第135話 ヤるんだよ俺らは

 死への恐怖が麻痺している今の俺にとって、生理的嫌悪は最大の恐怖の源。今まさに、それが目の前に迫っている。


「まさか……さっきキスしたのも、女性にだけ……じゃなかったのか?」


「野暮な事を聞くんじゃねぇよ。情事ってのはな、秘め事だから良いんだよ」


 いやもう答え言ってるようなものだろそれ!


 そりゃ敗北を知った顔にもなるわ。直接対決で格の違いを見せつけられたんじゃな……俺にとってもかつてないレベルの脅威だ。


「やれやれ、初心な奴等だ。来ないならこっちから行くぜ」


「チッ!」


 危機感を多分に含んだシキさんの舌打ちが、開戦の合図となった。


 キス魔ヒーラーのマイザーがすまし顔で瞑目し、最初に狙いを付けたのは――――


「へ? まさかヤメちゃん?」


 そのまさか。俺もシキさんも無視して通り過ぎ、一直線に突き進んでいる。こっちが瞬きしている間に。


 当然、俺達がその突進を意図的に見逃す理由はない。俺は単純に反応が鈍かっただけだが……シキさんまで対応が遅れるのは信じ難い。


 確かにマイザーの動きは速い。でも前に戦った他の四天王、隠密ヒーラーのガイツハルスほどじゃない。そいつと同タイプのシキさんなら十分対応出来る筈なのに……油断か?


「遠慮はいらねぇ。気持ち良くなるだけだ」


「キモッ……!」


 普段のヤメからは想像も付かないような、怯えきった顔。


 マズいぞ! このままだと彼女の口内が蹂躙される!


「きっ、ち、ちっ近寄るなーーーーーっ!」


 無抵抗なままでいる筈もなく、ヤメは何の小細工もなく迫ってくるマイザーに悲鳴をあげつつも、攻撃魔法を何発もぶっ放した。よくわからないけど光弾っぽい何かだ。これがグミ撃ちってやつか。初めて見た。


 その連撃をマイザーは――――



「見込み通り、活きがいいな。その上ピュア。好みだ」



 避けるでも防ぐでもなく、正面から堂々と受け止めてみせた。


 おいおいマジかよ……抵抗力高過ぎだろ! あんなの食らったら俺なら塵も残さないで死にそうなのに……


「ぎにゃーーーーーっ!! 来るな! 来るな! 死ね! 来るな! 死ね! 死ね!」


「まず一人」


 語意空っぽの罵詈雑言を捲し立てながら魔法を撃ち続けるヤメの抵抗もまるで通じず、マイザーの手が彼女の肩に伸びる。


 うわっ、もうダメだ――――


「バカ! 無駄撃ちしてないで逃げろ!」


 ――――などと諦めたその刹那。


 一筋の光が煌めき、それに気付いたマイザーの身体が軽やかに宙を舞った。


 そして直後、今度はヤメの周囲に何かが舞う。


「危なっ! ヤメちゃんに突き刺さるとこじゃん!」


「そんなヘマしないよ。助かったんだから素直に感謝したら?」


 今のは……キスを阻止する為にシキさんがナイフを投げたのか。会話からして、ヤメの髪を掠めるくらいギリギリを狙ったっぽいな。全然見えなかったけど。


 呆れるような口調とは裏腹に、シキさんの顔は安堵しているように見える。淡白なようで実は仲間思い? 何そのすっごい綺麗なツンデレ。


「隊長、気付いた? アイツ、魔法が効かないってだけじゃないよ」


「ああ……多分だけど俺達一瞬、硬直してたな」


 華麗に着地を決め、こちらに向き直したマイザーは、不敵な笑みを浮かべ品定めを続けている。


 こいつ、これまでのヒーラーとは明らかに雰囲気が違ってるな。回復魔法に対する執着より、キスに対する執着が勝っているように感じる。


「あれも奴の仕業か……?」


「どうだろうね。考えられるのは【魅了3】持ち、若しくは固有スキル」


「魅了って普通のスキルだよな……3までいくとそんな芸当まで出来るのか」


「私も経験はない。噂じゃ魔眼レベルらしいけど」


 しれっとそんな事言われても、こっちは魔眼なんて余計に経験ないんですが。まだ色気ムンムンで雄力高い男の魅力に目を奪われたって説明の方が納得いく。気分は悪いけど。


「ヘッ。流石にこれだけの人数相手だと、いつもみてぇに時間かけてネットリかき回すのは難しいか」


 再び目を瞑り、舌で自分の唇を嘗め回していたマイザーの――――姿が消えた。


「うおっ!?」


 そう認識した直後、俺の眼前で金属同士の衝突音が鳴り響き、微かに火花が舞う。いつの間にかシキさんがマイザーの武器――――小さめの片手剣をナイフで防いでいた。


 え? 今俺狙われた? っていうか、殺されかけた?


