第209話 もうヤダこいつ

 攻撃態勢を整えたシャルフは、如何にも格下を見下すような目でこっちを睨んでくる。


 けれど、これまでのような絶望感はもうない。


「なーにが『わざわざ待ってやった』だ。突然不審者が乱入してきたもんだから、驚いて黙り込んでたんだろ?」


「……何?」


「こっちはそこの精霊と会話しながら、横目でチラチラとチェックしてたからな。明らかに他に仲間がいないか警戒してただろ、お前。バレバレだっての」


 警備員の視野の広さをナメんなよ。決して多忙な訳じゃないけど、絶えず警戒だけはしないといけない職業だからな。自然と洞察力が身に付くんだよ。


「安い挑発だね。そんなに煽ったって、オマエには近付かないよ。詳しい経緯は知らないけど、すばしっこさだけは一流のガイツに触れたのは事実みたいだからね」


 ……チッ。こっちの目論見も筒抜けか。洞察は出来るけど、考え読まれるのも得意なんだよな俺……


「はー……ったくもー。危ない目に遭いそうになったら即逃げるかんね!」


「わかったわかった」


 取り敢えず、モーショボーがやる気になってくれたのは僥倖だ。これで光明が見えた。


 モーショボーは人一人抱えて飛ぶ事も出来ないほど非力。戦力としては大きな期待は出来ない。でも重要なのは――――シャルフは恐らくそれを知らないって事だ。精霊とモンスターに交流があるとは思えないし、初見の精霊の力量を図るには多少時間が掛かるだろう。人間にはない不思議な力を持ってるからな、精霊は。


 調整スキルへの過敏な反応、そして前の戦いで不利と見るや躊躇なく逃げ去った事から推測できるシャルフの性格は……冷静沈着。攻撃的かつ狂気的な雰囲気を演出してるけど、実際にはかなり用心深く慎重だ。その点は他のヒーラーと明らかに異なる。


 一対一のままだったら、多分あの闇弾を遠距離から連発して、安全な位置から仕留めにかかって来ただろう。でも今は空を飛べるモーショボーがいる。グミ撃ちみたいな攻撃で隙を作れば、上からの攻撃の餌食となる――――と考えているだろう。


 ただ、慎重ではあっても臆病ではない。二対一の数的不利になったからって、及び腰になるようなヘタレじゃないのは先の戦いでも証明していた。


 そうなると、奴の作戦は何となく見えてくる。


 恐らく――――


「嬲り殺しにしてやるよ。その上で蘇生して、何でも言う事を聞くよう調教してやる!」 


 来た! 闇弾! 喋りながら撃ったのは、モーショボーから死角に回り込まれないよう気を引く為か!


 でもそれが幸いして、こっちにも撃つタイミングが筒抜け。これは――――躱せる。


 そして追撃もない。俺が闇弾を躱した瞬間にはもう別の位置に移動してやがった。


 奴が選択した攻撃方法はヒット&アウェイ。ただし壁や天井には引っ付かず、床の上だけで移動している。案の定、モーショボーをかなり警戒しているみたいだな。予想通りだ。


 とはいえ……反撃しようにも、俺にはその手段がない。武器も何もないし、徒手空拳なんて会得した覚えはない。体当たりをブチかまそうにも、攻撃の隙を突いて……なんて余裕がある筈もない。


「うおっ!」


 今のは危なかった……ってか腕に掠ったな。ヒリヒリする。


 単発の闇弾でも、避けるので精一杯だ。


「どうした? あれだけ大口叩いておいて、逃げ回るだけか?」


 俺への攻撃と挑発を繰り返しながらも、モーショボーへの警戒は一切怠っていない。前の戦いの時よりも動きは軽快。ステータス上、体力だけは高レベル帯の冒険者にも匹敵する筈の俺だけど こうも防戦一方じゃ先にバテるのは目に見えている。


