第186話 冒険者アイザックとその仲間たちの転落の記録0017





 これは記録子が緻密な取材によって詳らかにした、冒険者アイザックとその仲間たちの転落の記録0017である。





 ヒーラー国の王となったアイザックに待っていたのは、生き地獄の日々だった。


 国王の仕事は国によって千差万別ではあるものの、基本的には人の話を聞く事が大半を占める。


 大臣や外交官など、部下からの報告を聞いて自国の現状と周辺国の最新情報をいち早く仕入れ、同時に国家として押し進めなければならない事業や課題への取り組み、勃発している問題への対応策などをまず口頭で聞き、時に御前会議を開いて所見を纏め、貴族や聖職者との意見交換を進め、見識を広めつつ自分の考えを広く浸透させる。この日課で半日は潰れる。


 もう一つの仕事の柱が批准の為の押印。国家の認可がなければ動かせない事業や定められない条例は毎日山ほどある為、国璽を書類に押す作業だけで数時間は消費する。


 こんな単純作業を国王以外の人間が行えない理由は極めて単純で、国璽は国王に継承される物だからだ。つまり、国王が自らの意思で部下に『これやっといて』と国璽を渡す行為は、王権の譲渡と誤解されかねない。その国璽を受け取った部下が『我こそは新しい国王なり! この国璽がその証拠よ!』と高らかに宣言すれば、即座に王位が入れ替わる……という事にはならなくとも、相当な大事になるのは間違いない。よって嫌でも国王自らせざるを得ない。


 この二種類の業務だけで、国王の生活時間の大半が埋められてしまう。ましてヒーラー王国は出来たばかりの国で、同意を必要とする決め事が山積しているのは明白。ものの数日でアイザックの右肩は重くなった。


 だがその時間は寧ろオアシス。本当の地獄は部下からの報告の時間や会議にあった。



「ヒーラー王国の経済活動として最も注力すべきは、戦争を置いて他にありません」



 例えばこの日、起床したアイザックが最初に受けた進言がこれだった。



「我々は永続的に国家を運営していくだけの国力を持ち合わせていません。国土も資源も農地も人材も資金もないに等しい。ならば回復です。回復するしか道はありません。回復とはすなわち、本来あるべき姿に戻す事。我々ヒーラーが当然保有すべき水準に国力を戻すのです。悠久の時を経て今に至るこの世界において、回復とは基盤そのものでした。何度滅びようと蘇る。それがこの世界の歴史です。植物を御覧下さい。どれだけ葉を傷めようと、適切な環境下におけば活力を取り戻します。人間をご覧なさい。どれだけ落ち込んでいようと、金か酒池肉林を与えれば必ず立ち上がります。回復とは森羅万象における基盤、すなわち世界の基盤なのです。故にヒーラーとは世界そのもの。本来、世界を統べる役割を担っている存在なのです。我々が今成すべき事は、その姿を取り戻す事。それこそが回復です。我々はこれから『回復道』を歩み出します。その為に最も効率的で最も正当な手段こそが戦争なのです。戦争を起こせば、敵国の国土も資源も女も金目の物も全て我らヒーラーの物。本来保有すべきヒーラーの手元に戻るのです。我々は今まさに回復道を極める時節を迎えているのですよ」



 長々と話しているが、その内容は要するに略奪行為の正当化。山賊の寄り合いと何も変わらない。


 ヒーラーの厄介なところは、こういった考えを持つ人間がごまんといる点――――ではない。似たような、しかし微妙に異なる信念を持ち、その自身の信念と僅かにズレている人間と全く擦り合わせようとしない為、似ているけどちょっと違う意見を他の誰かが同じくらいの熱量で延々と語り続ける。それこそが脅威と言えるだろう。