「ボーッとしてんじゃないよ隊長! 今くらいの動きなら反応できるだろ!?」


「あ、いや……」


 確かに俺は弱い。レベル40や50がゴロゴロいるこの街では最低クラスだろう。戦闘にも慣れていない。


 でも、今のは……明らかにおかしい。瞬きもしてないのに、人が消えたかのように見える訳がないんだ。そこまで異常なスピードなら、シキさんのフォローだって間に合う筈がない。


 恐らく、何らかのスキルを使っている。魅了ではなさそうだ。心を奪われているような感覚はないし。もっと別の、時間を止めるような……


「立て直すよ! 隊長は一旦後ろ――――」


「!」


 ヤバい! 今度はシキさんが硬直してる! 


 これが奴の仕業だとしたら、次は恐らく――――


「うおおおおおおおおっ!」


「……!」


 選択したのは、こん棒のフルスイング。マイザーに直撃する事はなく空を切ったが……何も問題はない。最初から当てるつもりはなかった。


 方法はわからないが、こっちの動きを一瞬だけ奴が封じているのは間違いない。なら、次の行動は当然、硬直させた相手への接近。それを阻止するには、奴の動線を予測した上で、そこに攻撃を仕掛ける。そうすれば向こうは接近する前に止まらざるを得ない。不格好だったけど、どうにか成功した。


「私……今どうしてた?」


「さっきの俺と同じだよ」


 信じられない、って面持ちでシキさんは一歩後退る。俺に助けられたのも察しているだろう。これでお互い様なんだけど、彼女にしてみれば屈辱的なのかもしれない。


 一方で、キスを未然に防がれっぱなしのマイザーは――――


「今のはタイミングが悪かったな。キスはタイミングが命だ。お互いが最高に昂ぶった状態で唇を重ねて初めて、エクスタシーってのは生じんだよ。俺とした事が……」


 ……やっぱりこいつ、ヒーラーの癖してキスの事しか頭にねーな。


 でも、それだけの敵じゃない。


「タイミングが悪かったのはキスじゃなくスキルなんじゃないのか?」


 俺が真っ当に強くて、真っ当に戦えて、力でねじ伏せられるのなら、戦闘中の無駄口は忌避すべき行為だろう。でもそうじゃない。なら俺に出来るのは、どんな手を使ってでも敵の隙を作る事だ。その為なら何だってやってやる。


「……何が言いてぇんだ?」 


「気付いてるだろ? 俺がお前の攻撃を予知して牽制したのを。お前のスキルを見切ったからだよ」


 指で拳銃を作り、マイザーを撃つ。勿論、実弾も霊丸も出ない。ただのポーズだ。


「さっきはシキさんが喋っている最中に突然止まった。だから俺は即座に異変に気付けた。お前は何らかのスキルで特定の相手を僅かの間、意識ごと止めている。時間を止めているのか、脳を止めているのかは知らないが」


 どうだ、と言わんばかりにドヤ顔。普段やらない顔だから、表情筋が若干引きつる。


 そんな俺の見解に対する応えは――――三度行われた舌なめずりだった。


「自信家は嫌いじゃねぇが、ほぼ不正解だ。カスっちゃいるけどな」


「うっわ……ギルマス、ダッサ」


 存在消してたヤメから突然のご連絡……! 味方になんつー辛辣な目を向けやがるんだ! ハズレなのは想定済みなの! 手掛かり欲しいから道化演じて口が軽くなるよう試みたの! 失敗したけど!


 っていうか、ヤメより更に存在消してる奴いるよな。戦闘になってから一切行動してないし、一言も発してない奴。


「おいコレット! 何やってんだよ! こういう時フォローしてくれる人いないと俺死ぬよ!?」


「的外れな事言ったフォローを人にさせちゃダメだと思うなー」


「そういう意味じゃないから! とにかく、早くこっちに――――」


 本来なら主戦力、それも人類最強クラスのレベル78を誇る筈のコレットは……俺達から遠く離れた位置でひっそり佇んでいた。


「……あ」


 そこでようやく気付く。


 そうだ、今のあいつは……抵抗力全振り状態だったああああああああああああ!


 道理で戦闘になった途端一切関わって来ない筈だよ! 今のコレット、俺よりポンコツじゃん!


