第136話 初めてのキスのお相手
ちょうちょがね、とってもきれいなちょうちょがとんでたんだ。
なんかあおくてね、あとくろいの。
とってもきれいだったから、おいかけたんだあ。
そしたらね、なめくじがいたんだよ。
ぬめぬめしててね、きもちわるいなーっておもったら、こんどはそのよこにみどりのようちゅうがいてね、うにょうにょうごいてたのー。
ちかくにはへびもいたよ。
にょろにょろしてた。
へびこわかったけど、めずらしいからずっとみてたら、べろをちろちろだしてね。
ちろちろ……ちろちろ……
……チロ?
「にょろーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
「がっ……!」
急に蛇がこっちを見たんで驚いたら、何かが頭にぶつかった。それが結果的にマイザーへの頭突きになったのを理解し、いつの間にか現実逃避してトリップしていた自分に気付く。その理由にも。
俺……もしかして人前で男にディープキスされてた?
「な、なあ……」
「……」
「……」
「……」
「なんで三人揃いも揃って見入ってんだよ! 助けろや!」
「え……だってそんな事言われても……」
「ゴメン無理」
「ヤメちゃん新世界の扉開きそうになったかも。動いてない筈の心臓がドキドキ」
ダメだ、このメンツには男に口の中荒らされまくった男心を理解できる奴はいない。
うげぇ………マジ気持ち悪ぃ。洗口液でオーラルケアしたいけど、そんな物はこの世界にはない。歯ブラシもないからね。金属製の爪楊枝と炭や塩を主原料にした歯磨き粉くらいだ。しかも全部高額だし。
最悪だ。人生最悪の一日だ。死んだと知った時より凹んでるかもしれない。
「……俺のキスを拒絶したのはお前が初めてだ。まさかこんな屈辱を味わうなんてな。口の中切れちまった」
俺をこんな目に遭わせた張本人はいつの間にか距離を取り、頭突きの衝撃で切った口から血を垂らしていた。さっきまでの余裕は失せ、目が血走り額には血管が浮かび上がっている。いやなんで強制わいせつ罪かましといて逆ギレしてんだよ!
ぐああああああ! もーヤダ何もかもヤダ! 穴があったら奴を蹴落として自分も飛び降りたい! そんな衝動が荒れ狂ってる。
だがそれを死ぬ気で抑えて、さっきのおぞましい経験の前に得た情報を仲間に伝えるべく考えを纏める。だって俺はリーダーだから。俺マジ偉すぎるだろ。世紀末リーダーにだって負けちゃいないこのキャプテンシー、誰か褒めてくれよ。
「……奴のスキルは大体わかった」
「だ、大丈夫? 気をしっかり持って。私、別に汚れたとか思ってないから」
コレットうるさい。思い出させるな。でもありがとう。
「さっき奴と対峙した直後、急に俺自身の身体が見えたんだ。恐らく、奴と俺が入れ替わったっぽい」
「えー? でも身体は何も変わってなかったよ?」
「入れ替わったのは身体じゃなくて意識なんでしょ。聞いた事もないスキルだけど」
ヤメに対するシキさんの答えは、俺の見解は一致している。シキさんも何度かそのスキルを食らってるから、身に覚えがあったんだろう。
この戦いで何度か経験した硬直は、奴が一瞬、瞬きする程度の時間だけ俺やシキさんと意識を入れ替えたからだ。恐らく目を瞑ってから入れ替えてたんだろう。だから視界の違いに気付けず、突然の身体の変化に心がついていけなくて硬直してしまう……そんなところか。
「道理で舌なめずりが多いと思った。相手の意識を目じゃなく口に持っていく為だったんだ」
成程、それは頭になかった。流石シキさん、戦闘慣れしてるだけあって洞察が鋭い。
何はともあれ、謎だった奴のスキルはほぼ特定できた。犠牲は大きかったが……
「コレット」
「あ、うん」
コレットの手を掴み、小声で調整スキルを発動。これで夕食前のステータスに戻った筈だ。ようやく万全の態勢で戦える。
それでも優位に立った気がしない。あの入れ替わりのスキルは相当厄介だ。
恐らく一瞬、長くても1、2秒程度しか入れ替われないと思うんだけど、例えば攻撃の瞬間に入れ替わって武器から手を離したり、防御の瞬間にわざと棒立ちになったりするくらいは出来る。状況次第じゃそれが致命的になりかねない。
「ケッ。思った以上に面倒な連中だったな」
そう悪態をつきながら、マイザーは血で汚れた口元に手を当て、目を瞑り――――
「……?」
いつの間にか血が拭われていた。
微かに時間が飛んでいる。またスキルで俺の意識と入れ替わってたのか? でも何の意味があって……?
「口の中血だらけでキスするのは衛生的に良くねぇ。俺は紳士だからな。治したぜ」
「治した……?」
回復魔法を使ったのか。自分の傷は治らない場合もあるって話だったけど、たまたま一発で治ったのか?
