第224話 死なせない



『虚無結界か……ここまで我を手こずらせた術は初めてだ』



 俺の夢の中に出て来た魔王が、確かこんな事を言っていた。つまり、ぼくのかんがえたさいきょうのけっかい――――だと思っていたけどその後、精霊使いのウィスが実際に口にした事で想像上のものじゃないと判明。更に、怪盗メアロが標的にしていた謎の声までも虚無結界って言葉を使っていた。


 これだけ自分以外の人間が言語化している時点で、少なくとも妄想の産物って事はないだろう。ただし俺自身はそんな結界知らない。となれば……俺が転生する前のこの肉体の持ち主が知っていた、と考えるのが自然だ。というか今、実際に発現した訳だから、虚無結界の使い手だったと見て間違いない。


 って事はだよ?


 あの夢――――魔王と死闘を繰り広げていたあの夢は、転生前のこの身体の主の記憶。つまり俺は、魔王から一目置かれている人物に転生したって事になる。


 でも、だったら何でこんなに弱いんだよ。レベル18程度じゃ魔王どころか周辺の雑魚モンスターにすら手も足も出ないんですけど。とても魔王と戦えるような器じゃないぞ?


 なんかその辺りのヒントになりそうな事、夢の中で言ってなかったな……ダメだ、思い出せない。夢なんて細部まで覚えてらんないよ。


「魔王様が行方を眩ました理由なんて見当も付かないけどさ、その結界を破る手段を探索しに出かけたって考えると、一応納得は出来るんだよね。だったら……」


 シャルフの身体がユラリと傾いた。


 仕掛けて来る!


「うおっ……!」


 今度は正拳突きか。とても反応なんて出来ないスピードだけど、またしても光の障壁が突然現われて、拳を止めた。


 俺は何もしていない。発現しろと念じてもいない。勝手に結界がこの身体を守ってくれている。


「それを使えるオマエを飼っていれば、魔王様が帰還なされた時にお喜びになる。そう思わないかい?」


「知らねーよ。大体、魔王の失踪なんて重大事件をそんなベラベラ喋って良いのか?」


「全く問題ないね。魔王様を縛るものなど何もない。オレ達が勝手に"失踪"と表現しているに過ぎないのさ。魔王様にとっては、ただの"外出"だ」


 つまり、魔王が城から出たからといって、人間にやられる可能性は皆無だって言いたい訳か。そして事実、魔王を倒せる武器は存在しない。無敵の存在だ。


 なのに魔王は人間を滅ぼそうとはしていない。世界を支配する気はないって事だ。魔王っつーと世界征服だの人類皆殺しだのを想像するけど、どうもこの世界の魔王はそういう発想を持っていそうにない。


 だったら……何故人類は『魔王討伐』を掲げているんだろう。


 この世界に来てまだ半年ちょっとの俺にはわからない事だらけだ。 


「それに、魔王城の周辺は【邪怨霧じゃおんむ】で守られているの知ってるだろ? どのみち人間如きが侵入できる筈がないんだ」


「……邪怨霧?」


「だから、魔王城の周りに常時漂っている霧だよ。知らない訳ないよね?」


 当然知ってる。あの霧に正式名称あったのか。


 この事を知ったら、ティシエラは凹むだろな……あれだけ『冥府魔界の霧海』を推してたもんなあ。こう言っちゃなんだけど、邪怨霧の方が収まりは良い。


 恐る恐るディノー達の方に目を向けてみると、明らかに腑に落ちたような顔をしている。あ、これ多分人類サイドも邪怨霧で定着しちゃいますね。


「ありゃー……」


 イリスも俺と全く同じ事を思い、そして今後どうなるかを悟ったらしい。これほど『トホホ』が似合う顔もない。


「……なんなんだよ、その反応は。まさかオマエら、邪怨霧の晴らし方を見つけたんじゃないよね? いや、その顔は寧ろ……」


 ん? シャルフが苦悩に顔を歪めてる?


 まさかこいつ、この白けムードを『霧なんてとっくに晴らしてるっつーの。今更何言ってんの?』と思われてるって解釈したのか?


