第141話 凡夫の幻想

 ファッキウの顔には、明らかな変化が見えた。元々中性的な顔立ちの超絶イケメンだったけど、明らかに以前見た時より女性っぽくなっている。より女顔になった。性転換の効果が顔にまで表われたのか、それともただの化粧かはわからないけど――――


「やはり僕の前に立ち塞がるのは君だったか。最初からそんな予感はしていたよ。この完璧に左右対称で宝石よりも美しい僕の目に狂いはない」


「……なんだそりゃ? 立ち塞がってきたのはそっちだろ」


「惚けても無駄さ。君はフラっとこの街に現れて以降、常に僕の邪魔をして来たじゃないか。それでもまだしらばっくれる気かい? 君が僕を監視していたのは純然たる事実じゃないか」


 え……急に何言い出すのこの人。もしかして被害妄想の症状に苛まれてる人なの? やっぱクスリやってんじゃないだろな……


 でも、改めて考えてみると確かに向こうの言い分もわからなくもない。


 ファッキウは、自分の理想とする女性像はルウェリアさんだと言っていた。だから彼女の親衛隊を作ったか入ったかして、悪い虫が付かないようにしつつ、いずれ自分が同じような女性になれるよう観察していた。確かそんな話だったか。


 そんな奴の前に、俺は武器屋の警備員として現れた。そう考えると邪魔な存在と思われても仕方ない。


 同時にファッキウは、自分の母親が経営している娼館を我が物にしようと目論んでいた。時期尚早とする女帝とは意見が合わなかったらしく、親子関係も良好とは言えない。


 そんな最中、俺は女帝と娼婦警備の契約を交わした。これも奴にとっては妨害工作に思えるだろう。例えこっちにそんな気など微塵もなくても。


「……まさか、その仕返しで俺達が探していたネシスクェヴィリーテを先んじて盗んだり、選挙に出て対抗馬になったりしたんじゃないだろな」


「下らない詮索を。この僕が……いいか、人類史上最高傑作と断じても良い見た目のこの僕が、君をまともに相手にする理由など一つもない。見ろこの完全無欠な顔面を。君如きに悪感情を抱くレベルの顔面に見えるか? 遥か高みから見下ろす凡夫の顔はどれも同じに見えるものだ。君の顔が平均より多少上であろうと僕にはただの大雑把な凹凸にしか見えない。ベヒーモスがアルミラージを脅威に感じる事がないように、僕が君を敵と認識するなどあり得ないと断言しよう」


 酷い言われようだけど、実際あの顔にはとても敵わないから、何を言われようと怒る気にもなれない。そもそも俺、自分の容姿の優劣にあんま興味ないからな。不細工って言われても何とも思わん。


「しかし、執拗に僕を妨害してきた君の事だ、この説明でも納得はしないだろう。面倒だが真相を話してやる。この話を聞けば、君とて考えを改める筈だ」


 いや、そもそも監視やら妨害やらが完全に誤解なんだけど……まあ、語るってんなら聞くけどさ。


「んー、やっぱり私あの人苦手。話し方が受け付けない」


「でもあの顔は凄いですよ! 凄い出来です!」


「そうかな……私はあんまり好みじゃないかも」


 女性陣がミーハーと化している。あとコレット、美的感覚が独特だな。男の俺でもあの顔は美形過ぎて思わずガン見したくなるくらいなのに。


「ヒーラーとつるんでる理由も聞かせてくれるのか……?」


「フン、良いだろう。僕はいずれこの街の中心になる人間。説明責任は果たそう」

 

 ようやく出血が収まったらしく、ディノーはずっと抑えていた右目から手を離し、ファッキウを敵意剥き出しの顔で睨んでいる。


 まさか、ファッキウからもモンスターの気配がするのか……?



「性転換の秘法は完璧じゃなかった。効果は一時的だったんだ」



 ――――そんな疑念は、ファッキウの最初の説明で一気に吹き飛んだ。


「既に秘術を受けた者の何人かは、元の状態に戻っている。いずれ僕もそうなるだろう。だから僕は、あらゆる手段を用いて今の状態を保とうとした」


「まさか、ヒーラーと契約したのは……」

 

「無論、彼らの回復魔法で秘術の効果永続を出来ないか、試す為だ。僕は回復魔法や蘇生魔法を『時を戻す魔法』と解釈している。身体の負傷部分を以前の状態に戻す事で回復や蘇生が可能なのだと。そこにいるメデオは違うようだが、僕と同じ考えのヒーラーも大勢いたから、契約は簡単だったさ」


