第242話 抱きたい

 恋しい。トーストが恋しい。イリスとの食事以来、口の中がすっかりトーストを求めてしまっている。


 まあ、だからと言ってこの世界にトーストがあるかどうか探すとか、元いた世界の知識と技術を活かしてトーストを開発するとか、そういうのはないんだけどね。ただただ食べたい。それだけだ。


「はぁ……」


「はぁ……」


 この日――――


 ギルド員の大半が仕事の為に外出している中、ディノーだけはギルド内で俺とタメイキしまくりだった。


 ここ数日、ディノーはベリアルザ武器商会の護衛任務がなくなった為、ちょっとだけ暇を持て余している。ルウェリア親衛隊の多くが街から消え、店舗が王城へと移転した事で、完全にお役御免になっていた。


 でも、その事で溜息をついている訳じゃないだろう。レベル60を越える冒険者なんだから、金なんて幾らでも持っているだろうし、仕事がなくて困る事もない筈だ。


「はぁ……」


「はぁぁぁ……」


 なのに俺より溜息が深い。かなり深刻な悩みを抱えているらしい。


 こういう時、ギルマスなら『何を悩んでいるんだディノー。俺で良ければ相談に乗るぞ?』と白い歯を見せてナイスガイな対応をすべきところだけど……


 正直、怖い。


 ディノーの悩みに触れるのが恐ろしい。


 なんとなーく、ドスンとクるタイプの悩みって予感がするんだよな……多分恋の悩みだよなぁ……触れたくないなあ……関わるのはキッツいなあ……


「はぁ……」


「ほぉぉ」


 あっダメだ! 溜息が変な吐息になってる! これ放っておいたらダメなやつ! ディノーが他のギルド員に気持ち悪がられる!


「あー……その、ディノー。もしかして悩み事」

「そうなんだ」


 早いなぁ返答早いー。怖いよぉ……絶対キツいやつだよ。でも、ここまで来て後戻りは出来ない。


「よければ聞いてくれないか。もうフレンデルもいないし、相談できる相手がトモしかいないんだ」


 普段なら嬉しいその言葉も、今はただひたすら重い。いや他にいるだろぉ……? 冒険者ギルドに付き合い長い友達とかさぁ……


「そう言って貰えるのは光栄だね。話してくれよ」


 取り敢えず爽やか風を演じてみた。心にもない言葉だけど、ただでさえ少ない男友達をここで失う訳にはいかない。覚悟を決めよう。


「ありがとう。実は交易祭について、悩んでいる事があるんだ」


 うう……やっぱりそっちか。出来れば『このギルドに来てあまり活躍できてない』の方にして欲しかった……


「今回、フレンデリア様の要請で告白イベントとしての性質を強化すると聞いて、決意した事がある」


「お、おう。何を……?」


「俺も告白をしようと思う」


 やっぱりか! クッソ! 出来れば外れて欲しかった!


 聞きたくない。相手が誰かは聞きたくない。でもこの流れで聞かない奴は頭がおかしいと思われる。聞く以外の選択肢を全て消されたこの状態は、ほぼ負け戦に等しい。


「…………誰に?」


「どうか驚かないで聞いて欲しい。実は俺……」


 頼む。元同僚の冒険者とか宿屋の娘さんとか、マジョリティな方面であってくれ。全て俺の誤解であってくれ……!


「サキュッチさんを愛しているんだ」


 ぎゃあああああああああ……!


 ダメだった。ダメだったよぅ。ディノーの好きな人、やっぱり女帝だったよ……しかも『愛してる』頂きました。予想していたとはいえ、いざ現実となると重いなあ……


「そうか……」


「やはり驚かせてしまったか。突然こんな事を言って済まない」


 知ってた。知ってたよ。だって娼館でシャルフと戦った時とか、女帝に睨まれてちょっと嬉しそうにしてたもの。なんかもう既に目覚めてるって感じだったもの。


 別に俺は女帝が嫌いな訳じゃない。寧ろ好感を抱いている方だ。直接戦ってその強さは体感したし、彼女の気風の良さは人間的に尊敬できる。娼婦達からも慕われてるし。


 でもさあ。同世代の息子がいるんだよ? しかも厄介系変態の。っていうか結婚してるの? 夫の話全然聞いた事ないけど。数少ない友達が親世代の女性を略奪しようとしてるとか、マジで無理なんだけど。


