第162話 声
「ふにゃあ……」
挨拶が終わって気が抜けたコレットはそこで酔いが回ったらしく、完全にダウン。大人しくシレクス家に泊まればいいものを、どうしても帰りたいって言って聞かないから、俺が背負って送る羽目になった。
合コンで出会った初対面の子だったら完全にお持ち帰り確定でテンション爆上げなんだけど、勿論そんな下心を持てる相手じゃない。何しろレベル78の超人。しかも酔って理性が働かない状態のコイツに迂闊に手でも出そうものならマジで殺されかねない。
若い頃なら多分、それをわかっていても性欲が勝って何かしようとしたかもしれない。でも今の俺は30代。もう昔ほどの情欲はないし、自分の身の安全の方が断然重要だ。ついでに言えば、ムラムラしても娼館にさえ行く気になれない。性欲よりお金大事なお年頃。マジで枯れたな、俺……身体は20歳なのに。
ま、それでもオンブする事で太股に触れている今のシチュエーションには結構ドキドキしていたりもするけど。そういえば女性をオンブするなんて初めての経験だ。これがダッコだったら頭がフットーしそうになるところだ。
この辺りはまだ街灯を設置していないから、星空とはいえかなり暗い。街灯設置エリアの拡張を次の仕事として訴えても良さそうだ。
「えへへ……」
コレットは終始、気が抜けたようにしまりのない声で笑っている。これから激務が待ってるんだし、プレッシャーから解放されたって訳じゃないだろうけど……それだけ今日の勝利は嬉しかったんだろうな。
俺は酒を飲んでないから、ほろ酔い気分とは違うんだけど、それでも選挙の勝利とパーティーの余韻で身体が少し火照っていた。だからなのか、夜風が妙に冷たく感じる。心地良い冷たさだ。
にしても、これで俺もコレットもギルマスか。あのフィールド上で初めて出会って死を覚悟した時から四ヶ月しか経ってないのに、随分と人生が変わったもんだ。
「トモってさあ、全然力ないよねぇ。すぐズリ落ちるしぃ」
「うるさいな。つーかなんでわざわざこんな夜に宿まで戻る必要あるんだよ。大人しく屋敷に泊まって行けば良かったのに」
幾ら気心知れたコレットでも、女性相手に『重い』とは言えないから、半ば強引にはぐらかした。
「……今日は、自分の部屋で寝たかったから」
すると、意外なコレットの本心が詳らかになった。
「トモも知ってる事だけど……私……レベルだけ高くて全然強くもなかったし……特別な事を成し遂げた経験もなくて……友達もいなかったから……あの部屋がね、相棒だったんだ」
「相棒……」
「変かな……? でもね……好きな色と形の宝石を見つけて……あの部屋に飾って見つめてる時間だけが幸せだったんだよ……」
そういえばコイツ、宝石収集家だったっけ。好みじゃないのは売りさばいて、気に入ったのだけ残してるんだろう。
「だったら相棒はお気に入りの宝石なんじゃないか?」
「ううん……宝石はね……見てると落ちつくけど……石は結局どこまでいっても石だから……」
部屋も何処までいっても部屋だろ。
そうツッコもうと思ったけど、なんとなくやめた。正直わからないでもないんだよな。
大学生活を終えて、警備員として働くことになった時、別のアパートに引っ越す事になった。荷物を全部運び終えた日の夜、新しいアパートに移動しようと思えば出来たんだけど、なんか妙に名残惜しくて、ベッドもテレビもないその部屋で最後の一夜を過ごしたっけ。
そのアパートで過ごした時間はたったの四年。でも、その四年間を支えてくれたのは紛れもなくあの部屋だった。大学で友達を作れず、ただ講義に出て帰るだけの毎日を過ごしていた俺を、無言で迎えてくれたのはあの部屋だった。そこに帰るだけで気分が楽になった。
初めての一人暮らしだったから、思い入れも大きかったんだろうな。その次に引っ越したアパートには10年住んだんだけど、前ほど『自分の部屋』って感じはしなかった。ずっと出張先のホテルのような感覚だった。結局、あの部屋とはお別れもしないまま別の世界に旅立った訳だが。
「だから、今日だけは戻りたかったんだ……私、やったよって報告したくて……変かな」
「いや、わかる。すっげーわかる」
「わぁー……やっぱりトモだ……持つべきものはトモだなぁー……」
背中に額をグリグリ押しつけてくるな。お前はナデナデをねだる飼い犬か。ちきしょおおぉぉ可愛いんだよ、バカ野郎ー!!!
