第219話 違和感

 容姿も表情も、間違いなく以前のままのイリス。服装こそ普段よく着ていた派手なタイプとは違い、一度も見た事ない黒基調のシックな色合いだけど、当然ギルドにいた頃も毎日同じ服を着ていた訳じゃないから不自然な要素にはならない。


 とはいえ、失踪後に黒い服で現われたとなると、どうしても闇堕ち感が否めない。


 ……一応探り入れてみるか。


「イリス。アイザックに何したんだ?」


 奴に攻撃する事自体は別におかしくも何ともない。今のアイザックは城下町の住民全員の敵だし、アイザック本人が住民へ宣戦布告してるんだから状況の把握も容易い。


 だけど――――何か腑に落ちない。


 俺の知っているイリスが、彼女の本質とは限らない。それでも……イリスがこんなふうにフラッと現われて、不意打ちみたいな形で戦意喪失していたアイザックを攻撃する事に妙な違和感を覚える。


 それに、彼女が現われる前に聞こえたあの声。ソーサラーだから、ああいうテレパシーみたいな事を魔法で出来るのかもしれない。でも、あの場面で俺だけにそれをやる意味がわからない。


「さっきの? あれはね、【バンプチェイン】っていう攻撃魔法。元冒険者なのは知ってるけど……やっぱりお城を占拠しておいて見過ごす訳にはいかないから」


「事情は知ってたんだな」


「一応は。大事な時にいなくてゴメンね」


 バツの悪そうな顔で懺悔するイリスに、不自然な点は見られない。


 考え過ぎだろうか……?


「うおおおおおお! イリスさん! イリスさんが帰ってきた!」

「復ッ活ッ! イリスさん復活ッッ! イリスさん復活ッッ! イリスさん復活ッッ! イリスさん復活ッッ! イリスさん復活ッッ! イリスさん復活ッッ!」

「俺……生きてて良かったよう……」


 イリスファンの多いウチのギルド員は、そんな俺の懸念とは裏腹に感激一色。ベンザブに至ってはガチ泣きしてやがる。


 でも俺は……


「イリスさん! よく御無事で……! きっとティシエラさんも喜んで――――」


 無意識、という訳でもない。水を差すのを承知で、同僚のサクアが駆け寄ろうとしたのを咄嗟に手で制していた。


「……イリス。戻って来たばかりで悪いけど、俺の質問に幾つか答えてくれるか?」


「良いよー。お手柔らかにね」


 目の前にいる彼女は間違いなくイリスだ。口調も態度も表情も、何一つイリスである事を疑う余地はない。


 それでも……いや、だからこそ素直に受け入れられない。一つ一つ、疑念をぶつけるしかないか。


「ティシエラに残した書き置きの内容、覚えてる?」


 まずはイリスが本物か偽物かを明らかにする為の質問。俺がそこに疑いを向けている事は、彼女も察しているだろう。


「勿論。一語一句同じって自信はないけど……『大事な用事ができたから留守にします。戻って来たら叱られるから見逃して』だったかな」


 俺も完璧に文章を覚えていた訳じゃないけど、確かにそんな内容だった。本物で間違いない。


 次は――――


「どうして突然いなくなったんだ? 書き置きはしていたみたいだけど、理由は書いてなかったんだろ?」


「それは……ゴメン。言えない」


『言いたくない』じゃなく『言えない』か。誰かの命令で動いている訳じゃない事を示している。


「わかった。でも次の質問には絶対に答えてくれ。答えられないとは言わせない」


「……」


「"どうやって"ここに来た?」


 あのテレパシーもわからないけど、それと同じくらいわからないのが、彼女が単身でここに来た事。もし普通に駆けつけて来たのなら、入り口付近で待っているティシエラをはじめとしたソーサラーギルドの面々と遭遇している筈だ。


 ティシエラが、イリスだけをここに向かわせるだろうか?


