第229.5話 サクア(前)

 俺がここに転生する前の世界において、魔法とは多様性のファンタジーだった。いや、ファンタジーの多様性と言えるかもしれない。ファンタジーにおける一概念と言っても過言じゃないくらい、その界隈ではあって当然のものとして浸透していた。


 ここで言うファンタジーとは、何もポップカルチャーの中だけとは限らない。世界中のあらゆる国家において、神話や儀式の中に登場する力だ。魔術と呼ばれる事もあれば、妖術や呪術と呼ばれる事もある。いずれにせよ、魔法はいわゆるオタク文化の産物じゃない。むしろ魔法の存在がオタク文化を作った、とさえ言えるかもしれない。


 つまり、俺がこよなく愛したゲームもまた、魔法の存在があったからこそ生み出された娯楽であり文化。そう考えると、魔法というものには敬意を抱かずにはいられない。


 けれど、この世界における魔法は少々そういった高尚さや神秘に欠けている気がする。



「血盟と爬行の果てに森喰う蔓となれ!【バインドチェイン】!」


「廃屋と灰燼の狭間にそびえし強靱なる門よ、紅蓮の業火で爆ぜよ!【ジャイロインフェルノ】!」


「光の調べに沸き立ちし寄る辺の歌、今ここに高らかなる雷鳴を響かせよ!【ギグライトニング】!」



 郊外にソーサラーの屋外演習場があるって言うんで、良い機会だから見学させて貰おうと軽い気持ちでやって来たは良いんだけど……これ何の練習? 魔法? それとも詠唱品評会?


「アメリー、後半は良いけど前半はやや散漫。シーマは前半の抽象性と後半の具体性が少しズレ過ぎてるわ。エチュアは少し捻りが足りないわね」


 詠唱品評会だった!


 えぇぇ……マジで詠唱しか指導してないんだけどティシエラさんってば。これ何の意味があんの? 詠唱って別にしなくても魔法使えるんだよね?


「クロード。貴方は使用する単語に関連がなさ過ぎる。魔法に寄り添った言葉でなければ意味がないの。何度同じ事を言わせるの?」


「す、すみません……」


 数少ない男性ソーサラーにも容赦ない。まあ言いたい事はわかるけど、そもそもの必要性が全くわからないから怒られている事が気の毒でならない。これ自由参加なんだよな? まさか強制じゃないよな?


「集合。今日は良くないわ。皆の意識が低下しているのを実感せざるを得ないわね」


 各々、荒野に向かって魔法を撃ちまくった事で息が上がっている。中には肩で息しながら涙さえ流しているソーサラーもいる。まるで軍隊の訓練だ。


「良い機会だから、詠唱とは何かを叩き込んであげるわ。知っての通り、魔法は必ずしも詠唱を必要としない。詠唱する事で威力が上がったり、消費魔力が減少したり、速度や精度が上昇したりはしない。例えるなら、剣を振る時の気合い。なくても成立するものよ」


 でしょうね。っていうか、詠唱しない方がスッと魔法を出せてサクッと敵を倒せるんじゃないでしょうか。そう思うのは俺が魔法の素人だからなんでしょうか。


「では何故、私が詠唱を強く推奨するのか。まず一つは、魔法を撃つ事前に『これがこの魔法の真髄』という言葉を声にする事で、その魔法を放つ意味をちゃんと考えられる事。戦場では常に適切な魔法を使えるとは限らない。場合によっては魔力の無駄遣いになるどころか、戦局を不利にしかねない。少し時間を置いて考える猶予を自分自身に与える事で、その魔法が本当に最適かを判断するの。逆に言えば、詠唱の余裕がないような戦いは極力するべきじゃないわ」


 ……成程。要は余裕のある戦いに挑めって事か。


 勿論、常時戦場に出ていればそんな訳にはいかない。でもそんな戦いに身を投じるソーサラーは、既にどんな場面でも的確な判断が出来る一流のソーサラーだろう。つまり、詠唱はまだそのレベルに至っていないソーサラーの為の補助装置のようなものか。


 尤も、ここは終盤の街。ソーサラーギルドに入るのは精鋭の魔法使い達で、一流未満のソーサラーは恐らくいないだろう。今の説明はあくまでも、『詠唱とは何故必要なのか』のイロハのイに過ぎない。


