第156話 夕刻

 魔王は倒せない。


 どうしてだろう。この言葉は妙に生々しく心を揺さぶってくる。俺は別に魔王討伐を目的とはしていないし、正直そこまで魔王という存在を意識した事もないのに。


「選挙が終わるまで時間はたっぷりある。暇潰しに、少しボクに付き合ってくれないか?」


「ユーフゥル」


「なんだい、ファッキウ。まさかキミ、ボクに指図する気? 自分は彼との会話を存分に楽しんだ癖に、ボクには我慢しろって言うの? どうしてそんな残酷な事を言うの?」


「……いや。好きにすれば良い」


 おおう、あのファッキウがたじろいでいる。実際、名前しか呼んでないのにえらく難癖付けられてたし、無理もない反応だ。


 にしても妙に強気だな。ルウェリア親衛隊はてっきりファッキウがトップだと思っていたけど、今のやり取りから察するに、少なくともユーフゥルはファッキウと同格以上の存在らしい。


 ティシエラと旧知の仲で、元同僚。元々はカインという陽気な青年だったらしいが、性転換した今は寧ろネットリ系の陰キャっぽい雰囲気になっている。


 そして、コイツだけ性転換の理由が謎のままだ。メカクレの家でその話題になった時、一人だけ言えないと突っぱねたんだよな。


「キミとは前から一度、話し込んでみたかったんだ。初対面の時は、あの純粋なルウェリアさんを汚す危険人物だと思って始末しようと思ったけど、その後のキミを見続けて考えが変わったよ。ボクが間違っていた。キミは紳士だ。職場でルウェリアさんにいやらしい視線を向ける事はなかったし、彼女の危機を何度か救っている。そんなキミの功績に敬意を表したい」


 えぇぇ……なんでそんな事まで知ってんの? 不気味過ぎるんですけど。ベリアルザ武器商会を毎日監視してたの? 記録子さんと裏で繋がってたりとかしないよな?


「そんなキミだからこそ、ボクは残念に思う。現体制の継続を望むあのレベル78に協力するなど……それに、キミはティシエラとも懇意にしている。キミは紳士の素質があるのに、女にダラしなさ過ぎる。ルーズな異性関係は感心しないな。独身だから問題ないというものじゃないよ。何事にも節度は必要なんだ。節度を守る人間には品が生まれる。逆に品のない人間はクズでしかない。どれだけ正しくても、正論を振りかざしても、クズの言葉は腐ってるんだ。腐った言葉には悪臭が漂う。聞くだけで気持ち悪い。でも本人はその臭いに気付かないんだ」


 いや、そんな人を遊び人みたいに……俺を何だと思ってるんだ、素人童貞だぞ? 略してSRDT。SRのDTってノーマルのDTよりヤバそうじゃん。後半もわからなくはないけど極論過ぎる。


 あー……思い出した。初対面時のコイツ、もうのっけから会話が成立してなかったんだよな。自分の思った事だけを一方的に捲し立てるタイプだ。一番苦手……


「是非キミには更生して欲しい。大丈夫、その方法をボクは知っている。ボク達と同じく、性転換の秘法を受けよう。残念ながら、現段階では身体はそのままだけど、精神性は確実に変わる。キミの中に女性性が生まれれば、汚らわしい男の性衝動などすぐに消え失せる。そしてルウェリアさんのように美しい気品のある心を手に出来る」


「……もしかして、性転換の秘法を見つけ出してきたのって、コイツ?」


 ジト目で問う俺に対し、ファッキウは無言で頷いた。どうやら、その実績があるから奴に何も言えないらしい。顔が物語っている。


「その通りだよ。あの秘法を見つけてきたのはボクだ。ファッキウも、ディッヘも、キスマスも、フレンデルも、ボクがいたから望み通り女性になれた。身体は男のままでも心は女性。そういう特殊な存在になったからこそ、ボク達は特別な絆で結ばれているんだ。キミもそこに加わりなよ。今の自分に満足してないだろ?」