 かといって、これだけ警戒されている中でモーショボーに期待するのも難しい。そもそも戦闘力皆無だし、それがバレたら一巻の終わり。下手に仕掛けて貰っても困る。


 ……いや。


 このまま消耗戦を続ける方がジリ貧だ。バレていない内に――――っと! 危ねー危ねー……考え事してる最中に食らって死ぬとか、笑い話にもならない。


 幸い、敵さんも戦局優位を自覚してか無理して攻めては来ていない。実際、持久戦になればなるほど奴が有利なのは目に見えている。ここが仕掛け時だ。


「モーショボー! こっち来い!」


「あいよ」


 ずっと宙に浮いていたモーショボーを呼び寄せて、その身体に触れ――――


「敏捷極振り」


 小声でスピードスターへと変える。ステータス全体がそれほど高くないから、大して速くはなっていないだろうが……


「オマエ……今、何した?」


 当然、シャルフは警戒してくる。調整スキルを使ったのはバレバレだからな。


「大方、何らかの指針をもって能力値を組み替えた……ってとこか。敵の無力化だけじゃなく、味方の能力値も自在に変更可能。それがオマエのスキルなんだろ? ガイツはパラメータの殆どが抵抗値に偏っていたな。おかげで回復魔法の利きが悪くなったと嘆いていたよ」


「嘆くのそこかよ……つくづく変態だなヒーラーは」


「オレの予想では攻撃重視。違うかい?」


「さて。どうかな」


 空気がヒリつくような腹の探り合い。我ながらようやっとる。このポーカーフェイスは多感な10代の頃じゃ無理だっただろうな。虚無の14年で感情を削ぎ落とした成果だ。


 恐らくシャルフは次、モーショボーを攻撃するだろう。それでどういう能力に変わったのかを見極めようとする。俺が奴の立場ならそうしたいところだ。


 でも、もしモーショボーが耐久力重視のステータスになっていたら?


 闇弾を軽く防いで、そのまま突進して体当たり――――なんて展開になれば、一気にシャルフは不利になる。口では『攻撃重視』と予想していたけど、恐らくブラフだ。そんな根拠は何処にもないからな。


 奴の慎重な性格を考慮すると、モーショボーへ攻撃しつつも態勢は防御・回避重視。万が一闇弾を防がれても、その後の反撃にはしっかり対応できるだけの警戒心を抱いている。


「モーショボー。俺の背中見て」


 シャルフに聞こえないボリュームで綿密に作戦を伝える……ってのは流石にムズい。この距離で、どのくらいの声なら大丈夫、みたいなエビデンスもない。


 だから自分の背中越しに、手のジェスチャーで伝達を試みる。ブロックサインだ。


 勿論、複雑な作戦なんて伝えようがない。至って単純。左右の人差し指同士をサッと交錯させ、その後に右の人差し指をグルグル回す。


 果たしてこれで伝わるか……


「うぃーっす」


 ……イケるっぽいな。下手に言葉で伝えるより、案外こっちの方が理解しやすいタイプかもしれない。


「何を企もうと、結果は同じだ。貴様等はオレには絶対に勝てない。絶対にだ」


「マジで? なら逃げなきゃな。誰かさんみたいに」


「……」


 シャルフは挑発に乗るタイプじゃない。この沈黙もブラフだ。


 自分を信じろ。奴は必ずタイミングをズラしてくる。激昂して攻撃する――――なんて事はない。


「……」


「……」


 まだだ。今じゃない。まだ……


 なんて緊迫感だ。嫌でも額に冷や汗が滲んでしまう。


 マズい、上瞼に違和感が……このままだと目に入りそうだ……



 目に……――――入った。


 


「来るぞモーショボーっ!!」


 シャルフはヒーラーでありスナイパー。そのシャルフに擬態している以上、奴の視力は相当良いに違いない。俺の汗が目に入った瞬間を視認できるくらいに。


 なら、奴が仕掛けて来るのはそのタイミングしかないだろ!


「何……だと!?」


 っしゃあ! 完璧に読み勝ち! 出来過ぎなくらいジャストに叫んだ俺の警告は奏功し、モーショボーは闇弾を最小限の動きでなんなく躱した。


 直後――――増強したスピードを駆使し、唸りを上げて舞う。


 幾らシャルフでも、攻撃を読まれれば動揺もする。まして予想外のスピードで接近されたとなれば、その動揺は広がるばかりだ。


 でも、モーショボーは反撃の為に接近した訳じゃない。


「……?」


 シャルフは明らかに困惑していた。自分の周囲を高速で回り続けるモーショボーに。


 何らかの攻撃の予備動作なのか? それとも攪乱した上で隙を突いて攻撃してくるつもりか?


 きっと、そんな纏まらない考えで頭の中がパンク寸前だろう。



 今だ! 逃げろ!