「だとしたら、認識を改めないといけないね。人類如き、とばかりも言っていられない……か」


 あ、やっぱり。ならいっそ、このまま魔王城へ確認しに戻ってくれれば――――



「良いだろう。シェイド"ゼファー"、顕界に来い。預けていた物を返して貰う」



 そんな淡い期待は、眼前のシャルフの"変化"によって一瞬で消え去った。


 奴の身体が鉛色の闇に包まれていく。粘性こそないけど……あの色は似ている。エルリアフの回復魔法に。


 完全に闇に包まれたシャルフは、もう人の輪郭すら保っていない。禍々しい形の翼を生やした悪魔のようなシルエットになっている。特に両手の変化は顕著で、まるで数十年爪を伸ばし続けたかのように禍々しいフォルムだ。


 いや……それより問題なのは、全身のこの感じ。まるで幽霊――――死霊のようだ。


 奴は死霊魔法を使うモンスター。この変化が想定外って訳じゃない。


 ただ、こうしてその二つの要素が合わさった姿を目の当たりにすると、どうしても連想してしまう。



 ――――アンノウン。



 退治に向かったコレットを行方不明に追いやり、自らも消え去ったとされる……幽鬼種のモンスター。ずっと追いかけていたけど、手掛かりすら見つけられなかった憎き存在。


 まさか……

 


《やはりこの姿は落ち着くね。ようやく本来の力をお見せ出来るよ》



 まさか、こいつが……



「隊長! ボーッとしてんじゃない!」


 珍しい、というより初めてなんじゃないかと思うくらい大声で叫んだシキさんの声で我に返った。そうだ。今はアレコレ考えている場合じゃない。シャルフが本来の姿を見せたって事は――――



《虚無結界の使い手以外の全員、綺麗に始末してあげよう》



 今度こそ本気で仕留めに来るつもりだ!


 俺には虚無結界っていうよくわからない自動型の防御方法があるみたいだけど、これが常時発動するとは思えない。夜道で殺されかけた時には全く発現しなかったからな。アテには出来ない。


「トモ、さっきの結界は精霊の力なのか?」


 ディノーが顔を歪めながら近付いて来る。落下の際に痛めた所が悪化しているのかもしれない。


「いや違う。俺の身体に埋め込まれた、気まぐれな結界だ。出現条件すらわからない」


「なら君は後ろに行け。あの姿、明らかに幽鬼種だ。物理攻撃は効かない」


 だったらお前も――――と反論しようにも、ディノーと俺とじゃモンスターと戦った場数が違い過ぎる。釈迦に説法って奴だ。ここは素直に従おう。


 とはいえ……負傷の影響は無視できない。ディノーだけならともかく、オネットさんやシキさんも何処かしら痛めている筈だ。


 それに――――


「うわマジで魔法がちゃんと発動しねーじゃん! これヤバくない!?」


 スキルが使えないっていうのはシャルフのブラフだったけど、魔法が使えないのは本当みたいだ。


 物理攻撃無効の幽鬼種を倒すには、魔法もしくは特性のアイテムが必要だった筈。勿論、アンデッド特攻のアイテムなんて持っていない。って事は……これ詰んでね?


「多分だけど……マギの流れが凄く乱れてるんだと思う。その所為で魔法がうまく形を保ててないっぽい。乱れが収まれば使えるようになるかも」


「どれくらいすれば収まるんだ?」


「んー、ちょっとわからない」


 頼みの綱のイリスが匙投げちゃったよ。マギの乱れ? まさかシャルフの仕業か?


 もしそうなら……とんでもなく用意周到な奴だ。魔法を封じた上で幽鬼種モンスターの姿に戻れば、実質無敵。自分も魔法は使えないけど、確か奴等は呪いによる攻撃も出来る。このままだと一方的にやられるぞ……!


 俺が喚び出せる精霊に、物理以外で攻撃手段を持っている奴はいない。つまり俺も打つ手なし。一体どうすれば――――


「とにかく、魔法が使えるようになるのを待つしかない! それまで俺達が持ちこたえて……」



《無駄だよ》



「ぐあっ……!?」

 

 な、なんだ? 今のは……ディノーが攻撃されたのか?


 おかしい。今のは絶対に呪いの類じゃない。ただ長い爪を払っただけ。明らかに物理攻撃だ。


 幽鬼種には物理攻撃は効かない、でも向こうも人間の身体に直接ダメージを与える事は出来ないんじゃなかったのかよ!



《オレを雑魚と一緒にしないでくれよ。人間に化けるって事は、人間に近付くって事でもあるんだ。今のオレは半分が人間、半分が死霊なのさ。お前等の攻撃はオレには届かない。が、オレの攻撃はお前等を切り裂ける》



 な……反則だろそれ! そんな都合の良い体質アリかよ!


