第227話 眠れる暴徒

「そう言えば、言い忘れていたわね。お疲れ様。今回も随分活躍したそうじゃない」


 琥珀色の酒を口に含み、艶やかな唇でティシエラはそう紡ぐ。大人の雰囲気を纏ったその横顔が――――


「それに引き替え今回の私は良い所なし。フフ……結局、城から逃げ出てくるヒーラーもいなかったから、随分と長い間地獄のような時間を過ごさせて貰ったわ」


 もとい。


 妖気のように陰鬱な空気を纏った横顔が、自嘲に歪んでいた。


「表面上は何も変わらないけど、きっとギルド内での求心力は大幅に低下したでしょうね。五大ギルド内での発言力も。アイザックに監視を付けるよう私が進言した時、バングッフもロハネルも鼻で笑っていたわ。他の二人が賛成してくれたから可決されたけど……屈辱で時空を歪ませそうになったくらいよ」


 怖いです止めてください。っていうか屈辱で時空歪むって何なん? ラスボスか何かですか?


「責任取って」


「……は?」


「私に恥をかかせた責任を取りなさい、って言ってるの」


「いや訳わかんねーよ。そりゃ、俺が御主人のアイディアを持って来なかったらティシエラの案が実行されただろうけど、それで責任って言われてもな」


 既に酔っているのか、それとも素面で拗らせてるのか。ティシエラの顔色からは判別が付かない。何にしても、正常な精神状態ではなさそうだ。


「アイザックの任命状が見つからなかったのも、彼の取り巻きの武闘家にあんな証言させたのも、全部貴方の仕業なんでしょう?」


「……」


「ダンマリ決め込んでも無駄よ。調べは付いてるから。ヒーラー討伐の翌日、王城に入って行く貴方を通行人が見かけていたわ」


 探偵かよ。俺に興味あり過ぎだろ。全く……


「それだけで、俺が任命状を持ち出したって証拠にはならんだろ? ましてその任命状が偽物って証明になる筈もない」


「その発言が既に状況証拠じゃない」


「ティシエラが疑っている事をそのまま言っただけだ。あと、メイメイと事前に打ち合わせしたのは事実だけど、彼女の証言は全部真実だし、俺が助言したのは言葉遣いとか一部の言い回しとか、その程度でしかない」


「相変わらず、良く回る口ね」


「お互いにな」


 アイザックは、コレットを助けた訳じゃない。でもコレットを誘拐した訳でもなかった。だったら、あらぬ疑いをかけてしまったお詫び金くらいは払っておくべきだ。そんだけ。


「あ、お詫び金といえば」


「……何がどうお詫び金に繋がったのか、私には全くわからないんだけど」


「いや、まあそれは置いといて。それよりティシエラ、冒険者の誰かがコレットをハメたかもって疑ってたよな? ちゃんと謝ったか?」


「何故謝る必要があるのよ。特定の誰かの名誉を傷付けた訳でもないし、可能性を指摘しただけなのに」


「五大ギルド会議という厳粛な公式の場で、誤解を招く発言をしてしまって申し訳ない。そんな感じで良いから、ダンディンドンさんに謝意を示した方が良いって。悪い事は言わないから」


「……」


 あ、ふくれっ面で明後日の方見やがった! 普段は大人びてるのに、そういう所は子供っぽくて可愛いとかズルくない?


 まあ、ティシエラの言う事は尤もだ。他のギルドに遠慮して思い付いた事を言わないのなら、会議の意味がないからな。


 日本人特有の『取り敢えず謝っとけ』はネット社会において下策とされている。謝罪は時に死臭を放つ。そうなってしまうと、大勢の蟻が群がってくる。彼等は何の悪気もなく、全てを奪い去っていくだろう。


 でも、それはあくまでネットの話。顔を突き合わせて話す相手との交流については、謝罪で円滑に事が運ぶケースも多い。特に今回のような『あらぬ疑い』については、モヤモヤを引きずらせるより謝っておいた方が遺恨を残さずに済む。


 とはいえ、ティシエラにも立場がある。だから政治家のように婉曲的な言い方で謝罪し、本質的な所からズラす。大抵のケースでは不快感しか生まない腐れ謝罪だが、今の冒険者ギルドとソーサラーギルドの関係を考えると、この辺が落とし所だ。


 ギルドマスターのコレットが攫われ、不可抗力とは言え混乱を招いた。そういう負い目が冒険者ギルドにもある。だからこそ有効なんだ。


「……わかったわ。ここは貴方の顔を立てて、ソーサラーギルドの代表としてではなく個人として彼に頭を下げる。それで良いでしょう?」


「ああ。それで良い」


 両ギルドの関係が悪化して、コレットとティシエラの仲が微妙になるのは避けたい。不機嫌オーラで精神を蝕まれるからな。


「で、詫び金といえばだけど」


「今の謝罪の事ではなかったの?」


「いや、言いたかったのは俺の借金の件。あれ、結局どうなった?」


 今回の一件で、ヒーラーは完全に国家の敵となった。ならワンチャン、ヒーラーへの借金も帳消しになるじゃないかと思って、お伺いを立てておいたんだ。


 果たして結果は――――


「それにも関連する事だけど、少々面倒な事態になってるわね」


「嫌な前置きだな。聞く気が失せる」


「いいから聞きなさい。まず貴方が借金をしたヒーラーだけど、今回の王城占拠事件には関わっていないわ。関係者は城内にいたヒーラーで全員。知っての通り、そこに貴方の債権者はいない。国王陛下は不在だけど前体制は暫く維持されるから、借金も有効なままよ」


