第231話 これ何の修行……?

 ティシエラを騙してる……? イリスが?


 とても信じられないけど、本人の口から出た言葉だ。敢えて露悪的な表現にしたのかもしれない。まずは説明を聞こう。


「マスター、子供の頃の記憶ってどれくらいある?」


「子供の頃……そうだな。印象的な事は結構覚えてるけど。初めて自分の小遣いでパンを買った時の事とか、初めて自分一人で街に出た時とか」


 小学校一年の時に買ったデニッシュパンのパッケージと味は今でも鮮明に覚えている。アイシングっていう白い砂糖衣が掛かったタイプのパンで、凄く甘かった。


 初めて一人だけで街に行ったのは、更に前の幼稚園時代。親に内緒で勝手に歩いて行って、確かコンビニに入ったんだよな。その後、母さんに物凄く怒られたっけ。わんわん泣いたけど、あの時視界に入った情景は全て記憶に残っている。俺にとって一世一代の大冒険だった。


 俺の場合、一番記憶に残っている場面が多いのは中学生時代。高校生活もそれなりに楽しかったけど、一番充実していたのは中学の頃だった。初めて入った部活は辛かったけど楽しかったし、初めて袖を通した制服には気恥ずかしさがあった。大人になった訳でもないのに、妙にそうなったような気分になったのは、環境が一気に様変わりしたからだろう。


「そっか。羨ましいな」


 イリスは俺の話を笑顔で、でも寂しそうに聞いていた。


「私ね、子供の頃の記憶が全然ないんだ」


「全然……?」


「うん。所々とかぼんやりとかじゃなくて、12歳より前の記憶は一切なし。何にも覚えてないんだよね」


 確かイリスはティシエラと子供の頃からの知り合い。いわゆる幼なじみだった筈だ。って事は――――


「ティシエラとの思い出も?」


「うん。だからね、ティシエラにとって私は幼なじみだけど……私は違うんだ」


 そう告白するイリスの顔は、見ているこっちが切なくなるほど寂寥感に侵されていた。


「でも、その事をティシエラは……」 


「知らない。きっと私以外は誰も知らないと思うよ。両親も、友達も」


 そんな事が可能なのか……?


 今のイリスの説明だと、彼女は12歳のある日突然記憶喪失になり、でも周囲からは一切悟られないよう完璧に『記憶のあるイリス』を演じ続けた事になる。


「日記をね、つけてたんだ。昔の私は真面目だったみたいで、一日の出来事を毎日、結構しっかりと書き残してたんだよね。だから、人間関係や過去のエピソード、昔の自分の性格はそこで把握できたんだ」


「……」


「やっぱり信じられない……かな」


 当然だろう。これを信じろって方が無茶だ。


 今の話が仮に本当だとしても、どうして記憶がない事を隠さなきゃならない? 何処で記憶を失ったのかは知らないけど、その時点では少なくとも自分が何者かすらわからないんだから、自制心なんてないに等しい。泣き喚くとか、誰かを呼んだりとか、人がいないか探したりとか、兎に角『誰かを頼る』って行動に出る以外ない筈だ。


 なのに、その記憶がない状態で『この事を他人に悟られてはいけない』と考え、自分を律し、日記で過去の自分の情報を得て、それを基に演じている? そんな行動理念になる意味がわからない。


「まーだ何か隠してるんだろ?」


「あはは。マスター、結構見逃してくれないねー」


「そりゃ、これだけを聞かされて『矛盾点や意味不明な事だらけだけど全部目を瞑って、正直に話してくれたから俺の事も話すね!』とはならんだろ」


「だよね……」


 とはいえ、イリスのこの一見すると支離滅裂な述懐は、俺に"ある事"を気付かせた。


 もしその推察が正鵠を射ていたら、彼女の支離滅裂な言動にはそれなりの理由がある。少なくとも、俺を騙したりフザけたりしている訳じゃない。


 確証はない。でも、多分これ以上の事をイリスは話せないんだろう。


「……わかった。全面的にって訳じゃないけど、取り敢えず今の話を信じる」


「え」

 

「いや、そっちが『何言ってんだコイツ』って顔すんのマジでやめて」


「あっ、ゴメン。でも……良いの? っていうか自分でもこんなの信じて貰えないって思って話したから……ビックリして」


「だよな。だから逆に騙す気がないって思ったんだけど」


 実際、何らかの理由で俺に誤情報を与える目的があるのなら、他に幾らでも筋の通った話は作れる。ここまで荒唐無稽だと逆に信憑性は増す。


 でも、俺がイリスの話を信じたのはそういう理由じゃない。今のはあくまでカムフラージュ。本当の理由をイリスに教える事は出来ない。


「そういう訳だから、イリスに12歳以前の記憶がない事は把握した。その上で、失踪した理由を教えて欲しい」


「……うん」


 イリスは目を細め、何処か艶めかしい顔で顔を伏せ――――小さい声で答えた。


「マスターの所の……タキタ君に狙われてて」


 やっぱりあいつか! 絶対そうだと思ったんだよ!