 長々と中身のない事を喋った最後に――――厄介な言葉を放り投げて来やがった。


 女体化する訳でもない性転換なんて一切興味はない。でも、今の自分に満足していないって指摘は刺さってしまった。


 満足どころか不満だらけだ。ギルマスになってはみたものの、このままじゃ足手まといになりっぱなしで、戦闘絡みの仕事だと現場に出る事すら覚束なくなる。


 もっと強くなりたい。別にギルド内でNo.1になりたい訳じゃないけど、作戦や戦術に自分を組み込めるような、何らかの力が欲しい。


 そういう心理を見透かされてしまったのか……?


「キミはあのレベル78やティシエラと縁を切るべきだ。奴等の存在が、キミを弱くしている。特にあの女……偉そうにソーサラーを束ねておきながら、都合の悪い事は隠蔽しているあのティシエラとは」


 ……コイツ、元上司のティシエラを憎んでいたのか。明らかに私怨が混じった物言いだ。


 こんな奴の言う事を真に受けるつもりはない。でも、気にならないと言えば嘘になる。


「隠してるって、何をだ?」


 まるで催眠術にでもかかったかのように、その質問に誘導されてしまった。ほくそ笑むユーフゥルの顔が、主導権を握られている確固たる証だ。


 そして――――


「五大ギルドはずっと隠蔽しているのさ。人類には最早、魔王を殺す手段がない事を」


 俺に向って一差し指を突き出しながら、ユーフゥルはそう断言した。


 普通なら、異世界人も月までブッ飛ぶ衝撃を受けるであろう彼の発言。


 でも俺は……


「そっか」


 特に何とも思わなかった。


 いやだってねえ。前に夢で見た魔王との戦いの時に、そんな感じのモノローグがナレーションっぽく入ってたもん。事前にネタバレ食らったようなものだろこれ。


 そもそも俺、もう冒険者でもないし、この世界との付き合いも短いから、魔王に何の思い入れもないんだよね。魔王討伐も殆ど他人事のように捉えている。


 そんな俺が、魔王を倒せないと言われても驚きようがないし、まして『何故だ!?』とも思わない。


「……」


 案の定、微妙な空気が流れている。これ俺の所為じゃないよな。悪いのは魔王の話題なら誰もが食いつくだろうというユーフゥルの思い込み。誰だって、興味の薄い話題に対するリアクションはこんな感じよ。


「もういいだろう、ユーフゥル。お前はこの男を買いかぶり過ぎだ」


「そんな筈はない!! 彼は惚けているんだ。ボクをそうやって試そうとしているんだよ。ボクにはわかる。そうなんだろう? なあ……」


 縋るような目で見られてもさあ……どっちかというとファッキウの評が正しいと思うよ。っていうか、変態が二人並ぶとより変態の方が饒舌になって変態性の低い方が無口になるこの現象なんなん? 何か名前とか付いてないのかな。


 ま、今はそれより――――


「一つ聞いておきたい。お前ら、選挙に勝ったら人間に化けてるモンスター達をどうする気なんだ? まさか、そのままにしておくつもりじゃないだろうな」


 メカクレ陣営はモンスターとつるんでいる。その事を現ギルマスのダンディンドンさん達に伝えようと思えばいつだって出来た。


 でも、それをしたところで証拠がない。【気配察知3】でモンスターの気配を感知したと訴えても、フィールド上でモンスターと戦った残り香だと躱されたら打つ手がない。逆に『現ギルマスは自分達が立てた立候補者とその仲間を使って我々を貶めようとしている』とファッキウ側が大アピールするだろう。奴の発信力を侮っちゃいけない。何しろ超絶イケメンだからな。面食いの女性はイケメンの言う事を無条件で信じかねない。そうなると、ダンディンドンさん達までイメージダウンしてしまう。


