第159話 冒険者アイザックとその仲間たちの転落の記録0015





 これは記録子が緻密な取材によって詳らかにした、冒険者アイザックとその仲間たちの転落の記録0015である。





 世の中には、神と深い縁を持つ人間が二種類存在する。それは、神に気に入られた人間と、神が稀に起こす気まぐれの被害に遭った人間だ。レベル60の冒険者アイザックは、紛れもなく後者の類と言える。


 彼のスキル【自爆】は、通常の人間では決して習得できないもの。自ら生命を絶つという行為自体が人間特有のいわば不具合だが、それがスキルという形で現れるのは、神の誤配送に他ならない。


 もしくは神は神でも死神に愛されたか。この説はより濃厚と言える。何故ならアイザックはこの数日間、執拗なまでに死へと誘われていたからだ。


 再起にかける彼の執念は並々ならぬものだった。その為なら、例え魔王に忠誠を誓っても構わないと思うほどに。


 ベリアルザ武器商会の評判を貶め、怪盗メアロに罪をなすりつけ、十三穢の一つネシスクェヴィリーテを奪う。悪魔に魂でも売らなければ企めないであろうその計画を、彼は何の躊躇いもなく実行に移した。


 そして失敗した。


 それはもう、絵に描いたような失敗劇。ネシスクェヴィリーテの所有者を特定しようと顔を隠しながら情報屋に接触したところ、その怪しさから危険人物と判断され逆にその事実を所有者に通報されるという、笑い話にもならない展開だったという。


 しかもそれ以降、彼はラヴィヴィオのヒーラーから付け狙われるようになってしまった。


 アイザックはその事実から、ラヴィヴィオがネシスクェヴィリーテを所有しているのではないかと訝しんだ。そうでなければ、彼が突然ヒーラーに襲われる謂れはないからだ。


 思いがけず敵を作ってしまったが、欲しかった情報が事実上無料で入手できたようなものなので、悪くないと思っていた。



 この時点では。



 だが現実は余りに過酷で無慈悲だった。



 ヒーラーが極めて厄介な存在なのは、アイザックも当然知っている。かつて組んでいたパーティにチッチというヒーラーがいて、彼女のヤバさは承知していたからだ。


 だが彼はレベル60。戦闘面で後れを取る事は絶対にないし、多少しつこく絡まれても冷静に対処すれば問題はないと踏んでいた。


 それが実に楽天的で脳天気、マカロンにハチミツをブチまけるがごとき甘さだと気付いたのは、ラヴィヴィオ四天王の一人と名乗るマイザーの熱い口づけを食らった時だった。



「女慣れしてるって聞いてたから期待していたのになぁ。話にならねぇぜ……ヘタクソ」



 男にディープキスされて、しかも相当な時間咥内を犯され、挙げ句ヘタクソと罵られる。これまでの人生で散々他人から不快な言動を浴びせられ続けて来たアイザックであっても、この屈辱は受け入れ難く、その場で白目を剥き倒れ、同時に精神と自我が崩壊した。


 だがそれも序の口。ヒーラーは死にかけた昆虫に群がる蟻の如く毎日ひっきりなしに現れる。


 傷付けられては回復、回復されては請求書。何人ものヒーラーから蝕まれ、借金はみるみる増え続け、あっという間に1,000,000Gを突破した。


 特に蘇生魔法を好む連中は凶悪だった。


 ヒーラーも上級者ともなると蘇生のさせ方にも色々こだわりがあるようで、憐れアイザックは格好の的となってしまった。


 全身火傷による焼死からの蘇生を望む火傷性愛、汚物にまみれた状態で死んだ者を生き返らせる事にロマンを感じる汚損性愛などはまだ可愛い方。


 中には遺体の損壊がなければ蘇生し甲斐がないという死体破壊性愛の持ち主や、勃起した状態での蘇生こそ神聖な行為とのたまう性器直立性愛、遺体の中に自分の身体の一部を入れた状態で生き返らせる事にしかエクスタシーを感じられない体内進入性愛など、常軌を逸した中でも特にイカれてる連中が、次々とアイザックに襲いかかって来た。


 アイザックは逃げた。逃げ続けた。それはそうだ。捕まればそれが誰であろうと無残な死を遂げ、例え生き返っても決して癒えない傷を心に負い、借金も一気に増える。こんな地獄はない。


 アイザックの逃避行は熾烈を極めた。用を足している最中に突然ヒーラーが満面の笑顔で現れた時には、あらゆる体液をぶちまけながら四つん這いで逃げた。毎日毎日、隙を見せたら必ず現れてくる。そんな日々の中で、いつしかアイザックは眠れない体質になっていた。


