第155話 心当たり
荷台を引いている訳でもなく、馬の群れはまるで競馬場の最後の直線で競い合うかのような速度で駆け、瞬く間に目の前を通り過ぎて行った。恐らく10頭以上はいたと思う。
そして、その中の1頭に人が乗っていたのも見えた。この身体は生前の自分より遥かに目が良いから、高速で通り過ぎたその人物の横顔も視認する事が出来た。
「うっわー何だ今の? さっきの地震にビビった馬が暴れてんのか? それとも、日頃から人間にコキ使われてる馬車馬の暴走か? ヤメちゃんそういう反骨精神すっげー燃える」
「絶対違うだろ……というか、今のは多分普通の馬じゃない」
「へ? じゃあ何なのさ」
「多分、精霊か妖怪だと思う」
馬に乗っていた人物は、アイザックの取り巻きの一人――――ミッチャだった。あのツインテールの童顔は間違いなく奴だ。
そしてあの女の職業は、精霊や妖怪を召喚して操るテイマースピリッツ。なら自然とそういう発想に行き着く。ついさっき精霊使いと遭遇したばかりだから、それに引っ張られている感もあるけど、テイマースピリッツが普通の馬を10頭以上従えて街中を疾走する確率よりは、自分の呼び出した精霊か妖怪と突っ走ってる方が真実味がある。真実味って言葉がこれほど似合わない仮説も珍しいけど。
「多分……精霊だと思う。さっきの馬、ケルピーっぽかったから」
非現実的な光景を目の当たりにした所為か、イリスはすっかり冷静さを取り戻していた。人間、突拍子もない事に遭遇すると却って落ち着いたりするからな。一度も安売りしてなかった近所のパン屋が突然半額セールを始めた時とか、そんな感じだったもんな。
いやいや、今までお高くとまってたじゃない。何急に客に媚びてんですか。そういうのはサービスとは言わないでしょう? 今まで定価で買い続けてきた人間にしてみれば、価値を下げられたみたいで複雑なんですよ。アレですか、もしかして経営がヤバいんですか。赤字覚悟で新規の客を呼び込まないといけないくらいジリ貧なんですかね? それとも、もう二進も三進もいかなくなって最後の思い出作りに店を客で埋め尽くしたいんですか? だったら仕方ない、協力しますよ。今まで良い物を食べさせて貰ったお礼に、一日3回通いますよ。友達いないし仕事以外の会話ができる同僚もいないけど、この身一つで貢献してみせますよ――――って1秒くらいで捲し立てたからね、心の中で。それはもう冷静に。
「えー? ケルピーってあんなに群れる精霊じゃないっしょー」
「うん……そうなんだけど」
ソーサラーは精霊に詳しいんだろうか。イリスだけじゃなくヤメも専門知識を振りかざして解析班に加わっている。俺には入り込めない会話だ。
ただ、気になるのは進行方向。あの馬の群れが走っていった先には、冒険者ギルドがある。
まさか、ギルドの周囲に群がってる野次馬たちの集団に突っ込んでいくつもりじゃ……
いやいや、そんな事して何になる。記録子さんのレポートが事実なら、ミッチャがこの街の住民を逆恨みしていても不思議じゃないけど、それにしたって馬テロはやり過ぎだ。
でも……それくらい精神的に追い詰められていたとしたら?
恐らく、あの取り巻き連中はアイザックと連絡が取れていない筈。チッチは個人ギルドにいたし、各自バラバラで活動しているみたいだから、ある日突然孤独にパクって食われて悪堕ちしても不思議じゃない。そうなると人間、何しでかすかわからん。
「取り敢えず急いで冒険者ギルドに戻ろう。嫌な予感がする」
「あー、そっちの方角だったもんね。こりゃアレだなー、選挙ぶっ壊し作戦だな。最悪、護衛側の責任問題になるやつだ」
ギルマスに一切忖度しないその呟き、何気に俺の危惧している事とモロ被りだ。
ぶっちゃけ、あれが本当に精霊で、ミッチャが大暴走を企てているとしても、多分そこまで大事にはならない。だって野次馬連中、全員が終盤の街の住民だからね。腕に覚えのある奴等しかいないから、馬の集団なんてどうにでも出来るだろう。
でも、暴走に対して俺達が何も対処できなかったら、警備の責任を問われるのは避けられない。冒険者ギルドにはディノーやオネットさんらウチのギルド員を相当数配置しているけど、突然現れた馬の大群を瞬時に止めるのは不可能だ。
正直かなりマズい。でもこの世界にはスマホもないしネットもない。離れた場所から事前連絡する術は……
「あ! 緊急時の合図!」
前に俺が参加した五大ギルド会議で、モンスター襲来事件のような緊急時の街の自治について話し合われていた。その時に確か、街の危機を察知したら――――
「イリス! ヤメ! どっちでもいいから、上空に向かって爆発系の魔法をぶっ放してくれ!」
「あいよー」
理由も聞かず、何の躊躇もなくヤメが空に向かって魔法を放つ。こいつマジで仕事早いな。実は俺の一番の理解者はこいつなんじゃ……
「せーの、ドッカーン!」
そうヤメが口で叫ぶのとほぼ同時に、遥か上空で花火のような爆発音が鳴った。これが、アインシュレイル城下町における緊急サイレンだ。
先程の地震に加え、この合図があれば、何か異常が起こったって身構えるだろう。それで何が出来るかというと、依然として厳しいんだけど……