「くそっ! 腕が……!」


 ディノーの両腕には、爪で深く抉られた傷が痛々しく刻まれている。あれじゃ力は出せない。いや……出せたところで、果たして持ちこたえる事が出来るのか。


「くっ! この! このこの!」


 オネットさんはどうにか爪攻撃を剣で裁いているけど、明らかにいつもの彼女の動きじゃない。恐らく足を痛めている。全く踏み込めていない。


「チッ……参ったね」


 シキさんはあまり影響がないのか、俊敏な動きで躱せているけど……攻撃手段がないんじゃ一方的に攻められ続けて、体力が奪われていくだけ。明らかに不利だ。


 せめて誰か一人でも魔法が使えるようになれば……


 ……ん? そう言えば……


「サクア! 上から敵目掛けて魔法をぶっ放してくれ!」


「へ? あ、は、はいっ! よくわかりませんがぶっ放します!」 


 気が動転してすっかり忘れてた。サクアは落ちてないんだ。上の階なら魔法は使える筈!


「えっと、どんな魔法をご所望でしょうか? 燃やしますか? 固めますか? バチバチってやりますか? いっそドカーンって……」


「バチバチでお願い!」


 俺達が巻き込まれるのを一切考慮していない……ソーサラーギルドでは何を教えてるんだ? 生きて帰れたらティシエラにマジで詰め寄ろう。


「紫電の閃きをもって、蒼空の立礼とせよ。【アサルトブリッツ】! ……あれ」


 ゲッ! 外から撃ってもこの空間に入った途端グチャグチャになるのかよ! ジャミングがエグ過ぎる!


 どうすりゃいい……? 本当にもう、やれる事が何もない。


「マズい! です! 剣が! もちま! せん!」


 負傷しながらも、オネットさんは凄まじい剣技で猛攻を防ぎ続けている。でも本人の言うように、剣がかなり痛んでいるのは傍目からもわかる。


 このままだと本当にやられる。誰かが……いや、みんなが死ぬ。


 奴は俺だけは生かしたままにする気だ。あの結界が、魔王にとって必要なものって認識みたいだからな。


 黙って傍観していれば死ぬ事はない。俺だけが助かる。


 俺だけが。



 ……。



「ディノー、剣を借りるぞ」


「え……?」


 こん棒は上に置いたままだし、幾らなんでも丸腰で結界頼りってのは心許ない。例え気休めでも、お守り代わりに剣くらいは持っておきたい。


「まさか加勢するつもりか!? バカな真似はよせ! 奴にとってお前は『絶対殺しちゃダメな人間』じゃない! 下手に出て行ったら一瞬で死ぬぞ!」


「俺だってやりたかねーよ。仕方ないだろ……怪我人続出の緊急事態なんだから」


「大人しくしていればお前だけでも生き残れるんだ! むざむざ殺されに行く必要は――――待てトモっ!!」


 ああ、そうだよ。お前の言う通りだディノー。魔王があの結界を破りたがっているなんて、シャルフの勝手な推測に過ぎない。魔王から俺を生かしておくよう命じられてる訳じゃないんだから、殺したところで大した問題じゃないだろう。俺の命は誰からも保証されていない。


 自殺行為なんて、この世で最も下らない血迷い方だ。一度死んだから余計にそう思える。いや……あの時よりずっと今の方が辛い。俺は、この街に浸り過ぎた。色んな人に関わり過ぎた。昔より今の方が、死にたくないって気持ちは強い。


 でも。だからこそ。


 自分の役目を全うしなくちゃな。生きるってのは、そういう事だ。この街にそう教わった。みんなが教えてくれた。


 俺はギルマスだ。ギルド員を誰一人として死なせちゃならない。


 コレットも同じ気持ちだった筈だ。ティシエラもきっとそうだ。だったら、俺だけ保身に走る訳にはいかない。そんな無様な人生はまっぴらだ。おめおめと生き延びた甲斐がない。


「テメェの相手は俺だバカ野郎!!」


 俺に剣であの爪を防ぐ技術はない。結界が出てくれれば良いが、そうじゃなけりゃ一発で殺られる。蘇生してくれる奴はいないだろう。


 こういう時だけは、死への恐怖がなくなった事に感謝だ。昔の俺なら絶対、こんな無謀な特攻は出来なかった。



《バカだねオマエは。隠れていれば死なずに済んだものを。自分に酔う奴は長生き出来ないよ》



 うるせぇよ。普段酒なんか飲まないんだ、こういう時くらい自画自賛させろや。今の俺、まあまあ立派だろ?



 シャルフの爪が猛烈なスピードで襲ってくる。こんなの反応できっこない。





 結界は――――出なかった。





《……な》



 でもシャルフの攻撃は止まった。


 いや。防がれた。


 俺の眼前で魔の手を止めたのは、ディノーから借りた剣である筈もなく――――



「トモは……私が絶対に死なせない」



 コレットの剣だった。



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