第122話 馬鹿ね

 いつになく真面目なトーンで言い放った俺の懇願を、ティシエラは長い睫毛を翳すような美しい半眼で穏やかに受け止めていた。


 沈黙がやけに長い。かなり迷っているんだろう。ティシエラにとって今回の件、決して軽視も楽観視も出来ない筈だからな。


「……今すぐ話してみてと言うのは酷かもしれないけど、具体的なプランはあるの? 貴方達のギルドがヒーラーに対抗出来る手段が」


「ああ。俺達、というよりは俺に、なんだけど」


 このまま冒険者ギルドとの関係が悪化してしまったら、ソーサラーギルドには大打撃になる。ソーサラーの多くは冒険者登録しているからな。万が一、両者の交流が途絶えてしまうと、ソーサラー人口の減少や就職難すら招きかねない。


 そして、ヒーラーを野放しにしておく事のデメリットは言うまでもない。ヒーラーに蹂躙されっ放しじゃ、この街を支配する五大ギルド全体の信頼が失墜してしまうだろう。


 そんな重要な問題を俺に任せて欲しいと言っているんだ。勿体振ってる場合じゃない。


「多分、もうイリスから聞いて知っていると思うけど、俺は人間や武器のパラメータを調整する事が出来るスキルを使える」


「ええ。把握しているわ」


 この物言いだと、イリスから聞く前に調べがついてそうだな。マルガリータさんあたりから聞き出していたのかもしれない。口止めとか特にしてなかったし。


「こっちの警告を無視して迷惑行為を続けるヒーラーは、俺の調整スキルで無力化する。魔法を使えなくする事は出来ないけど、知覚力の値が最低値になれば、魔法の効力はガタ落ちになるんだろ?」


「……そうね。魔法の効力と知覚力は関連が深いから、最低値となると致命的な水準まで減少する筈よ」


 連中にとって、ヒーリングなどの回復魔法の効力は極めて重要。駆け出しなら兎も角、この終盤の街で掠り傷くらいしか治療出来ないヒーラーに需要なんてない。


 それでも足りないようなら、ついでに運も最低値にしよう。その下げた分は抵抗力にでも当てれば良い。幾ら魔法防御に優れていても、回復出来ないトラブルヒーラーなんて役立たず以外の何者でもない。


 見せしめに一人そんな状態にしてやれば、大きな抑止力になるだろう。


 ……これまでずっと、人間に対して調整スキルを使用するのは躊躇してきた。でもヒーラーが相手なら幾ら怪しまれようと疎まれようと全く問題ない。


「でも良いの? それを実行すれば、街中に貴方のスキルが露呈する事になるわよ」


「どの道、早かれ遅かれそうするつもりではいたから。元々はこのスキルで生計を立てようと思ってたし」


 ギルドを設立したのも、借金返済が第一目的だけど、この城下町で信頼を得て調整スキルを使っても怪しまれないようになる為でもあった。


 今は目的と手段が逆転していて、ギルドの為にこの調整スキルを活用するようになっているけど、いずれにしてもこの特殊な力をいつまでも眠らせているつもりはない。自分で得た能力じゃないから、誇るべきものではないけど、だからといって引け目を感じる必要もない筈だ。


「ようやく、これまで世話になった分を返せる時が来たって事だよ」


 この異世界に来て以降、いろんな人の世話になった。ベリアルザ武器商会の二人は介抱してくれた上に職場まで世話してくれたし、コレットは一緒にモンスターと戦ってくれた。バングッフさんやディノーにも世話になった。ザク野郎は……今は拗れてしまったけど、奴にも情けをかけて貰った。