「ティシエラが気付いてくれたら良いんだけど……」
イリスのその呟きで、ふと思い出した。今日は一度も会ってないけど、そういえばティシエラは冒険者ギルドにいるんだった。選挙の立会人の一人として。
でも、幾らティシエラが有能魔法使いでも、あの馬たちをどうにか出来るとは……あ、そういえばあいつ、感情をリセットする魔法が使えるんだったな。効果範囲次第では、あの馬たちを一斉に大人しくさせる事が出来るのかも。
「よし、俺達も行くぞ!」
「わー他力本願でも希望が持てたから急に力強ーい。ウチのギルマス超かっこいー」
走る寸前にイラッとさせられたヤメには後で報いを受けさせるとして……今はとにかく急ごう。
何事もなければ、それが一番良いんだけど――――
「……OH」
生憎、そんな都合の良い現実はなかった。
冒険者ギルドに面した通りには、無数のケルピーが痙攣しながら倒れている。なんとも無残な光景だ。
「はぁ……何なの全く」
その立役者となったのは、やっぱりティシエラだったらしい。野次馬の一人に聞いたところ、ヤメの合図をギルド内で聞いたティシエラはすぐ外に飛び出し、暫くしたのちに迫ってきた馬の大群にプライマルノヴァを使用。猛り狂っていたケルピー達は一瞬でスンッと感情をなくし、周囲の野次馬たちからボコられたらしい。
普通なら、幾ら不審とはいえ馬相手にそこまで攻撃的にはならないだろう。けど以前、ミッチャが誤って召喚したゾンビ馬が街中で大暴れし、腐敗した身体の一部や体液を撒き散らす嫌な事件があったから、その時のトラウマもあって過剰に反応してしまったらしい。南無。
「ティシエラ!」
真っ先にイリスが親友の元へ向かう。イリスを見つけたティシエラは特に驚いた様子は見せず、むしろ心配そうな顔を浮かべていた。
「さっきは大丈夫だった?」
「うん。一人だったらパニックになってたかもだけど、マスター達がいてくれたから」
どうやらイリスの地震恐怖症はティシエラも知っていたらしい。イリスの返事に安堵した様子で表情を緩めていた。口は悪いけど仲間思いなんだよな。
「さっきの合図は貴女達だったのね。一体何事?」
「それは私達にも……あの馬の大群がこっちに向かって走ってたのを偶々見たから知らせたってだけだから」
頃合いを見て話に加わろうとするも、周囲の喧噪に紛れて俺の声は届いていない様子。大事には至らなかったとはいえ、選挙中に馬テロが発生すればそりゃこうなる。
にしても、結局何が狙いだったのやら。気は進まないけど、ミッチャを探して問い詰めるしか――――
「……?」
そういえば、あの女の姿が何処にも見えない。真っ先に首謀者として捕らえられていそうなものなのに。
「トモ!」
一抹の不安を覚えた直後、ディノーとオネットさんが駆け寄ってきた。彼らなら一部始終を目撃していた筈だ。
「ありのまま今起こった事を話す。地震が起きたと思ったら、いつの間にか馬が来た。何を言っているのかわからないと思うが――――」
「いやわかってるからそこは良い。それより、馬に人が乗ってなかったか?」
こっちが事情を把握していた事に二人は驚きつつ、顔を見合わせ同時に眉を顰める。
「不肖私、目は相当良い方と自負していますけど、人らしきものは見かけませんでした」
「俺も見ていない。誰か乗っていたのか?」
「ああ……知り合いが」
途中で振り落とされたか? いや……テイマーがそんなヘマはしないか。
だとしたら――――
「……まさか」
脳裏にふと最悪のシナリオが浮かぶ。
もし、これが陽動だったら?
今、多くの人間の意識が外に向いている。きっとギルド内も同じだろう。
この隙に投票箱を細工されていたら……マズい事になる!
「二人とも付いて来て!」
大慌てで冒険者ギルドに向かうも、野次馬が多くて中々前に進めない。馬騒動の所為で更に人が増えている気がする。こんな時に……!
「どけどけー! どけどけー! 邪魔だ邪魔だどけどけー! どけどけー!」
バイクにでも乗った気分で人と人の間をすり抜け、どうにかギルドの入り口に辿り着いた。
そして同時に、思わず絶句した。
「……!」
人が倒れている。それも大勢。ギルド内にいた、選挙の途中だった冒険者やティシエラ以外の立会人だ。
一瞬、最悪の事態が頭を過ぎったけど、血が流れている様子はない。それによく見ると、倒れている人は皆、穏やかな顔で寝息を立てている。どうやら――――
「死臭はしません。眠ってるだけですね」
ディノーより先に駆けつけたオネットさんが、しれっと凄い事を呟いていた。さすがは人妻屠り師。普通は死んだ直後に死臭なんて嗅ぎ分けられないよな。
何にせよ一安心……と言いたいところだけど、そうもいかない。この状況が何を示しているかは一目瞭然だ。
「トモ、これは一体……」
「さっきの馬は陽動だ。外の注意を引きつけて、ギルドの中を襲撃したんだ。狙いは恐らく選挙の妨害、若しくは……投票箱」
今、俺の視界に入っている投票箱は、一見すると何の変わりもないように見える。
でも、もしこれが何者かによって入れ替えられていたら……?