「次にルーティーンによる集中力の増強。『この魔法を使う時はこれらの文章を詠唱する』というルーティーンを作っていれば、余計な迷いや葛藤を捨てて集中できる。さっき言った『考える猶予』とは一見矛盾するけど、『集中する事』と『思考する事』は決して相反しないと理解して頂戴。無駄を省きつつ、常に自分を疑う。それが出来てこそ一流のソーサラーよ」


 これもまともな意見だ。ルーティーンによる集中力の増加は元いた世界でも提唱され、多くの人間が実践していた。そして、それが思考停止に繋がる訳じゃなく、視野を広げ柔軟な考えを育む事に有効なのも実証されている。


 やるなティシエラ。思っていたよりずっと合理的だ。


「最後に、ソーサラーの存在意義の誇示。私達が如何に優れたソーサラーで、高尚かつ神秘的な存在なのかを冒険者やヒーラー、そしてモンスター達に知らしめる為よ」


「それは要らんだろ!」


 思わずベタなツッコミで介入してしまった。


「……何? 私の指導にケチを付ける気?」


「いや、まあ……そうだな。今更訂正したところで本心と思われそうにもないし、この際だから口を挟ませて貰うか」


 殺気立った顔で近付いて来るティシエラを、堂々と迎え撃つ。俺も一ギルドの代表だ。相手が五大ギルドのトップだからといって、日和ってる訳にはいかない。


「前々から思っていたけどさ。詠唱って別に要らなくね?」


「いいえ。要るわ。絶対に要る」


 火花が散った。そのスパーク音に周囲のソーサラー達が顔色を変えて狼狽えているけど、気にしない。


「メリットがあるのはわかった。でもそれを考慮してもデメリットが大き過ぎる。思いっきり振りかぶって剣を振るのに威力が全然増えないようなもんだろ」


「浅いわねトモ。魔法の事を貴方は何もわかっていない。魔法を扱う者は常に精神を研ぎ澄ませなければならないの。自分がソーサラーだという強い自覚をもって、日々その自覚を胸に生きなければ、必ず暴走するわ。魔法はそれだけ強大な力なのだから。詠唱する事で、私達は常にソーサラーである事を自分に言い聞かせるの。謂わばアイデンティティの復唱なのよ」


「それはあれか? 技術的な意味で言ってるのか? それとも精神論か? 魔法が強すぎるから、ついその力に酔って悪の道に進むみたいな。もしそうなら、余りにもレベルが低過ぎやしないか?」


「両方よ。貴方にソーサラーの何がわかるというの? 武器がなければ大した事が出来ない戦士や、人の道を踏み外したヒーラーとは違って、私達はいついかなる時も簡単に壊せるのよ。人も、街も。その誘惑に、精神的負荷に常時打ち勝てるなんて誰が言えると思うの?」


「それを乗り越えたソーサラーだけがここにいるんじゃないのか? そんな誘惑に負けるようじゃ、魔王討伐どころか周辺のモンスター相手にも不覚を取るに決まってる。今すぐ違う街で鍛え直すべきだ」


「ソーサラーは冒険者と違って人材が豊富な訳じゃないの。多少技術や精神が未熟でも、習得した魔法の質が高ければ最前線で戦って貰う。そうしなければ立ち行かないのよ」


「そんなギリギリのところでやってたら、いつか必ず破綻するぞ。あーだこーだ言ってるが、結局の所はソーサラーギルドの権威を維持したいってだけじゃないのか? 現戦力からダウンしたらソーサラーギルドの格が落ちて、五大ギルドの中での発言力が低下するからじゃないのか?」


「言ってくれるわね。それが全てじゃないけど、確かに重要な事よ。ギルドとしての格が落ちれば肩身が狭い思いをするのは私だけじゃなくこの子達全員。私は皆が誇りを持って戦えるギルドにしなければならないの。そういうギルドを保持しなければいけないのよ」


 お互い一歩も引かない。ティシエラも普段より若干感情的な声で俺をねじ伏せようとしてくる。


 ……ま、こんな所で良いか。


「よーしわかった。そこまで言うのなら決着を付けよう。詠唱が不要と思うソーサラーと必要と思うソーサラーを分けての実戦演習。最近はヒーラーの造反で対人間の戦闘も多いから丁度良いだろ? この機会に詠唱の必要性をハッキリしようじゃねーか」