 えーっとつまり、回復魔法をかけてもらう事によって身体の時を戻し、性転換した状態を保てないか試したかった訳か。


 なんて執念……


「だがヒーラーは厄介な連中でね……『怪我を癒やす目的以外で回復魔法を使いたくない』という原理主義と、『金さえ稼げれば良い』という過激派に分かれていたんだ」


「厳密にはようけ細分化しとるんやがな」


 ずっと黙っていたガイツハルスがようやく口を開いた。まともな会話が出来る数少ないヒーラーだ。


「ま、ワイは後者のクチやさかい、面倒な契約はしとらん。一定期間内、無制限に回復魔法を使ってやる代わりに相応のまとまった金額を受け取っただけや」


 まとまった金額か……金銭感覚ぶっ壊れてるヒーラーがそう言うって事は、最低でも日本円にして億は下らないだろな。このイケメンなら、それくらいの金額を一括で支払えても不思議じゃない。あの顔に出資する女性は山ほどいるだろう。


「で、実験は上手くいったのか?」


「……」


 露骨にファッキウの顔が歪む。どうやら失敗したらしい。回復魔法と蘇生魔法の定義がそもそも間違いだったんだろう。マイザーが言っていた『回復魔法で欠損部分を復元してもフィーリングは戻らない』って話が本当なら、時を戻す力ってのは明らかに誤った解釈だ。


 失敗したのなら、もう諦めるしか道はない筈。それなのに奴は未だこうしてヒーラーとつるんでいる。つまり……諦めてないって事なんだろう。


「僕は今尚、醒めない夢の中にいる。こう言えばわかるだろう」


 やっぱりか。そうまでして女になりたいもんかね。腰を痛めたのはお気の毒だけど、女性が寄ってこない環境に身を置けば良いだけじゃないのか?


 ……いや、奴は娼館を継ぐ気でいるから、それは不可能なのか。そう考えるとちょっと気の毒だな。ある種の女性恐怖症なのに、娼館を経営するってのは中々の地獄だ。


 奴は以前、娼館を訪れた俺に娼館と娼婦に対する自分の想い、そして矜恃を語った事があった。この娼館にいるのは一流の娼婦ばかりだと、誇らしげに話していた。奴には奴の信念があるんだろう。


「元々、回復魔法は次善策だった。本来ならもっと確実な方法があったんだがな……僕にはそれを実行に移す勇気がなかった」


 何の事を言っているのかはわからないけど、要するに他にも手立てはあった訳か。なら勇気出してそっちを実行しろよと言いたいところだけど、多分そっちもロクな手段じゃないんだろな。


「そういう訳で、この娼館はヒーラーに差し押さえられた」



 ……?



「え? 今なんて?」


「これだけの熱量で語る僕の言葉を聞き漏らすとは、無礼な男だ。この娼館はヒーラーに差し押さえられたと言ったんだ」


 は!? 急にどうした!? 何がどうなってその結論に飛んだんだよ!? 訳わからないにも程があるぞ!?

 

「いやお前さっき『既に娼館を支配した』とか『僕が王だ』って言ってたじゃん! なんで差し押さえられてんだよ!」


「あー、それについてはワイが説明しよか」


 肩を竦めながらガイツハルスが割り込んでくる。確かに今は第三者の意見を聞きたい。


「要はこの御仁、契約延長を望んだんや。当然、追加料金を支払って貰わなアカンのやけど、もう手持ちがない言うもんやから、所有物で一番高価なのは何や聞いたら『娼館は僕の所有物だ』言うもんやから、なら差し押さえまひょって訳でこーなったんや」


「僕の借金で差し押さえられたのだから、名実共にこの娼館は僕の物、支配者は僕という訳だ。納得しただろう?」


「するかボケ! お前はバカか!」


 思わず自分のこめかみに指を当ててベタにツッコんでしまった。


 まさかの大どんでん返し。ここまで下らない大どんでん返しが過去にあっただろうか。


「僕を侮るなよ。今は一刻を争う事態だから、緊急処置でこうなっただけだ。僕がその気になれば、娼館を買い戻すくらい訳はない。僕を一時間自由にして良いと宣言すれば、世界中から出資者が集まるだろう。男女問わずな! フハハハハハ!」


「お前はそれでいいのか?」


「……我慢するからいい」


 急に目が死んだな。冷凍マグロくらい死んでる。腰クラッシュしてるらしいから、性的な目的で出資されたらマグロになるしかないんだろな……


「そんな訳やから、この娼館を占拠しとんのは正当な理由や。エアホルグを倒したんは大目に見たる。別に仲間意識もないさかい。はよ消えや」


「そういう訳にはいかない……! ファッキウ、君はヒーラーの中にモンスターが紛れ込んでいたのを知っていたのか……!?」


 これがただのファッキウ個人の問題だとしても、娼婦護衛の任務を請け負っている俺達が簡単に引く事はできない。でもそれ以前に、ディノーの言うように今回の件は見過ごせるような話じゃない。


「当然知っていたさ。それがどうした?」


「なっ!」


 こいつ……


「見た目がおぞましいままなら当然、人間社会とは相容れない存在だろうが、人の姿になれるのなら問題はないだろう? この街には並のモンスターより恐ろしい奴等が山ほどいる。強さも、性格も」


 その発言の直後、全員が一斉にオネットさんの方を見る。


「?」


 本人は自覚ないみたいだけど、説得力はあるよな。この人より恐ろしいモンスターって殆どないんじゃないか?