「野暮な事聞くけど……それは健全な愛なのか?」


「そこは大丈夫だ。俺だってもう大人だからな」


 不貞行為するのは殆ど大人なんですよ……


「彼女は女手一つで子供を立派に育てあげたと思うんだ。何度か娼館を訪ねた事があるけど、一度もパートナーらしき男性を目撃した事はないからな。うん、間違いない」


 ちょっと待って……これ大丈夫? 全部推測じゃね? 夫はいないってちゃんと確認した? なんか視野がこうなっちゃってない? もっとこうしないと。


「えぇっと……きっかけとかどんな感じ?」


「おっ、それ聞くか? 聞いちゃうか? 仕方ないな!」


 テンションがおかしな事になってる! ずっと話したかったけど話せなかった事を話せるからウズウズしてる! 怖いって!


「あれは、俺がレベル60になるかならないかの頃。不本意ながら、付き合いで娼館へ行く事になってさ。その頃、娼館に強い偏見があって、俺を担当する事になった女性をやんわりと拒絶したんだ」


「……まさか説教カマしてないよな?」


「近い事を言った記憶はある。君には違う生き方がある筈だ、みたいな」


 あーそれ絶対ダメなやつだ。価値観の押し付け。一番嫌がられるやつ。交易祭もその所為で若い世代に不評だし。


「その帰り際、サキュッチさんが待ち構えていてね。支払った金を全額突っ返されたよ。『わからなくて結構。これがアタイ達の生き様さ』と言われてね。当時青かった僕はそれを浅く捉えて、強がりだと思ってしまった」


「……ディノー、もしかして一歩間違えたらアイザックみたくなってたんじゃ」


「強く否定は出来ないな。実際、ここで彼女からガツンと殴られなければ、俺は変われなかった」


 あー……良い話なんだろうけど、やっぱりかぁーって感じだ。いやね、殴られて人生観変わっちゃうとさあ、違う意味にしか聞こえないんだよね。マジで。


「彼女の拳は強かった。俺はその時、自分が娼婦と娼館を見下していたと気付いたんだ。冒険者という職業に誇りを持っていたつもりだったけど、それは傲慢で愚かなだけの薄っぺらい見栄だった」


「で、それに気付かせてくれた女帝にホレたと」


「俺は気高くて強い女性が好みでさ。彼女はまさに理想なんだ。会う度に心が震えて、心が震えるんだ」


 ……同じ事を二度言っているのに気付いていない。ディノーともあろう者が、完全に舞い上がっている。だがこれが恋……


「最終的に、ディノーは女帝とどうなりたいんだ?」


「抱きたい」


 ストレートぉ! いっそ清々しいな! メッチャ男らしくて好感度爆上げですわ!


「難しいのはわかっている。彼女と俺とでは年齢差が相当あるし、俺なんて彼女の視野にも入っていない。それでも俺は……彼女に愛を注ぎたいんだ!」


「その表現やめて! 違う言い回しにして!」


 想像したくないのに、いちいち想像力をかき立てる事言いやがって……具合悪くなってきた。


 でも、ま……純愛は純愛っぽいし、想像してた中では割かしマシな方だった。てっきりディノーが重度の筋肉フェチで、女帝の筋肉に圧迫されたいとか言い出す事も最悪あり得ると思ってたからな……


 いやだって、普通に年齢差ヤバいじゃん? 恋する理由ってもう性癖以外にないって思うじゃんよ!


「悪い……少し冷静さを欠いてしまった。彼女の事になると、自分が自分でなくなるんだ」


「気にする事ぁないよ。恋愛ってそんなもんだし」


「……ありがとう」


 実直なのは間違いないんだよな。真面目だし。そんなディノーが何でフレンデルなんかと仲良くしてるのか謎だったけど、そうか。数年前はディノーもフレンデルみたいにイキってたのか。だから奴を見捨てられなかったんだろうな。