 毎日毎日毎日毎日、こんな話を随時聞かされ続けたアイザックは、元々崩壊していた精神を更に破壊され、歪曲の限りを尽くした。洗脳ならまだ良い。同じ色の思考を何度も塗り続けられれば、少なくとも染まる事は出来る。しかしちょっとずつ違う色を幾度も塗り替えられていく日々は、一色になって楽になる事さえ許されない。もしこれが拷問ならば、かなり高度と断言できるほどにアイザックの精神は色鮮やかに蹂躙され続けた。


 寝室で王の務めを果たしたのち、疲れ果てたまどろみの中で、冒険の日々を懐かしむ。あの頃は賑やかだったが、とても穏やかな日常だった。


 そんな時間を取り戻すべく、アイザックは初心に戻る為の計画を錬る。


 すなわち、冒険者への回帰だ。


 元々はいじめられっ子。そんな彼が反骨心を原動力として奮起し、レベル60にまで己を鍛え上げた。


 これこそが自分のアイデンティティだと改めて自覚した彼は、ヒーラー王国からの脱走を企てる。王としての威厳を見せる為にと必要性を訴え、フィールド上のモンスターと戦うシチュエーションを作り、その戦闘中に戦死したと見せかけ脱走。そうすれば、必ず地獄から抜け出せると確信し、アイザックは実行に移した。


 彼は敢えて豪雨の日を選び、モンスターとの戦いの最中、自らの意思で濁流の川に落ちた。


 幾ら彼が猛者であろうと、水中で呼吸するスキルなど保有していないし、濁流に呑まれている状況から脱出する術もない。それでも、例え生死の境を彷徨うとしても、ヒーラー国の国王という悪夢から目覚めたい。


 その一心で身を投じた、彼の切なる願いは――――


「や……やった………………! 蘇った……よ……蘇ったぞーーーーっ!!!! く…く~~~~っ!!!!」

 

 筋骨隆々のオールバックヒーラー、メデオの蘇生魔法によって断ち切られた。


「これだ……! これこそがヒーラーの生き甲斐……! なんという蘇生……ッ! フォオオオオオオオオ……ウッ!! ウウッ!! ウッ――――」


 会心の蘇生魔法がキマった事で、メデオは絶頂に達しビクビク身体を痙攣させている。その様子を、下流の川岸で横たわりながらアイザックは死んだ川魚のような目で眺めていた。生き返ったのに。


 その翌日、 アイザックの抱える借金の額は200万Gを超えた。国王になったのに。


 明らかに話が違う。騙されたと自覚せざるを得ない。しかしそれでも、アイザックは人生を捨てようとはしなかった。寧ろ彼の覚悟はここで決まったと言っても過言ではない。人間不思議なもので、全力でぶつかって砕け散り、絶望の淵に追いやられると、諦めの境地から一周回って謎のやる気に満ちたりする。それは無意識下における開き直りとも取れるが、アイザックの解釈は違っていた。

 

 これは偉大な挑戦だ。もう夢は見ない。この難局を乗り越える事こそが人生最大の目標であり終着点だ。


 そういう自覚が芽生えたのだと、彼は自分を分析していた。


 蒸発しかけた自我を冷静に戻したのは昨日自分の目が捉えた光景。蘇生を許し矜恃を破壊されたアイザックは、無意識の内に自分の足を顔の付近まで持ってきて、ペロリと嘗めた。過去に試したことすらなかったにも拘わらずアイザックはこれこそが自分の決意表明の儀式だと確信した。

 

 加えて心臓のある左胸を傷が付くほど鷲掴みにしたのにも明確な理由があったわけではない。ただ当人は追い込まれるほど力が漲ってくるのをこの状況で楽しんでいた。

 

 逆境を糧にアイザックは翔んだのだ。


 その凄まじい喜怒哀楽と気迫は、運命というものがあるのならば確実にたぐり寄せるだけの激しさを有していた。


 これからだッッ。


 アイザックはここからだ!!!