 だからこの問題は選挙が終わるまで胸にしまっておくつもりだったけど……もしこいつらが汚い手を使って選挙に勝とうとしているのなら、そうも言っていられない。


「バカな事を。相手がモンスターだからといって、事が済んだら用済みとばかりに切り捨てるとでも思ったか?」


「……物は言い様だな。どうせ、モンスターとの交渉は継続中なんだろ? 『身体まで女性になれる完全な秘法を知りたかったら、より多くのモンスターを街中に引き入れろ』とでも言われてるんじゃないのか?」


「フン。実に下らない憶測だ」


 鼻で笑われたけど、恐らく間違ってはいないだろう。


 無関係のミッチャを雇って陽動をやらせ、隙を突いて魔法か何かでホールにいた人達を眠らせた上で投票箱をすり替える。作戦としてはシンプルだけど、リスクは大きい。


 投票箱をすり替える際には、見られないよう細心の注意を払ったんだろうけど、もしミッチャが陽動に失敗したら全てが水泡に帰する。あの女にそこまでの大役をやらせている時点で、綱渡りの計画と言う他ない。それでも実行したって事は、そうせざるを得ない事情があったんだ。


 魔王が倒せない理由とやらも、恐らくモンスター側から仕入れた情報なんだろう。だとしたら、かなり深く関わっている。もう後戻りは出来ないくらいに。


 奴等はもう、人類の敵なんだ。


「お前達は……この街が嫌いなのか?」


 こんな事を聞くつもりはなかった。でも、無意識の内に声に出してしまった。


「嫌いだ。僕も、ユーフゥルも、他のルウェリア親衛隊の皆も、そしてフレンデルも。僕達は、僕達を理解しようとしないこの世界に失望したのさ」


 ファッキウの迷いなき言葉には、奴の深層心理のようなものが混じっている気がした。 


 失望したのなら捨てればいい。見限ればいい。娼館からも敵からも目を背けて、自分達だけで楽しく生活できる場所で生きればいい。


 思わずそう言いたくなった。でもそれは違うんだろうなと思い留まった。少なくともこの世界は、俺が生きていた世界とは違う。きっと何もかもが違う。今の俺の価値観は、彼らには通じないだろう。


「勝つのは僕達だ。選挙結果を楽しみにして待とうじゃないか。トモ」


 最後に何故か俺の名前を呼んで、ファッキウはユーフゥルと共に待合室へ入っていった。あれだけ熱弁を振るってたユーフゥルが最後ずっと黙っていたのは、俺に幻滅したからなんだろう。なんで俺がフラれたみたいになってんの?的なやつ。これ地味に嫌なんだよな……


 それに、奴等の目論み通り見事に時間を稼がれた。でも、あの場で強引に部屋に入ろうとしたところで返り討ちに遭うだけだ。


 非力な時点で、行動の選択肢は大きく削られる。もう何度も痛感してきた事だ。今の俺に出来るのは、選挙のやり直しを訴える事くらいだろう。


「ふぅ……」


 憂鬱な気分は今の溜息で全部外に出した。これからは、やれる事をやるのみだ。


 今、自分がどんな顔をしているのかわからないまま、ホールへと戻った。





 その後――――


 ホールで眠らされていた人達は全員が目覚め、戸惑いの中で状況を呑み込んでいた。


 外の精霊達も時間経過と共に次々と消えていき、騒動はそれほど時間をかけず収束に向かった。


 落ち着いた頃合いを見計らって、これは明らかな選挙妨害であり、もしかしたら投票箱がすり替えられた恐れがあるので、日を改め最初からやり直すべきだと主張してみたけど……


 結局、それは通らなかった。


 同調する人は多く、ティシエラをはじめ五人の立会人の内四人が再選挙に前向きな発言をしていた。けれど、選挙のやり直しを認める規定はあくまで『投票に不備があったと立会人が認めた場合』もしくは『選挙結果が同率もしくは投票率が25%未満だった場合』としか定められていないとの事で、どちらにも該当しない以上は続行するしかないという、なんともお役所仕事的な融通の利かない結論だった。