 ヒーラーは躊躇しない。実際、アイザックは何度か殺された。


 人間に殺された場合、蘇生魔法の成功率はかなり低い。その上、蘇生魔法の魔法消費量は回復魔法の比ではなく、最高峰のヒーラーでも使えるのは一日に三度が限界と言われている。


 不幸中の幸いと言うべきか、アイザックは三カウントを聞く事はなく、全て蘇生を果たした。そういう意味では、彼は神に愛されていると言えるのかもしれない。


 だが数多のヒーラーに命を蹂躙され、自尊心を徹底的に嬲られ、人間としての尊厳を執拗に踏みにじられた事で、アイザックは廃人となった。


 感情は死に、全ての意欲は枯れ、生ける屍と化した。


 魔王に取り入って復権しようという目論みも、自分を認めさせたいという欲求も、ヒーラーに脅かされる毎日によって完全にどうでもいいものになってしまった。

 

 借金は427,310,000Gにまで膨らみ、最早魔王を倒しても到底返せる額ではなくなっている。希望はないのか? いやない。


 だがアイザックは自爆しなかった。もし天が何か意味を持って自爆スキルを彼に与えたのなら、今のこの苦痛から解放する為としか思えないほどの状況にも拘らず。



 何故アイザックはそれでも生きるのか?



 彼の中に何かが燻り続けているのは間違いない。


 以前の自分を取り戻したいという意地か、仲間ともう一度会いたいという切なる願いか。


 魔王討伐を果たすまで死ねない冒険者の本能なのか。


 それとも――――復讐を果たしたい人物でもいるのか。


 いずれにせよ、アイザックはまだ心臓の鼓動を鳴らし続けている。街から出て、北西の方角にある『灼の洞窟』で内部の全てのモンスターを駆除し、そこを生活の拠点としていた。


 暫く人間と接点のない日々を送っていたアイザックの元に、やがて一人の男が現れる。


 彼の名はシャルフ。職業はヒーラーだ。


 当初は怒髪天を衝く鬼の形相でシャルフを迎え撃とうとしたアイザックだが、シャルフに戦闘の意思がなく、ラヴィヴィオの使者として話し合いにやって来たと聞き、態度を軟化させる。


 彼は根っからのお人好しだった。ヒーラーの発言になど何の保証もなく、騙されるだけかもしれないのに。


 或いは疲れていたのかもしれない。人を疑い、人を恨み、人に怯える人生に。


 斯くしてアイザックは、シャルフから提案を受ける事になる。


 借金の総額はどうあっても返せない数字と思われた。しかしこれを完済するチャンスが提示された。


 ラヴィヴィオのヒーラーは現在、アインシュレイル城下町と決別し、新たな国を作ろうとしている。街ではなく国。この話を聞いたアイザックは、自分の胸に失った筈の高まりを感じていた。


 そもそも何故、アイザックはヒーラーに襲われなければならなかったのか。それは彼がネシスクェヴィリーテを調査していた事が原因だが、その剣の所持者はヒーラーでもラヴィヴィオでもなく、娼館の跡取り息子ファッキウだった。


 ファッキウは人間に扮したモンスターと手を組み、自分の目的を果たそうとしていたという。ネシスクェヴィリーテはモンスターを街中に招き入れる為に必要だった為、リスクを冒して手に入れたそうだ。


 女性なら誰もが見惚れる顔を持つファッキウだが、生まれた場所が娼館だったのは致命的だった。彼は幼少期から何度も娼婦の餌食となり、女性に対するトラウマを植え付けられてしまう。普段はヤリチンのような言動をしているが、大人になってからの性体験は皆無。彼は心の中で常に肉食系の女性を恐れていた。


 だから娼館を継ぎ、一刻も早く性行為に能動的な娼婦をこの街から追い出したいと願った。その一方で、清楚な女性に対し強い憧れを抱いていた。そんな彼がルウェリア親衛隊に加入したのは、ごく自然の経過だったと言えるだろう。


 今のアイザック同様、他人を憎み、他人を恐れているファッキウは、常に警戒を怠らず、自分が狙われていると知れば先んじて潰そうとした。


 そのファッキウとヒーラーを仲介したのがシャルフだった。


 ラヴィヴィオにはギルドマスターのハウクがいるが、彼はあくまで代表者としての仕事のみを行い、ヒーラーを纏めようとはしなかった。ファッキウを参謀として招き、効率良く稼ぎつつヒーラーの復権を目論んでいたらしい。


 一方のファッキウは、ヒーラーを護衛あるいは刺客として雇う事にした。そういう条件で両者が手を取り合っていた為、ネシスクェヴィリーテの所持者であるファッキウを狙おうとしたアイザックはヒーラーに襲撃される事になってしまった。


 だが今は状況が大きく変わったという。


 ファッキウは選挙戦に敗れ、もう自分を狙った人間に対しての関心はない。加えて、新たな国を作る上でヒーラーには戦力が必要だ。聖噴水のない場所に拠点を作る以上、モンスターと戦える人間は喉から手が出るほど欲しい。