 切り出すまではしんどかったけど、話が聞けて良かった。


「今年の交易祭、彼女に最高のプレゼントをして、思いの丈をぶつけたい。けど、何を贈れば良いのか……」


「それこそ娼館に通って、娼婦の皆さんに聞けば良いじゃん。女帝の好きな物くらい知ってるだろ?」


「俺のこの身体はサキュッチさんの為にあるんだ。それを裏切るような真似は出来ない」


 裏切る、っていうのとはちょっと違うと思うけど、言わんとしている事はわからんでもない。操を立てるってやつか。純愛だねえ。ここまでくると応援したくなってくる。


「わかった。交易祭の護衛任務の件で近々会合を開く予定だから、その時にそれとなく探りを入れてみる」


「トモ! なんて事だ、信じられない」


 ハリウッド映画みたいなリアクションやめろ。笑いそうになるだろ。


「彼女と普通に話が出来て、しかも一目置かれているお前に、嫉妬している自分がいるんだ。そんな相手に相談して、頼り切って……自分でも情けないとは思ってる。でも、どんな形でも良いんだ。彼女に愛を塗りたくる事が出来るなら」


「だから表現がいちいちおかしいんだよ!」


 ……ともあれ、ディノーの恋愛に首を突っ込む事になってしまった。


「代わりと言っちゃなんだけど、一つ頼まれて欲しい事があるんだ」


「勿論だ。何をすれば良い?」


「実は、フラワリルっていう鉱石があって――――」





 そのフラワリルがあるというヴァルキルムル鉱山は、アインシュレイル城下町のあるウルティモ地方の隣、ヴェシーナ地方の鉱山都市『ミーナ』にある大規模な鉱山だ。


 元鉱夫のユマ父が言うには、昔は色んな種類の鉱石が採れる文字通り宝の山だったらしいけど、マンティコアってモンスターの大量発生で発掘が困難になり、事実上の閉鎖状態が続いていたらしい。


 そこに現われたのがアイザックとその仲間達。奴等が100体以上のマンティコアと戦い、苦戦はしたものの見事に殲滅したって話だ。


 実は、この一件には別のストーリーがあった。


「マンティコアは元々森に棲むモンスターで、人を食らう凶悪な連中だった。そいつらが何故、人気のなくなった鉱山に長い事群れで棲み着いたのか、鉱夫の間では不思議がられていたらしい」


 馬車で移動する最中、ユマ父から聞いた話を同行者に延々と語り続けた所為で、喉が少し痛い。少し前に風邪で苦しんだ事もあって、ちょっとした体調不良でも軽く身構えてしまうな。


「で、つい先日その理由が明らかになった。何者かがマンティコアを手懐けて、この鉱山に居着くよう仕向けていたらしい。事情を知らずに偶々鉱石を採りに訪れた冒険者が、マンティコアに話しかけている人間がいるのを目撃してたんだと」


 ただし、モンスターの身体に遮られてその人間の姿までは見えなかったそうで、誰がどんな理由でこの鉱山に連中を集めたのかは未だ明らかになっていない。


「テイマーの仕業でしょうか?」


 ミーナの入り口付近で馬車を降り、オネットさんの質問に首を捻る。普通に考えたら、モンスターを手懐ける時点でテイマーが本命なんだけど……


「いや、そうとは限らない。人間に化けているモンスターがいるくらいだからな」


 ディノーの言うように、俺達はシャルフをはじめ人間に擬態しているモンスターと何度も戦ってきた。連中は人ともモンスターともコミュニケーションが取れるみたいだから、マンティコアを懐柔するのにテイマーである必要はない。


「それは良いんだけど」


 隣を歩くシキさんが、ジト目の横目で睨んでくる。


「わざわざギルドマスター隊長が自分で来る必要あった?」


「人手不足なんだよ……鉱山みたいな狭い場所のあるエリアだと、ソーサラーは戦い辛いだろうし」


 それに、ダンジョン攻略となるとモーショボーみたいな斥候がいた方が良い。決して出しゃばりとかじゃない。俺、メイン戦力。きっと役に立つ。これで勝つる。


 今回選抜したメンバーは、狭い場所でも問題なく戦えるディノーとオネットさん、そして何となくシーフっぽい働きが期待できるシキさん。ダンジョン攻略に特化したベストメンバーだ。


 街中の乗合馬車を利用し、ミーナの郊外にあるヴァルキルムル鉱山へと移動。巨大な鉱山を大口開けて見上げたり、吊り橋に怯えて唇カサカサにしたりしつつ、出発から半日掛けてようやく鉱山の入り口まで辿り着いた。


「よーし! いざ、フラワリルを探しに……」


 そして、意気揚々と号令をかけようとした、その時――――


「あれ? トモ?」


 コレット率いる冒険者一味と遭遇した。



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