「望むところよ。貴方のその偏見と妄執と凝り固まった固定観念を全て粉砕してあげるわ。部外者の癖に割り込んで来た己の迂闊さを呪う事ね」


 額が触れあいそうな距離で罵り合い、同時にそっぽを向く。


 斯くして――――俺率いる『詠唱いらん子チーム』とティシエラ率いる『詠唱大事っ子チーム』による仁義なきVS構造がこの場にて生み落とされた。





 ……なんてのは勿論、嘘で。





 事の発端は三日前――――



「ケンカしろ? ティシエラと?」


 ウチのギルドへやって来たティシエラは、唐突にそんな事を言い出した。


「先日の王城奪還作戦の件で、私の求心力が低下していないか心配なの。もし皆が私に失望しているのなら、ギルドマスターの座を降りるつもりよ」


「いや、いきなりそんな重い決意示されても……まずケンカの理由から説明してくんないと」


「……それもそうね。はぁ……焦っているのが丸わかりじゃない。また無様を重ねてしまったわね」


 実際、その作戦以降のティシエラは明らかに自信を喪失している。俺と会う度に自虐的な事を言って病的に笑うその姿は、俺が密かに尊敬してやまない彼女の凛然とした姿とはかけ離れていた。


 たまに弱った姿を見せるくらいなら問題ない。というかご褒美だ。でもそれが長く続くようだと、流石に見ていて辛い。エゴなのはわかっているけど、ティシエラには強くあって欲しい。


「わかった。理由はなんであれ協力する。だからあんま気負わずに説明して」


「トモ……」


 そう呟くティシエラは、俺如きに同情されて辛いのか、すっげー複雑な顔をしていた。いやそこは素直に笑顔で良くない? デレをおくれよ。


「私が知りたいのは、ギルド員達の本心よ。無理に私を持ち上げているのか、それとも心から私の下で働く事に満足しているのか。その見極めの為、詠唱の不要論を貴方に説いて貰いたいの」


 魔法の詠唱は自分が積極的に推奨しているもの。もしそれに反対派が一定数いて、かつそのソーサラー達の主張に説得力があるならば、自分はもう引き時だと判断する――――ティシエラはそう切々と語った。


 規模こそ違えど、俺もギルマスという立場にいる人間。ティシエラの葛藤は痛いほど理解できる。もし自分が裸の王様になっていたらと疑わない日はない。


 だからアレコレ言わず、素直に彼女の依頼を受けるつもりでいた。


 けれど、それに異を唱える人間がいた。


「あのっ、差し出がましいようですが……」


 イリスに代わって、ソーサラーギルドからウチに派遣されているサクアだ。彼女は切羽詰まった顔でティシエラに接近し――――


「私、前々からソーサラーギルドマスター様の教えている詠唱ってどうなんだろうって思っていました!」


 涙目でそう訴えた。いや訴えるなよ! 方向も空気も読めない子だな!


「そ、そう。やっぱり、そう思ってるソーサラーも多いのかしらね……」


 ほらー、また自信喪失しちゃったじゃん。正直俺もあの詠唱は要らん派だけど、案外ノリノリのソーサラーだっているかも知れないだろ。


「わかりません。ただ、ギルドのほぼ全員がソーサラーギルドマスター様を慕っています。これは本当です。私の見解ですが、ソーサラーギルドマスター様を支持する心と、あの詠唱を好んでいる心は別にあると思うのです。ソーサラーギルドマスター様は大好きなのに、あの詠唱はちょっと……って子が相当数いるのではないかと。寧ろ大半……? ほぼ全員……? いや全会一致なのではないでしょうか!」