「マジかよ……」


 ティシエラの言うように、俺を回復して多額の借金を背負わせたヒーラーは今回の騒動に参戦していない。でも、それが"関わっていない"理由にはならない。戦闘に参加していないだけで参謀を務めていたかもしれないし、二陣に控えているだけかもしれない。


 それでも関わっていないと断言するって事は、その根拠となるアクションを奴等が起こしたとしか思えない。


「今日、ラヴィヴィオの残党……いえ、独立組から声明文が届いたわ」


「独立組……? ラヴィヴィオの間でも勢力が二分されてるのか?」


「どうやらそのようね。アイザックを祭り上げ、王城を奪いこの街を支配下に置いて、国家そのものを乗っ取ろうとした連中。そして、それを不服として袂を分かった連中。後者を便宜上、独立組と呼ぶ事にしたの」


 まあ、ヒーラーなんて一人一人が独立してるようなものだけど、『ヒーラーが住みやすい国にする』って共通の意識はあって、その為の方法が二分されていたんだろう。


 王城の占拠をしていた連中は、始祖を蘇らせようとしていた。もう一方の独立組はどんな方法を考えているのか。


「元々、ヒーラー国を創るって話だったよな。独立組がそっちの線って事なのかな」


「御名答。声明文にそう書いてあったわ。国土も確保したから近い内に宣戦布告する、だそうよ」


「まだヒーラーを引きずるのか……もういいよ。あいつらもう飽きた。暴徒と化した理由もなんか微妙だし、気持ちが入んないんだよ。適当に片付けといて」


「無茶言わないで。そんな単純な話じゃない事くらい知ってるでしょう?」


 そりゃね。ヒーラーなしで魔王倒すのはハードモード過ぎるから、なんとか手懐けようって事で奴等の暴挙を黙認していたみたいだし。でも現実的に考えて、今からラヴィヴィオと手を取り合うなんて不可能に近いだろう。


「っていうか、魔王討伐はこれからどうすんの? 魔王いないって話なんだけど」


「アイザックの証言だけでは、とても納得できないわ。真偽を確かめる為にも魔王城への侵入は必須。その為に、まずは冥府魔界の霧海を消滅させないと」


「……」


「何?」


 いや、報告行ってるよね? あの霧の正式名称は邪怨霧だって。俺ちゃんとレポートにも書いたよ?


「貴方たちが見たシャルフの反応を考慮すれば、冥府魔界の霧海を消す方法は確実に存在する筈。何か見落としがあるのよ。もしかしたらマギの問題かもしれない。だったらマギヴィートを使って霧に入ってみるという手も……」


 えぇぇ……シャルフの反応にまで言及してるのに、邪怨霧って名称については完全スルー? 怖いよ。凹むどころか正式名称そのものを抹消するとか闇深いって。ティシエラさん、偶にヤバいよね。


「冥府魔界の霧海を晴らす事が、当面の私達の目標になるでしょうね。ヒーラー騒動は厄介な出来事だったけど、冥府魔界の霧海が出現して以降ずっと停滞していた魔王軍との戦争に動きをもたらしたという意味では、有益な一面もあったと言えるかもしれない。あとは冥府魔界の霧海問題に一石を投じる為の何かを見つけるだけよ」


「……」


「冥府魔界の霧海を――――」

「もう良いもう良い。何も言うな皆まで言うな。他のみんなが違う呼び方しても、俺だけは冥府魔界の霧海って呼ぶから」


 一つのラウンドで四回くらいダウンしたボクサーを抱き留め腕を振るレフェリーのような気分で、固く約束する。ティシエラは特に何も言わなかったけど、目的は果たしたと言わんばかりに酒のお代わりを注文していた。


「そう言えば、苛められてるアイザックの家族をフォローしに行くって話だったけど」


「とっくに派遣したわ。彼の現状も伝えないといけないし。身内というだけの理由で、成人した子供や兄弟の罪を彼等まで背負うなんて、あってはならない事よ」


 全くだ。


 残念だけど、元いた世界でも同じ事はあった。人間が人間である限り、そういうものはなくならないんだろう。


 少しだけ昔の事を思い出して、感慨に耽る。ネットで可視化された自覚なき悪意は、もしかしたらこの世界のヒーラーと似ているのかもしれない。


 きっと大半の人間は、強い敵意や悪意をもって誰かを叩いていた訳じゃないんだろう。理由なんて誰も彼も大したものじゃない。気持ち良いからとか、ストレス解消とか、他に楽しい事がないとか、ちょっとしたドキュメントを見ている気分とか、その程度のものだ。多分俺も、自覚のないまま誰かを傷付けた一人だったんだろう。


