第145話 すぐ終わらせるから
俺は多分、痛みにはかなり強い方だと思う。
歯医者でどれだけ削られても手を挙げた事はないし、幼稚園で遊具にぶつかり骨が見えるほどの大怪我を負った時も泣き叫ぶ事はなかったし、小学生時に近所の飼い犬に噛まれて肉を抉られた時も声すらあげなかった。
一度死んだ時も、死にかけた時も、そりゃとてつもなく痛かったし身悶えもしたけど、顔をくしゃくしゃにして喚くほどじゃなかった。
「あ……! がっ……ぐ……ぁ!」
今回もそうだ。
左手は――――全体が焦げ、親指と人差し指以外は消し飛び、他の指も全く動かない。これが自分の手だなんて思いたくない大惨事だ。それでも取り敢えず意識は保てているし、激痛にもなんとか耐えられている。
覚悟する暇はなかった。でも悔いはない。
「……っ! 【フリーズ】!」
ティシエラが叫ぶと同時に、俺のボロボロの左手が一瞬で凍った。恐らく止血の為だろう。切断された指の断面から血が噴き出した直後に、強引に歪な氷を纏わせたって感じだ。
「トモ!? その手……!」
「俺は大丈夫だから集中力切らすな!!!」
コレットが慌てて駆けつけようとしたのを、喉が擦り切れそうなほどの大声で制する。俺は良いんだ、元々戦力外だから。でもコレットや他の面子が隙を突かれると大打撃になる。
「痛ぅ……」
勿論、氷で止血したからといって痛みがなくなる訳じゃない。キツい。たまらなくキツい。神経を燃やしながら絶え間なく突き刺してくるような激しい痛み。脂汗で顔面が溺れそうだ。
それでも、何も考えられないってほどじゃない。俺に魔法を阻止されたシャルフが、ようやく驚いたような顔を見せているのも確認済みだ。はっ、ザマア見ろ。
「貴方は馬鹿なの!?」
うおっ! ビックリした!
ティシエラか。いつの間にこんな近くまで接近してたんだよ。でも左手以外に意識が行った方が楽ではある。
「防具も付けてない、防御する術もない癖して素手で魔法を防ごうとするなんて信じられない! 何考えてるのよ!」
お、おおう……こんな取り乱したティシエラ初めて見た。結構熱いハート持ってるっぽいのはなんとなくわかってたけど……
「そんな事言われても、反射的に手が出ちゃったし……文句は身体に言って」
プロ野球選手だってピッチャーライナー飛んできたら素手で取ろうとするじゃん。アレと同じ感じなんだよ多分。まあ、それだけじゃないんだけどさ。
「なんでこんな……自分を雑に扱うような真似ばっかり……」
……あれ?
もしかしてティシエラ、涙ぐんでる? なんで?
俺のとっさの行動に感動したって感じじゃないし……庇うつもりで手を出したんだけど、逆にそれがプライド傷付けたのかな。遥か格下に守られたのが屈辱だったとか……?
「反射的に手が出た? あり得ないね、そんな事。僅かな可能性すらも潰す為に幾つも策を巡らせたんだ。執拗に」
仏頂面――――なんて表現をシャルフに使う事になるとは思わなかった。格下相手に思惑を外された屈辱に苛立ってるのは、寧ろこっちか。
「今のオマエの動き……"あらかじめオレがその女を狙うとわかっていた"としか思えないあの動き、一体なんなんだ?」
そんな事言われても知らないって。本当にただ反射的に手を出しただけだし。
……いや、でも確かに、驚くほどスムーズに奴の狙いがポンポン頭に浮かんで来たな。戦闘経験なんてロクにない俺にしては。
これも、この身体の元持ち主の経験やセンスが反映されてるんだろうか? 【観察眼3】みたいな固有スキル持ってるとか。
……あーダメだ……これ以上は集中して考えられない。痛ぇ……もう吐きそうなくらい痛い。幾ら痛みに強いとは言っても限度はある。もう激痛っつーか爆痛だ。意識がハッキリしてる分、刺された時より全然キツいわ。
「説教は後回しよ。すぐ終わらせるから」
そう俺に告げたティシエラは、一歩二歩と前に出て、シャルフと対峙していた。彼女の表情は窺い知れないけど、背中が微かに震えているように見えた。
「貴方が何者か知りたかったけど、もういいわ」
「オレを消す気かい? この館がどうなっても……」
既にさっきまでの余裕は消えていたシャルフだけど、今の一瞬が一番、感情を露わにしていた。
恐らくは、畏怖だ。
「……どうやら、気を遣う余裕もないか。これはちょっと分が悪――――」
刹那。
耳元で巨大風船が割れたかのような破裂音と共に、シャルフの身体が遥か後方……通路の最奥まで一瞬で吹き飛び、壁に衝突したまま動かなくなった。
……絶句する以外にない。何だよ今の。衝撃波か?