 元々、俺はこの城から脱出しようとしてたんだ。これは経験値稼ぎの戦いじゃないんだから、隙あらば逃げるのは当然の事。ジェスチャーで指示したモーショボーのあの動きは、俺が逃げる時間を稼ぐ為の陽動だ。


 モーショボーは自分が戦えないのを自覚しているし、俺もそれを把握している。その上でスピードに極振りしたから、モーショボーもすぐピンと来たんだろう。というか、仮に別の作戦だったとしても陽動以上の事をする気はないだろうしな。あの精霊はそういう性格だ。


 高速で動き回っているモーショボーから目を離せる筈がなく、今の俺の逃亡劇はシャルフの目に入っていない。前方に人影もない。このまま全力疾走で厨房まで突っ切れば逃げられる!


「はぁ……はぁ……」


 にしても……キツい。しんど。幾らそれなりに鍛えられていた身体でも、全力疾走できる時間はそう長くない。乳酸の躍動を感じる。辛い。苦しい。とにかくしんどい。


 それに、今までで一番息切れするのが早い気がする。異世界に来てから全然鍛えてなかったし、体力が落ちてるのか? それとも寝床が違っていた所為で回復がままならなかったのか? 近い筈の厨房がやたら遠く感じる。


 まだか? まだ着かないのか? いつ背後からシャルフが追跡してくるかって恐怖もある。後ろの確認も出来ない。その一瞬の減速で逃げ損ねたらと思うと、怖くて振り向けない。


 考えるな。


 余計な事を考える暇があったら、足を前に動かせ。それが出来ない人生だったんじゃないか。無駄にあれこれ考え過ぎて、自意識過剰になって恥を恐れた所為で、大学で誰とも仲良くなれずに孤立したんじゃないかバカ野郎。


 逃げるだけしか出来ない、情けない自分は何一つ変わってない。華麗に敵を倒せたりはしない。でも直向きに逃げれば次に繋がる。今は……繋げられる相手がいるんだ。


 惜しむな! 恥じるな! へこたれるな!


 って、なんか懐かしいな。中学時代の持久走大会の時も、走りながらこんなふうに自分を鼓舞し続けて、結構良い順位だったんだ。思えばあの頃からポエム体質だったんだな俺。


「……お」


 左サイドに部屋への出入り口を発見。扉はなく、廊下から直接繋がっている。


 間違いない。あの先にあるのが厨房だ!


 追跡の気配はない。逃げられる。逃げ切れるぞ――――

 





「懐かしいね」





「……!?」


 嘘……だろ?


 厨房から人が……出て来やがった。


 何でだよ。ここまで来て……


「あの日もそうだった。メイメイとミッチャとチッチが大声で暴れてて、血相を変えた君が僕の所に来たんだ。自分から追放して欲しいって」


 しかも、こいつは――――


「アイザック……!」


 馬鹿な……ここは一階だぞ!? 仮にも王が夜中に彷徨く場所じゃないだろ! 一体なんで……


「僕はあの日の事を一日だって忘れちゃいない。無論、君の事もだ。最初は取るに足らない、この街の住民に相応しくない非力な男だと思っていたのに……今や君は、僕の心を誰より弄んでいる」


 ……あ?


「僕達は最初から何か通じ合うものがあったはずだ。うちとけるのに時間も手順もいらなかった。そうだったろ?」


 え、こいつ何言ってんの? そりゃレベル60の割に庶民的なメンタルだとは思ってたけど、別に通じ合ってなくね? 少なくとも俺はそこまで肩入れしてないよ?


「君は僕の力に、そして僕は君の心の強さとパーソナリティに惹かれた――――違うか?」


 全然違う! 周りにレベル60台どころか70台の奴がいるってのに、お前だけ特別視しねーよ!


「僕にとって君を加えたパーティは、子供の頃の遠足のように楽しかった――――君にとってもそうだった筈だ。そうでなければ、どんな理由があったにせよ、切実にせよ、君が僕の下で働くはずがない」


 いやだから何もかも違うって! そりゃ借金で二進も三進もいかなくなってお前の世話になろうとしたけど、下についたつもり一切ないから! リーダーとヒラではあったけど、あくまで仕事仲間だっただろ!


 ついに記憶の改竄まで始めやがったのか? 自分の都合の良いように歴史を歪めてんの? 意識的に? それとも無意識? 


 どっちにせよ。



 もうヤダこいつ……



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