 あり得ない。作戦実行の真っ直中に、そんな現場を混乱させるような真似をあの真面目なティシエラが許すとは思えない。イリスの代わりにサクアが派遣されている以上、今のイリスがウチのギルドの一員と言えるかどうかは微妙なところだからな。


「どうしても答えなきゃダメ?」


「ああ。これも黙秘なら……」


 こん棒の先端をイリスに向け、決して本意ではない言葉を紡ぐ。


「その時点で敵と見なす」

 

 グレーゾーン、なんて概念を持ち出す余裕はない。ここは戦場で、一つ間違えば死人が出る。階下のヒーラー連中がいつ復活して上がってきてもおかしくないし、シャルフの野郎もまだ見当たらない。


「悪く思うな。これでも一応、大勢の人生を預かっている身なんだ」


「マスター……」


 少し寂しそうな顔のイリスを見ると、罪悪感で胸が痛い。俺だって、仲間だと信じてはいるんだ。でも仕方ないんだよ。


 マッチョ軍はともかく、ウチのギルド員の命は俺の責任下にある。彼らを危険な目に遭わせるような事は極力避けなければならない。それがギルマスの仕事――――

 

「ザケんなこのクソマスター! イリスさんが敵とかテメェ正気かコラ!」

「イリスさんの敵は俺の敵だ! つまり貴様が敵だバカ野郎!」

「カスが」


 えぇぇ……ギルドを一番大事に想っている俺の気持ち、こんなにも伝わらない……?


「いや、一旦落ち着けって。気持ちはわかるけど……」


「大体テメーに人生まで預けた覚えねぇんだよボケ!」

「そうだそうだ引っ込めこの無能!」

「ゴミめ」


 こ、このイリヲタ共め……調子に乗りやがって……


「うるせー! この厄介オタク共! お前ら全員家に帰って一人で夜のスパチャでもやってろ!」


「「「何言ってっか全然わかんねーぞコラァ!!」」」


 こんな時にかつてない結託見せやがって……今回の報酬まとめて半額にしてやる。


「えーと……もう答えて良いのかな?」


「あ、どうそ」


 こっちが身内と揉めている間、イリスはずっと苦笑いを浮かべていた。その表情を見ると、イリスが戻って来たと実感する。


 そして、その顔のまま。



「"来た"んじゃないよ。"現れた"だけ」



 彼女は奇妙な事を口走り、何かを発した。


「……!?」


 俺を含むその場の全員が、身を竦ませる何かを。


 悪寒がする。まるで風邪でも引いたように。


 ほんの一瞬で、信じられないくらい空気が一変した。


「バカな……イリス、君は……」


 中でもディノーの狼狽は一際だ。レベル63のディノーがここまで動揺するなんて……


 いや、レベル63だからこそ俺なんかよりずっと異常事態に対して敏感なんだろう。強者同士だからこそわかり合える、みたいな。


「やっぱり、マスターってちょっと普通じゃないよね。戸惑ってはいるみたいだけど、怖がってはいないみたいだし。あんなに殺気放ったのに」


 ……今、なんて言った?


 殺気……!? 聞き間違いじゃないよな!?


「でも別に特別強くはないんだよねー。死ぬのが怖くないって言うか……死の恐怖が欠落してる感じ?」


「……」


「あ、殺気なんて出しちゃったけど、ここにいるみんなを殺したいとかじゃないから。ゴメンね、ビックリさせちゃって」


 本当に……イリスなのか? あの愛嬌ある表情と優しい声で『殺したい』なんて物騒な言葉を言われると、訳がわからなくなる。


 精巧に化けた偽物とか……? まさか怪盗メアロが俺をおちょくる為に……


 でも、それなら書き置きの内容を把握していたのはおかしい。お宝にまつわる情報ならともかく、イリスが失踪直前に残した文面なんて調べる意味がない。絶対に本人の筈なんだ。


「マスター。今度はこっちが質問して良い?」


「……ああ」


「私はどうして殺気を放ったと思う?」


 何度も見覚えのある、小悪魔な表情。『殺気』なんて言葉はまるで似付かわしくない。


 でも、いつまでも現実逃避している訳にはいかない。まだ全く現実感ないけど、受け入れるしかない。


 どうして殺気を放った……? そんなの、殺す気があるからだろ? 殺気ってそういうもんなんじゃないの?


 けれど本人は俺達を殺す気がないと言っていた。殺意があって殺気を放ったのなら嘘を言う理由がないし、とっとと実行に移そうとしているだろう。


 つまり、殺気を放つ対象が他にいる。にも拘らず実行に移せない。


 そして今の質問、敢えて俺を名指しして問いかけて来た。




 ――――そのままだと危ないよ。回復されちゃっていいの?