 既に敵対する理由はない。建国に協力する事で借金を返して欲しい――――それがシャルフの提案だった。


 当然、幾ら人の良いアイザックでも身構える。そもそも国を興す目的は何なのか。それを問われたシャルフは、迷わずこう答えた。


 ヒーラーは虐げられ過ぎた。回復と蘇生の重要性を理解せず、まるで格下のように扱う連中に、正しい価値を示さなければならない。


 そんな主張をヒーラーがしている事は、アイザックも知っていた。彼自身は決してヒーラーを軽視はしていない。だからこそパーティにチッチを招いた。


 けれど心の何処かで、チッチは自分が守らなければ生きていけない、その見返りとして回復を受けるのは当然という考えもあったのは事実。回復して貰った時に言うお礼には、いつしか心をこめていなかった。シャルフの主張は、そんな自分の奢りを見透かしているようだとアイザックは感じた。


 何より、かつて周囲から蔑まされてきたアイザックにとって、ヒーラーの不遇はまるで自分の事のように感じられた。


 シャルフは言う。これだけの借金を返す為には、ただ用心棒として雇われるだけでは無理だ。


 ならばどうすれば良いと、アイザックは訊ねる。


 答えは、実に単純明快だった。



 君が新国の王となればいい。王が国民に借金するなどあり得ない。つまり、王になった瞬間に借金は消える。



 ゴクリと、アイザックの喉が鳴る。


 それが、ヒーラー国(仮)の初代国王が誕生した瞬間だった。





「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」


 最早えぇぇ……で済む次元じゃない! 何もかもがムチャクチャだ!


「余りにも膨大なツッコミ所があって何をどうすればいいのか……」


「でも全部真実。我氏の取材力を侮るなかれ」


 まあ実際、今更この人を疑うのもバカらしいんだよな。何度も情報提供受けてるし。多分ファッキウから色々聞いたんだろう。


 にしたって、俄に信じ難いわ!


「っていうか、アイザックを襲ったヒーラーは何なんだよ! もう人間やめてるっつーか異次元の異常性癖者しかいないじゃん!」

 

 もう思い出すのもおぞましいくらいヤベー連中が表記されてたけど……幾ら異常者の集まりでも、ヒーラーってもうちょっとポップでカジュアルじゃなかったか?


「ラヴィヴィオには四天王以外にも、ラヴィヴィオ七餓人ってのがいて、そいつらは別格にイカれてる」


「マジかよ」


 ……もしかしてアイザックがいなかったら、俺達はもっとヤバいヒーラー達とやり合うハメになってたのか? どう考えても四天王よりエグい連中ばっかだよな、アイザックを付け狙った奴等。


 結果的にアイツがガチヤバなヒーラー共を引きつけてくれたお陰で、俺達はイージーモードで戦えた訳か……いやあんな連中がイージーって言われても全くピンと来ないけどさ。異常性癖のインフレとかマジ勘弁して欲しいんだけど。


「とにかく、そういう訳だから今後はヒーラー国(仮)の動向に注目。国の名前とか決まったらまた感想聞きに来るから」


「いや、もう一切関わりたくないんですけど」


「来るから」


 一歩も引かない姿勢を貫き、記録子さんは去って行った。


 なんだろうな。アイザックに対する感情がもう、自分でもよくわからなくなってきた。あの感じだと、どう考えても傀儡の王になっちゃうだろうし、また裏切られるのは目に見えているけど……


 俺はあいつにどうなって欲しいんだろう。つーかアイザックって何? なんかもう概念上の生き物ってくらい遠くに感じる。ザクザクって愛称で呼んでた頃が懐かしい。


 この事実、あの三人は知ってるんだろうか。もしミッチャがアイザックの借金を返す為にあんな役割を引き受けたんだとしたら、多分知らないよな。チッチにでも聞いて確かめ――――



 ……いや、やめとこう。関わるのは危険だ。もうなんか俺の手の届かない所に逝っちゃってる感じだし。



 今見聞きした事は忘れた。つーか何も聞いてない。そう自己暗示しよう。アイザックの現状なんて知らない知らない知らない知らない……





 はい!


 あっ、そういえば夜にコレットのギルマス就任お祝いパーティがあるんだ。用もないのにボーッとしてないで早く行かなきゃ。何着て行こうかな。


 その前にギルドのみんなを集めて感謝と労いの言葉をかけないとな。現地解散とはいえ、何も言わないで帰すのはギルマスとしての誠意に欠けるもんな。


 さあ、今日は忙しくなりそうだ。大事なことがいっぱいあるから、きっと些細な事は忘れちゃうだろう。



 ……頼むから忘れて脳。


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