第232話 脳髄の横暴を許し過ぎ

「……ってな事があって、地獄だった」


「あっははははははははは! それ知ってる! 修羅場ってやつだよね!」


 イリスの述懐を聞いたその日の夜に訪れたシレクス家は、これまでの装いとは少し違っていて、窓ガラスを覆うカーテンが厚手の物になっていたり暖炉に火を灯したりと、早々に冬支度を終えていた。


 もうすぐ朔期遠月が終わり、冬期に入る。既に夜はかなり肌寒いし、街の人々も厚着をする割合が増えてきた。こうして明確な季節の変わり目が訪れると、この世界に来て結構経ったなという実感が湧いてくる。


 それは同時に、自分が転生者である事を自覚する時間でもあった。


「あーおっかし……にしても、まさかイリスが私達と同じかもしれない、なんてね」


 比較的軽い口調でフレンデリアはそう呟く。俺の報告に余り驚いてはいない辺り、言葉とは裏腹に何処かの段階で怪しんでいたのかもしれないな。


 イリスの話でわかった事。それは――――


 彼女が転生者かもしれない、という可能性だ。


 確証はないし、有力な証拠もない。でも、もしこの世界のイリスが12歳の時期に亡くなり、別の世界の魂がその身体に転生したのなら、12歳以前のこの世界における記憶がない事や、それなのに記憶喪失なのを他の人間に話さず、頼ろうともしなかった事との整合性が取れる。何しろ俺も、神サマに口止めされた手前、お互いに転生者なのを確信しているフレンデリアとの会話にさえ『転生者』って言葉を使えずにいるからな……

 

「まあ、以前怪しんだ何人かは結局違ったし、今回もそうかもしれないけど」


「この街、訳アリの市民が多いものね……」


 そうなんだよ。性転換だの正体がモンスターだの伝説の武器の夢だの、こっちの想像超えてくるような奇妙な事情を持ってる奴が多過ぎて、どいつもこいつも別世界から来たように感じてしまう。イリスもその中の一人かもしれない。


 仮にイリスが転生者でも、或いはそうでなくても、こっちは何も困らないし、何もしてやれない。ただ、こっちの素性が向こうにバレてしまい、転生者である事を言いふらされるのは困る。イリスが悪意をもってそんな事をするとは思わないけど、ついうっかりなんて事がないとも限らない。


 だから、出来るだけ身バレしないよう注意を払う必要がある。フレンデリアに報告しに来た最大の理由はそれだ。


「あ、そう言えば他にも転生者候補がいたんだった。サクアってソーサラーなんだけど。そっちは有力」


「まるで転生者の叩き売りね……どんな理由でそう思うに至ったの?」


「夢が魔法少女だった」


「……魔法少女? 何それ?」


 目をぱちくりさせている。どうやらフレンデリアのいた世界に魔法少女は存在しなかったらしい。


 俺と同じように別の世界から異世界転生して来た人物――――というと、つい自分と同じ世界、つまり地球からの転生者だと思いがちなんだけど、実際にはそんな事はまずないだろう。世界は無数にあるんだから、転生前の世界と転生後の世界が丸被りする確率なんて、それこそ天文学的数字だ。


 ただし、俺がこの世界に転生できたのは『前世に触れた物と近かったから』であり、恐らくそれはフレンデリアやサクアも同じ筈。この世界や地球の文明・文化水準と似た世界だったんだろう。


「へぇ……魔法がない世界だからこそ生まれた概念、って感じで興味深いなぁ」


 いつもは脳天気な印象のフレンデリアだけど、こういう考察になると急にIQが高くなる気がする。前世は何歳だったんだろう? そんな詮索は一切しないと決めてはいるけど、好奇心は中々抑えられない。


「ま、そのサクアって子は良いとして……問題はイリスの方よね」


「ん? 何か問題ある?」


「大ありよ! あの子とコレット、話聞く限り未だにギスギスしてるみたいじゃない! 私のコレットを刺したりしないでしょうね!」


 転生関係ないのかよ! っていうか急に問題発言ブッ込んできたな! 私のコレットってどういう意味!?


