第四部01:生気と生起の章

第230話 実は私ね





 敵の攻撃は目前に迫っていた。


 猛烈な速度で迫り来る剣圧は、それだけでこっちの脆い首を軋ませ、剣が肌に触れた瞬間に何の抵抗力も示せず頭部が胴から切り離される。そんなイメージが脳を支配する。


 それでもやはり、恐怖は感じない。死への警告をこの身体と心は一切発しない。全身のどの箇所も強張る事なく、その絶望的な一撃をただ呆然と見届けている。



 ――――死ぬ。



 この攻撃は俺を殺す。本能ではなく俯瞰でそう理解する。


 刹那。



「ぬうッ!?」



 シデッスによる渾身の一撃は、俺の首を斬り裂く直前、突如発生した結界によって防がれた。


「……ふーっ」


 大きく息を吐いて、思わず項垂れる。


 怖っわ!!


 幾ら死への恐怖はないっつっても、剣が首に迫る瞬間は普通に怖えー。怖過ぎる。勿論、これが本当の敵なら恐怖心はその比じゃないだろう。


 取り敢えず、これで……


「隙ありーーーーーっ!」


「へ?」


 気を抜いた瞬間、俺の視界は派手に舞った砂塵によって完全に防がれ、ついでに意識もすっ飛んだ。



 ……って。


「危ねーな! 死んだらどうすんだよ!」


「いやなんでヤメちゃんがキレられなきゃなんねーのさ! そういう実験なんだろー?」


 ここは、アインシュレイル城下町の郊外に位置する荒野演習場。主にソーサラーが演習を行う際に使っているスペースだ。


 開発区域の外側だった事もあって、建築物は一切建っていない。同時に、聖噴水の効果範囲内だからモンスターも現われない。その上やたら広いから、魔法をぶっ放すのには最適な場所だ。先日はここでサクアやティシエラと一緒に実戦演習もやったっけ。


 今日はソーサラーギルドと話を付けて、あらかじめウチのギルドが演習を行うスケジュールで調整して貰った。天気も良いし、おかげで思う存分テストが出来ている。


 テストの対象は勿論、俺の虚無結界だ。


 この結界がどういう条件で出現するのかを確認する為の作業。その為には、様々なシチュエーションで俺を攻撃して貰う必要がある。例えば殺気のこもった絶命確実の一撃。例えば突然の不意打ち。金属武器による攻撃、魔法による攻撃などなど……ギルド員協力のもと、取り敢えず一通り実験する事が出来た。


「幾らテストでも瞬殺はシャレにならないんだって。人間が人間を殺した場合は蘇生魔法の効きが悪いんだろ? 殺す気満々で撃つのと実際に殺すのとは分けて考えてくれないと」


「ンなムズい事言われたってフツーに無理だっつーの。大体、そういう時の為にヒーラーを呼んでんだろー?」


「ったく……なんで私がテメェにコキ使われなきゃいけねーんだよ」


 ブツブツ言いながらも、ヤメの魔法で損傷した両足を回復魔法で治してくれているのは、新生ヒーラーギルド【チマメ組】のチッチ。ブツブツ不平を言ってはいるけど、アイザックの件に一応恩義は感じているらしく、割とすんなりOKしてくれた。


 アイザックがメイメイと一緒にこの街を出た際、チッチにも付いていくって選択肢はあった。未だ行方不明のミッチャに気を遣って遠慮するような性格でもないしな。


 それでも彼女は、ここに残る事を選んだ。アイザックを諦めたのか、五大ギルドの一員としての責務に目覚めたのか、他に何か理由があるのかは定かじゃない。そういう心の内を赤裸々話すような関係性でもないから、今後知る事もないだろう。


「オラ、これで全快だ」


「助かった。ありがとう」


 なんだろう。無料で回復魔法を使って貰える事に凄く罪悪感を覚えてしまう。ヒーラー連中はクズで変態だけど、回復して当たり前って価値観を変革するという連中の一理ある目的は、既に達成できているのかもしれない。


「それで! 結論は! 出ましたか!」


「おかげさまで一応は」


 協力者の一人、オネットさんに向かって大きく頷いてみせる。100%とは言わないが、ほぼ確信に近いものは得た。


「どうやら、俺が完璧に『死ぬ』ってイメージを頭の中に浮かべた時に発動するみたいだ。だから不意打ちやそこまでの威力はないと思った時にはサッパリ出て来ない」


 あの夜道で刺されて殺されかけたのは、完全に不意打ちだった。死を意識する前に攻撃された。だから発生しなかったと考えれば、今回のテスト結果との整合性も取れる。


「なんかスゲー不便じゃね?」


「まあな……攻撃されてる最中に『これは絶対に死ぬ』って思うのは意外と難しいし」


 何度も実験してわかったけど、死のビジョンって意外と浮かんで来ない。さっきみたいに首に向かって剣が迫ってくれば、視界にもモロに入るし流石に死を意識するけど、これが首じゃなく四肢や背中になった途端、全く発動しなかった。腕が斬り落とされたくらいじゃ死なないってイメージが俺の中にあるらしい。


