第152話 新種の脳内物質

 フードを被った人物は、明らかに街の住民とは一線を画した格好だった。フード自体はいわゆる頭巾に近いもので、服と一体化してるものじゃなく、独立した布地。防寒具が必要な時期でもないから、意図的に顔を隠していると判断すべきだろう。


 着ている服は、ローブと呼ぶべきなのかコートなのか微妙なデザイン。パッと身のフィット感はややタイトでコート寄りなんだけど、足下はややダブついていて、ここはローブ寄り。まあどっちもで良いんだけど。それより、この怪しげな格好の人物が何故ここにいるのかがよっぽど重要だ。


「……」


 フードを上げる事なく、そいつは俺の方に顔を向けてきた。目が隠れるほど深く被っている為、人相がわからない。無精髭らしき顎髭が見えるから男で間違いないとは思うけど……


「俺かい? 俺はただの旅人だよ」


 つい乱暴な口調で誰何した事への憤りはないのか、穏やかな口調の返答。今の所、敵意らしきものは見当たらない。


 魔王に届けの際、ターゲットにされたのはこの聖噴水だった。また同じ事が起こる可能性は十二分にある。そんな懸念から見張りにきたけど……選挙が始まったばかりのこの時間帯に先客がいるとは思わなかった。


 この男が観光客って事はあり得ない。誰が好きこのんで魔王城の最寄りの街なんかに旅行するんだって話だ。仮に旅人って話が本当だとしても、真っ当な理由じゃないだろう。


 とはいえ、何の証拠もなく彼を怪盗メアロの言う『黒幕』だと疑う訳にはいかない。今の俺はギルドを経営している身。自由気ままにやっていい事なんて一つもない。何をするにしても裏を取る必要がある。


「だとしたら、相当強いんだろうね。この周辺のモンスター、相当なレベルじゃないと倒せないでしょ」


「いやいや。戦闘力に関しては全然だよ。実はこう見えて、精霊使いなんでね」


 ……精霊使い?


 そういえば、アイザックの取り巻きだったミッチャが精霊や妖怪を操るテイマースピリッツだったな。あの女と同じタイプの職業なのか。


 あと、精霊とは違うけどシャルフが死霊魔法ってのを使ってたな。まあモンスターだの魔王だのがいる世界で、精霊や死霊に驚いても仕方ないんだけど……なんか悉く使い手のイメージ悪いな。


「申し訳ないけど、精霊について明るくないから、アンタがここに来られた理由とイマイチ結びつかない。出来れば詳しく教えて貰いたいんだけど」


「そちらさんに教える理由を先に聞かせて貰えれば善処するよ」


 っと……つい焦りが先立って高圧的な物言いになってしまった。本来なら、赤の他人なんだから敬語を使うべきなんだよな。聖噴水の前に人がいた事でテンパって、思わず冷静さを失ってしまった。


 とはいえ、今更敬語で話してもわざとらしいだけだ。内省しつつ押し通そう。


「不躾な対応をしてしまって申し訳ない。俺はこの街でギルドを運営しているトモだ。現在、この街では選挙が行われていて、その警備を請け負っている」


「成程。そっちからしたら俺は不審者って訳か」


「否定は出来ない。初対面の相手に対して無礼だとは思うけど……」


 元いた世界の警備員は、警察のような権限は一切与えられていないから、警備中に怪しい奴がフラッと現れても職務質問すら出来なかった。それはこの世界でも同じで、少なくとも俺の行動が法律で守られる事はない。


 だから、もし向こうが回答を拒否したら、それを強制する法的根拠は何処にもない。あくまでも、選挙の進行を妨げたくない冒険者ギルド及びシレクス家の意向で俺達が依頼を受けたに過ぎず、そのどちらともしがらみのない旅人に対しての強制力は皆無だ。


 何気に厄介な状況――――


「いや、実際俺、相当怪しいからな」


 そう思ったのも束の間、フードの男は気さくに笑い出した。どうやら気難しい性格じゃないらしい。正直助かった。


「精霊使いってのは文字通り、精霊を専門に召喚する職業だ。精霊は基本、この世界とは違う別世界から呼び出すんだけど、召喚には二通りの方法がある。一つは精霊との契約を体系化してある精霊魔法。もう一つは、個別に契約する精霊折衝だ」


 精霊魔法……は何となく想像付くけど、精霊折衝ってのはピンと来ないな。個別契約って事は、自分が呼び出したい精霊と直接交渉するんだろうけど……


「元々、住む世界の異なる者同士が手を組む必然性は存在しない。そこにお互いの利害関係を見出すべく話し合って合意を得るのが精霊折衝だ。呼び出される人員や条件を最初から用意してあって、交渉をほぼ省略できる精霊魔法とは違って、面倒な上に時間がかかる。ただ、人類の誰も契約した事のない仙級精霊や神級精霊と懇意に出来る可能性を秘めている」


