第157話 一生紙食ってペラペラな人生送ってろ

 扉を叩くノック音。それが三回鳴ったら、選挙で敗れたという知らせ。



 コン。



 一つ。



 コン。



 二つ。



 音が鳴る度に、まるでミオクローヌスのように反射的に身体がビクッと動く。俺だけじゃなくコレット達も。


 ファッキウ達の目論見を説明すべきかどうかは最後まで迷った。けど、外とホールで騒動があったのは既にコレット達の耳にも入っているし、聡明っぽいセバチャスン氏あたりはすぐピンと来ていただろうから、結局知らせるしかなかった。


 もしファッキウ達が本当に投票箱をすり替えていたら、勝ち目はない。そして奴等に良心の呵責が期待できないのは、さっき確認してきた。



 三つ目のノック音は鳴る。それが現実だ。


 

 でもまだ諦めない。明らかに不正があったという証拠さえ掴めば、選挙結果を無効にできる。そういう規定もあった筈だ。


 恐らくもう本物の投票箱はこの世にないだろうから、偽装された方の投票箱、若しくは投票用紙を入手するしかない。例えば、明らかに同じ筆跡でメカクレの名前が書かれているとか、そういう小さな引っかかりでも良い。まずは疑わしき何かを見つけて、それから――――



 ガチャッ。



 それから……


 

「……ガチャ?」



 ――――それが扉を開ける音と気付くのに、時間は掛からなかった。



「おめでとう、コレット。次のギルドマスターは君だ」


 ただし、視覚が入手した情報に脳が追いつかない。だから脳内処理がバグって現実を正しく認識できない。


 それでも少しずつ、ダンディンドンさんの屈託のない笑みと、ボーッとしたままのコレットの姿が輪郭を帯びる。


 つまり。



「勝った……のですか?」



 最初に漏れたその声は、意外にもセバチャスン氏のものだった。


 冷静沈着な印象だったけど、彼もまた俺やコレット、フレンデリア嬢と同じように目を見開き、信じられないといった面持ちだった。まさか彼がこんな反応をするなんて。


 いや、そんな事より!


「マジで!? マジでコレットが勝ったんですか!?」


「有効投票数428票の内、299票を獲得した。過半数に達した為、選挙は成立。コレットの勝利だ」


 ああ、その300にギリ届かない感じ、まさにコレットって感じの票数だ。何故かこんな事で実感が湧いて来た。


「コレット。よく頑張ったな」


 自分の推した立候補者の当選が余程嬉しかったのか、ダンディンドンさんは今まで見た事がないほどニッコニコの笑顔で握手を求める。その顔と差し出された手を交互に見ながら、コレットは半ば放心状態で右手を伸ばし、されるがままにブンブン振り回され続けた。


「……」


 そして、コレット同様に魂が抜けたような状態が続いていたフレンデリア嬢も、俺と同じく徐々に実感が湧いて来たのか、突然フニャフニャとその場に倒れ込んだ。


「お嬢様!」


「……大丈夫。ちょっと力が抜けただけ」


 安堵というにはまだ強張りが抜けきれていない、ずっと張り詰めていた糸が切れた直後の切断面のような表情で、フレンデリア嬢は手を挙げセバチャスン氏を制した。


 同時に、俺の方に恨めしそうな顔を向ける。その目には涙が溜まっていた。


「本当にもう……私はね、今日までずっとコレットの当選を確信していたのよ! それなのに、そこの空気読めないおバカさんが事前にややこしい事言うから無駄に緊張しちゃったじゃない!」


「悪かったよ。こんな事なら言わなきゃよかったって後悔してんだこっちも」


 そう懺悔しつつも、最高の結果が出た嬉しさを隠すなんて出来ない。しまりのない顔なのは自覚している。目の前のフレンデリア嬢もそうであるように。


 良かった……本当に良かった。一時は絶望しかけただけに、この結果は嬉しい。


 ただし。


 コレットが勝った! 新しい冒険者ギルドのギルマスはメカクレじゃなくコレットだ! やったやった! いえーいぴーすぴーす!


 ……と、心を裸にして喜べないのも確か。コレットが勝ったのは目出度いけど、どうして勝てたのかがわからない。


 実は投票箱、すり替えられてなんていませんでしたー! なんてオチは考え辛い。ならあのホールで大勢が眠らされていた現象はなんだったのかって話になる。選挙結果を細工する以外の理由なんて全く思い付かん。実際、ファッキウ達も余裕綽々って感じだったし。


 間違いなく投票箱はすり替えられた。だとしたら――――ギルド内の誰かがそれに気付いて、こっそり運搬中の投票箱を奪回して元に戻したのか?


 ……それも考えられないよな。もしそんな事実が判明してたら、責任者のダンディンドンさんに真っ先に情報が入るし、その時点でメカクレを失格にして再選挙になる筈。


 ダメだ、全然わからない! なんか微妙にモヤモヤする!