「場合によっては貴族の権力を総動員してでも、彼女を投獄……」


「待て待て待て待て! 横暴にも程がある!」


 それじゃ死ぬ前の悪役令嬢だったフレンデリアそのものだろ……目がマジだから冗談に聞こえないし。


「前にも話したけど、イリスは王城での戦いでコレットを守ってるんだ。嫌ったり憎んだりしてたら、そんな行動は絶対にしない」


「だったらどうして二人が同じ場所にいると空気が悪くなるの?」


「……わかんねー」


 どっちかが一方的に苦手意識を持っているのなら、過去に何かあったと推察する事は出来る。でもお互いになんか居心地悪そうにしている。ピリピリするような間柄じゃないんだけど、磁石の同極反発のような噛み合わなさがある。


 不思議なのは昨日、コレットが自分の方から俺とイリスに声を掛けてきた事。生理的に無理とか、根本的に考えが合わないとかなら、わざわざ近付いて来なくても良いと思うんだよな。


 ……まさか。


「あいつら、俺を巡って争ってるんじゃ……!」


「うっわ。自分でそれ言う?」


 貴族のお嬢様にジト目で睨まれてしまった。


「でも何気に、その説が有力だよねー」


「え。冗談のつもりだったんだけど……」


「少なくともコレットは貴方を慕ってる。少しイラっとするけど、これはガチ。恋愛感情かどうかはわかんないけど」


「まあそりゃ、俺だって懐かれてる自覚はあるよ。若干依存気味ですらあるし」


 コレットは長年、自分のレベルの異常な高さや周囲の評価に対し、何も成していない自分自身とのギャップに苦しんできた。その悩みを初めて打ち明ける事が出来る相手が俺だった訳で、だからこそ俺にやたら執着してきた。そういう流れを知っているから、恋愛対象として見られているとは思えない。


 そして――――


「イリスは俺とティシエラをくっつけようとしてるフシがある」


「……」


「なんで対象がティシエラになった途端みんな『この勘違い野郎』みたいな顔になるんだよ! 釣り合ってないって言いたいの!?」


「そこまでは思ってないけど、脳髄の横暴を許し過ぎてるとは思った」


「脳髄の横暴って何……」


 そりゃまあ、全ソーサラーの憧れとも言えるティシエラと、冒険者を一日でバッくれた低レベルの雑魚助とじゃ釣り合うどころの話じゃないのは理解できるけどさ。別に俺がティシエラに身分違いの恋をしてるとか、そういう話じゃないんだよ。


「兎に角、さっきのはマジで冗談だからな? そもそも、俺がこの街に来る前から微妙な仲だったんだろ?」


「それは知らないけど、私としてはコレットが嫌な思いしてないかどうかだけだから、正直どうでも良いかな」


 コレット好き過ぎだろこのお嬢様……最初遭遇した時に怪しいって思ってた過去の自分がバカみたいじゃん。


「ま、その件は何か気付いたら報告するわ。それじゃ……」


「ちょっと待ちなさい。こっちにも貴方に話があるのよ」


 話? フレンデリアが俺に? なんか嫌な予感が……


「借金、期日前に返せそう?」


「え? いや、まあそれは……」


「嘘が下手ねー。このままじゃ間に合いそうにないって顔に書いてる」


 くっ……鋭い。確かにヤバい状況なのは認めざるを得ない。


 ヒーラーに借金を背負って四ヶ月以上が経った。ギルドを立ち上げて、それなりに仕事をこなし、何度か街の危機を救い、五大ギルドのギルマス達とも顔見知りになって久しい。


 自分で言うのもなんだけど、初めてのギルド経営でこれだけ順調に来てるのは奇跡に近いんじゃなかろうか。ほぼ自分の思い描いた通りに事が進んでいる。一番大事に考えていた周囲からの信用も随分獲得できてるし。


 それでも、細かい所で不具合が生じているのもまた事実。ヒーラー騒動の所為で仕事自体が減り、幽霊ギルド員が増えた影響で事業拡大には至っていない。新しいギルド員も中々入ってくれない。何より、ずっと狙っている大きな案件を未だゲット出来ずにいる。


 警備兵や自警団がいない状況を見越して『街の安全を守る為のギルド』というポジションを獲得したのは、決して間違いとは思わない。ただ、そこから得られる仕事は正直、そこまで実入りが良くない。堅実にギルド経営を行っていく分には問題ないけど、そこから多額の借金を返すとなると、どうしても不足は否めない。


「実はね、一つ大きなお仕事があるんだけど……乗る?」


「乗る」


 シレクス家に借りを作る事になっても、ヒーラーの借金を返せないより遥かにマシ。ここで内容を吟味するような余裕もないし、躊躇する理由はない。


「良い返事ね、トモ。貴方のそういう、沢山の慎重さの中に潜ませた潔さは好き。如何にも私と同じ立場って感じ」


 だよな。一度命を捨てた人間特有の思い切りの良さって絶対あるよな。転生者あるあるってやつだ。


「交易祭、って知ってる?」


「確か人間と精霊が仲良くする為に始めた祭り、だったっけ」


「そそ。精霊の集まりが悪くて結局人間だけでやるようになったんだけど……これがどーもマンネリ気味でね。メインイベントが大事な人同士のプレゼント交換なんだけど……」


 そこまで説明したフレンデリアの顔が若干曇る。何かプレゼント交換に問題があるんだろうか?