 そして勿論、ティシエラとイリスにも日頃から助けられている。


 彼らへの恩返しはしておきたい。いつ、それが出来なくなるかわからないから。早い方が絶対に良い。


「……馬鹿ね」


 呆れた様子で、でも妙に穏やかな瞳で、ティシエラはそう漏らした。


「貴方がそのスキルを使うのなら、貴方達のギルドに任せる意義はある……寧ろ適任なくらいね」


「だったら――――」


「一日待って。考える時間を頂戴」


 即答、とはならなかったか。まあ当然だ。寧ろ一日で返事が貰えるのなら御の字だろう。


「誤解されるのは不本意だから言っておくけど、貴方を信用していない訳じゃないわ。可能な限り、自分のミスは自分で取り返したいだけ……ただの悪あがきかもしれないけど」


「ティシエラ……」


「心配しないで、イリス。意地とギルドを天秤にかけて、意地を取るほど愚かではないつもりよ」


 微かに微笑むティシエラに、イリスは困り顔で頷いていた。


「わかった。明日の同じ時間に返事を貰いに来るよ。今日は帰る」


「……気分を害した?」


「まさか」


 本心だ。割とプライドが高い方だとは思うけど、このくらいで傷付いたりはしない。


 だからそんな顔をするな。いつも凛々しくて、威風堂々としている方がティシエラには似合ってるから――――とは言えない。幾らポエム好きでも流石にそれはね、うん。


「俺も一日使って覚悟を固めておくよ」


 席を立ち、そそくさと背を向けて手をヒラヒラさせる。自分でも驚くほど照れ隠しが下手だ。カッコ付けるのに慣れてないから……


 ま、何にせよ明日だ。一応、依頼をされるものとしてヒーラー対策を練っておかないとな。率先して引き受けてくれるギルド員はそういないだろうから、最悪俺とコレットの二人だけで挑むくらいの覚悟でいよう。


 ……コレットにまで拒否されたらどうしよう。


「マスター!」


 執務室を出てそんなネガティブ思考とやり合っていると、背後からイリスが追いかけて来た。


「今日は……その、ありがと。それとゴメンね」


「謝られる事なんてないない。こっちは仕事を一つゲット出来そうだから、寧ろラッキーだって」


 どうせカッコ付けるなら、最後までその路線で行こうじゃないの。実際にカッコ良いかどうかはともかく、今日の俺は今のところ良い感じだ。


 誰も言ってくれないから自分で自分に言うよ。今日の俺、良い感じじゃね? 良い感じだよな。マジ良い感じだと思うよ。なあ自分。そうそう、本当そうだよね自分。自分、お前がナンバー1だ。うん、ここにいる自分みんなが認めてるよ。自分、いつの間にこんなに……みんなありがとう。フン。神に感謝。くっ、自分に負けた…! 順当な評価ですね。たくさんの自分、本当にありがとう!!!


「どしたのマスター、なんか顔おかしくない?」


 しまった、自我を分裂させて多重自画自賛に浸っていたら表情筋がグニャグニャになっちまった!


「いや大丈夫。っていうか、俺よりもティシエラを心配した方が良いんじゃないか?」


「うん……」


 言われるまでもない――――なんて顔には出していないけど、イリスにとってはそれが当然なんだろう。即座に頷いた。


「ティシエラ、今回の件をスッゴく気に病んでてさー……このままだと病気になっちゃいそうだったから、本当助かったよー」


「もし、やっぱり一人でやるって言い出したら、止めるよう説得しておいて」


「うん。ティシエラには冒険者ギルドとの仲直りに専念して貰って、私達はヒーラー被害が最小限になるよう頑張ろ!」


 イリスも手伝ってくれるらしい。良かった、これで俺一人だけって最悪のパターンは免れた。


「えっと、ティシエラと話がしたいから、見送りはここまでで良いかな?」


「勿論。お休み」


 取り敢えず、心強い援軍は得た。他の仕事も抱えた身で高難易度ミッションに挑むのは大変だけど、ギルドの名を売って街の信頼を勝ち得る最大のチャンス。頑張ろう。ここで頑張らずにいつ頑張るって話だ。


 思えば生前、誰かの為に頑張ろうって思った事は一度もなかったな。今の俺は多少なりとも、上等な人生を歩めているのかもしれない。


「マスター!」


 そんな物思いを蹴飛ばすような、イリスの大声が廊下に響く。多分お休みを言い忘れたんだろう。律儀なとこあるからな。


 いやでも案外、『今日は良い感じだったよー』って言ってくれるかも。イリス、そういうトコあるもんな。男心を擽ってくれるというか。


「今度の一件が片付いたら、また打ち上げしよーね!」


 ……あー、そっちでしたか。いや十分嬉しい申し出なんだけどね。うん、贅沢言わず素直に喜ぼう。


 明るく了承の返事をして――――


「今度は二人で!」


「ああ、そうしよう!」

 

 ……って、え? あれ?