「本当に頑張られましたな。立派でした」


「セバチャスンさん……ありがとうございます」


「本当におめでとう。やっぱりコレットは私の見立て通り、ギルドマスターの器だったのよ。でも、これからが本当の勝負なんだから! 私達も精一杯支えるから、みんなから愛される素敵なギルドマスターになってね!」


「うん。フレンちゃん様、これからもよろしくね」


 ……とはいえ、この雰囲気で『謎を解かない限り選挙は終わってない!』みたいな空気の読めない発言をする事は出来ない。まして、コレットが当選した選挙にケチを付けるなんて百害あって一利なし。本件は俺の心にしまっておこう。


 ともあれ――――


「トモ。私、勝ったよ」


 みんなに祝福され、ようやく本人も実感が湧いたんだろう。今までになく晴れ晴れとした笑顔だ。


 俺は多分、もう10年以上こんなふうには笑えていない。コレットも似たような人生だったと思うけど……先を越されちまったな。


 一応、コレットが勝った時にどんな言葉を掛けようかくらいは考えていた。さっきまでは敗色濃厚だったけど、昨日までは逆に勝利目前って感じだったからな。


 でも――――


「報われたな」


 気付けばその全部を投げ捨てて、今この瞬間に思った事だけを口にしていた。


 人と話さない時間が圧倒的に多かった生前の反動か、こっちに来てからの俺は随分お喋りになった。自分でも偶に良い感じで舌が回ってんなって思う反面、言葉は軽薄になった気がしている。それだと、意味は伝わっても想いは伝わらない。


 最初にフィールドで出会って、モンスターと戦って、一時は死も覚悟したあの時からずっと、コレットの泣き言を聞き続けてきた。必要とされる人間になりたいって一念発起して立候補の話を受けた時も、モンスター襲撃事件の時も、呪いのマスク騒動の時も、ヒーラー事変も、ずっと一緒に戦ってきた。


 そんな俺だから、この言葉だけで十分伝わる。寧ろ、この言葉以外の全てが蛇足だ。


 無数の思い出と、俺の気持ちを全て込めたその一言は――――


「え、それだけ? 冷たくない?」


 一切響いていなかった!


「トモ。思っている事はしっかり言葉にしないとダメじゃない。これで十分伝わるとかなんとか、カッコ付けて口数少なくしても薄情な人としか思われないんだから。そういうのを独り善がりって言うのよ?」


 そしてフレンデリア嬢にマジトーンのお説教を受けた!


 これが性差ってやつか……背中で語る男の美学はもう古いのか。いや古いんだけれども。そもそも世界が違うから価値観も当然違うんだけれども。


 わかったよ! 喋れば良いんだろ喋れば! だったらお望み通り、新郎新婦がドン引きする友人代表スピーチ級のをかましたらぁ!


「コレット」


「え……な、何?」


「正直楽勝だった筈なのにあのマスク騒動で選挙活動できなくなった時にはこいつ本当どうしようもねーなこんな奴ギルマスになったら冒険者や五大ギルドどころか街全体に迷惑かけちまうんじゃねーかならいっそ負けた方が良いだろつーかもう辞退しろよそして一生紙食ってペラペラな人生送ってろこの頭山羊女って思ったけど、当選して良かったな」


「酷っ! せっかくの祝福ムード台無しじゃん! サイテー!」


 言われた通り思っている事をしっかり言葉にしたら最低呼ばわりされた。いやこれもうわかんねーな。


「大丈夫よコレット。ムード作りは私に任せて! 今日の夜は大々的にお祝いパーティー開くからね!」

 

「え? そ、それは……ちょっと……そういう準備とかしてないし」


 人見知りのコレットはそういうの苦手だから戸惑ってるな。でもギルマスになる以上、恥ずかしいから人が一杯いる所は無理ですなんて言ってられない。


「折角の晴れ舞台なんだし、お嬢様に高い服買って貰えば良いじゃないの」


 そう伝え、この浮ついた空気の部屋から出るべく歩き出す。俺にはまだやる事が残ってるからな。

 

「トモ? 何処か行くの?」


「夜までにはシレクス家に向かうよ」


 選挙は終わった。でも俺の仕事はまだ残っている。敗者に恥をかかせないよう、裏口に誘導してひっそり帰って貰う仕事が。


 それに、真相の手掛かりくらいは掴めるかもしれない。奴等が何もかも白状するとは思えないけど、何か仕掛けていたかどうかは顔色を見ればすぐわかる――――


「……む」


 廊下に出てすぐ、鍛え抜かれた巨躯が目に飛び込んできた。ベルドラックだ。そう言えばこの人も敗者だった。


「選挙、お疲れ様でした。混乱を避ける為、裏口からご帰宅して頂けると助かります」


 彼は恐らく敗北を気にも留めていないだろう。実際、落胆したような様子は微塵もない。一体何の為に選挙に出たのやら。



 ……何の為に?



「生憎、裏からコソコソってのは趣味じゃねェ。心配しなくても混乱は起きねェよ。オレが負けるなんて誰もがわかってた事だからよ」


 こっちの立場などお構いなく、ベルドラックはホールの方へと向かう。それを止められるとも思わない。


「ベルドラックさん」


 ただ、一時停止ならしてくれる。そう踏んで名前を呼ぶと、案の定足を止めて訝しげに振り向いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る