 実際にはそんな事はない。普通にショックや出血多量で死ぬ。多分これは……元いた世界の漫画やゲームの影響なんだろな。大抵は腕が斬られた程度じゃ死ななかったもんな、そういう世界のキャラは。


 何気に死への恐怖が喪失してるのもマイナス要因だ。咄嗟に出てくる死への畏怖がない分、頭で一旦考えないと死を自覚できない心身になってる。ヤバい敵にもビビらずに特攻できるメリットはあるけど、やっぱりマイナスの方が多いな……


「今日の演習はここまで。みんな協力してくれてありがとう。それじゃ現地解散って事で」


「うーい。ヤメちゃんはシキちゃんと合流すっかー」


「クックック……今宵の我が輩はいつも以上に首級に飢えているッ! これから通行人の首を斬りに……」


「ダメです! シデッスさん貴方はこれから! 王城で閉じ込められていたのを助けて貰ったお礼を! 各ギルドへしに行かないと!」


「むうッ……」


 みんな元気だな。俺はもうヘロヘロなのに。唯一の強みである体力・生命力でもこの差だよ。終盤の街の猛者どもはやっぱ凄い。最近、割と中心的な立ち位置で戦ってきたから、なんとなく『俺も負けてないんじゃない?』みたいな気になってたけど……甘かった。


 勿論、それは同時に頼もしさにも繋がっている。既に先日の王城奪還作戦で負った傷も癒え、ウチのギルド員達はフル稼働。仕事に精を出してくれている。


 だけど正直、以前ほどの労働力はない。それがアインシュレイル城下町ギルドの憂鬱な現状だ。


「はぁ……」


「辛気臭ぇ溜息つきやがって。こっちまで気が滅入るから迷惑なんだよ」


「悪い。ちょっと最近、幽霊ギルド員が多くてな……」


「なんだそりゃ。死人が大勢出たのか?」


 ガラの悪い声と顔で問うチッチに、首を横へと振る。


「ギルドに所属してるけど、仕事を受けに来ない人達が増えててさ。ギルドが上手く回ってないんだよ……」


 一応、まだ借金返済の期限まで一ヶ月くらいは残っている。でもこのままだと返済額に達するのは厳しい。新しいギルド員は随時募集してるけど、あまり成果は得られていない。


 原因は、数度にわたるヒーラーとの戦いだ。それによってウチのギルドはいつの間にかヒーラーと戦うギルドっていう認識が広まってしまった。当然、ヒーラーと関わりたくない人達からは敬遠されてしまう事態になっている。


 幽霊部員ならぬ幽霊ギルド員になってしまった数名も、それが原因かもしれない。


「ギルドマスターの求心力不足だな。ケッ、ザマァねぇ」


「うるっさいなあ……だったら、そっちのギルマスはどうなんだよ。マイザーがやるんだろ?」


「……いや。私だ」


 え、マジで? あのオッサン、娘に大役を譲ったのか、それとも押しつけたのか……

 

「これからは私が五大ギルド会議に出る。あんな奴等には負けねー。私がヒーラーギルドを再建してやる」


 そう言い残して、チッチも背を向ける。ギルマスになったのなら、仕事も山積みだろうに……わざわざテストに付き合ってくれたのか。


 罵詈雑言を散々浴びせられて、命まで奪われそうになった相手に感謝するのも変な話だけど、今日だけは素直に頭を下げよう。


「チッチ。今日はありがとうな」


「チッ」


 舌打ちとはいえ、一応返事はしてきた。これ以上近しくなる事はないだろうけど、今後も奴とはそれなりの付き合いになっていきそうだ。


 さて、今日の予定はまだ終わりじゃない。イリスと昼食を一緒にとる予定を入れている。ちょうど昼時だし、今から向かうか。





「……あ。マスター! こっちこっち!」


 イリスが待っていたのは、アインシュレイル城下町ギルドともソーサラーギルドとも近くない場所にある、今まで一度も入った事のない小さな食堂。夫婦で経営しているらしく、料理人も接客する店員も年配だ。