 勿論、だからといってヒーラーに親近感を抱く事なんてない。過去の自分や元いた世界のコミュニティシステムに嫌悪感を持ったりもしない。人間である以上、どんな歴史を辿ろうと、誰もが眠れる暴徒の一面を持っていて、ふとした拍子に起きたりもする。それは業と表現するのかもしれないし、本能や性かもしれない。キチゲ解放なんて言葉も使われてたっけ。何にしても、多少なりとも自分の中に燻り続けるものだ。


 面倒だし厄介だけど、共存していくしかない。もしかしたら、ヒーラーに対するこの街の住民もこんな気持ちだったのかもしれないな。


 

 ……はいポエムの時間終わり! 酒が進むとポエムも変な方向に行っちゃうよね。まあ嫌いじゃないから良いんだけどさ。


「身内で思い出したんだけど、チッチの親父のマイザーはこれから――――」


「すー……」


 寝とる! 何時の間に……あ、寝顔可愛い。ちょっと得した気分。


 ティシエラ、もしかして酒弱い? 嘘だろ? 前に打ち上げでイリスの事随分な言いようだったよね?


 前々から疑惑はあったけど、ティシエラってまあまあ……いや言うまい。彼女は立派なギルドマスターで美しき魔法使い。そのイメージを崩すのはなんか勿体ない。


 でも、こんな感じで多少隙がある方が親しみやすくはあるよなあ。


「……すー」


 とはいえ、彼女を背負って帰る訳にもいかない。家も知らない。イリスなら知ってるだろうけど、彼女の居場所もわかんない。ティシエラのプライドを傷付けるかもしれないから、他のソーサラーに預ける訳にもいかない。


 そうなってくると、頼るべきは――――





「五大ギルドの代表が住む家は一応、シレクス家で全て把握してるから、送り届ける事は可能よ。その酒場に馬車とコルリを向かわせるよう手配しましょう」


「良かった。それでお願いします」


 酒場のマスターに断って一旦店を出て、訪れたのは久々のシレクス家。フレンデリア嬢に話を通した結果、ティシエラ酔眠事件はすぐに解決した。持つべき物は貴族の運命共同体だな。


「それにしても、賛否両論ありそうな行動よね」


「まあ、普通なら大ブーイングだとは思いますけど」


 一応、マスターに頼んで店の奥の控え室で寝かせて貰ってはいる。とはいえ、酔った女性をそのまま放置して店を出るのは実際抵抗あった。でも、ティシエラの性格や今の彼女の心情を考えると、これ以上惨めとか無様とか思わせたくなかった。貴族の馬車なら外からは見えないし、ティシエラが酔い潰れたと周りに悟られないよう家まで運んでくれるだろう。


「私は貴方のそういう、相手の気持ちに寄り添う考え方は嫌いじゃないな。好きでもないけど」


「それはどうも」


「なんていうか、ちょっと褒め難いのよね。自分に酔ってるみたいで」


 酔ってないですて。酒にも自分にも。


「まあ、貴女に頼ろうとしたのは、ただ貴族だからってだけじゃないんです。貴女なら全部とは言わないけど、半分くらいはわかってくれるかなって思ったんで」


「そうね……立場のある人間の面倒臭さなら、共感できるところは多々あるし。貴方の判断を支持は出来ないけど、正解の一つくらいにはしておきましょうか」


 そう告げながら、フレンデリア嬢は柔和な笑みを零す。幸い、気分を害した様子はないみたいだ。


「あと、私やセバチャスンしかいない所では丁寧な口調は不要よ。コレットにも言ってるんだけど、全然守ってくれないのよねー」


「そりゃまあ、貴族に対する認識の違いとかもあるしな」


 割と際どい事を言いつつ、フレンデリアとお互い笑い合う。我ながら、不思議な関係だとは思う。


「何にしても、コレットが見つかって良かったー。この数日、生きた心地がしなかったもん」


「今日はここに泊まってるかと思ったけど、家に帰ったんだな」


「ええ。暫く留守にしていたから気になるって」


 だろうな。掃除機のないこの世界で埃が溜まるのはキツい。外食メインだから食材は殆ど置いてないだろうけど。


「不可抗力とはいえ、ギルドマスターに就任したばかりで行方不明になってしまったのは痛手よ。男性冒険者の中には、女性を上司と認めたくない人物もいるだろうし、今後は纏めるのに苦労するでしょうね」


「だな」


「貴方も支えてあげてね。トモ」


 中々の無茶振りではあったが、返事自体は簡単。


「心配しなくても、他人を頼る事には定評あるから、あいつ」


「……はぁー」


 露骨に『何言ってんだこいつ』って顔をされたけど、本当だから仕方ない。ま、支えられるかどうかはともかく、突支棒くらいにはなれるだろう。


「他人じゃなくて、貴方に、よ。全く……」


 フレンデリアは何やらブツブツ小声で呟いていたけど、聞こえないフリをしてやった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る