第239話 悪夢

「ふぅ……」


 吐く息が熱く、身体が重い。それでも強引に身体を起こすと、まるで鎖を無造作に巻き付けられたかのような、ズッシリとした感覚が全身を襲って来た。でもそれは、生きている証でもある。


 ……どうにか、死なずには済んだらしい。


 病気でも眠れる奴は普通に眠れるんだろうけど、小心者の俺にそんな鷹揚とした生き方が出来る訳もない。結局、昨晩は結局一睡も出来なかった。完全に失われていたと思っていた死への恐怖を味わった事で、余計に不安が増大したのかもしれない。


 体温計ないから正確な数値はわからないけど、昨夜は40℃前後あったんじゃないか? 昔、一度だけ40℃超えた事あったけど、あの時と同じ種類の寒気だった。悪寒って言葉を考えた人を讃えたいくらい、まさしく『悪寒』って感じのやつ。今も間違いなく38℃以上はあるだろうけど、ピーク時と比べたら全然大した事ない所為で、相対的に気分が良く感じるくらいだ。


 とはいえ、倦怠感はまだまだ相当残っているし、色んな所に痛みがある。なんか胸の辺りがジワーッと熱いのがスゲー気になるんだよな……肺炎起こしてないよな? 喉はそれほど痛くないし、咳もそこまで頻繁には出ていないから、多分大丈夫だとは思うんだけど……


 何にしても、この状況で勲章貰いに行くのは難しそうだ。授与式で本物の王様から受け取るのなら休めなかったけど、誰も見てない所で御主人から貰う分には気兼ねなく病欠できる。俺以外の二人に行って貰うとしよう。 


 とはいえ、誰を行かせるのかが悩み所。ディノーやマキシムさんは昨日断ってたし、年功序列と言っても69歳のダゴンダンドさんに王城の階段を上らせるのは酷だよなあ。


 ……ダメだ。ちょっと考え事すると一気に具合が悪くなる。頭が全然回らない。久々だなこの感覚。こっちに来てからここまでの体調不良は初めてだもんな。


 まだ夜が明け切っていないから、病院は開いていないだろう。もう少しここで寝て、ギルドに人が来る頃合いになっても熱が下がらなかったら、辻馬車の手配をして貰って行くとしよう。


 とはいえ……前に病院で厄介になった時は診療のみで65Gも取られたんだよな。もし入院なんて事になったら、ちょっとシャレにならない額が消し飛びそうだ。そう考えると、妹さんの入院費を捻出し続けているヤメってああ見えて凄ぇ奴だよな。


 あー、金の事考えたら余計息が苦しくなってきた。それに凄まじく喉が渇いている。熱があるから当然なんだけど。蛇口捻れば水が出て来た生活が恋しい。ある意味、初めてのホームシックかもしれない。


 とはいえ、ないものねだりしていても仕方ない。水樽から汲んで……ああダメだしんどい。たったそれだけの作業なのに、想像するだけで億劫だし気分悪くなってくる。


「水……」


 思わず欲求が声に出てしまう。と言うより、声をちゃんと出せるのか不安だったから、つい出してしまった。取り敢えず大丈夫みたいだけど――――


「了解」


 ……ん?

 