「……すー……」
そして言うだけ言って寝る奴。いや、寝たら報告できないだろ。そういう事じゃないってわかってるけどさ。
特別な事を成し遂げた経験……か。
俺の場合は選挙で勝ってギルマスになった訳じゃないし、初めて街灯の仕事を無事に終えた時は感慨深かったけど、それも俺の力じゃなくギルド員に頼り切りだったし、遡ればやっぱり大学合格が最初で最後になるんだろうな。今のところは。
俺もいつか、今のコレットみたいに幸せを噛みしめて眠りたいもんだ。精霊折衝を使えるようになったら、そんな気持ちになれるんだろうか?
多分、無理だろう。その方法の入手もティシエラ頼りだし、精霊折衝自体が他力本願前提の術だしな。
背伸びしても仕方ない。助けられながらボチボチやっていこう。
そう思えるようになっただけでも、一応は進歩……
ごめんね
――――声が聞こえた。
聞き覚えのある声……いや、耳にこびりついて離れない声だ。
心臓が止まりそうになるくらいの驚きと、心臓が裂けそうなくらい脈打つ恐怖心が交互にやって来る。
忘れもしない。
今みたいな夜の街を歩いていたら、突然聞こえて来たあの声。あの時も、最初は確か『ごめんね』だった。
また俺を襲う気か?
マズい。マズいマズいマズいマズい。一人の時ならまだしも、今はコレットを背負っている。このままじゃ二人して殺される。あの時はミロに助けて貰えたけど、今回も都合良くそうなるとは限らない。
走って逃げようにも、コレットを背負ったままじゃ無理だ。勿論、コレットを置き去りにするなんて選択はない。そんな事をする為に転生したんじゃない。命は惜しいけど、そこまでして生き延びたくはない。
せっかく気分が良い時に、ホントごめん。でも今の君はとても不思議だよ。私を恐れているのに、死を恐れていない。変だよ。
知るか。
今まで散々実感した事だから、言ってる意味はわかる。でも何故かは知らない。死への恐怖が涸渇した理由なんて、推測でしかわからない。
ねえ。君でしょ? 君が持ってるんでしょ? 出しなよ。一度死にかけて、自分が死ぬって実感してもまだ出さないのって絶対変だよ。
出すって何だよ。金か?
生憎こっちは借金持ちだ。脅したって何も出ないから時間の無駄だぞ。
もしかして、君じゃないの? なら誰があれを持ってるの? 君は知らないの?
……今回は問答無用で刺して来ないんだな。それに、さっきから辺りを見渡しているのに、何も見えない。幾ら街灯がなくて薄暗いとはいえ、人がいれば気付くくらいの明るさはある。
前回の時点でなんとなく予想はしてたけど、明らかに人間じゃないな、この声の主。
「お前、何者なんだよ! もっと具体性のある事言え! そういう勿体振った発言嫌いなんだよ!」
恐怖はある。でもそれは得体の知れないこの声に対する恐怖と、コレットを巻き込むかもしれない事への不安で、奴の言うように死への恐怖――――本能に訴えてくるような萎縮はない。そのおかげで、多少は冷静にこの状況を受け止めきれている。
私は探し物をしてるだけ。この前はごめんね。でも、君も悪いよ。せっかく試したのに、出してくれないんだもん。
「だから出すって何をだよ! 具体的に言え!」
まさか会話が成立するとは思わなかった。問答無用に殺してくる禍々しい存在って訳じゃないらしい。
君の中に眠ってる筈の、虚無結界の始祖だよ。
……は?