 恐らくコレットも自分の状態を忘れていたんだろう。そしていざ戦おうとした途端、身体が全然イメージ通りに動かず大混乱したに違いない。移動中に全力疾走してたら、その時点で気付いたんだろうけど……いやマラソン程度の駆け足でも気付けよと言いたいけど、こっちも忘れてた手前強くは言えない。


「ごめん。私も今気付いた」

「ヤメちゃんも」


 他の二人もようやく状況を理解したみたいだ。


 俺の傍に来ればステータスを戻すのは容易い。それでもコレットが敢えて離れているのは、隙を作らないようにする為だろう。マイザーのスキルが何なのかを把握できてない段階で、迂闊に奴への集中力を切らすと致命傷を負いかねない。


 どうする? 今ならタイミングを見計らって元に戻す事は出来なくもない。コレット戦力外のまま三対一で戦うか、それとも多少の危険を承知でコレットを元に戻すか……


「隊長。私とヤメが食い止めるから、コレットどうにかして」


 おおっ、シキさんがコレットの名前を……! なんて言ってる場合じゃない。


 恐らくそれがベストだ。コレットはあの山羊マスク被ってるから、キスされる心配はない。俺が余計な事さえしてなけりゃ、この戦いの切り札的存在になる筈だったんだ。


「シキちゃん、支援魔法使うからヤメちゃんをしっかり守ってね! 生ける屍は野郎にキスされると灰になっちゃうんだよ!」


「はいはい」


 ヤメの支援魔法がシキさんと俺にかけられる。アクセレーションで速度アップした今の俺なら、ものの数秒でコレットの居る所までは行けるだろう。


 早速――――


「さぁて……」


 一歩踏み出そうとした刹那。


 周囲の空気が割れたような、異常な感覚が全身を支配した。


「そろそろ本腰を入れるとすっか」


 ゆらりと揺らめいたマイザーの身体は、さっきまでと形も大きさも変わっていない。なのに、どういう訳か異質なものに見えてしまう。


 こいつ……俺達が想像していたよりヤバい奴かもしれない。


 同じ四天王でも、エアホルグやガイツハルスと戦った時には、こんな無気味な姿には映らなかった。普通に同じ人間と戦っているような感覚だった。


 でもこのヒーラーは違う。


 ……本当に人なのか?


 そんな疑いすら持ってしまうほど、気味の悪い何かを感じてしまう。


「隊長!」


「……っ!」


 怖じ気づいてる場合じゃない。実際、シキさんもヤメも動じている様子はないんだ。俺だけがビビっている。


 ただでさえ、事前の悪ふざけで失態を犯しているのに、この土壇場で役立たずじゃ目も当てられない。ギルマスの沽券に関わる。それ以前に人として余りに情けない。


 ……行くぞ!


「コレットーーー! こっちに走れーーーーーーー!」


 喉が擦り切れるほどの声で叫び、コレットに向かって走る。向こうもこっちの意図に気付いたみたいだ。


 シキさんとヤメが数秒だけでも時間を稼いでくれれば、コレットが参戦できるようになる。そうなれば、こっちが断然有利になる!



「何をする気だ?」



「!?」


 う、嘘だろ……? どうして俺の目の前にマイザーがいるんだ……?


 いつの間に移動したんだよ! 瞬間移動でも使えるのか!?


 いや違う。瞬間移動なんかじゃない。コレットの位置が、さっきよりも明らかに近い。僅かに時間が進んでいる。


 だとしたら、やっぱり俺だけ時間停止されていた? 或いは数秒意識を失っていた?


「いいぜぇ。最初は眼中になかったけどよ、お前この中で誰より疾ってる。猛ってやがるぜ」


 ……はい?


「鈍ぃな。わかるだろう。ヤるんだよ俺らは」


 不意に――――目の前が真っ暗になった気がした。


 いやそうじゃない。これは顔だ。間違いなく男の顔だ。


 俺は今、何をしてるんだ? 一体どうなってるんだ?



 どうして目の前に……俺の身体があるんだ?


 

 自分のとはいえ、元々持っていた身体じゃない。当然、生前の見慣れた顔とは違う。


 でも、この世界にだって鏡はある。全身鏡はないけど、手鏡はお手頃価格で売っていた。だから、この顔が今の自分の顔だって理解する為、毎日眺めていた。その所為か、今はもう何の違和感もない。元々これが自分だったとさえ思えるほどに。


 その顔が今、目の前にある。鏡とは違う立体感を伴って。


 いや、おかしいだろ。仮にこういう状況なら、本来あるべき顔はこれじゃない。クセ毛で顎髭の――――


「さて、頂くぜ」


 顎髭……ヒゲ?



『マギヴィートは一人しか使い手がいないからすぐわかる。。。最近ラヴィヴィオ四天王に昇格した中年ヒゲ野郎』



「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」


 その瞬間、頭の中が真っ白になった。


 こいつ、チッチの――――


「んむっ……!?」


 なんだこれ何すんだこいつ口の中がうぎゃーーーーーっ!! あーーーーーーーっ!!

 

「むぐぐぐ! んーーーーーーーーー!!」


 あ……


 あ……ああ……



 ……アッー


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