 今の声、もしかして……


「はい、水」


「……シキさん?」


「水」


「あ……うん」


 神出鬼没なのは今更だけど、もうギルドに来てたのか。勝手に人の部屋……ってのも今更だな。


「ありがとう……」


 陶器に入った水を一気に飲み干す。味は勿論ないんだけど、信じられないくらい美味しく感じた。


「もう一杯いる?」


「出来れば……」


「ん」


 言葉少なに、シキさんは俊敏な動作で直ぐに二杯目を持ってきてくれた。


 最初の一口は、ただ自分の渇望を満たす為だった。今度は意識して口の中を潤す。まだ熱があるから、すぐ水も温く感じてしまうけど、それでも随分マシにはなった。


「ふぅ……助かったよ」


「他に何かして欲しい事ある?」


 病床で最も心に響く言葉……思わず泣きそうになってしまう。


 ……でも、このまま看病して貰ってシキさんに伝染うつすのはマズい。伝染性と決まった訳じゃないけど、用心に越した事はないからな。


「それじゃ御言葉に甘えて……悪いけど、お城に勲章貰いに行ってくれない?」


 予想はしてたけど案の定、怪訝な顔をされた。


「夕方の鐘が鳴る頃に行くって言ってあるんだ。ヤメでも誰でも良いから一人連れてさ。頼むよ」


 実際、それが目下の懸念材料。この件さえ任せてしまえば、後は自分の回復にだけ専念できる。


「勲章の授与、絶対に今日中じゃないとダメなの?」


「そういう約束だから。幾ら本物の王様じゃないっつっても……な」


「だったら、夕刻までに治すんだね。代表がいないんじゃ格好付かないよ」


 しれっと、シキさんはそんな事を言ってきた。


「……連れて行くの、俺?」


「誰でも良いって言ったの隊長」


 そりゃそうだけど、流石に無理だ。スパルタが過ぎる。


「俺じゃなくても良いんだよ……みんなの貢献で貰う勲章なんだし……」


「だからこそ、隊長なんじゃない」


「……?」


「私も他の連中も、隊長が採用したんだから。その責任は取らないとね」


 優しい声。きっと表情はいつも通りクールなんだろうけど……


「昨晩は酷い熱だったけど、今は大分落ち着いてるし、多分普通の感染症。日中を治療に専念すれば、城で勲章受け取るくらいは出来るんじゃない」


 感染症か……どうやら、この世界にも風邪と同じ病気はあるらしい。まあ、明らかに地球の人体と変わらない構造だし当然と言えば当然なんだけど。取り敢えずホッとした。


 ……って言うか。


「今、昨晩って……」


「あ」


 露骨にそっぽを向いたシキさんの表情は窺い知れない。でも間違いない。昨日の夜、左手に感じたあの感触は――――


「……なんで?」


 思考力低下中により、こんな聞き方しか出来ない。


「しくったなぁ……」


 シキさんは前髪をくしゃっと掴みながら、こっちを見ずにそう呟いた。


「別に深い意味はないよ。体調悪そうだったから手で熱を確認しただけ」


 どんな確認の仕方なのさ……そもそも、どうして俺が体調おかしいの気付いてたんだよ。自分でも寝る前にようやく自覚したってのに。


 もしかして、シキさん……


「実は勲章貰いに行く役を振って欲しくて、陰で俺をずっと睨んでたとか……?」


「馬鹿じゃないの」


 病人に辛辣……


「別に隊長を気遣ってる訳じゃないから不気味に思ってるのなら心配しないで。ラルラリラの鏡を確実に手に入れる為には隊長に万全でいて貰わないと困るし気が変わらないように恩を売っておく為の打算でもあるから」


 なんか早口で色々言ってるけど、意識フワフワしてイマイチ頭に入らないな……


「眠いのなら寝れば。みんなには私から適当に言っておくから。昼過ぎても熱が下がらないようなら、馬車を手配して病院行くよ」


「シキさん……看病慣れしてるよね」


「別に」


 言葉とは裏腹に、病人とのやり取りに手慣れている感がある。こういう時って温かい言葉は欲しいけど、あんまりグイグイ世話を焼かれるのは辛い。距離感が絶妙だし、俺が早期に復帰できるよう導きながら精神的負担も極力減らしている。


 ああ……そうか。


 おじいさんの晩年をずっと看病してたんだな。だから……俺が体調悪いのも見抜けたのか。おじいさんの状態を注意深く気にかけていたから、細かい観察眼みたいなのが身に付いているんだろう。


「大丈夫だよ」


「何が」


「俺は……当分生きてるから」


「当たり前じゃない。寝言は夢の中でどうぞ」


 素っ気ないけど、優しい人なんだな。知ってたけど再確認。


 それじゃ、御言葉に甘えて……寝させて貰うか…………





 ――――で。



 こういう時って大抵、夢を見るんだ。しかも悪夢。体調が悪いと大体そうなる。



『サタナキアだ……あの悪魔が……街を……』



 知らない名前。知らない奴。そんな化物に、愛する街を――――アインシュレイル城下町を壊され、蹂躙された。そういう夢だった。



 眼前に広がる地獄絵図。街は無数の炎と煙によって染められ、痛々しい光景を晒している。



 果たしてこれが、この身体の持ち主の記憶なのか、病気によって魘されている俺自身に起因する悪夢なのかは定かじゃない。ただ、幾つか似たような景色なら知っている。



 例えば自然災害によって破壊され尽くした街の報道。漫画やゲームのそういうシーン。



 モンスターの襲来によって一部が破壊された、あの日の騒動。



 それらの記憶が、この肉体の本来の記憶と混ざり合って作り出しているのかもしれない。この目を覆いたくなるような悪夢を。


 

 大勢が死んでいる。俺の手の中で息も絶え絶えだった冒険者も今、力尽きた。余りにも凄惨だと、却ってリアリティがないものなんだな。淡々としたもんだ。



『……どうしてこんな事になった?』



 亡骸を地面に寝かせ、夢の中の俺は問う。誰に対してなのかはわからない。少なくとも、視界の中に話が出来そうな人間はいない。



『我がお前に手こずっているのを把握し、その隙を突いた……などという衝動的な行動ではなさそうだな。以前から周到に準備し、機を見て実行に移したのだろう』



『何の為に?』



『我を滅ぼし、自分が魔王になる為に。この街には、我を倒せる筈だった武器が幾つかあるのは知っておろう。全て我の手で穢してやったが……』



『元に戻す方法があるのか?』



『ない。如何なる手段を使っても、我が一度穢した武器は元には戻らん。神が創った武器であろうとな』



 話し相手は背後にいるらしい。



 この声には聞き覚えがあるような気がする。いや……それよりも口調か。これも記憶のパーツを当てはめた結果なんだろうか。



 実際、夢なんてそんなもんだ。自分の中にある記憶をツギハギした映像。だから別に不自然とは思わない。



『それでも他に方法がなかったのだろう。故に自分を"あの仮面"に忍ばせ、聖噴水の影響下から逃れ街に侵入し、手に入れようとした。ありったけの十三穢と……ラルラリラの鏡を』