「最初は子供の言う事だからって聞き流してたんだけど……段々、ちょっと冗談じゃ済まない感じになって来て。そしたら突然、精霊を召喚して……」


「コロポックル?」


「そう! マスター、気付いてたんだ」


「つい最近だけどね……」


 タキタ君の正体はエルリアフだ。本人にも確認を取ったから間違いない。


 気付いた理由は共通点の多さ。どっちも他人を『人形』にする事に拘っていたし、言動の危うさや雰囲気も共通していた。タキタ君が精霊使いジーム様の来孫ってのも引っかかってた。彼が精霊を使えるのなら、それも共通点の一つとなる。


 ただ、エルリアフは反魂フラガラッハが見た夢であって人間じゃない。人間じゃないのなら当然、ジーム様の来孫である筈がない。


 だったらタキタ君に取り憑いていたのか? いや、恐らく違う。王城で拘束した時、奴は影も形もなく消えていなくなった。もし取り憑くタイプなら、あの時にその取り憑いていた身体が残っていた筈だ。


 エルリアフは夢。だったら姿を自由に変える事が出来るとしても矛盾はない。普段は王城じゃなく城下町にいて、何らかの理由でウチのギルドに入った。そう見て間違いないだろう。


 奴がジーム様の来孫というのは、多分誤情報だ。その情報を口にしたのはティシエラだったけど、彼女はその前にこうも言っていた。


 ジーム様の孫は全員、この街にはいないと。


 孫がいないのなら、その子供世代も孫世代も別の街にいると考えるのが普通。なのにタキタ君だけがこの街にいるのは不自然なんだ。


「タキタ君自体は実在してるけど、本物はこの街にはいないの。エルリアフが化けていて、それをジーム様もティシエラ達もタキタ君本人だって思ってる。ジーム様とそのお子様方はかなり御高齢だから、あんまり良くわかってないみたい」


「だろうな……ティシエラも多分、親戚の家に世話になってるくらいの認識だろうし」


 わざわざ他人の家の子供について深入りする必要もないしな。


 そして理由はわからないけど、タキタ君に化けたエルリアフはイリスをずっと狙っていた。機を窺い、コロポックルを使って彼女を無力化しようと試みた。


 でもイリスは難を逃れ、人形化せずに逃げ果せた。その時点でイリスはタキタ君が何者かを知った。恐らくエルリアフ自身が正体を明かしたんだろう。


「下手にエルリアフの正体を明かしたら、その人にまで被害が及ぶかもしれないって思って……」


「だから理由を告げずに身を隠したのか。もう大丈夫なのか?」


「うん。執着する対象が変わったみたい」


 イリスはそう答えながら、バツの悪そうな顔で俯いていた。他にやりようがあったのかもしれないけど、狙われているのは自分だけって状況で他人を巻き込みたくないって気持ちはわかる。

 

「それじゃ最後の質問。どうやって玉座の間に来たんだ? 入り口から入って来た訳じゃないんだろ?」


「マスター、やっぱり目聡い。そんな事までわかっちゃうんだ」


 半分呆れたように、半分感心した様子でイリスはそう呟き、少し苦しそうに半笑いを浮かべた。


「方法は言えない。ただ、お城の外から歩いて来た訳じゃないのはそう。私に言えるのは、そこまで……かな」


 相変わらず歯切れが悪いけど、本人が言えないと言うんだから仕方ない。俺だって秘密の一つや二つはあるしな。


「……わかった。信じるよ」


「本当に? 自分でも無理がある話だって思ってるんだよ?」


「だろうね」


 でも、俺は信じる。イリスだから信じる訳じゃない。信じるに足る理由があるからだ。


 もしかしたらイリスも、おぼろげに俺の素性に気付いているのかもしれない。だからこそ、ティシエラにも明かしていない事を俺に話した。そう考えれば辻褄は合う。


 とはいえ確証はない。この場では一旦保留にして、後でフレンデリアに相談しよう。


「それじゃ、お返しに俺の方も話さないとな。えっと……何だっけ」


「ティシエラの事を異性としてどう思ってるか! 誤魔化したってダメだからね。ちゃんと答えて」


 真剣な目で、俺の目の奥を睨み付けてくる。良くわからないけど、イリスにとってこの質問は重要な事らしい。


 でも、だからといって俺の答えは変わらない。


「……まあ、意識してないって言ったら嘘になるよな」


「えーっ! 何その遠回しな言い方! もっと具体的に言ってよー!」


「これが限界だって……勘弁して」


 最近まではこの異世界に馴染む事でいっぱいいっぱいだったし、ギルドや借金の件もあったから、恋人を作りたいって気持ちは全くなかった。昔のトラウマの所為で、性行為に恐怖心があるのも地味に響いてる。