投票箱と同じ箱なんて事前に用意するのは簡単だし、予めその箱に『特定の立候補者の名前を書いた投票用紙』を沢山入れて、それを本物と取り替えられていたら、選挙結果がその何者かによってコントロールされてしまう。しかも、目撃者がいなければ立証は不可能。完全犯罪が成立してしまう。
万が一の事を考えて、選挙のやり直しを要求した方が良いのかもしれない。尤も、受理して貰える保証はないけど。元いた世界でも、再選挙となると大抵揉めてるし。
「俺と彼女は、馬が接近している間もずっとこの出入り口に待機していた。不審な人物の侵入はなかった筈だ」
【気配察知3】を持つディノーがそう言うのなら間違いない。
「……なら、裏口か?」
そっちはシキさんが見張っている筈。シキさんが突破を許したのか――――
「ナメて貰っちゃ困るね」
うわビックリした!
相変わらず心臓に悪い……いつの間にこっちに来てたんだシキさん。
「その可能性を考えて見張りは続けてたし、裏口に人の気配はなかったよ」
「だとしたら、考えられるのは……」
内部の人間の犯行。当然、選挙結果を自分の意のままにする為の。
だとしたら、ファッキウ陣営以外はあり得ない。コレット陣営は黙って待っていればほぼ確実に勝てるんだし、ベルドラックはそもそも勝つ気があるとは思えない。動機があるのは奴等だけだ。金や立場に困ってるミッチャを唆して、陽動をやらせたのか……?
「くっそ……!」
無駄な行動になるのを承知で、ファッキウ達が待機している部屋に向かう。これだけ周到な準備をしていた連中だ。もし投票箱を入れ替えたのなら、もう本物はとっくに持ち出しているか魔法で処分しただろう。
それでも、何か手掛かりが残っていれば……!
「ん? 何をしている? さっきの地震で何処かヒビでも入ったか?」
ファッキウ!?
待機部屋の外で待ち構えてやがったのか……中に入れない為に。
奴とここで押し問答する訳にはいかない。無理矢理入ろうとして、万が一何もなかったらコレット陣営に迷惑がかかる。マズいな……悉く先手を打たれてしまっている。
ここは一旦、正直に答えるしかないか。
「地震の後、馬の大群がギルドの傍に押し寄せてきた。そして、その隙に選挙中のホールが荒らされた」
「何……?」
惚けた様子はない。でも演技かもしれない。慎重に見極めないと……
「ホールに待機していた冒険者および選挙立会人が何者かに眠らされている。心当たりはないか?」
「ないに決まっているだろう。僕達は正々堂々戦って勝つつもりでいるし、勝てると確信している。僕達を疑っているのなら見当違いも甚だしいね」
「俺は"心当たり"を聞いただけだ。普通は『逃げた犯人を見ていないか』って解釈するんじゃないか?」
「……」
ボロを出したか……?
勿論、この程度のカマかけに成功したからといって、状況証拠とまでは言えない。それでも、この饒舌野郎が押し黙ったって事は、結構効いている筈だ。攻めるなら今しかない!
「そうまでして選挙に勝ちたいのか?」
その理由は以前、こいつの口から聞いている。性転換の秘法を使う為、人外の者達と交流を持ったこいつらは、いずれ淘汰される。だから五大ギルドのギルマスという大きな権力を欲している。
単に女性になりたいってだけなら、この街に拘らなくても良い。別の街で暮らせば、性転換の秘法を使った事も、モンスターの手を借りた事もバレないだろう。
でもこのファッキウは実家の娼館を継ぐ事に拘っている。だから街から離れられない。
「勝ちたいね。是が非でも」
そう答えたのはファッキウじゃなく、廊下をゆっくりと歩いて来た――――ユーフゥルだった。
「公開討論会のフレンデルの演説、考えたのはボクなんだ。聞いてくれたかい? 冒険者ギルドはね、腐敗してるんだよ。でもそれは魔王討伐に消極的だからじゃない」
最初に会った時から、こいつはちょっと異端な印象を受けていた。そして今、それは更に強くなった。
「とても大切な事を隠している。隠蔽しているのさ」
タキシードのような紳士然とした格好なのに、妙に虚ろな雰囲気を漂わせている彼――――いや彼女は、何処か別の世界の住民のように思えてならなかった。
「魔王は、誰にも倒せないんだ。絶対にね」
だからその言葉は、驚くほど自然に耳へ、そして頭へ入って来た。
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