伝説のパーティの一員って肩書きは本物だった。ティシエラはやっぱり、とてつもないソーサラーなんだ。
でも、そのティシエラの顔は敵を倒した達成感など微塵もなく、険を更に深めていた。
「あれでも意識を刈り取れないの……?」
……え?
いやいや、あんなのどう考えても一発KOだろ? 20mくらい吹き飛んだぞあいつ。ダンプに撥ねられたってああはならんだろ。普通に考えて、生きてるとは思えないんだけど……
げっ! 姿がない! 遥か遠くの壁にめり込んでいた筈の身体が――――忽然と姿を消してやがる!
心臓の鼓動が鳴る度に、痛みが響く。
一体、何処に……
「良くないよ、ああいうの」
「!?」
嘘だろ……? あんな遠くにいた奴が今の一瞬で俺の背後に……?
「トモから離れろっ!」
いち早く反応したコレットの剣が、奴のいた空間を薙ぐ。縮地によって回避されるのはわかった上で、俺から引き離そうとしてくれたんだ。
「ズルいな。回避不能の【クロックバズ】を使うなんてさ。だからオマエは嫌いなんだ。能力の応酬にならないよね、それじゃ」
バックステップするような体勢で俺から離れ、俺達と女帝およびディノーの間の位置に姿を見せたシャルフは――――無傷だった。恐らく十連ヒーリングで全快したんだろう。
恐慌状態も治したんだろうか。もしそのままだとしたら、相当魔力を消費した事になる。それでも、奴に焦りの色はない。
「……この化物」
「オマエに言われる筋合いはないね。あんなに怖い思いをしたのは久し振りだな。危うく自分で自分に蘇生魔法かけなくちゃいけなくなるところだ」
シャルフの視線は、ティシエラに固定されている。さっきまでは俺にロックオンしていたけど、今や眼中になさげだ。どうやらストーカーの標的から外れたらしい。勿論、一抹の寂しさとかは一切ない。
「何者なんだ……? これだけの人間が揃っても苦戦するモンスターなんて、少なくとも城下町近辺にはいない。まさか幹部クラスなのか……?」
苦々しい表情でディノーが問いかける。もしそうなら、かなりショッキングだ。魔王軍の幹部が街の中に溶け込んでいたなんて、想像するだけでも恐ろしい。聖噴水に頼り切っていた弊害だ。
「さっきからずっと的外れなんだよ、オマエ等は。ヒーラーだのモンスターだの、オマエ等が勝手に区別してるだけの話だ」
「……どういう意味だ?」
「それも勝手に判断するんだな。オレの用事はもう済んだ。本命は外したけどな」
その淡々とした発言と同時に、闇弾が放たれる。狙いは――――俺かよ! ティシエラじゃなかったのか!?
「マスター!」
今度はイリスが魔法で障壁を作ってくれた。もう至れり尽くせりだな。そんな自分が恥ずかしい。
「逃げたよ! 追いかけな!」
女帝の言葉通り、俺を攻撃したシャルフはその隙を突いて更に後方へと移動していた。縮地は短距離の瞬間移動らしいから、一気に逃げる事は出来ないらしい。
その姿を目で追っていると、間にコレットがニュッと割り込んで来た。
「トモっ! 敏捷重視お願い!」
「追うのか? 危険じゃないか?」
「あのヤバいのを野放しにしておく方がずっと危険だよ!」
一理ある。コレットの身が心配だけど、この面々の中で奴を追えるのはコレットくらいだ。
「敏捷4割! 残り均等!」
バランス的にはこれがギリ。これ以上偏らせると戦闘力を大きく削いでしまう。
「逃がすかぁぁぁぁぁっ!!」
縮地を連続で使用するシャルフを、猛烈な速度でコレットが追いかけていく。オネットさんやディノーも続いて行ったけど、全然追いつけそうにない。事実上、一対一の追いかけっこだ。
「……」
「コレットが心配?」
最後尾のオネットさんが姿を消した後もその方向をじっと眺めていた俺に、ティシエラが再度寄ってきた。今度は怒っている様子はない。
「大丈夫よ。奴が逃げを打ったのは、魔力が尽きかけていたから。恐慌状態でヒーリングを連発したんでしょうね。おくびにも出していなかったけど」
やっぱりそうだったのか。あんなすました顔して、実は相当追い詰められてたんだな。
そんな窮地を悟らせず、貧弱な俺を攻撃する事で周囲の注意を引いて、逃げ出せる隙を作ったのか。モンスターとは思えないほど理詰めな奴だった。
にしても、あれだけの怪我を負ってこんな冷静に分析できる俺、何気に凄くない? 誰か褒めてくれても良いんだけどな。こういうのをサラッと指摘してくれる人と結婚したい。まあどうせ無理なんですけどね!