「ここの肉野菜まぜこぜ炒め、美味しいんだよ。オススメ」


「へー。パンない?」


「パンはないかな……」


 まあ、パンがないのなら何頼んでも同じだ。ここはイリスにお任せで良いや。


「今日はごめんね。忙しいのに時間作って貰って」


 注文を終え、テーブル越しに申し訳なさそうな顔で少し俯くイリスに目を向ける。王城に現われた時とは違って、今日は以前の服装と同じ傾向の明るめな色合いだ。


「いや全然。何か話があるんだろ?」


「うん……」


 敢えて知り合いが少ないであろうこの区域を選んだって事は、他人に聞かれたくない話をするつもりなんだろう。だとしたら当然、あの失踪の真相……だろうな。


 まさかこんなに早く話す気になってくれるとは思わなかった。そしてティシエラの予想通り、俺を相談相手に選んだって事は……ティシエラや親しい間柄の人間には聞かれたくない内容なんだろう。


 イリスにはたくさん力になって貰った。可能な限り、そのお返しはしておきたい。


 一体どんな理由が――――


「マスター、ティシエラと仲違いしてない?」


 ……ん?


「心配とか迷惑かけっ放しで、戻って来たばっかりの私がこんな事言える立場じゃないんだけど……最近のティシエラ、ちょっとピリピリしてるって言うか、余裕がない気がして……」


 いや本当に言える立場じゃないよね。言わんけどさ。


「うう……ごめんなさい」


 あ、心の中のツッコミがバレた。無意識の内にジト目になってしまったのかもしれない。悪い事したな。


「いや、俺もティシエラのメンタルにダメージ与えたって意味ではイリスと同じだから、責められる立場じゃないんだけどさ。別にケンカとかはしてないよ? 先日の実戦演習のアレは演技だし」


「……」


「な、何?」


 今度はイリスの方がジト目で睨んでくる。なんか変な事言ったかな……?


「こういう機会だから、思い切って聞くけど」


 かと思えば、今度は真剣な目で覗いてくる。どうやら真面目な話らしい。


「マスター、ティシエラの事をどう思ってるの?」


「綺麗でカッコ良くて強くて偉くてちゃんとしてて優しいけど偶に口が悪くて面倒臭い女性」


「えー……なんか思ってたのと違うー……もっと狼狽えて、しどろもどろになって欲しかったのに」


 すみません。当方、御年32なんで……そういうのはもうないんです。


「そういうんじゃなくてさー。ぶっちゃけどう? 俺がこの人を支えなきゃ、みたいなのってある?」


「何その外堀から埋めていくような質問」


「良いから良いから。で、どーなの? お姉さんに本心を言っちゃいなよ。好きなんだろ? ああいう子がタイプなんだろ? うりうり」


 なんで急にオヤジ臭くなるんだ。イリス、実は恋愛脳タイプ? そう言えば『魔王に届け』の時にも実況でティシエラをその手の話題でイジってたっけ。


 ならば良いだろう。多少痛みは伴うけど、これを利用するしかない。


「わかった。答える」


「おーっ!」


「その代わり、失踪した理由と自分の正体について正直に教える事。それが条件な」


「えーっ!?」


 さて、この条件でイリスがどうでるか。まあ、答えはもう出てるんだけど。


「はー……わかりましたよー。話せば良いんでしょ、話せば」


 ここで断れるようなら、こんな場所まで俺を呼び出したりはしない。最初からイリスは自分の事を俺に話すつもりだったんだ。


 だから俺が出した条件は、ある意味では予定調和。こういう交換条件を見越した上で、最初にティシエラの事を話題に出したんだろう。ティシエラの様子が気になっていたのも事実だろうし。俺が言い出さなかったら、イリスの方から『もし答えてくれたら失踪の件を話すから』と持ち出していたに違いない。


「マスターって、何だかんだでマスターなんだよねー」


「どういう意味だよ」


「褒め言葉だってば。それじゃ、私の方から話そっかな。私って、意外と好きな物は後に取っておくタイプなのです」


 別に意外でも何でもないけど……ま、良いか。まずは話を聞こう。


「失踪の理由はともかく、『正体』ってところがポイントだよねー。マスター、私をただのソーサラーとは思ってないんだ」


「そりゃ、あのタイミングで突然パッと現われるんだから、そうなっちゃうって」


 城の周囲を囲んでいたソーサラー、特にティシエラに気付かれる事なく、イリスは俺達のいる玉座の間に来た。あれは例えば空間転移や縮地みたいなスキルでも持ってなけりゃ無理な芸当だ。もしくは髭剃王のように他者を転移させる奴が協力者にいるか。


 いずれにしても、ただのソーサラーとは到底思えない。彼女には何かがある。そしてその何かと失踪の理由は関連がある。それは間違いない筈。


「実は私ね」


 余計な相槌も打たず、俺はイリスの話に集中し、耳を傾けた。


 彼女の可憐な唇の向こうから届けられる声が――――



「ティシエラを騙してるんだ」



 そう告げた。 


 

 

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