 勿論、ファッキウ陣営はその規定を把握した上で仕掛けて来たんだろう。こっちは警備に手一杯で再選挙なんて全く頭になかったから、調べてすらいなかった。


 必死の説得も実らず、選挙は再開。マルガリータさんの要請もあり、各区域に配置していたギルド員を集め、冒険者ギルド周辺の警備を強化した上で、投票は粛々と行われた。



 そして、夕刻。



 全ての投票が終わり、その場で開票が始まった。


 開票は透明性を重視し、多くの冒険者が見守る中で行われる。ただし立候補者は居合わせないようになっている。勿論、敗者への配慮の為だ。


 立候補者は、それぞれの待合室で待機したままでいる。勝利した陣営にはギルマスが直接伝えに行き、引き継ぎは後日行われる運び。敗者の部屋には伝達係は入らず、外側からノックを三回する取り決めになっている。


 開票の段階まで来ると、もう警備は必要ない。何しろ冒険者がホールに犇めいている訳で、この街の最大戦力が集結している状態。俺達の出る幕はない。


 その為、俺はコレット陣営の待合室で審判の時を待つ事にした。


「……」


 待合室で静かに待つコレットは、意外にも落ち着いた様子だった。寧ろフレンデリア嬢の方が緊張しているのか、部屋の中をウロウロしたり、何度も廊下に出たりしている。


 気持ちはわかる。俺もなんかムズムズして仕方ない。


「私ね」


 不意に、コレットが口を開く。小川のせせらぎのような声だった。


「両親に手紙、書いたんだ。選挙に出るって決めた日に。もし勝てたら、ギルドマスターになるよって。そうすれば、また両親が私を利用しに来るって思ってたんだ。私のレベルを商売道具みたいにしてきた人達だから」


 以前から何度か耳にしていた、コレットの家族。俺には決して良好な関係とは思えない。それでもコレットはずっと、家に恥をかかせたくないと言い続けてきた。


「でも、結局今日まで何の連絡もなかったよ」


 その吐露は、今日までコレットが抱え続けた苦悩そのものだった。


 勝てるかどうかわからないコレットには興味がなくて、ギルドマスターになって初めて利用価値があると判断したのか。それとも、例え勝っても関心がないのか。


 選挙期間は長かった。もし応援する気があるのなら、返事の手紙を寄越すくらいは出来た筈だ。


 良い方の解釈は、もう殆ど残されていない。かける言葉も見つからない。


 陳腐な励ましなら幾らでも思い付く。でもそれは、きっとコレットにとって辛いだけの言葉になる。


「だったら、もう私も親離れしていいんでしょうか?」


 コレットは俺じゃなく、フレンデリア嬢にそれを聞いた。その意味がわからないほど、俺も彼女も間抜けじゃない。


 コレットの置かれている状況は、家族に半ば見捨てられたフレンデルと似ている。コレットが前向きになれば、フレンデルの事で思い悩んでいるフレンデリア嬢を慰められる。きっとそんな事を考えたんだろう。


 でも転生者である俺やフレンデリア嬢には、図らずも別の意味が生まれる。俺達は、究極的に親離れした人間だから。


「……こんな事を言って、何の慰めになるかわからないけど」


 フレンデリア嬢はコレットに近付き、右手を頭に、左手を背中に添え、遠慮がちに抱擁した。ほんの少しだけ、切羽詰まったような眼差しで。


「私はもう、貴女を家族のように思っているから」 

 

 もし負ければ、コレットは冒険者ではなくなるだろう。そういう決まりはないけど、間違いなくそうなる。


 それでも、コレットには帰る場所がある。フレンデリア嬢はそう言っている。


「……うん」


 コレットも同じ気持ちだったんだろう。震えた声と、今までとは違う口調の返事に、想いが詰まっている気がした。


 二人が遠くに見える。


 どうしようもなく。



 ――――扉を叩く音が聞こえた。


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