「……随分顔色が良いわね。左手は大丈夫なの? 凍傷の心配はまだないと思うけど……」
「あ、確認するの待って! 今ちょっとグロいから!」
思わず後ろに隠してしまった。幾らなんでも女性に見せられるような手じゃない。自分でも見たくないのに。
……冷静に考えると、この左手もう使い物にならないよな。これヒーラーに治して貰うしかないのかな。現状、まだ玄関にいるメデオか馬車の中にいるマイザーの二択か。
うわぁ……どっちも嫌だなぁ……借金増えるの確定だ……下手こいちまったなあ……
「どれどれー? ヤメちゃん生ける屍だからグロいの全然平気なんだよね。見せてみなー」
不意に、ヤメが俺の左手首を掴んでジロジロ凝視し出した。いるよな、グロいの平気どころか凄く興味持って見る奴。マジ意味わからん。
「あれ? 全然グロくないんだけど。っていうか何ともないじゃん。うっわ、このギルマス女の子から同情買おうとして嘘ついてる! ダッサー!」
……あ?
いや待て。確かに痛みは感じない。もう麻痺してるのかと思ったけど、冷たくもない。
意を決して左手を掲げてみる。
指が五本あって黒ずんでもいない、ごくノーマルな手だった。
回復……されたのか?
『良くないよ、ああいうの』
……あの時だ。
気付かない内にヒーリングをかけられていたのか。
でも請求書らしき物は落ちていない。だったら何が目的で治したんだ……?
ま、何にしても奴の正体がモンスターなら、回復料を払う必要はないだろう。ただ、奴はさっきティシエラに魔物かと問われた際、俺が勝手に言っているだけ……と答えていた。実はモンスターじゃなくヒーラーでした、なんてオチじゃないだろな?
この両者の区別全然付かないからわからん。最早ヒーラーからモンスターの気配がしても全く驚きはない。その方が自然まである。
「治されたみたいね。でも、あの怪我だとヒーリングはどの道必須よ。割り切って考えた方が良いわ」
「そうだな……」
左手をグーパーしてみる。特に問題はなさそうだ。素直には喜べないけど、取り敢えず五体満足で済んだ安堵はある。利き腕じゃないとはいえ、使えないと不便だしな。
「随分派手にやってくれたねえ。また修理しなきゃならないよ」
頭を掻くような姿勢で、女帝が近付いて来る。この人の圧にも流石に慣れてきたな。
「弁償はさせて貰うわ。忠告を無視した負い目もあるから」
「それには及ばないよ。鬱陶しいヒーラーを追い出してくれただけで十分さ。トモも良くやってくれたね。ありがとよ」
肩にポンと大きな手を置かれ、笑顔を向けられる。体育会系の上級生にボディタッチされてる気分だ。
でも悪くはない。変則的だったけど、一仕事やり遂げた訳だしな。
後はコレット達が無事戻って来るのを祈るだけだ。捕まえられれば尚良いけど、あの縮地とスティックタッチの厄介さを考えると、かなり厳しいだろうな……
「ね、マスター」
物思いに耽っていたところで、今度はイリスが近付いて来る。彼女はボディタッチはNGだから触っては来ない。ちょっと残念。
「さっき大怪我したのって、やっぱり私達を守ってくれたんだよね? マスターが防いでくれなかったら、こっちに飛んできてたよね、あの魔法」
「……あー、そうかもね」
そういえば、あの時ティシエラの周囲には大勢のソーサラーがいたし、そういう捉え方にもなるか。
でも、だったらなんで俺はあの時『シャルフが狙っていたのはティシエラ』って断定したんだろ。
……ま、良いか。事前にティシエラが魔法で精神攻撃してたから、咄嗟にその反撃って解釈したんだろう。多分。そういう事にしておこう。
だって――――
「そうだったんですか!? 私気付きませんでした!」
「やっぱりイリスが言ってた通り、優しい方なんですね!」
「助けてくれてありがとうございます! お礼させて下さい!」
この一世一代のモテキに水を差すのは勿体ないからね!
ソーサラー達を闇弾の脅威から守った男、それが今の俺。結果論なんて関係ないね。30代だろうと乗るしかない、このビッグウェーブに!
「……」
「!? あ痛った! えっ何!? 今の何!? もしかしてシャルフが戻って来た!?」
急に何者かから思いっきり足を踏まれたような激痛に見舞われたものの、真相は不明のままだった。
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