷くない?」


「褒め言葉じゃないのは確かだけど」


 信頼度が上がったのか下がったのか、よくわからない結果になった。


 っていうか、あの人に逐一ツッコんでたら身が持たないのよマジで。警備員時代に身に付けたスルースキルがなかったらヤバかっただろな……精神的に。


 とはいえ、予想より遥かに消耗してしまったのは確かだ。なんかもう、これ以上採取する気力も湧いてこない。


「一応、ここまでにしようか。この量に見合った手押し車を買って来る。みんなは一休みしてて」


 そう言い残し、俺も来た道を引き返す。幸いモンスターはいなかったし、一人で問題ないだろう。


 最初から手押し車を持ってきても良かったんだけど、どれくらいの量の鉱石があるのかわからなかったからな。先に発掘してから買う方が、無駄に大きな商品を買わずに済む。ワンサイズ違うだけで値段も結構変わってくるのよ……貧乏人の知恵ってやつだ。


 それにしても、イリス姉とこんな所で遭遇するとはなあ。もう二度と会う事もないと思ってた。っていうかアイツ、昨日イリスに相談しに行った店で盗み聞きしてたな絶対……相変わらずヤベー奴でなんか安心した。なんだかんだ、安定感あるって良いよね。


「……ん?」

 

 鉱山の入り口に差し掛かったところで――――コレットの姿を発見した。


 周囲には誰もいない。アイツ、一人で何やってんだ?


「コレット」


「あ……トモ」


 浮かない顔だ。明らかに何か問題が発生したっぽいけど、緊急性は感じない。どういう事だ?


「何かあったの?」


「うん……えっとね……」


 妙に言い難そうな間を空けつつ、コレットは縋るような目を向けてくる。こういう甘えてくるような表情、嫌いじゃないよ。


「ギルドマスターとしての振る舞いに苦戦してて」


「あーわかる。俺もそれで苦労しっぱなしだからさ」


 とはいえ、俺の場合は自分で作ったギルドだし、まだまだ新参。ギルド員達も、良くも悪くも気を遣わなくて良い奴等ばっかりだから、言うほど苦労はしていない。


 それに対し、コレットは五大ギルドのトップで、しかも選挙で勝利して受け継いだ身。俺とはプレッシャーの質が違う。


「相談乗ってくれる?」


「勿論。大した事は言えないけど」


「それで大丈夫。聞いてくれるだけで十分だよ」


 ただ――――


「たくさんのギルド員が絡み合った組んず解れつな痴情のもつれって、どんなふうに解決すれば良いんだろ」


「なんですって?」


 そういうプレッシャーは想定していなかったというか、想定できる気がしなかった。




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