 二人?


 それってもしかして、デートのお誘い?


 ……まさかね。


 いやいやでも二人きりってそういう事じゃん! デートじゃん! デート以外ないじゃん!


 真意を問おうにも、イリスはもういない。執務室に入ってしまった。


 よし決めた、デートだ。デートという事にしよう。人生初のデートのお約束だったんだ今のは。そうに違いない。デートデート。うん絶対デート。


 俺何回心の中でデート言うんだよ。飢え過ぎだろ。実際、飢餓状態なんだけどさ。


「ふぅ……」


 色んな意味で疲れた。ギルドに帰ろう。


 今夜は棺桶の中で悶々とした夜を過ごす事になりそうだ。





 そして翌日。


 ティシエラの返事が気になる中、アインシュレイル城下町ギルドに意外な来客があった。


「ご無沙汰……でもないですね。お元気でいらっしゃいますか?」


 やって来たのはルウェリアさん。護衛のディノーも一緒だ。体調は良いらしく、ツヤツヤした顔で挨拶してくれた。


「はい、体調は万全です。今日はどうしたんですか?」


「先日お伝えしていましたトモさんの取り分をお持ちしました」


 あー、そう言えば前に武器屋に行った時、去り際にそんな事言ってたな。俺が作った武器が売れ行き好調とかで。


「実はあれから、またお客様が増えていたんですよ。今、城下町でちょっとした暗黒武器のブームが来てるみたいで、私イチオシの夢喰い鞭も売れました!」


 凄く嬉しそうに話したルウェリアさん――――だったけど、すぐにションボリしてしまった。


「ですが、昨日は全然お客様来ませんでした。ブームは一瞬で過ぎ去って、一過性で終わったんでしょうか。私達、一発屋だったんでしょうか」


「いや……違うと思うけど」


 幾らなんでもそんな簡単にブームが収束するとは思えないし、偶々じゃ……


 あ。


「ルウェリアさん、多分客が来なかった理由は別にあります。実は昨日から……正確には一昨日の午後からなんですけど、ヒーラーが街を彷徨くようになりまして」


「え? どうしてそんな事に?」


「一昨日、ラヴィヴィオで火事があったってな。それが原因か?」


 ディノーも気になったのか、外を一頻り警戒したのち、中に入って会話に加わってきた。


「そうそう、それ。建物が全焼して、ヒーラーが野放し状態になってるみたい」


「由々しき事態だな。ただでさえ親衛隊の件で辟易しているというのに」

 

 そういえば、ルウェリア親衛隊に関しても大きな問題があったな。メカクレの家に集まっていた連中からモンスターの気配がした件。これも出来れば真相を追いかけたいところだけど……生憎そこまでの余裕はない。


「何にしても、しばらく不要不急の外出は控えた方が良いですよ。特にルウェリアさんが奴等に回復されたら……」


「お店、傾いちゃいますね」


 いえ、一瞬で潰れます。どジャアア~~~ンと。


「ルウェリアさん、彼の警告の通りだ。身体の弱い君とヒーラーは最悪の取り合わせだろう。決して関わる事のないよう、今後暫く外出は控えよう」


「は、はい。わかりまし――――」


「ぎゃーーーっはっはっはっはっはっは! 怪我人はいねーかーーーー! 手を怪我した子、脚を悪くした子はいねーーかーーーー!!」


 不意に店の外から聞こえてくる不穏な呼びかけ。考えるまでもない。間違いなくヒーラーだ。既にまともじゃない様子がヒシヒシ伝わってくる。


「今の声は……ラヴィヴィオ四天王の一人、エアホルグ!」


 戦慄の声をあげるディノー。


 でも俺は、ラヴィヴィオ四天王という陳腐な響きにゲンナリして、あまり危機感を持てずにいた。


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