 要するに、お得意様を相手にする営業と、新規開拓を狙う営業の違いみたいなものか。


「俺は精霊折衝を専門としていて、割と変わり種の精霊を呼び出している。この街に無傷で来られたのは、モンスターに見つからないよう移動できる能力を持つ精霊の世話になったからだ」


 そういえば以前、レベル差のあるモンスターに気配を悟らせない【ヒドゥン】って魔法をコレットから聞いた事がある。あれと似た能力があるのか。


「希望するなら、この場で召喚しても良いが」


「いや、今のが作り話とは思えないし、十分過ぎる説明だ。改めて非礼を詫びたい。御協力感謝する」


 そう告げつつ、頭は下げない。

 

「……で、どうしてアンタはそうまでしてこの街に来たんだ?」



 ――――まだ疑惑は何一つ晴れてないんだから。



「その精霊折衝がどれくらいの難易度で、どんな条件で召喚したのかはわからない。でも、ここが人類最果ての地――――魔王城の近くにある街と知らずに来た訳じゃないんだろ? モンスターに見つからないよう、入念に準備するくらいだから。何故そうまでして、ここにやって来たのかを教えて欲しい」


 彼の行った説明は寧ろ、怪しさを増幅させるものだった。


 戦闘能力が高くない人間がわざわざそうまでして、この『終盤の街』ことアインシュレイル城下町に来たんだとしたら、相当な理由があっての事だろう。偶然訪れた可能性は完全に消えた。


「精霊の導きのままに」


「……」


「――――では納得しないって顔だな」


 当然だ。俺自身、低レベルでありながらこの街にいる不自然さを誰より知っている。周囲の認識も。


「ついでに、その噴水を眺めていた理由も知りたいところだ」


 そう問い掛けながらも、実は心臓バクバクだったりする。向こうもそうらしいけど、こっちも戦闘力は低いからな。一応、警棒代わりのスタイリッシュこん棒は携帯しているけど、正直心許ない。


 頼むから、開き直って暴れるのだけはやめてくれよ……



《誠意ある対応をすべきじゃ。その男、悪者ではなさそうじゃぞ》



 なんだなんだ!? 今の声、なんか違和感ありまくりだったぞ!?


 明らかにフードの男の声じゃない。脳内に直接響くような……


 ……脳内に直接?


 前もそんな事があった気がする。確か、ちょうどこの聖噴水の前で――――



『聖噴水ヲ元ニ戻セ』



 そうだ。あの時も、頭の中に響いた声に従って聖噴水に調整スキルを使ったんだ。


 だとしたらあの声は、精霊の仕業だったのか? さっきの声とは明らかに口調も声質も違ったけど……


「どうやら、俺の相棒がアンタをお気に入りらしい。よければ話をしてやってくれないか?」


「ああ……構わないけど」


 狼狽えそうな自分を必死に制御して、どもらず踏み留まった。ここで弱気な態度は見せられない。 


「我が視認範囲に限り現身を許可する。出でよ【クー・シー】」


 フードの男が何やら簡易な呪文のような言葉を言い終えた後、彼の相棒という精霊が姿を見せた。


「お初にお目に掛かる。儂の名はクー・シー。以後、お見知りおき願おうぞ」


「は、はあ……」


 姿を見せたその精霊は――――犬だった。しかも小型犬だった。っていうか、どう見てもポメラニアンだった。


 えぇぇ……あの話し方でポメラニアン? そこは絶対ミニチュアシュナウザーじゃなきゃダメだろ? ちょっと納得いかないなあ……


「この男の身分は儂が保証する。街に来た目的は言えぬが、この場所にいた理由は『聖噴水を調査する為』じゃ」


「!」


 思わず顔が強張ってしまう。こいつら……やっぱり一連の騒動の黒幕なのか?


「俺はウィス。各地にあるアーティファクトの定期点検を生業にしている」


 アー……なんだって?


「アーティファクトというのは、まあ簡潔に言えば専門性と影響力の高いアイテム、ってとこだな。この街の職人ギルドから、一時的とはいえ聖噴水の効果が消失してモンスターに侵入されたって連絡が来たんで、調査しにやって来た訳だ」


 顔に出てしまったのか、丁寧に説明されてしまった。って事は聖噴水もアーティファクトの一つって事だな。


「聖噴水が正常かどうかを見に来たのか。仮に異常があったら治せたりするものなの?」


「それは実際に見せてみないとわからないな。俺はあくまで、アーティファクトの品種に応じた精霊を召喚するのが仕事だから、俺自身に幅広い知識がある訳じゃない」


 って事は、聖噴水の調査に適した精霊を召喚できるのか。水関係の精霊か?