 何度も自分にそう言い聞かせ、彼は――――これだけは決して実行すまいと封印していた手段に、その血走った目を向けた。


 それから暫く経った、ある日の夜。


 彼のもとに、一体の精霊が現れていた。


 アイザックは冒険者であって、精霊使いではない。彼にその資質があったかと言えば、決してそうでもない。才能のない分野で目を見張るような成果を得られるほど器用でもない。


 それはまだアイザックが冒険者だった頃の事。


『君が運命レベルで持っていない人間なのは良くわかった。これまでよく頑張って来たな。そんな君に特別な事を教えたい。君の人生を文字通りひっくり返す、特別な力を持った精霊がいるんだ』


 仲間達と酒場で飲んでいたところ、絶世の美男子がそんな話を持ちかけてきた事があった。娼館の倅だった。彼と特別親しい訳ではなく、余り良い噂も聞いていなかったが、この日のアイザックはほろ酔いだった事もあり、彼の話に耳を傾けた。


 自分を劇的に変える事が出来る精霊。そんな能力を持つ精霊など、今まで聞いた事がなかった。だがもし本当なら、どれだけ強くなっても変えられなかった己の心を成長させるきっかけになるかもしれない。


 その日の翌日、アイザックは仲間達に問いかけた。昨日聞いた精霊の話をどう思うかと。


 精霊を操るテイマースピリッツのミッチャは、即座に全否定した。人間界に馴染みのないマイナーな精霊は大抵、人間に害を及ぼす危険な存在だから絶対に関わらない方が良い、と彼女は涙ながらに訴えた。


 メイメイやチッチも猛反対。勿論、アイザックの身を案じての事だが、彼は素直にそう思う反面、心の何処かで『お前に精霊を操るなんて無理に決まってるでしょ?』と罵られたように感じていた。被害妄想も甚だしいが、彼らしい解釈と言える。


 パーティを組んでいる立場上、他の全員から支持されなかった事柄については一旦諦めざるを得ない。が――――それでも彼は、三人に内緒で件の精霊についてこっそり調べてみた。


 精霊の名はラントヴァイティル。大地の精霊であり、同時に『死の精霊』とも呼ばれている。


 大地は死者の眠る場所。大地を司る者は死も司る。ラントヴァイティルが人間界に召喚される時、その余りに膨大な力は召喚者の魔法力をいとも容易く吸い尽くし、死に至らしめると言われている。人間との交流が皆無なのも当然だった。


 その事実を知ったアイザックは、不思議と妙な親近感を覚えた。自爆スキルをその身に宿してしまった自分ならば、死を常に纏ったその精霊と心を通わせる事が出来る。そんな夢想を勝手に抱いていた。


 自分を変えたい。


 生まれ変わりたい。


 その志に点火したこの日。アイザックは死をリスクを承知しながら、ラントヴァイティルの召喚を実行した。


 尋常じゃない消耗に身体も心も潰れそうになりながら、アイザックは耐えた。レベル60まで鍛え上げた肉体を信じ、自分を嘲笑ってきた全ての人々の顔を思い浮かべながら。


 幾ばくかの死の予感を乗り越え――――彼の目に映ったのは、土気色の肌に赤い目をした長髪の女性。鋭い八重歯は獰猛な獣の牙を思わせる。文献にあったラントヴァイティルの姿そのものだった。


 奇跡は起きた。けれど、喚び出しただけでは何も起こらない。交渉をして、契約成立まで持っていけるか。それが重要だ。


「ラントヴァイティル……僕に力を貸してくれ。今の僕を救い出してくれるとすれば、それは貴女だけだ。貴女の【インヴァート】ならば、僕の全てをひっくり返してくれるんだ」


 アイザックがこの精霊への関心を深めた最大の理由は、その能力にある。


 インヴァートは、魔法やスキルの効果を反転させる能力。最強の攻撃魔法を最低の威力に変換したり、速度アップのスキルを速度ダウンにしたりと、一つの対象に対し『威力』『効能』『属性』などの中から一つの要素だけを反転させるという力だ。