「刺激が足りない」


「……は?」


「何回も参加してきた訳じゃないから、どういう経緯でそうなったのかって説明は出来ないんだけど……とにかくヌルいの。なんかもう、友達と家族同士で簡単に済ませちゃう、みたいなノリでさー。なあなあ感が凄いの」


 要するに、義理チョコと友チョコが普及し過ぎて本命チョコの割合が減ったバレンタインデーみたいなもんか?


「文献漁ってると、過去の交易祭の様子が結構載っててね? 昔は意中の相手にプレゼント交換を持ちかけて、そのプレゼントの中身次第で付き合えちゃう、みたいな空気のイベントだったみたいなの。気の利いたプレゼントを見つけてくるのがモテる条件? みたいな。逆にショボいのとか的外れなのを持ってきた奴は容赦なくバッサリ振る感じで、凄く盛り上がってたみたい。でも今は『折角用意したプレゼントを悪く言うのは倫理的にダメ』って人道的な風潮もあってさー、みんな攻めなくなってるんだよねー。だから無難に家族や友達とプレゼント交換して、無難に褒め合って、無難に終わらせる……っていう、つまんないイベントになっちゃってるの」


 説明が長い。その上、フレンデリアの声は尻上がりで熱を帯びている。


 なんとなくピンと来た。これ私情入ってるやつだ。


「前にやった『魔王に届け』、中々盛り上がったじゃない? あれとはちょっと主旨が違うけど、もっとガーって熱くなるようなイベントにしたい訳。これを機に、ずっと告白できなかった相手に思い切って愛を伝えよう、ってみんなが思うような……その雰囲気に便乗できるくらい、思いっきり浮ついたイベントにしたい!」


 私情が溢れて止まらないな! 絶対これ告白したい相手がいるだろ!


 ……相手を聞きたい気もするけど、聞いちゃダメな気もする。なんというか、最もポピュラーな恋愛とは違う何かを追いかけていて、その為の一押しが欲しい……みたいな情念を感じずにはいられない。


「一応、目的を聞いても良いかな」


「ヒーラー騒動で萎縮している市民の活性化と、歴史ある催事がただ面倒なだけの風習になって廃れない為の改革、みたいな?」


 まるで用意していたかのような模範解答……まあ、これ以上野暮な事は聞けないし聞かなくて良いか。


「貴方たちは街を守るギルドでしょ? 市民の元気を取り戻す為とか、こういう歴史あるイベントがなくならないようにするってのも、街を守る事に繋がると思わない?」


「一理ある……かなあ……」


 実際、ウチがやるべき仕事かと言われれば疑問だ。イベントプランナーのノウハウなんてないし。こういうのは普通、商業ギルドの仕事だろう。


 でもアイディア勝負なら、今の微妙な規模のウチにとってはありがたい。少人数でもクリアできる依頼だしな。断る理由はない。


「ただし成功報酬。貴方と私の仲だけど、今回は敢えてそうさせて貰うから!」


 ビシッと指を差すフレンデリアの顔は、期待と脅迫に満ちていた。


 絶対に交易祭を『愛の告白イベント』にしろ。そういう怨念にも似た感情が伝わってくる。重い。重いよお嬢様。


「その分、報酬は多め。満額の場合50000Gでどう?」


「やる。やります」


 満額の場合、って注釈が気になるけど、仮に満額じゃなくても数万Gが手に入るなら確かに大仕事だ。


 借金返済用に貯めてある貯金は現在、82455G。149000Gまでは、あと66545が必要だ。50000G満額で貰ってもまだ足りない。


 でも、今抱えている外灯設置やパトロール、娼婦護衛の仕事で一ヶ月後に得られる報酬を足せば、ほぼ届く。娼婦護衛に関しては、交易祭の時に人員を増やして護衛して欲しいってオーダーが女帝から入ってるし。当然、普段よりも報酬額はアップだろう。


 目処が立ったとまでは言えない。安心するには程遠い。けど、ようやく光が見えてきた。


「貴方ならそう言うと思ってた! 是非お願いね! 私、この交易祭に人生賭けてるんです!」


「わ、わかった」


 安請け合いしたつもりはないけど、フレンデリアの必死過ぎる意気込みに思わず尻込みしてしまう。


 大丈夫かな、これ……

 

 

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