 ――――お城を囲んでた回復魔法を邪魔したのはマスター? さっすがー♪




 ……だとしたら。


「殺気を向けたのは……エルリアフにか?」


「正解! マスターすごい!」


 イリスが俺を褒め称えるのと同時に――――





 もう何なのう……今日は厄日?





 またかよ。脳内に直接パターン多過ぎ問題。もう全然ビックリもしなくなっちゃったよ。


 声の主は……男性か女性か区別がつかない。高い声だけど中性的というか……どっちだ?


「エルー、いるのはわかってるんだよ? 出ておいで」


「はいはい。言われなくても出て来るし」


 イリスの呼びかけに応じるように、また突然姿が現われる。ただし俺達の傍じゃなく、玉座の間の入り口付近だ。


「エルリアフ……? あれが例の?」


 訝しそうに問うシキさんが、ナイフ片手に睨みを利かせている。さすが元アサシン、今の今までいるのを忘れるくらい綺麗サッパリ気配消してたな。


「ああ。フラガラッハが生み出した……思念体、とでも言えば良いのか。とにかく、城の周りに回復魔法を張り巡らしていたのは奴だ。その間は魔法力を使い過ぎて見えなくなってたらしいけど……」


 始祖がパーチを封じた事で、姿が見えるようになった訳か。


 姿が消えたり……現われたり?


 まさかな……


「ちぇーっ」


 舌打ちと同時にこっちを睨んだエルリアフは、声の印象と同じで中性的な容姿をしていて、なんというか――――ダルそうだった。


 アッシュグレーの髪は肩まで伸びていて、いわゆるセミロング。寝不足なのか目の下にクマがあり、瞼は半分くらい落ちている。あと表情も……なんというか覇気が感じられない。


 なんか思ってたのと違うな……回復したくて仕方ない奴って聞いてたから、もっとエネルギッシュか、もしくはヒーラーっぽいぶっ壊れた奴を想像してたんだが。まさかダウナー系とは。


「んだよう、なんで邪魔すんだよおイリス。そんなにボクが嫌い?」

 

 しかもボクっ子なのかよ。随分不健康なボクっ子だな。


「んー……嫌いっていうか苦手かな。出来ればこの機会にいなくなってくれればなーって思ってるくらい」


「うわあ、酷いよう。やっぱりイリスって本音で喋らせるとダメなタイプだあ」


 言葉とは裏腹に、エルリアフの声に失望の色は浮かんでいない。軽口を楽しんでいるようにさえ聞こえる。


 何なんだ? この二人、一体どういう関係――――


「あ、イリスもだけどお、そっちのお前」


 ん? 俺の事か?


「お前、一体何したんだよう。お前がこの城に来てから、ボクのパーチが消えちゃったんですけど?」


 俺の仕業って認識なのか? どうやら始祖の仕業ってのは知らないらしいな。だったら敢えて言う必要もないか。


「勝手に回復して勝手に回復料取られちゃ堪らないからな。城の奪還に邪魔だから消したってだけだ。そっちこそ、勝手に人の城を占拠すんなよ」


「はあ? 何言ってんのお? この城が人間の物な訳ないじゃん」


 ……何だって?


「だったら誰の物なんだよ。人間が建造したんじゃないのか?」


「さあねえ。それよりさあ」



 エルリアフの瞼が上がり――――その大きな目が見開かれる。



「そこの女、良い物持ってるよねえ」


 奴のまんまるな目が捉えているのは……シキさんだ。


 そう言えば、エルリアフには回復大好きの他にもう一つ、歪んだ特徴があった。


 確か、刃物に……


「マスター。エルリアフはね、刃物を見ると気持ち良くなって……」


 イリスが説明してくれようとしているけど、既に知識の中にある。


 刃物に興奮する変態。刃物性愛とでも言うのか。確かそういう一面もあると、怪盗メアロがネタバレしてた。


「ねえ、それでボクを刺してよ。なるべくグチャって音が鳴るようにさあ。そしたらあ、回復するんだあ。ひゃあ、すっごく興奮してきたよお」


「刃物で付けた傷を回復すると、また気持ち良くなる変態さんなんだよ」


「……頭痛ぇ」


 イリスの説明を聞くまでもなく、ヒーラーの上位種って認識で間違いなさそうだった。



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