『鏡も?』



『邪気を払う鏡、だったか。あれの力を増幅させる事が出来れば或いは……と考えたのだろうな。浅はかなヤツだ』



 案の定、つい最近聞いて印象に残っているアイテム名が出て来た。夢ってそういうトコあるよな。



『……すまぬ』



『何で謝るんだよ。俺の責任だ。俺の考えが甘かった。魔王以外ならどうとでもなると思っていた俺が……』



 急速に映像が薄く、暗くなっていく。夢から覚めていく感覚だ。



『――――えしても……』



 最後の言葉は誰が言ったのかも、どういう内容なのかもわからなかった。





「……」


 不思議なもので、夢を見たっていう記憶はあるのに、それがどんな夢だったのかを殆ど覚えていない事がやたら多い。今回もそうだ。それでも、なんとなく厨二的なシチュエーションだった気はしている。


 やっぱアレかな。レベル上がってなかったのが地味に効いちゃってるのかな。強キャラでありたい気持ちが『世紀末的な雰囲気の中、強そうな奴と同格な感じで語り合いながら黄昏れる自分』を作り出してるのかな。なんか恥ずっ! 誰にも見られてないけどすっごく恥ずかしい!


 ……取り敢えず、そんなアホらしい事を考えられるくらいには回復してるらしい。ってか寝汗凄いな。でも汗をかいてるのは治りかけの証拠だ。免疫力が高まってくると、もう熱を下げても良いと身体が判断して汗をかく。あと数時間もすれば熱も完全に引くだろう。どうやら病院に行く必要はなさそうだ。


 立ち上がってみてもフラ付かないし、頭痛も咳もない。嫌だった胸のジワっとした違和感も消えている。倦怠感だけは残ってるけど、活動意欲を削ぐほどでもない。十分動けるコンディションだ。


 取り敢えず着替えを……ん? なんか床に置いてあるな。書き置きか。



『起きたら棺桶の中を見て』


 

 何だこれ。あ、棺桶が閉まってる。


 まさか、もう勲章貰ってきて中に入れてるとか? 結構グッスリ寝ちゃってたし、既に一日経過しちゃってましたーってオチかも。


 ま、仮にそうでも全然構わないんだけど……兎に角フタを開けてみるか。



「え……」



 棺桶の中には――――なんか食べ物が色々入っていた。


 干し肉や山菜、粉状に砕いた薬草っぽいのも混じってるけど、大半はパン。やたらパンが詰まってる。ガランジェパン、モーモクプパン、三蜜パン……種類も豊富だ。


 そして棺桶の中央には、また書き置きがあった。



『ギルドのみんなから』



 ……そっか。シキさんから俺が寝込んでるのを聞いて、差し入れを買ってきてくれたのか。今日もみんな仕事があるのに、わざわざ……


 困ったな。こんな事には縁のない人生を送ってきたから、どう喜んで良いのかもわからない。


 俺は……もしかしたら自分が思っているよりもずっと、幸せな人生を歩んでるんじゃないか?


 取り敢えず幾つか食べて栄養付けて、回復した姿をみんなに見せよう。ホールに何人かいるだろうし。



 このギルドを作って本当に良かった。心からそう思える。



「うぃーっす! みんな差し入れありがとうな! もう大丈……」


 出来るだけ元気になったと思って貰えるよう、多少無理して明るく振舞いながらホールに入ると――――



「狡いぞテメェらあ! 病人に賄賂渡すとか人の心はねぇのかあ!?」


「テメェだって同じ事考えたんだろうが! 人を批難できる立場かコラ!」


「お前らはどうせ勲章受け取る役に選ばれたって娼館で自慢したいだけだろうがぁ! 俺に譲れよぉ!」



 ……差し入れの理由の大半が一瞬で判明した。


 ほうほう、つまりアレですか。差し入れで俺を感動させて、代わりに自分がシキさんと勲章貰いに行く立場をゲットしようって腹でしたか。なるほどなー、なるほどなるほどなるほどな。


「ンンンンンーーッ!! ファーーーーック!!」


「あっボスだぁ!」


「どうすんだよテメェら聞かれちまったよう! 色々台無しじゃねーかあ!」


「台無しなのはこっちの感動だよ! このクソカスどもがァーーッ!!」



 結局、シキさんと行くのは俺で確定した。



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