 でも、だからと言って『俺の恋人は仕事さ!』なんてストイックな生き方をするつもりはない。中身30代で10代を恋愛対象にするのは倫理的にキツいって自意識は働いているけど、20代ならまあ……って気持ちもある。あくまで自分の中での線引きだけど。


 ティシエラの年齢は推定20歳前後。イリスなら当然、正確な年齢を知っているだろう。女性に年齢を聞くのは失礼とは言うけど、この話の流れなら聞いても問題なさそうだ。


 その為には――――


「えっと……実は俺、同い年か年上じゃないとダメなんだよな」


「え? そうなの? なんか意外かも」


 なんでだよ。そりゃ確かに、俺の周りには10代の女性が多い気もするけどさ。


「だから、恋愛対象は20歳より上。俺が20だから」


「へー。そうなんだ」


「……」


「……」


 いや言えよ! ティシエラが対象内か対象外か早く言って! 幾ら記憶がないって言っても年齢くらいは絶対知ってるだろ!


「えっとね、マスターが何を聞きたいのかはよーくわかってるんだけど」


「だよな。これ以上ないってくらい露骨な言い回しだったし」


「あ、あはは……」


 ……さっきからイリスの視線が俺じゃなく、俺の後ろに向いている気がする。


 まさか――――ティシエラがそこにいるのか!? だから言い淀んでるのか!?


 なんて間の悪い……いやでも、こんなソーサラーギルドとは離れた場所にある食堂にティシエラが来るか? そもそもティシエラから聞かれないようにって事でここにしたんじゃないのか?


 ティシエラじゃ……ない?  


 そう考えた途端、全身に悪寒が走る。


 ティシエラじゃない。他のソーサラーギルドの連中でもない。にも拘らず、イリスは明らかに困っている。俺の後ろにいる何者かの存在によって。


 ……落ち着け。まだそうと決まった訳じゃない。イリスにとって気まずい相手は他にいるかもしれないじゃないか。俺はイリスの交友関係を全て把握している訳じゃないんだ。


 いや……ダメだ。イリスがどうこうって言うより、既に俺の身体が反応している。ヤバい空気を察している。そして、俺にこんな心臓がキュッてなるような緊張感を与えてくる人物は、他に覚えがない。


 胸の辺りを自らつねって、身体の震えをどうにか抑える。そして意を決し、ゆっくりと後ろを振り返った。



「あれ? もしかしてトモ?」



 そこには、穏やかな顔をしたコレットがいた。



「どうしたの? ここってトモのギルドともソーサラーギルドとも近くないよね?」



 そう言えばこの辺、ウチやソーサラーギルドからは遠いけど、冒険者ギルドは割と近くにあるな……


 っていうか、そんな事はどうでも良い。落ち着け。俺は何もやましい事はしていない。イリスに呼ばれて情報交換していただけだ。


 ……なのになんで寒気が止まらない?  

 

「もしかして何か、聞かれたくないような話でもしてた?」


「いや……どうだろう……」


「なんで目を逸らすの? ちゃんと私の目を見て言って?」


 疑問系が超怖い。別に凄まれてる訳でも、圧力受けてる訳でもないんだけど……


「ちょっと相談を……な?」


「う、うん。ティシエラの事でちょっと……あの子に聞かれたくなかったから、離れた所が良いなって私が」


「あ、そうなんだ。それなら納得」


 イリスとコレットの貴重な会話。以前までと違って、特にギスギスした様子はない。先の戦いでイリスに助けられたのをコレットもわかっているだろうし、わだかまりはもうないように見える。

 

 なのに何故だろう。ちっとも居心地は良くない。


「私も今日はここでお昼食べよっと。相席しても良い?」


「そりゃもう。イリスも問題ないよな?」


「うん。どうぞどうぞ」


「ありがと」


 ごく平凡なやり取りを終え、コレットが座る。イリスの隣に。


「……」


「……」


「……」


 その後、会話が完全に途絶えた。



 え、これ何の修行……?



 

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