 自分のスキルや魔法を反転させる事も出来るし、敵の攻撃を反転させる事も可能。使いこなせれば世界有数の精霊術士となるだろう。


 だが、それは極めて難しい。


「●●●●●●●●●●●●●●●●●」


 この精霊は、人間との交流が皆無の為、人語を解さない。声は発しているが、何を言っているのか理解するのは不可能。よって、詳細まで詰めるような交渉など出来る筈もなかった。


 無論、これまで人間界に縁のなかった彼女が人間に好意的である筈もない。死神が死者を見下ろすかのような眼差しを向けられたアイザックは――――それでも折れない。


「一度で良い。今、この一回だけで構わない。僕の『心』を……いや、違う。それだけじゃダメだ。僕を変えるには全てを変えなければ」


 通じる筈のない言葉で、それでも伝えようとする。傷痕の残る自分の胸を再び掴み、歯が折れるほどの力で食い縛り、思いの丈を叫んだ。 


「頼む! 僕の全てを……僕の『運命』を反転させてくれ!!」


 ずっと無表情だったラントヴァイティルが一瞬、怪訝そうに瞼を下げる。


 そして、彼の中に眠る死の臭いを嗅ぎ取るかのように憐憫を浮かべ――――口の両端を吊り上げた。



 この瞬間、アイザックの命運は決した。





「……アイザックには見切り付けたんじゃなかったんですか? っていうか、今まで何処に?」


 突然ギルドに現れ、出来たてホヤホヤの記事を見せて来た記録子さんにジト目を向けてみたけど、特に表情は変わらず。相変わらずマイペースというか……


「正直、このまま続けても序盤のインパクトは超えられないし、ヒーラーと一緒に出て行ったのなら市民の関心も薄れるだろうから、もういいやって思ってた。でも戻って来たから」


 現金と言えば現金だけど、ここはまあ記者魂に火が点いたって事で納得しよう。つーか後半の質問完全スルーかよ。この人も大概怪しいよな。


 取り敢えず、アイザックが新王として現れた理由はなんとなくわかった。ヒーラー国の王になる運命だったのが、反転して敵対国のレインカルナティオの王になったって事なんだろう、多分。


 ……どうすんのこれ。収拾つくのか?


「ラントヴァイティルって精霊の能力は謎が多い。超常現象のようでそうじゃないらしいから、運命が反転したからと言って、仮定をすっ飛ばして国の王様になれる訳じゃない筈。ちゃんと筋道はあったと思う」


「えーっと、つまり『アイザックが元々の王様と知り合って意気投合した』みたいな、王になる為の理に適ったエピソードがあったって事?」


「そう」


 成程。あくまで反転したのは奴の運命であって、現状そのものを一瞬で反転させた訳じゃない、と。不運続きだった奴の人生に運が向いてきた、みたいな解釈で良いんだろう。


「って事は、奴一人が急にワープして来て王冠被って玉座に座ってる、みたいな状況じゃないんですね?」


「当然。王城は今、ヒーラー軍に制圧されてる状態」


 うげ……マジかよ。ヒーラーとの縁が切れた訳でもないのか。最悪の取り合わせじゃねーか。


 空っぽの城だったから、制圧自体は超簡単だっただろう。モンスターじゃないから聖噴水で防ぐ事も出来ない。城は城下町から離れた場所にあるから、警備網にも引っかからない。ものの見事にしてやられたな。


「これから新王の所信表明演説が始まるって情報が入ってるけど、行く?」


「そりゃ行きますけど」  


「我氏はこの事実を街のみんなに広める使命があるからここでお別れ。さらーば」


 謎の挨拶を残し、記録子さんはすっ飛んでいった。


 ルウェリアさんの謎行動、イリスの失踪、コレットの失踪と来て、今度はアイザックの即位か。


 なんか俺の周囲で妙な事ばかり起こっている気がするな……


 

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