「聖噴水に詳しいのは水精ウンディーネじゃが、あ奴は昔から女王気質で召喚の交換レートが高過ぎてのう。ヴォジャノーイかマーフォークが妥当じゃな」


「その二択は中々だな……」


 よくわからないけど、あんまり召喚に乗り気じゃないのは伝わってくる。精霊にも色々な奴がいるんだろう。


「会話がし易いのはマーフォークだし、アイツにするか」


「それで良いじゃろ。そこの人間、トモじゃったか。これより召喚の儀に入る故、済まぬが口出しはせぬよう願いたい」


 ポメラニアンの愛らしい外見と爺さん口調のギャップがエゲつない。そして声は老人でもなく甲高くもなくイケボという……なんなのこのワンコ。脳がバグる矛盾画像見てるみたいな気分だ。


「これより精霊折衝を執り行う。マーフォークを指名」


 ウィスと名乗ったフードの男が両手を重ねて繋ぎ祈るようなポーズでそう発言した刹那、彼の両手が発光し、淡い青紫色に包まれた。おお……神秘的だ。これぞ異世界って感じでなんかゾクゾクしてくるな。



《なんか用~?》



 ……随分と緊張感のない声だけど、確かに話しやすそうではある。姿は見えないが、どうやらこれがマーフォークとかいう精霊らしい。


 っていうか、ワンコもそうだったけど精霊ってこっちの言葉で話すんだ……


「精霊がこの世界に干渉する際には、召喚の儀で使用された言語が媒介の一部として取り込まれるのじゃよ。結果、この世界の儂らは召喚者の言語を使用する事となるのじゃ」


 ワンコにこっちの心を見透かすような補足を入れられた。なんだろう、この異端極まりない羞恥プレイ。何か新種の脳内物質が分泌しそうだ。


「聖噴水の調査を依頼したい。まずはそちらの条件を聞こう」


 どうやら交渉が始まったらしい。


 条件か……いわゆる等価交換ってやつなんだろうか。身体の一部とか持って行かれる訳じゃないだろうけど、精霊が何を請求するのかは興味あるな。


 一体どんな条件が――――


《オイラの良い所10コあげて~》



 ……は?



「むう、どうやら機嫌が余り良くないようじゃな」


「ああ。10は中々厄介だな」


 いや、数の問題じゃなくてだな……何これ何なの? 今時の精霊ってそんなに承認欲求に飢えてんの?


「精霊は孤高の存在らしくてな。他者との交わりが極端に少ないから、褒められる機会も滅多にない。それを人間との交わりで満たしたいらしい。それくらいしか人間が精霊に差し出せるものはないとも言えるが」


「中には宝石や工芸品に関心を示す精霊もいるのじゃが、やはり人間の最高傑作は言葉よ。だからこそ儂らも人間の言葉を使うのに躊躇はないのじゃからな」


「は、はあ……」


 なんか思ってたのとは違うけど、要するに煽ててその気にさせるのが精霊折衝らしい。


 ……なんつーか、アレだな。歪んでるよな関係性が。異種族交流ってそんなんで良いのかと問い詰めたくなる程度には末期だ。


 呆然とする俺を尻目に、交渉という名のご機嫌取りは始まった。


「そうだな……アンタは大らかだ。うん、とても大らかだ。こちらの呼びかけに対し、常に気さくでいてくれる。これはとてもありがたい事なんだ。実に大らかな事だな」


 いやまあ、この世界の法則に文句付ける気はないよ。色々あってこうなったのかもしれないし。ただ、良く知らない奴が良く知らない奴を無理矢理褒めるのを黙って見続けるのって、ガチでしんどいな……


 褒める方もネタを10コ用意しなきゃいけないから、出来るだけネタ被りしないよう、話を広げないようにしてるのが丸わかりだし、その結果、語彙の少ない子供の作文みたいになっちゃってる。



 そんな苦痛の伴う時間が続き……10分ほどが経過し、ようやく最後の一つに辿り着いた。


「――――そしてアンタはとても鷹揚としている。心が広い証拠だ。余裕のある態度は他者にも安寧を恵んでくれる。これは誰にも出来る事じゃない。尊敬に値するよ」


 最初の『大らか』をはじめ、その後も『泰然自若』とか『寛容』とか、ほぼ同じ意味の言葉を用い、最後までそれで乗り切った。俺が褒められる側なら二つ目の時点で『それしかないんか!』ってツッコみたくなるけど、マーフォークとやらは全部乗り気で聞いていた。


《ありがと~。おかげで幸せな気分になったよ~。それじゃお返しに力を貸すね~》


 上手くいったらしく、ウィスの両手の光がフワッと浮かび、何かの姿に変わっていく。恐らくマーフォークが姿を現わすんだろう。


 ウンディーネならなんとなく想像つくんだけど、マーフォークって良く知らないからな……声聞く限りでは男っぽいけど、男の水の精霊ってあんまりイメージにない。半魚人みたいなタイプか、それとも水棲生物寄りの外見なのか――――



「聖噴水の調査だったね~。水質を見ればいいのかな~?」



 ……現れたのはズワイガニだった。


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