俺の中に虚無結界が眠っている、ってのは、真偽はともかく理屈としてはまだわかる。でも始祖ってなんだ? 結界の始祖って……結界は種族じゃないぞ?
はぁ……もういいよ。会話なんて時間の無駄。また身体に聞くから。
「おい、まさかまた俺を殺すつもりか? そんな事しても望む結果にならなかったのは前回でわかっただろ?」
今度はあの時の倍痛い思いをして貰うさ。痛みの程度が鍵かもしれないから
「ンな訳あるか! つーかそんな結界俺の中にはねーよ! 人違いもいいとこだ!」
心当たりがあるような口振りだね。じゃあ、誰が持ってるんだい?
心当たりはある。でも言える訳がない。
とはいえ、ここで何も答えなかったら確実にまた殺される。前回の倍の激痛で。いやそれちょっとシャレにならないよ。前回ですら相当痛かったのに。
君はどうも痛みに強い気がする。致命傷を受けてあの程度の痛がり方は、普通じゃなかったよ。倍じゃ足りないかもしれない。どうしようかな。10倍?
「フザけんな! 殺す気か!」
勿論、殺す気だよ。私はまだ君を疑ってるから。今度こそ、結界を出して貰う。どんな攻撃も、魔王の攻撃さえも完璧に防ぐっていう結界を――――
「ハッ。その結界を手に入れて何する気だ?」
え? 今の声、コレットじゃないよな?
まさか……
「よーやく尻尾を掴んだぞ。そうか、貴様だったのか」
……チッ。
その明らかな舌打ちを最後に、姿なき何者かの声は消え失せた。
そして代わりに突然乱入してきたその声は――――
「怪盗メアロ!」
「はーっはっはっは! 我に感謝する事だな。我が駆けつけるのがあと少し遅かったらお前、酷い殺され方してたぞ」
「いやどう考えてもお前の関係者だろ今の! 説明しろ説明!」
「えーやだメンドい。今からあのクソボケを追うつもりだし、お前に構ってる暇ねーの。あ、でも一応褒めて使わす。ナイス囮!」
やっぱりこいつ、今の奴を誘き出す為に俺を利用してやがったな! 前に助言した『この街で暗躍してる裏切り者』の黒幕って、俺を殺しかけたあの声の主かよ!
「何者なんだよ、あの声。姿全然見せやがらないけど」
「見せないんじゃない。見せられないんだ。これだけ言えばわかるだろ? じゃーな!」
あっ!
……本当に行っちまいやがった。
「すー……すー……」
そして、これだけ耳元で大声出しまくったのにコレット全然起きないし。深酒し過ぎだろ。まあ、眠って貰ってた方が面倒臭くなくて良かったけどさ。
取り敢えず……助かった。感謝する気はないけど、怪盗メアロの乱入に救われたな。
あの謎の声の主が怪盗メアロの敵なのはわかった。でも、何者なのかはハッキリしない。姿を見せないんじゃなく見せられない、って怪盗メアロは言ってたけど……
まさかモンスター? だから聖噴水に守られてるこの街に入れないとか?
でも、それなら俺をどうやって刺したんだって話だしな。それに……
『武器屋の娘に悪さする為の犯行じゃない。守る為だ』
以前、怪盗メアロは黒幕を評してこんな事を言っていた。モンスターならルウェリアさんを守る道理はない。
あーもうわかんねー! 今日はもう帰る!
「トモって……ホントバカ……」
寝言でジャストな中傷を受け疲労感が更に嵩張るのを必死で堪えつつ、コレットを宿まで送り、ベッドに放り投げ、その後ギルドに戻った。
ああ……棺桶の暗闇が心地良い。ここなら泥のように眠れる。今はこれが俺の相棒だ。名前付けよっかな。
こうして、色々あった濃い一日はどうにか無事終わった。
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