それとも一発で治る確信があったのか?
「不安がらせちゃいけねぇから教えてやるよ。俺のスキル【転換】は、お前等が分析した通りだ。一瞬だが他人とマギを入れ替える。マギに付随する意識もその間は入れ替わるって訳だ。重要なのはここからだが……こいつを使っている間は、俺の身体には他人のマギが入る。つまり、回復魔法は失敗しねぇ」
……そういう事かよ。精神が入れ替わっている瞬間に回復魔法を使えば、それは他人に使うのと同じ効果が得られるのか。
「そんなスキル本当にあるの? 聞いた事ないけど」
「疑うのも無理はねぇ。実際、普通の人間には使えねぇだろうな。俺のセンスと、マギをコントロール出来る術があるから可能だ。見てみな」
マイザーは口を大きく開け、シキさんに怪我が治っている事をアピールした。ついでに舌をヌルヌル動かしていた。気色悪……口の中に触手飼ってんの?
「お前らがヒーラーの邪魔をしてるのは聞いてっけどよ、俺にとっちゃ大した話じゃねぇ。情熱的で官能的なキスが出来るかどうか。それが全てだ。その俺のプライドを粉々にしたお前とは……このままでは終われねぇ」
今にも噛みついてきそうな形相だ。そこまでキスに自信あったのか? いや、正直別にそこまでは……うげ、また思い出しちまった。
でも、俺に執着しているのなら都合が良い。この男は逃がす訳にはいかない。
何故なら――――
「コレット、多分こいつがマギヴィートの持ち主だ」
「うん。それはわかってる」
流石に自分の問題だけあって、それについては早々に察してたか。四天王で、かつヒゲがあるって特徴は伝えてたしな。
間違いなく、奴がチッチの父親だ。こんな親父に育てられていたとはな……そりゃ人格も歪むわ。
それにしてもコレットは偉い。本当なら、誰よりもあいつがこの男をとっちめてマギヴィートを自分に使わせたかった筈。それなのに、弱体化している自分を冷静に受け止めて、足を引っ張らないよう距離を置いていた。
自分よりもチームを優先できる。そして冷静な判断を下せる。普段はポンコツ気味でも、そういうところはしっかりしてるんだよな。
やっぱりコレットは俺よりずっとギルマスに向いている。そう思う。
「私が切り込むから、シキ……さんは追撃をお願い」
そのコレットが、一歩前に出る。頼むぜ切り札。キスを封殺できるお前が頼りだ。
「こういう時に呼び方で迷うくらいなら呼び捨てにしてよ。年変わんないでしょ」
「あ、うん。シキ、頼める?」
「了解。ヤメ、隊長みたくなりたくなかったらしっかり支援しなよ」
「ういーっす」
なんとも女性陣の頼もしい事。今度は俺がさっきのコレットみたく空気になる番だ。本当は男の俺が盾になって戦うべきなんだろうけど……ヘボい攻撃仕掛けても邪魔にしかならないからな。
「俺は美味しい物は最後にとっておくタイプだからなぁ……まずはお前から頂くとすっか。そのフザけたマスクを剥ぎ取ってな」
「コレット気をつけろ! あのスキルはマジ厄介だぞ!」
マスクを剥ぎ取られる心配はない。でも入れ替わりスキルで強制的に動きを封じられたら、何をされるかわかったもんじゃない。
ただ、それはコレットも織り込み済み。圧倒的なステータスを武器に、一撃で仕留める気だ。
コレットの速度が勝るか、それよりマイザーのスキル発動が早いか――――
地面を抉るように蹴る音が聞こえた。
勝負は一瞬だった。
そして、紛れもない有言実行だった。
「……?」
その場にいる全員、一人の例外もなく、今起きた事を理解できず呆然としている。
俺もそうだ。意味がわからん。
どうして……コレットのマスクが脱げたんだ?
しかも髪の色が変わってる。黒髪だったのに何故か銀色の髪になっている。
「……あれ?」
当の本人が一番狼狽えてる。いや、俺も相当混乱してるけど。コレットの顔久々に見たってのに、全然感慨が沸いてこない。ずっとその為に東奔西走してきたのに。だって仕方ないだろ。このタイミングでの心願成就は全く頭になかったし、微妙に以前と違うし……
つーか一体何がどうなって脱げたんだよ!