「そ、それは詭弁だ! 彼女と違ってモンスターは何の罪もない人間を襲うんだぞ!? 自由に出入りされたらたまったものじゃない!」


「事実誤認も甚だしい。幾ら人間に化けようとモンスターはモンスター。聖噴水を突破するには至らない」


「だが現に今、人間に化けたモンスターがここに……」


 そこまで叫んで、ディノーは唐突に言葉を止めた。


「……まさかあの時、聖噴水の効果が消失したのは……」


 ファッキウの口の端が露骨に吊り上がる。


 こいつ、まさか――――


「聖噴水がマナの力で作用しているって聞いたものでね。なら、マナを刈り取る武器で機能停止できると踏んだのさ。そうすれば、彼らを街中に招く事が出来る。一度入りさえすれば、人間に化けている間は消滅する事もない。化けの皮が剥がれたら話は別だがな」


 その言葉を聞いて、思わず息絶えたエアホルグの方に目を向けると、既に奴の姿は完全に消えてなくなり、メデオが無念そうに天を仰いでいた。


 あの事件の犯人はファッキウだったのか……!


 って事は、奴が城からネシスクェヴィリーテを盗み出したのは、ルウェリアさんに献上する為でも、俺への嫌がらせの為でもなく、聖噴水を無効化する為だったのか……?


「なんでそんな真似するんだよ! お前の目的は性転換して娼館を自分で運営する事じゃなかったのか!?」


「そう喚くな。僕は別に人類を滅ぼそうとか、敵対しようとか考えている訳じゃない。全てにおいて最善の手を尽くした結果、こうなっただけの話だ」


 何を訳のわからない事を……


「性転換の秘法は禁術とされている。人間には使えないのだよ。だったら人外の者に頼るしかないだろう? しかし人外の者と交流を持てば、僕らはいずれ淘汰される。そうならない為には……支配するしかない。この街の支配者になれば、幾ら猛者揃いのこの街でも僕等を裁けないだろう? だからフレンデルに立候補させたんだ! まず抑えなければならない組織は冒険者ギルドだからな!」


「な……」


 呆れて文句も言えない。全てが一本の線で繋がったと言えば綺麗に聞こえるけど、要は我を通す為に非道の道を無理矢理作ったに過ぎない。


 この街で起こっていた問題の大半は、こいつが元凶だったのか……


「これでわかっただろう! 僕の行動の全ては我が道の為であって、君如きに左右される僕ではない! いや、君だけじゃない。僕を顔だけの人間だと思い込んでいる全ての者に、その思い上がりを後悔させてやる。僕はこの顔に誇りを持っているが、顔に頼り切っている訳じゃない。『顔で負けているが他では勝っている』などという凡夫の幻想を全て叩き壊してやる。その為なら時に道化も演じ、モンスターとも手を取り合おう。夢は競争だ。夢を叶えるには、競合する誰かの夢をへし折らなければならない。日和って『他人を犠牲にしてまで自分の夢は貫けない』なんて言う腰抜けが僕は大嫌いだ! 我が道を征くのなら、邪魔する全てを蹴散らす。それが僕の生き様だッ!!!」


 ……なんという開き直り。いっそ清々しいくらいだ。


 俺は自己犠牲を肯定して生きてるから、奴の主張とは相容れない。でも、全く理解できないかっていうと、そうとも言い切れない。夢を叶える過程で他人を蹴落とすのを正当化して綺麗事を並べるよりは、奴の吐露の方が共感はできる。


 でもそれは、奴の野望を肯定する理由にはならない。


「つーか、どうしてそんなに急いで娼館を継ごうとするんだよ? 女帝が首を縦に振るまで待てば良いだけの話じゃないの?」


「既に君は納得した筈だ。これ以上の説明は必要ない。僕がこうして筋を通したのも、君を利用した負い目からだ。ここまで言えばわかるだろう?」


 利用……? ネシスクェヴィリーテの交渉を持ちかけた事か? あれで本当の目的をカムフラージュしようとしてたんだろうか。モンスターの一件が露呈した今、隠す意味もないし。


 どうやら、自分の夢の為に迷惑を掛ける事を何とも思っていない訳でもないらしい。


 だから何だって話だけどな。罪悪感を抱いていようが、迷惑は迷惑だ。


「もーええやろ。ワイいい加減、我慢の限界やねん」

 

 待ちくたびれたように、ガイツハルスが好戦的な笑みを浮かべ、指をペキペキと鳴らした。


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