「もうやめてあげて! 詠唱大好きなティシエラをそれ以上苛めないで! 泣いたらどうすんの!」


「泣く訳ないでしょう」


 ポーカーフェイスで強がってるけど、ティシエラは右手で左腕を思いっきりつねっていた。痛みで感情を抑え込んでいるのがバレバレだ。


「まあでも、サクアの言う事は一理ある。詠唱は嫌だけどティシエラには付いていきたいってソーサラーが大半だからこそ、今までもちゃんと纏まってたんだろうし」


「そんなに詠唱が嫌な子が多いというの……?」


 取り敢えず、もし俺がソーサラーだったら絶対に意見書提出する。


「……わかったわ。現状が良くわかった」


「ティシエラ?」


「予定通り、貴方はギルド員が見ている前で詠唱の不要論を唱えて頂戴。そうすれば自ずと、私と貴方が対立する構図になるわ。詠唱を要らないと思うソーサラー達は貴方に付く。必要だと思うソーサラーは私に付く。そこで決着を付けましょう。サクア、貴女はトモに付くのでしょうね。それも良いわ。貴女にはまだ教えられていない事がある。この機会にそれをわからせてあげるわ」


「……え?」


 なんでそんな話になるん? ギルド員の意識調査じゃなかったの? なんでわからせになってんの? ジャンル違くない? あとなんか目がギラ付いてて怖いんですけど。


「決行は明日。楽しみね……魔法には詠唱が必要だって事、骨の髄まで思い知らせてあげるわ」


 あくまで冷静に呪詛を吐きながら、ティシエラはマイギルドを後にした。


 率直に厄介なんですけど。なんで俺、こんなしょーもない騒動に巻き込まれなきゃならないんだ……?


「まさかソーサラーギルドマスター様と争う事になるとは。私、信じられません」


「俺は毎回そのクソ長い呼び方なのが信じられないんだけど。もうちょっとどうにかならん?」


「いえ、自分は修行中の身なので! ソーサラーギルドマスター様やアインシュレイル城下町ギルドマスター様に様を付けずに呼ぶなんて畏れ多いです!」


「そこじゃないんだよな……」


 あらためて、サクアというこの女性をまじまじと眺めてみる。


 顔は知的美人。細いメガネがやたら似合いそうな顔立ちで、つくりは大人びている。


 なのに――――どうしてだろう。彼女からは妙に幼い印象を受けてしまう。表情なのか、或いは雰囲気なのか。彼女がどういう人間なのか、未だによくわかっていない。


「そこまで畏まる割に、詠唱にはしっかりケチつけるんだな」


「それは……その、何というか。解釈違いと言いますか」


「……解釈違い?」


「私は魔法の詠唱は、格好を付ける為のものではないと思うんです。その、何と言いますか……もっと観念的と言いますか、魔法が不思議な力だって言うのを示すようなものであるべきだと考えています」


 ホントに解釈違いだった!


 こっちはこっちで、ティシエラとは違う方向で詠唱に拘ってるのか……


「観念的なあ。だったら……呪文みたいな?」


「はい、そんな感じです! 小難しい事は言わず、子供でも復唱できるような短さと語呂の良さで神秘性を表現する。そうしないと、魔法少女は……」


 そこまで口にしたサクアは、ハッと何かに気付いたように言葉を止め、俺の方にバツの悪そうな視線を向けた。


「申し訳ありません……意味がわかりませんよね。魔法少女と言われても」


「まあ、なんとなくニュアンスはわかるけど」


『魔法』が元いた世界とここでは違うように、『魔法使い』もまた、俺の持つイメージとここの魔法使いとではまるで違う。


 そして――――魔法少女もまた同様。俺のいたあの世界でその言葉は、『魔法使いの少女』というだけでは説明の出来ない、一つの系譜として成立していた。


 だから『魔法少女になりたい』と願う女の子がいたとして、その大半……いや全ては、アニメや絵本などの創作物に影響を受けている。とても純粋で可愛い夢だけど、叶う事は絶対にない。


 夢見る事は無駄じゃない。でも、どうしても寂しさを孕んだ夢だった。


 この世界には、魔法が存在する。魔法少女も存在する。魔法に年齢制限はないから、子供の頃から魔法を扱える女の子は幾らでもいて、彼女達が特別な存在として扱われる事はない。だから『魔法少女』という言葉に深い意味はない。


 けれども、それを夢見る子がこの世界にいるとしたら、それはきっと――――



「実は私……魔法少女になりたかったんです」



 特別なものを、その頭の中に抱いているんだろう。


 サクアの恥ずかしそうな顔が、なんとなくそんな事を思わせた。




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