「ば、バカな……何故アレがここに……?」
マイザーも明らかに混乱している。血走っていた目が更に見開かれ、途方に暮れているようにも見える。口振りからして、コレットを知っているみたいだけど……まあレベル78の有名人だからそれは別に不思議でもないが。
奇妙な状況だった。確かに数刻前までバチバチやり合ってたのに、全員の戦意が削ぎ落とされたような感じに――――
「死ね」
……なっていない人が一人いた。
いつの間にかマイザーの背後に移動していたシキさんが、漲る殺気で奴のこめかみを殴打。悲鳴すらあげる間もなく、マイザーはその場に崩れ落ちた。
元とはいえ暗殺者はやっぱ凄げーな。打撃音こそ地味だけど、ナイフの柄から湯気が出て来そうな強烈過ぎる一撃だった。
でもなんかドサクサ紛れに倒しちゃったな。いや勝ちは勝ちだし別に良いんだけどさ、こうも達成感のない勝利は素直に喜べないというか……釈然としない。だって俺だけ被害甚大だし。俺だけ被害甚大。俺だけ。ファッ!! クァーーーーーーーーッ!!
「隊長、殺さない程度に舌を削ぎ落として良い? 舌が千切れたくらいじゃ人間死なないから」
「出来れば自重して。拷問なら後で俺がやるから。あとそいつには聞きたい事沢山ある。取り敢えずロープで縛ろう」
暴れヒーラーをふん縛る為に用意していたロープで両手両足を拘束。これでもう大丈夫だろう。
「……」
未だに呆然としているコレットに恐る恐る近付いて髪に触れてみる。
「えっ何!? トモってばこんなトコで何する気!?」
「何もしねーよ。ホラ、自分でまだ気付いてないだろ? 髪の色変わってんぞ」
自分の髪なんて鏡でもない限り見えないから、肩の辺りの髪を束になるよう掴んで目の前に見せてやる。
コレットは――――意外にも驚いた様子はなかった。
「あー……そっか。ずっとマスクの所為で染め直せなかったから」
「え? 黒に染めてたの? なんで?」
「この髪だと目立っちゃうでしょ? 日光に当たるとキラキラするし」
成程。目立たない為に銀髪を黒にしてた訳か。陰キャらしい発想だ。
にしても、銀髪か……悪くない。いや寧ろ良い。黒髪ロングも清楚な感じで良いけど、銀髪の方がパラディンマスターっぽいし。
そういや俺、ゲームでも銀髪のキャラ優遇してた気がする。そうか。俺は銀髪フェチだったのか。実物を初めて見て知る自分の性癖。そういうのもある。
「別に染め直さなくても良いんじゃないか? 呪いが解けて生まれ変わったって感じがするし、選挙にもプラスになりそうじゃん」
「何その安っぽい演出」
「それに、まあ似合ってるし」
「……本当?」
今更コレットにお世辞を言うつもりもない。向こうもそれがわかってるのか、いつものようにネガティブ発言する訳でもなく満更でもない様子で毛先を弄り出した。
「じゃあ……今後はこれで」
そう了承し、コレットは久々に笑顔を覗かせた。まあマスクの裏で笑ってたかもしれんけど。
「でも、どうして急に取れたんだろ……」
ポツリと呟くコレットの手には、ずっと顔を覆っていたバフォメットマスクが握られている。どういう心理か知らないけど、その手はまるで赤ちゃんを抱いているように丁重だった。
「偶然って訳じゃないだろうな。あのキス魔ヒーラーがマギヴィートを使ったとしか思えない」
「私に?」
でも、そんな素振りはなかった。だとしたら――――
「いや、自分自身にかけてたんじゃないか? 魔法が効かないのは、マギを受け付けない身体になってたって事だろうし」
その状態のマイザーと一瞬入れ替わったから、コレットのマスクにマギヴィートが作用して外れた……って事なんだろう。多分。いやわからんけど。
武器にもマギは宿っているけど、魔法と違ってマギの塊って訳じゃないから、威力は落ちるけど完全無効化って訳にはいかなかったみたいだな。
……それでも一撃で仕留めたシキさん、マジ半端ねーっす。
「ま、色々あったけど四天王クラスを無事鎮圧できたし、コレットも無事元に戻れたし、終わりよければ全て良し! これにて一件落着! 切り替えていこう! 切り替え大事よ!」
「ギルマス~。ダメだよ現実から目を背けちゃ~。ホラホラ、初めてのキスのお相手だよ? ちゃんと見てやりなよー」
「だーっ! 決め付けで嫌なイジり方すんな! せっかく記憶から消そうとしてたのに!」
喜々とした煽り顔で白目剥いてるキス魔ヒーラーの首をグリグリ動かすヤメとは対照的に、コレットの表情は冴えない。ようやく、長かったマスク生活から解放されたというのに。
「何? 嬉しくないの?」
それに気付いたシキさんが問うと、コレットはゆっくりと首を左右に振り、自分の胸に山羊マスクを抱いた。
「ただ、こんな急にお別れが来るって思わなかったから……この子とどう向き合えばいいかわからなくて」
「そ、そう」
明らかに引いているシキさんが助けを求めるように『コイツ何言ってんの?』って顔でこっちを見てくる。
何らかのフォローをすべきなんだろうけど……すいません、俺もその感情はわかりません。こいつ何言ってんの?
そんなこんなで、山羊コレットが銀髪コレットに進化した。
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